韓国の尹錫悦大統領の訪日は、「日本の朝鮮植民地支配の正当性」に固執する日本政府のいわゆる「徴用工問題」に関する無理無体に対して尹錫悦政権が全面的に屈服することではじめて実現したものであり、そのような日韓関係は「砂上の楼閣」という形容しか当てはまりません。なお、「徴用工問題」に関しては昨年(2022年)8月1日のコラムで私なりの理解を記しましたんで適宜参照願います。尹錫悦政権は3月6日に「解決策」なるものを発表しました。同日付の韓国・聯合通信は次のように報道しています。その要諦は、"「被告(日本企業)謝罪なし」+「韓国側全額負担」"であり、私が昨年8月1日のコラムで紹介した6つの案(原告代理人であるイム・ジェソン弁護士)の中でも最悪のものです。

 韓国政府は(3月)6日、日本による徴用被害者への賠償問題をめぐり、2018年の韓国大法院(最高裁)の判決で勝訴が確定した被害者に対し、政府傘下の財団が日本の被告企業の賠償を肩代わりして支払うこと(いわゆる「第三者弁済」)を正式に発表した。朴振(パク・ジン)外交部長官が記者会見を開き、政府の解決策を発表した。…朴氏は「行政安全部傘下の日帝強制動員被害者支援財団が徴用被害者と遺族の支援、被害救済の一環として、18年に大法院で確定した3件の判決の原告に判決金(賠償金)および遅延利息を支給する予定だ」と説明した。現在係争中の別の徴用関連訴訟で原告が勝訴した場合も、財団が原告に賠償金と遅延利息を支給する。必要な財源については「民間の自発的な寄与などを通じて用意し、今後、財団の目的事業に関して用いることができる財源を拡充していく」と述べた。
 尹錫悦政権の「解決策」の問題点に関しては、ハンギョレ新聞日本語WSにおいて、様々な角度からの鋭い批判論調が掲載されており、読み応えがあります。主なものを紹介することで、このような日韓関係のあり方が許されてよいはずがないことを確認したいと思います。

<「第三者弁済」の可能性>

 3月14日付けの「強制動員被害者が望まない「第三者弁済」は可能か」と題するチョン・ヘミン記者署名文章。
 韓国民法第469条は、第三者も債務を弁済できると規定している。しかし、債務の性質または当事者の意思がこれを許さない場合はその限りでないとの但し書きがついている。民法がこの規定を設けたのは、金銭債権の一般的な特性を考慮したからだ。金には「荷札」がついていない以上、債権者としては誰が弁済しようが約束の金額が受け取れればそれで済むというわけだ。ただし、この事件のように債権者(被害者)が特定の債務者による弁済を求めている場合には、どのように解決すべきかが問題になった事例はない。債権者も債務者も望まない弁済を第三者が行う事例は極めて珍しいからだ。
 そのため債権者たちは民法第469条1項の但し書き条項を根拠に、第三者弁済の適法性を争うものとみられる。強制動員訴訟の原告代理人を務めるカン・ギル弁護士は「民法の原則は『第三者弁済』を無制限に許すものではないというものなので、現行法上、原告である被害者が望まない場合には、第三者弁済は不可能だと考えられる」と説明した。被害者側は財団側の弁済を拒否し、日本の加害企業の資産に対する現金化手続きを引き続き進めるとみられる。
 被害者が拒否しているにもかかわらず財団側が第三者弁済を強行すれば、供託の適法性を争う手続きが行われるとみられる。供託とは、債権者が受領を拒否した場合に、金銭を裁判所の供託所に預けて債務を免れる制度だ。強制動員被害者の代理人を務めるイム・ジェソン弁護士は「現在進められている日本企業の国内資産の現金化訴訟で、供託の無効を争うつもり」だと明らかにした。第三者弁済の受領を拒否していて日本企業に対する債権がそのまま残っているため、現金化手続きを継続するよう要請する計画だ。先に外交部は、最高裁が審理している日本企業の国内財産の現金化命令に対する再抗告事件について、「多角的な外交努力を傾注している」として裁判の先送りを要請する意見書を提出してる。これに対し被害者側は「裁判への介入」だとして強く反発している。

