<ロシア・ウクライナ戦争の経緯>

 私はロシアのウクライナ侵攻(特別軍事行動)開始直後の2022年3月に、ウクライナにおける平和回復実現にはロシア出兵の原因を理解する必要があるという認識に立って、次のように指摘した(2022年3月6日のコラム)。
ロシアがウクライナに軍事侵攻したことはショックだった。日本、米欧ではプーチン・ロシアに「専制主義」「全体主義」「権威主義」のレッテルが貼られているから、いわゆる西側国際世論がロシアの今回の行動を激しく非難したことは自然の成り行きだった。この非難にロシアがたじろぎ、撤兵決断に踏み切ることになるならば、「西側国際世論の一方的勝利」という結果で終わることになるだろう。
 しかし、イソップの「北風と太陽」の寓話に鑑みれば、物事はそれほど簡単ではないと思われる。旅人(ロシア)は北風(西側国際世論)にはますます身構えるばかりだろう。旅人の身構える気持ちを解きほぐすことによってのみ、外套を脱ぐこと(ウクライナ撤兵)を促すことができる。私たちは太陽的アプローチを考えなければならない。そのためにはまず、旅人(ロシア)の気持ち(問題意識)を理解することから始めなければならない。
 1991年に崩壊したソ連の後継国となったロシアは、西側(アメリカ・NATO)に対する緩衝地帯(東欧諸国)を失い、西側の軍事的脅威に直面することとなった。しかもその後の約30年間、NATOの東方拡大と旧ソ連邦諸国のカラー革命により、ロシアを取り巻く安全保障環境は年を追う毎に厳しさを増してきた。
 NATOの東方拡大は5回にも及ぶ。すなわち、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリー、2004年にルーマニア、ブルガリア、スロヴェニア、スロヴァキア、ラトビア、リトアニア、エストニア、2009年にアルバニアとクロアチア、2017年にモンテネグロ、2020年には北マケドニアと、NATO加盟国は16カ国から30カ国にまで膨れ上がってきた。ロシアにとっての対西側正面の緩衝地帯は、今やベラルーシとウクライナの2国を残すのみになっている。
 カラー革命とは、主に旧ソ連邦を構成していた国々で起こった民主化運動の総称である。その中に、2003年のジョージアにおけるバラ革命、2005年のキルギスにおけるチューリップ革命と並んで、2004年のウクライナにおけるオレンジ革命が含まれる。
 ウクライナは、主に国の西側(北西部)を基盤とする、親西側傾向が強いウクライナ系住民(宗教的にはカトリック。全人口の約2/3)と、東側(南東部)を基盤とし、親ロシア傾向が強いロシア系住民(宗教的にはロシア正教。全人口の約1/3)によって構成されている、と言われる。オレンジ革命後もウクライナ政情は安定せず、特に2014年のいわゆるウクライナ騒乱によってヤヌコヴィッチ大統領がロシアに亡命した後、ロシア系住民はクリミア住民投票でロシアへの帰属を選択した。
東南部のドネツク及びルガンスク2州も住民投票を行って「人民共和国」成立を宣言し、これを鎮圧しようとしたウクライナ政府との間で内戦状態となった。ロシアとウクライナは、フランスとドイツの仲介を得て2州での停戦(ミンスク合意)にこぎ着けたが、その後も小競り合いが続き、ロシアとウクライナの対立も深まっていった。
 2019年にウクライナで行われた大統領選挙で、コメディアン出身で政治にはズブの素人だったゼレンスキーが勝利した。その政治手腕に対しては当初から、内外から厳しい疑問符がつけられ、これといった成果を挙げることができないゼレンスキーの支持率はじり貧をたどった。ゼレンスキーは事態を打開するべく、ミンスク合意履行に応じず、国内的にはロシア語の使用を制限するなどロシア系住民に対する締め付けを行い、また、ウクライナのNATO加盟に理解を示すアメリカを公式訪問するなど、ロシアとの対決姿勢を鮮明にすることで国内支持基盤を回復しようとした。
