<秦剛外交部長の日中関係に関する提起>

 日中平和友好条約(以下「条約」)締結45周年に当たる今年、政治、経済、安全保障等各分野で日中の立場の違いが鮮明になる中で、習近平新体制下の中国の日中関係に関する所信を問われた秦剛外交部長は「言而有信、以史為鍳、維護秩序、互利共嬴」の4つのポイントを指摘した(3月7日)。「以史為鍳」(歴史を以て鑑となす)と「互利共嬴」(ウィン・ウィン)は、日中関係が立脚するべき原則として、中国が以前から用いてきたキー・ワードだが、秦剛は日中関係の厳しい現実を踏まえて今日的な意味づけを与えている。これに対して、「言而有信」(言いて信あり)と「維護秩序」(秩序擁護)は日中関係の脈絡ではいわば初出であり、それだけに中国の日本・岸田政権に対する問題意識が強く反映されている。秦剛は次のように述べた(強調部分は筆者。今日的意味合いが色濃く込められている部分)。
 「言而有信」(筆者:出典は『論語・学而』。交友関係における鉄則は言行一致であることを指摘した「与朋友交,言而有信」):両国が45年前に締結した条約は、中日関係発展の原則と方向を法的に確認した最初の文件であり、中日共同声明(1972年)等とともに中日関係の政治的基礎をなす。特に「互いに協力パートナーとなり、互いに脅威とならない」という(条約第1条の中心思想をなす)重要な政治的共通認識は厳格に遵守するべきであり、言ったからには実行するべきである
 「以史為鍳」:日本軍国主義が中華民族に与えた深刻な危害は今なお痛みを残している。中国人民は忘れないし、日本も忘れるべきではない。歴史を忘れることは裏切ることを意味し、罪責を否認することは再び犯すことを意味する。中国は一貫して善意で日本に接し、善隣友好を希望している。しかし、仮に中国をパートナーとせずにもっぱら災いを及ぼし、さらには中国封じ込めの「新冷戦」に加わるに至れば、傷口が癒える間もなく新たな傷口を加えることとなる
 「維護秩序」:今の日本にはいわゆる秩序を大いに語る向きもあるが、その秩序とは一体何ものであるかを明らかにするべきである。今日の国際秩序は世界反ファシズム戦争勝利の基礎の上に形成されており、3500万人の中国軍民の生命と鮮血を引き換えにして獲得したものである。中国人民は、戦後の国際秩序及び国際正義に挑戦する如何なる歴史修正主義にも同意することはあり得ない。条約は覇権主義反対を明確に規定(第2条)しており、条約のその精神は今日においても現実に意義を有する
 「互利共嬴」:中日両国の長所は互いに補い合い、互いを必要としている。我々は市場原理と自由開放の精神を堅持し、協力を強め、産業チェーンとサプライ・チェーンの安定と円滑を共同で擁護し、グローバル経済の回復に動力と活力を注入するべきである
 最後にもう一つ言っておきたい。日本政府は、福島原発の核汚染水を海に放出することを決定した。これは日本だけの私事ではなく、海洋の環境及び人類の健康にかかわる重要な事柄である。我々は、日本が責任ある方法でこの問題を解決することを丁重に促す。

<岸田政権評価の分岐点>

 中国の岸田政権に対する認識は、「国家安全保障戦略」「「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」(いわゆる安全保障3文書)を閣議決定した2022年12月16日を境にして決定的に変化した。
 中国は、安倍政権時代の日中関係に基本的に不満であり、1972年の日中国交正常化に尽力した大平正芳外相(当時)が率いた宏池会の現在の会長である岸田首相の誕生(2021年10月)に期待を寄せた。しかし、日米「2+2」(2022年1月)、ロシア・ウクライナ戦争(3月)にかこつけた「中国脅威」喧伝、参議院戦勝利後の改憲発言(7月)、米ペロシ下院議長及びハリス副大統領の訪日を歓待した際の台湾関連発言(8月・9月)等を経て、中国の岸田政権に対する期待は、失望さらには警戒へと変化した。
 日中友好8団体の一角を占める日中友好議員連盟の会長を務めていた林芳正が11月に外相に就任した際に、中国の対日期待感は若干持ち直した。しかし直後(12月)の安全保障3文書閣議決定及びそれを「土産」とした岸田首相のG7諸国歴訪時(本年1月)の一連の言動により、中国は岸田政権に対する不信を決定的に高めることになった。そのことは、2月に東京で行われた日中外交当局事務レベル協議(21日)及び安全保障対話(22日)に関する中国外交部発表文に顕著に反映されている。冒頭に紹介した秦剛発言はその集約と言える。
 中国側は事務レベル協議で、条約締結45周年を契機に共同声明、条約の原則を遵守するべきだ、と中日関係の拠るべき基本を念押しした上で、①平和・友好・協力という大方向を堅持すること、②グローバルな産業サプライ・チェーンの安定と円滑を擁護すること、③中日間の違い・矛盾を建設的に管理コントロールすること、④中日関係の安定的発展を確保すること、以上4点を具体的に要求した。また、歴史問題・台湾問題が中日関係の基本的信用・根幹であると指摘して、日本が以史為鍳と一つの中国原則を堅持すること、さらには核汚染水問題の適切な処理を求めた。
 また安保対話では、①日本が軍事面の強化拡大を推進していること、②安保3文書で「中国脅威」を喧伝していること、③中国周辺地域で域外勢力との軍事的結託を強めていること、④台湾・南シナ海等の中国の核心的利益にかかわる問題で消極的言動を繰り返していることを列挙して、日本が一つの中国原則遵守の誓約を守り、中国との建設的な安全保障関係を構築するよう要求した。
 日中関係にかかわる公式文件でこれほど歯に衣着せぬ物言いを表明するのは異例である。岸田首相の「中国脅威に対する協調対処」を主要テーマの一つに据えたG7諸国歴訪行脚を批判した環球時報社説(1月11日付け)以来、岸田首相を「岸田」と呼び捨てにすることが珍しくなくなった中国メディアの対日報道姿勢の変化にも象徴されるように、中国の岸田政権に対する認識は、安保3文書閣議決定を受けて根本的に変化した。