<「反法治」の本質>

 同じく3月14日付けの「韓日両政府は法治を踏みにじるのをやめよ」と題する慶北大学法学専門大学院のム・チャンノク教授の署名文章。
 パク・チン外交部長官は3月6日に強制動員問題に関する政府の「解決策」を発表した際に、日本が「法治という普遍的価値を共有する最も近い隣国」だということを、解決策を打ち出した根拠のひとつとしてあげた。日本政府も、韓国最高裁(大法院)の強制動員賠償判決は国際「法」に違反していると主張してきた。韓日両国政府が「法治」というスローガンの下に「大同団結」した格好だ。
 2018年10月30日に大韓民国最高裁で日本の戦犯企業の損害賠償責任を認めた判決が下された直後から、日本政府はこの判決のことを「国際法違反」だと非難してきた。日本の言う国際法とは、1965年に締結された韓日請求権協定という二国間条約だ。しかし最高裁判決は、条約の解釈に関する基本原則を定めた国際法である「条約法に関するウィーン条約」を根拠に、請求権協定の条文を詳細かつ妥当に解釈したものだ。にもかかわらず日本政府は、一切の根拠の提示もなしに請求権協定の条文だけを掲げて判決を攻撃した。
 日本政府こそ請求権協定を不当に動員して韓国の司法主権を侵害しており、主権の相互尊重という国際社会の最も基本的な規範を破っているのだ。「1965年の国交正常化以降で最悪」と言われる韓日対立は、国際法に従った最高裁判決のせいではなく、国際法に違反している日本政府の不当な攻撃のせいで生じたものであり、それこそが事態の核心だ。
 韓国政府の「解決策」も「反法治」であるのは変わらない。「第三者弁済」などの固い法律用語で飾り立ててはいるものの、「解決策」の核心は判決が宣告した日本企業の損害賠償責任を免除することだ。最高裁は、日帝の朝鮮半島支配は憲法前文の規定する「3・1独立運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」に照らして不法な強制占領であり、強制動員は不法な強制占領に直結した反人道的不法行為であるため、請求権協定の適用対象ではないと判示した。韓国政府の「解決策」はこれを否定したものであり、憲法違反だ。
 韓国政府は北朝鮮の核などの安保状況を前面に掲げているが、それがこのように日本政府に全面投降しなければならない根拠にはなりえない。「高齢の被害者のために速やかに」とも主張するが、「外交交渉を行っているから売却命令に関する再抗告事件は決定を先送りしてほしい」という意見書を最高裁に提出し、決定を遅延させているのは、他ならぬ韓国政府だ。
 韓国政府は高齢の被害者のためだと言いながら、すでに最高裁で勝訴が確定している被害者と、現在進行中の60件あまりの訴訟で将来勝訴が確定する被害者のみに金を支給するという。「最高裁まで行って勝訴すれば、日本企業に代わって金を与える」というのが、どうして高齢の被害者のための迅速な解決なのか。これは日本企業の責任を免除することこそ「解決策」の絶対的な目的だという事実を自認しているに過ぎない。
 政府が提示した解決策は、日帝強制動員被害者支援財団が日本企業を肩代わりして強制動員被害者に金を支給するというものだが、財団設置の根拠法たる「強制動員特別法」によれば、日本企業の責任を免除するという、請求権協定とは関係のないことは、法律の目的の範囲を逸脱している。
 くわえて、財源は請求権協定で得た経済協力資金の恩恵を受けた韓国企業の「自発的寄与」で作るというが、最高裁判決によれば強制動員は請求権協定の適用対象ではない。したがって、請求権協定によって日本政府から受け取った無償3億ドルは強制動員と関係がなく、その無償3億ドルから支援を受けたポスコなどの韓国企業は強制動員問題に対する責任がない。したがって、韓国企業が日本企業の債務を肩代わりするために日帝強制動員被害者支援財団に金を拠出することは背任となりうる。
 韓日両国の政府は「法治」というスローガンを掲げつつ、実は「反法治」へと向かっている。
 それは韓国と日本の目指すべき未来の姿とはなりえない。日本政府は韓国最高裁の判決に対する不当な攻撃をやめるべきだ。韓国政府は最高裁の判決を否定する「解決策」を直ちに撤回すべきだ。最高裁は最終決定を迅速に執行することで、人権を守る最後のとりでの役割を果たすべきだ。