 これに対して、ロシアは外交攻勢で局面の打開を図ろうとした。すなわち、1月27日及び28日、ラブロフ外相はロシア・メディアの質問に答える形で、ロシアがアメリカとNATOに対して思い切った外交的アプローチを行ったことを明らかにした。
まずラブロフは、2021年12月にロシアがアメリカとNATOに対してロ米間及びロシア・NATO間の安全保障に関する条約・協定案を提示し、これに対するアメリカ及びNATOからの回答を受け取ったという事実を明らかにするとともに、その回答に対するロシア側の立場を明らかにしたのだ。その立場とは次の2点である。
第一、西側がウクライナについて取ろうとしている行動は、アメリカ大統領を含むOSCE諸国首脳が署名した1999年イスタンブール首脳宣言及び2010年アスタナ首脳宣言に盛り込まれた「不可分の安全保障原則」に反するものであり、ロシアは西側がこの原則を遵守することを改めて要求する。
ちなみに、「不可分の安全保障原則」とは、各国は「安全保障取り決め(同盟条約を含む)を選択する固有の権利」を持つが、「他国の安全保障を犠牲にする形で安全保障を強化しない」(アスタナ宣言第3項)ことを言う。簡単に言えば、自国の安全と他国の安全は不可分に結びついていることを認め、他国の安全を犠牲にする形で自国の安全を追求してはならない、ということだ。
 第二、ロシアとしては、首脳宣言での約束すら守らない西側に対して、条約・協定という法的拘束力ある文書で「不可分の安全保障原則」遵守を迫る。具体的には、①西側はウクライナのNATO加盟を認めない、②西側はウクライナに軍事力を駐留させず、攻撃型のミサイルも配備しない、以上2点を条約・協定に明記する。
 ラブロフは、ロシアがアメリカに提案した条約案に以下の規定が置かれていることも明らかにした。
○第1条 締約国は、相手国の安全保障に影響を及ぼす行動を取ってはならず、また、そうした行動に参加し、もしくはこれを支援してはならない。また、相手国の核心的な安全保障上の利益を損なう安全保障上の措置を実行してはならない。
○第3条 締約国は、相手国に対する武力攻撃または相手国の核心的な安全保障上の利益に影響を及ぼすその他の行動を準備し、遂行するために他国の領域を使用してはならない。
○第4条 アメリカは、NATOのさらなる東方拡大を防止すること及び旧ソ連邦諸国のNATOへの加盟を拒否することを約束する。アメリカは、NATO加盟国ではない旧ソ連邦諸国の領土に軍事基地を設置してはならず、軍事行動のためにこれら諸国のインフラを使用することも、これら諸国との軍事協力を発展することもしてはならない。
○第5条 締約国は、相手国が自国の国家安全保障に対する脅威と認識するような形で軍事力を展開することを控えなければならない。
 このようなロシア側の外交攻勢に対しても、アメリカとNATOはまともに向き合うことを拒み続けた。これに業を煮やしたロシアは、ウクライナ南東部2州の独立を承認し、次いでウクライナに対する軍事侵攻に踏み切ったということだ。ウクライナ侵攻の目的について、プーチン(及びラブロフ)は「ウクライナの中立化と非軍事化」に関するウクライナの同意を取り付けない限り、軍事作戦を止めないことをくり返し明言している。
ロシアが「国連憲章違反の暴挙」という批判を受けるリスクが明らかなウクライナ侵攻に踏み切ったのは何故か。もともとロシアは、西側優位の国際秩序に固執するアメリカに対抗して、中国とともに、国連・国連憲章を中心とする民主的な国際秩序の構築を主張してきた。ロシアにとって、ウクライナ軍事侵攻は自らの主張とも矛盾する極めてハードルの高い、危険な選択であったことは間違いない。
そのような極めてリスクの高い行動に敢えて踏み切った(、というより、踏み切らざるを得なかった)ロシアは、よほど切羽詰まった状況に追い込まれていたと理解するほかない。私としては、ロシアがウクライナ侵攻に踏み切らざるを得なかったのは次のように理解するほかないと考える。