<安全保障3文書>

 日本における戦後の安全保障論議の本質を喩えて言うならば、「重箱の隅をつつく」あるいは「木を見て森を見ず」に終始してきた。
 すなわち、戦後日本における平和・安全保障に関する論争は、ポツダム宣言・平和憲法に基づく非軍事路線か、対日平和条約・日米安保条約に基づく軍事路線かという、真っ向から対立し、両立し得ない二つの理念・法体系のいずれを選択するかをめぐって闘われてきた。この場合、正常な立憲国家であるならば、「9条改正」の是非について徹底的に議論し、最終的には憲法が定める手続きに従って決着をつけるという健全な常識が支配する。
 しかし日本においては、反戦感情が強い国民を前にして、歴代政府は改憲に訴えるという憲政の常道を回避した。政府が採用したのは、問題が起こる度に、"9条と矛盾しない"と強弁する手法だった。要するに、「9条か安保か」という問題の本質を回避し、個々のケース毎に「合憲か違憲か」という「憲法解釈」の次元にすり替え、詭弁を弄して「合憲」という結論を導き出すことでその場をやり過ごすというものである。その結果、実に珍奇な(国際的には通用し得ない)主張が堂々とまかり通ることとなった。
 珍奇な主張については枚挙にいとまがないが、確認の意味を込めて、これまでの政府の憲法解釈における代表的な事例を紹介しておこう。
○海外派兵(違憲)と海外派遣(合憲)
○武力使用(違憲)と武器使用(合憲)
○後方支援(違憲)と後方地域支援(合憲)
 政府によれば、前者は「武力行使を目的とする」から憲法違反、後者は「武力行使を目的としない」から憲法違反ではない、と説明される。しかし、このような主張は国際的にまったく通用しない代物だ。

<敵基地攻撃能力>

 安全保障3文書との関連で言えば、いわゆる「敵基地攻撃能力」をめぐって憲法論争が再燃していることは記憶に新しい。特に対米軍事協力推進に意欲を燃やす岸田政権は、安倍政権時代の「集団的自衛権行使合憲」閣議決定を背景に、「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃が発生した場合にも「自衛権行使」としての敵基地攻撃がありうるとしている。
 しかし、米ソ冷戦終結後におけるアメリカの軍事力行使の事例(旧ユーゴスラヴィア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア)に限っても、アメリカは国際法違反の侵略戦争の常習犯だ。そのアメリカに自衛権を行使して反撃する国家(例えば中国、朝鮮)に対して「敵基地攻撃能力」を行使する日本は文字通り「侵略戦争の片割れ」となる。
 ところが今日に至る国会論戦が示すとおり、野党は問題の本質を見ることができず、政府が設定した土俵で議論することに終始している。日本の安全保障論議は「重箱の隅をつつく」あるいは「木を見て森を見ず」である、と形容した意味が理解されるだろう。

<中国の岸田政権批判>

 すでに紹介した2月の日中安全保障対話に関し、中国における日本研究の第一人者・楊伯江(中国社会科学院日本研究所長)は、そこでの最重要議題が「日本の軍事的動向」であったとした上で、大要次のように述べている(2月23日付け人民網(HP)所掲「アジア太平洋地域の平和と安定を脅かす日本の軍事力強化拡大」)。日本が備えるべき平和・安全保障政策の本質を喝破していると言えるだろう。結論に代えて紹介するゆえんである。
 日本の軍事政策は、第二次大戦投降以来もっとも深刻な変化を遂げている。岸田政権は安保3文書により「専守防衛」原則を放棄し、いわゆる「反撃能力」を解禁し、NATO標準に照準を合わせている。防衛予算を大幅に増やし、憲法の平和主義の理念に背き、軍事大国に向かう危険信号を発出している。安保3文書により、岸田は2022年5月にバイデンが訪日した際に日本に課した「防衛力の抜本的強化」作業を完成した。こうして日本は日米軍事一体化に邁進し、アメリカに追随して「中国脅威」を宣伝し、対外関係における軍事的要素の比重を高めている。
 日本に求められているのは、現実を直視し、長期的視野を備え、戦後の平和主義の理念を堅持し、交流と対話を通じてアジア近隣諸国との相互信頼・協力を増進し、地域の平和と安定に積極的な役割を果たすことである。こうしてのみ、地域に利益をもたらし、日本自身をも救うことができる。