<韓米日3カ国協力の強化に「全賭け」>

 同じく3月14日付けの「韓国大統領室高官の辞任を要求する」と題するハンギョレ新聞のキル・ユンヒョン国際部長の署名文章。
 尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の「白旗投降」で終わったこの4年間の韓日対立を思い起こすと、実に様々な複雑な思いに陥る。
 4年間続いた対立の前半部といえる文在寅(ムン・ジェイン)政権時の韓日対立について、2021年7月に『新冷戦韓日戦』と題する本を出した。その本で当時、この戦いは両国間の単純な歴史対立ではなく、朝鮮半島と東アジアの未来像をめぐる巨大な世界観の衝突だったとする分析を提示した。すなわち、北朝鮮核問題を解決して南北関係を改善し、東アジアの冷戦秩序を打破しようとする文在寅政権の「現状変更」戦略と、韓国政府のそのような試みを打ち破り、韓米日の3角同盟を強化し、北朝鮮と中国を抑制しようとする日本の「現状維持」戦略が正面で衝突し、大きな破裂音を立てたということだ。
 両国間の対立がピークに達した2019年8月、慶南大学極東問題研究所で討論会が開かれた。その時、当時の与党「共に民主党」のキム・ミンソク議員(当時は議員就任前)が吐露した発言が胸に残っている。「この問題に国家の命運がかかっており、国家の名誉を担ってこの問題を解決できるかどうかに政権の命運がかかっている」
 当時その討論会の席でこの話を聞き、「大げさな発言ではないか」と思ったが、事態の本質を見抜いた発言だったと遅ればせながら認めざるをえない。あの殺伐とした闘争で韓国は敗れ(2019年2月末、ハノイでの朝米首脳会談の失敗)、文在寅政権は任期を終えた。だからこそ、その後登場した尹錫悦政権が前政権の遺産を全面的に否定し、韓米日3カ国協力の強化に「全賭け」するのは、別の見方をすれば残酷だが当然の論理的帰結だと考える。
 それでも、新たに登場した尹錫悦政権に一抹の期待を持たずにはいられなかった。私の所見では、世界はすでに新冷戦の入り口に差し掛かっており、北朝鮮の核の脅威が現実化した状況においては韓米日の3カ国協力自体を否定できなかった。だから、両国が最大の懸案である強制動員被害者への賠償問題に合理的な妥協案を引き出せるよう心から願った。だが結果は、原告の二つの要求事項である日本の「謝罪」と「賠償参加」のうちの一つも勝ち取れなかった白旗投降になってしまった。
 なぜそうしなければならなかったのだろうか。大統領室高官(知っている人は誰のことなのか皆知っているが、実名公開は不可だという)の6日の会見録を読んでみたが、すべての分析が無意味だと感じられた。「我々が大法院(韓国最高裁)判決を否定する理由は何もないが、とにかく国際法的に、そして1965年の韓日両政府の約束に照らしてみると、2018年の大法院判決は、日本としては『韓国が合意を破ったものだ』という結論になったのです」。これまで日本を含む数多くの外国政府の当局者の会見を見てきたが、公開の席上で自国の最高裁の判決を蔑視し相手国の立場を擁護する姿は、見たことも聞いたこともない。
 戦争はなぜ発生するのか。これに関する最も印象的な洞察を、東京大学の加藤陽子教授の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』という本で読んだことがある。その本で著者は、戦争を「相手国の権力を正当化する根本原理である憲法を攻撃目標にすること」と定義した。大韓民国が今の大韓民国たらしめている二つの前提は、憲法の中に含まれている。大韓民国は「3・1独立運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」と「不正に抵抗した4・19(李承晩大統領を辞任に追い込んだ民主化運動)の民主理念を継承」した民主共和国だ。この高官が、日本の立場を擁護し返す手で非難した2012年5月の大法院判決(破棄差戻し)と、それに続く2018年10月の大法院全員合議体の判決の核心は、次のようなものだ。原告敗訴を決めた日本の先の判決は、過去の植民地支配が合法であることを前提としたものであり、これは、「大韓民国の善良な風俗」すなわち憲法の価値に反するものであるため受け入れることはできず、原告が要求する慰謝料は「不法な植民地支配と侵略戦争の実行に直結した反人道的な不法行為」に対するものであるため、1965年の請求権協定で解決されなかった、ということだ。
 国家であれば、この価値を擁護するために戦わなければならない。時には妥協も必要だが、政府当局者には言うべき言葉と言ってはならない言葉がある。政府高官が自ら自国に恥をかかせるのであれば、世界のどの国が韓国を尊重するだろうか。過去にも様々な論議を引き起こしたこの高官には、辞任して「学問と思想の自由」がある大学教授に復帰してもらいたい。