そもそも、アメリカとNATOがウクライナのNATO加盟を認めないことを確約さえしていれば、ロシアの最低限の安全保障は確保されるはずだった。しかし、アメリカとNATOは言を左右にして応じなかった。ロシアとしては、このままずるずると西側に引き延ばされ続ければ、ウクライナのNATO加盟という最悪の結果に直面せざるを得なくなると判断するしかなかった。しかも、アメリカもNATOも、ウクライナがNATOに加盟していない現在の状況のもとでのウクライナへの派兵については否定している。
ロシアとしては、このわずかに残されているタイミングを捉えてウクライナ侵攻を敢行することにより、ウクライナから直接に中立化への約束を強制的に取り付けるしかないと判断したと思われる。
 しかし、プーチン自身が強調しているように、ロシア、ウクライナそしてベラルーシはいわば「身内同士」だ。ウクライナに対して力ずくでロシアの要求を呑ませることは禍根を残すだけで、ロシアにとっての安全保障環境改善につながらないことは目に見えている。プーチン・ロシアの真の狙いは、ウクライナ侵攻という思い切った手段に訴えることによって、アメリカ・NATOから「ウクライナのNATO加盟は認めない」という明確な言質を引き出すことにあると思われる。
 ただし、アメリカとNATOがそういう言質を与える保障はどこにもない。したがって、ロシアとしてはウクライナとの交渉チャンネルを維持し、最悪でもウクライナから「中立化」確約を取り付けたいと考えているだろう。プーチン・ロシアがチャートのない航路に足を踏み入れたことは間違いなく、結果が吉と出るか凶と出るかは予断を許さない。
 なお、ロシアはウクライナに対して、中立化だけではなく、非軍事化、さらにはクリミアの既成事実、ドネツク及びルガンスクの全域支配をも要求しているが、これを額面どおりに受け止める必要はないと思われる。むしろ、「中立化」確約を取り付けるために、最初の「掛け値」を高くしているとみるべきだろう。
 説明が長くなった。冒頭に述べたイソップの寓話「北風と太陽」に話を戻そう。北風(西側国際世論)では旅人(ロシア)に外套を脱がせることはできない。太陽(アメリカ・NATOがウクライナのNATO加盟は認めないという確約あるいはウクライナ自身による中立化の確約)のみが旅人(ロシア)の警戒心を解くことができる、ということだ。
 最後に、私たちとしては、西側論調に振り回されることなく、ロシアがウクライナ軍事侵攻を余儀なくされた原因をしっかり見て取ることが求められる。プーチン・ロシアの「専制主義」「全体主義」「権威主義」に原因があるのではない。ロシアの安全保障環境を際限なく損なおうとする西側、特にアメリカの「東方拡大」戦略にあることを見極めなければならない。ロシア糾弾に終始するのは本末転倒であり、私たちは何よりもまず、ウクライナをNATOに加盟させてロシアの息の根を止めようとするアメリカの戦略的貪欲さを徹底的に批判することが求められている。

<ロシア・ウクライナ戦争の現状(補足)>

 今、1年前に書いた以上の文章を読み返しても、大筋で判断の誤りはなかったと思うし、今日でも紛争の本質には変化はないと言える。ただし、いくつかの点でその後の事態の変化に即して訂正・補足する必要はある。
 第一そして最大の訂正点は、「ロシアはウクライナに対して、中立化だけではなく、非軍事化、さらにはクリミアの既成事実、ドンバス(ドネツク及びルガンスク)の全域支配をも要求しているが、これを額面どおりに受け止める必要はないと思われる」と記した点について。私は当時、クリミアはともかく、ドネツク及びルガンスクの支配地域については、ロシアは交渉次第で譲歩する用意があると判断していた。しかしその後、ロシアは憲法改正まで行ってドンバス2州のみならずザポリージャ及びヘルソンの南部2州をもロシアに編入した。今後の交渉の成り行き如何では、ロシアが南部2州に関しては妥協に応じる可能性は残されているのではないかと思うが、憲法改正まで行ったことでハードルが極めて高くなったことは認めざるを得ない。
 第二は補足だが、ドンバスに関するミンスク合意については、最初からウクライナの軍事力強化のための時間稼ぎのための産物であり、守るつもりはそもそもなかったとするメルケル(オランド、ポロシェンコ、ゼレンスキー)の「爆弾発言」によって、プーチン・ロシアの西側及びウクライナに対する不信感は決定的になった。この変化は、将来的に「外交的解決」が不可避としても、生半可な内容の解決案に対してはロシアが「首を縦に振らない」という問題を生み出している。
 第三のこれも補足だが、2022年3月にロシアとウクライナの停戦交渉がまとまりかけたときに、米英(ロシアは「アングロサクソン」と呼ぶ)のゼレンスキーに対する猛烈な働きかけによってゼレンスキーが徹底抗戦に転じたことで交渉は中絶したことが明らかになっている(その直後にいわゆる「ブチャ」事件が起こったが、その真相はいまだ明らかとは言えない)。ウクライナが一時攻勢に転じ、一定の失地回復に成功するなど勝利したことで西側には楽観論が広がったが、ロシアが陣地線に転じるなど腰の据わった作戦を行うようになって、今やウクライナの軍事的劣勢は挽回困難という見方が西側諸国でも広がっている(アメリカのブリンケン国務長官すら、クリミアの回復を前提としない停戦を口にするまでになっている)。ところが、ゼレンスキーは、米英の働きかけで徹底抗戦に転じた経緯を背景に、西側諸国がウクライナの抗戦を支持するのは当然だという強硬姿勢一本槍だ。こういう複雑な事情が生まれていることも、今後の事態の展開を見る上では考慮しておく必要がある。
さて、過去1年の経緯を振り返るとき、当時から今日まで一貫して、西側・日本では「ロシア=悪、ウクライナ=善」とする決めつけが支配し、政治的外交的解決の模索はないまま、戦争被害だけが膨らみ続けている。そして、国際情勢は間違いなく深刻化し、悪化し続けている。
1月25日、「人類最後の日」までの残り時間を示す「終末時計」は過去最短の「90秒」と発表した。米・NATO対ロシアの正面対決となれば、ロシアの核兵器使用という最悪の事態を招くという警告だ。しかし、その同じ日にドイツとアメリカはウクライナに戦車を提供する決定を発表した。国際経済も戦争による深刻な事態に直面している。1月26日、国連は「世界経済情勢展望」報告を発表、2022年の世界経済成長率は3%に落ち込んだが、2023年には「過去数十年で最低」の1.9%に低下する可能性を指摘した。
ただし、「終末時計」の不吉な警告に関して、第一次世界大戦及び第二次世界大戦との比較において留意すべき点があることはあえて指摘しておく必要を覚える。ウクライナが現在もなお、ロシアに対する戦争を継続できているのはひとえにアメリカ及びNATO諸国の軍事支援で支えられているからである。ロシアはつとに「戦争の相手はウクライナではなく西側全体(コレクティヴ・ウェスト)であり、ウクライナは代理人戦争を戦わされているに過ぎない」と公言しているが、これは図星だ。なぜ、西側はこのような中途半端な対応に終始しているのかといえば、ロシアがアメリカに匹敵する質量の核兵器を擁しているからに他ならない。仮にロシアが核兵器国でなかったならば、西側はとうの昔に第三次世界大戦に踏み切っていたとも言えるのである。
 この点について、ロシア安全保障会議副議長メドヴェージェフ(前大統領・元首相)は雑誌『国家防衛』における文章の中で次のように述べている(2月25日付けタス通信)。
 「ロシアが保有する核の能力は、NATO指導部の頭が熱くなっている連中に対するもっとも強力な牽制要因である。我々は、先進的かつ高精密な軍事力を含め、十分な兵器を持っている。ウクライナのネオ・ナチをそそのかしている連中もそのことを意識するだけの常識は備えている。だから、彼らは(ウクライナ)支援のための軍事対決に公然と踏み込むことを急がないのだ。」