<「極東1905年体制」論まで飛び出す日本に迎合する尹錫悦政権>

 3月13日付けの「強制動員解決策、誤った認識と選択が招いた「惨事」」と題するソウル大学日本研究所のナム・ギジョン教授の署名文章。私はうかつにもこの文章で指摘されている「極東1905年体制」論の存在を知りませんでした。防衛省防衛研究所主任研究官の千々和泰明氏の主張とのことです。ネットで検索したところ、彼は次のように述べています。
「米日・米韓両同盟」が支える「極東1905年体制」
それではなぜ日米同盟と米韓同盟が、「米日・米韓両同盟」とでもいえる密接な関係を保持する必要があるのか。 戦前の日本帝国は、極東のほぼ全域を勢力下に置いていた12。そして日本が同地域に覇権を打ち立てることについては、台湾については日清戦争後の1895年から、朝鮮についても日露戦争に勝利した1905年以降、国際的に承認されていた。 ここでは、東アジアにおける伝統的な覇権国である中国が自制的(あるいは弱体)であることを前提に、日本と、日本にとって地政学上重要な朝鮮南部、台湾が同一陣営にグリップされているという極東もしくは北東アジア地域秩序の在り方を、これもやはり大胆だがポーツマス条約が結ばれた年になぞらえて「極東1905年体制」と呼んでみたい。
 以下はナム・ギジョン教授の署名文章。
 6日に韓国政府が発表した「最高裁判決に関する解決策」には、最高裁(大法院)判決がない。この日提示された政府の解決策の内容は、植民地支配の不法性を前提として被害者に「慰謝料」を支払うことを命じた最高裁判決を無力化するものだ。惨事だ。日本政府が「韓国の司法府が犯した国際法違反状態は韓国政府が自ら解決せよ」と強要したフレームにすっかりはまっている。したがって対日交渉の内容もない。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領自らが問題の解決策として提示した「グランドバーゲン」にさえなり得ていない内容だ。だからこれは外交惨事ですらなく、単なる惨事だ。
 なぜこうなってしまったのか。誤った認識と選択のせいだ。尹錫悦大統領は、韓日関係悪化のすべての責任は文在寅(ムン・ジェイン)前政権にあるとの認識を示してきた。輸出規制措置で韓国人の経済的生存権を脅かした日本の安倍晋三政権の責任については一言もなかった。「竹槍歌」ばかり歌っていて日本にやられたという認識だった。つじつまが合わない。
 輸出規制措置が最高裁判決のせいだというのか。それはひとまず日本政府自らが否定する論理だ。最高裁判決が誤っているというのか。最高裁判決は、韓国憲法の精神と1965年の韓日基本条約に対する韓国政府の立場にもとづいて下された当然の法理的判断だった。それもすでに李明博(イ・ミョンバク)政権時代の2012年に下された判断を確定したに過ぎない。司法壟断が断罪されたことで、当然の結論が当然にも下されたのだ。司法壟断の主役であるヤン・スンテ元最高裁長官を拘束したのは、当時のソウル中央地検長として、そして第3次長検事として捜査を指揮した尹大統領とハン・ドンフン法務部長官だ。現政権与党の前身である自由韓国党は最高裁の判決を歓迎し、植民地支配の不法性が確認されたと述べつつ、日本の態度変化を期待すると表明している。最高裁判決は党派を問わず、大韓民国の国家アイデンティティーの発露だった。どこが誤っていたというのか。
 韓国の誤ったがゆえに韓日関係を台無しにしたという認識は、今年の三一節記念演説でそのまま表現された。事実関係が合わないうえ、非常に政略的だ。文在寅政権が反日感情によって韓日関係を台無しにしたのではなく、尹錫悦政権が「反祖国感情」に乗って韓日関係をひっくり返してしまったのだ。政治を対日外交に利用しているのは誰か。
 尹錫悦政権は前政権で推進された朝鮮半島平和プロセスも失敗と規定し、それに代えて韓米日安保協力の強化を選択した。日米同盟の下位同盟として編入される韓米同盟の現実の中で、韓国政府の地位と交渉力は弱まった。朝鮮半島平和プロセスに介入しようとしていた日本が韓国政府に国際法違反のレッテルを貼り、現状変更勢力へと転落させてしまった。米国を日本に対するテコにしようという計算が尹政権にはあったのかも知れないが、米国の圧力はむしろ韓国へと向かった。
 誤った認識の下で対日交渉カードをすべて捨て去り、誤った選択によって米国というテコが逆に作用したことで、3月6日の惨事は予見されていた。
 兆しはあった。昨年9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われた日、それに参加したハン・ドクス首相の記者懇談会での発言は不吉だった。彼は「国際法的に見れば一般的に理解しがたいことが起きたのは事実」だとして、日本側の認識をそのまま受け入れた。その日の国葬では、菅前首相は伊藤博文の死を思う山県有朋の悲痛な心情になぞらえて追悼の辞を読み上げた。山県は主権線・利益線の概念で構成される日本の地政学を創案し、伊藤は安重根(アン・ジュングン)義士に狙撃されるまでそれを実行に移した当事者だ。国際法は、彼らが韓国を手なずけるための有効な手段だった。そして、その侵略的行動を国際法で覆い隠した。
 山県と伊藤の認識は戦後日本の朝鮮半島認識に綿々と受け継がれる。「平和憲法」を重視し、戦後日本の基礎を築いたと評価される吉田茂は、最も尊敬する政治家として伊藤博文をあげ、清やロシアなどの大陸勢力から日本の安全を守るために朝鮮半島を掌握しようとした彼の見識を称賛した。吉田にとって朝鮮戦争は天祐(てんゆう)であり、朝鮮半島の現状を維持するために韓日国交正常化を背後から支援した。
 尹錫悦大統領は前回の大統領選挙中の討論で「有事の際に(自衛隊が)入ってくることもありうる」のではないかと発言した。有事の際には自衛隊が朝鮮半島にやって来るのを防ぐことはできず、そのために韓米日軍事同盟も検討しうるという発言だった。そこまで発言する候補は今までいなかった。そして彼が大統領になった。三一節の記念演説では日本の植民地支配を免責し、協力パートナーになったと述べた。保守か進歩かを問わず、このような大統領は今までいなかった。ニューライトのあがめる李承晩(イ・スンマン)大統領でさえ、1951年1月に中国共産軍の大々的な攻撃で押されている中、米国が日本軍の国連軍への編入の可能性を検討した際、日本軍が参戦するなら韓国軍はまず日本軍を撃退してから共産軍と戦うだろうと述べている。
 今、日本では明治初期を彷彿とさせる勢いで地政学が流行している。明治地政学によって侵略戦争に打って出た日本では、敗戦後は長くタブー視されていた単語だ。ついには「極東1905年体制」論(千々和 泰明 : 防衛省防衛研究所主任研究官)が登場している。日露戦争の結果、朝鮮半島と台湾が日本と共に力で維持される一つの陣営にまとめられて東アジア勢力均衡体制を形成し、日本の敗北によって流動化していたこの体制は、朝鮮戦争以降に米国を中心として再編され今に至っている、というものだ。この論によれば「極東1905年体制」は過去の歴史ではなく、日米同盟と韓米同盟が事実上一つの制度として作動している実体だ。そこにおいては、日本が朝鮮半島を植民地とした事実は「やむを得ないこと」として処理される。最高裁判決に関する韓国政府の解決策が登場した後には、朝鮮半島有事の際の指揮統制機関の再編が公然と論じられている。現在の韓米連合司令部体制では日本が関与する余地はないとし、有事の際に日本が甘受するリスクを考慮して、計画立案の場に日本が関わる余地を設けるというものだ。
 過去にこだわっていないで振り払い未来へと向かって行こうという言葉を、聞き流すことができない状況だ。危ない。気をつけなければならない。