 私は、世界最強のアメリカが核兵器に固執することが核兵器廃絶の最大のガンとなっていると、このコラムでも指摘したことがある。しかし、そのアメリカに常に生存を脅かされているロシア(及び中国)にとっては、核デタランスを保有することは、善悪の問題ではなく、死活問題である、というのが私の偽りのない判断だ。上記のメドヴェージェフの発言は私の判断を裏書きする。それだけではない。仮にロシアが核兵器を保有していなかったならば、アメリカ以下の西側はとうの昔に本格的に参戦し、ロシアを叩き潰すべく第三次世界大戦を引き起こしていただろうということだ。
 メドヴェージェフはこの文章の中で、ロシア・ウクライナ戦争を戦っているロシアを取り巻く国際環境及びそのことがロシアの国民的自覚を高めたことについても、次のように述べている。多くのロシア人がこの戦争を支持していることは日本を含む西側メディアも報道せざるを得なくなっているが、その原因の一端をメドヴェージェフは指摘していると私には思われる。ロシアの戦争継続意志の固さを理解する上でも、私たちは踏まえておく必要があるのではないか。
 「歴史は繰り返す。我々は、ウクライナ及び欧州のネオ・ナチ、アメリカその他のアングロ・サクソン、彼らの手先(約50ヵ国)から成る様々な敵の帝国と相対している。敵どもはロシアを地上から抹殺しようとしているが、失敗するだろう。「我々がより強くなっていることは明らかだ。しかも、いわゆる「西側世界」は地球の人口の約15%であり、国際社会のほんの一部にしか過ぎない。」この1年間のウクライナにおける特別軍事行動によってロシア人は多くのことを学び、共通の敵に対する戦いの中で市民の自覚は高まり、「偽善及び狂ったようなロシア嫌いが想像を絶する域にまで進んでいる「民主的」西側に関する幻想から最終的に解き放たれた。」

<和平実現のための提案>

 戦争開始から1年が過ぎた今、国際社会喫緊の課題は戦争を速やかに終結することだ。G7広島サミットを主催する日本政府はこの機会を捉え、戦争終結のために全力を傾注するべきである。それこそが「平和国家」を標榜する日本の国際的責任であるはずだ。ところが、昨年12月に国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画を決定した岸田政権は、米欧諸国の対ロ軍事対決を支持する方向に突き進んでいる。また、日本世論もこれに迎合している。1月25日付の日本経済新聞世論調査結果によれば、「日本が他国から攻撃される不安を感じるか」という質問に83%が「感じる」と答え、脅威と感じる対象はロシアが90%で最高だった(ちなみに、中国89%、朝鮮87%)という。
 私たちは、ウクライナの劣勢はもはや挽回不可能という西側諸国も認めざるを得なくなっている事態を踏まえ、岸田政権の暴走をチェックし、大勢迎合の国民世論に警鐘を鳴らし、理性ある国際世論を喚起するべく、以下の内容のパッケージ提案を日本政府がG7広島サミットで行うことを提唱するべきである。強調するが、以下の提案諸内容は一括でこそ意味があり、パッケージでなければならない。
○現状凍結の停戦協定締結:ロシア占領地域の扱いは今後の課題とする。参考先例:朝鮮戦争休戦協定。
○ウクライナの中立と安全を保障する国際条約締結及び国連安保理決議による担保。参考先例:1955年のオーストリア国家条約。
○ウクライナ復興のための国際協力の組織化:膨大な戦争被害の回復には国際社会挙げての協力が不可欠だ。参考先例:1947年のマーシャル・プラン。
○ロシアの生存権を保障する国際条約締結及び国連安保理決議による担保:ロシアの安全を犠牲にするアプローチでは欧州の恒久的平和は実現できない。この趣旨を体する「安全保障の不可分」原則を多国間条約で法文化する。参考先例:1975年CSCEヘルシンキ宣言、1999年OSCEイスタンブール宣言、2010年OSCEアスタナ宣言。
 ちなみに、かかる包括的な国際的取組の成功例として1919年の第一次世界大戦パリ講和会議があることを想起するべきである。