アメリカの有力なシンク・タンクの一つであるランド・コーポレーションは、ロシア・ウクライナ戦争に関して、"Avoiding a Long War"と題する「見通し」(Perspective -expert insight on a timely policy issue-)を発表しました(2023年1月。以下「1月見通し」)。ランドは昨年12月に"Responding to a Russian Attack on NATO During the Ukraine War"と題する「見通し」(以下「12月見通し」)を発表していますが、わずか2ヶ月の間に提言内容が激変していることに、正直度肝を抜かれました。私がこのコラムで焦点を当てたいのは1月の「見通し」、つまり、ロシアとの長期戦回避に関する提言内容なのですが、2つの「見通し」における内容の激変ぶりから、アメリカの関心の所在の移動ぶりを確認できますので、まずはその点について簡単に紹介することから始めます。

<12月見通しと1月見通し>

 12月見通しは、「アメリカとNATOの計画立案者はロシアとの正面衝突に関する準備に焦点を当ててきたが、ウクライナ戦争ではより限定されたロシアの攻撃の可能性が高い」とする判断に立って、「欧州または宇宙におけるアメリカまたは同盟国の標的に対してロシアの限定攻撃がある」場合の対応を検討するとしています。それに対して1月見通しは、「アメリカの利益に対してもっとも深刻なインパクトを及ぼす事態」(ロシアによる核兵器使用、ロシアとNATOの紛争エスカレーション、領土支配、継続期間、戦争終結形態の5次元)に対する対応を検討するとしています。直ちに分かることは、12月見通しが戦争の先行きに対して楽観的だったの対して、1月見通しは極めて深刻かつ警戒的になっているということです。
 2つの見通しの基調がこのように激変した理由については、1月見通しの冒頭の以下の文章が端的に物語っています。
 この戦争はどのように終結するのか。この問いは、ワシントン及び西側諸国の首都において、ロシア・ウクライナ戦争に関する主題となりつつある。2022年秋のウクライナの反撃の成功によって戦場におけるキーウの見通しに関する楽観論が強まったが、9月21日のプーチンの部分的動員令とウクライナ4州の併合は戦争の解決は決して近くにはないことを思い知らせた。戦闘は前線約1000キロにわたっており、紛争終結交渉は5月に中断したままだ。
 要するに、12月見通しが戦争を局地戦にとどめることができ、かつ、ウクライナ勝利を想定する前提に立っていたのに対して、1月見通しでは、プーチン・ロシアの継戦決意の固さを思い知らされ、しかも戦闘の先行きも楽観を許さないとの判断に変わったということであり、戦争の長期化によって米・NATOとロシアとの激突の可能性という最悪の事態を考えざるを得なくなった、ということです。1月見通しはこの事態の変化を前にして、「この見通しは、ウクライナの利益とつながってはいるが同義ではないアメリカの利益に焦点を当てる」("This Perspective focuses on U.S. interests, which often align with but not synonymous with Ukrainian interests")と言い放っています。有り体に言えば、以前はウクライナのことを考慮に入れる余裕があったけれども、今やウクライナの利益は二の次であり、アメリカの利益を最優先して戦争の終わらせ方を考えるというわけです。
 このようなアメリカ及びNATO諸国における変化の背景事情を活写している文章を紹介します(1月5日付けフェア・オブザーバーWS掲載のM.ベンジャミン&N.デイヴィス署名文章「ウクライナ戦争からの外交的出口車線とは」 原題:"Can NATO and the Pentagon Find a Diplomatic Off-Ramp From the Ukraine War?")。
 (ウクライナ戦争に)軍事的解決はないという見方がワシントン及びNATO諸国首都の机上戦士の間で広がるにつれて、彼らの公式声明の中により融和的な立場が密かに挟み込まれるようになっている。もっとも目につくのは、彼らは以前、ウクライナの2014年以前の国境を回復させなければならないと主張していたのに、今では2022年2月以前にまで戻るべきだと言い出していることである。
 ブリンケン国務長官は12月5日にウォールストリート・ジャーナル紙上で、戦争のゴールは2月24日以後に奪われた領土を取り返すことだと述べた。同紙はまた、サリバン補佐官がゼレンスキーのチームに現実的な要求(クリミアについての主張の再考を含む)について考えるべきだと勧告したとする証言についても報道している。
 同紙は別の記事において、ドイツ政府筋が「ロシア軍を占領地域すべてから追い出すことを期待するのは非現実的だと確信する」と述べたこと、また、イギリス政府筋も、交渉におけるミニマムな基礎は、ロシアが「(2022年)2月23日に占領している立場まで引き返すこと」であると定義したことを引用で紹介している。

<米英誘導で心変わりしたゼレンスキー>

 ウクライナとりわけゼレンスキー大統領からすれば、このようなアメリカ以下の動きは背信そのものであり、怒り心頭に発する思いで受け止めていることでしょう。この点についてもベンジャミン&デイヴィス署名文章は興味深い関連事実関係を次のように紹介しています。
 西側外交官が和平交渉のテーブルに着くことを妨げる最大の障害はゼレンスキー・ウクライナの最大限の要求を掲げる立場である。すなわち、ウクライナは2022年4月以来、ウクライナが2014年以前に所有していた領土すべてに対する主権回復なしの問題解決はあり得ないと主張している。
 もっとも、(ウクライナ側の)この最大限の要求の立場そのものも、2022年3月のトルコにおける休戦交渉の際にウクライナがとっていた立場からは大きく離れている。ウクライナは当時、ロシアが侵略開始以前の位置まで引き上げることを交換条件に、NATO加盟放棄と外国軍隊基地受け入れ拒否に合意していた。
 フィナンシャル・タイムズ紙は、(2022年)3月16日の15項目和平プランにかかわる経緯をすっぱ抜いているが、ゼレンスキーは同年3月27日の国営テレビ放送の中で国民に対して「中立協定」を説明し、協定発効前に国民投票にかけることを約束した。
 ところが、イギリスのジョンソン首相(当時)が4月9日に干渉して協定をチャラにさせた。彼はゼレンスキーに対して、イギリスと「西側全体(collective west)」はウクライナが長期戦を戦うことを「長期的に支持している」、ウクライナがロシアと行う協定に(西側は)サインするつもりはない、と述べた。
 以上の経緯は、西側が今になって交渉テーブルに戻るべきだと言い出したことに対するゼレンスキーの立腹理由を理解する手がかりを与えている。ジョンソンはその後辞任したけれども、ゼレンスキーとウクライナ国民は彼の約束を頼りに持ちこたえてきたのだ。
 また、ジョンソンは「西側全体」と4月に言ったけれども、アメリカはともかくとして、フランス、ドイツ及びイタリアは同年5月には新たな休戦交渉を呼びかけた。また、(辞任後の)ジョンソンも態度を180度転換し、(2022年)12月9日のウォールストリート・ジャーナル紙への寄稿記事の中では「ロシア軍を(2022年)2月24日の国境線まで押し戻さなければならない」と述べた。
 軍事専門家たちは、世界終末を告げる第三次大戦を回避するという至極まっとうな理由で長期戦には反対していた。ところが、ジョンソンとバイデンはこの対ウクライナ政策をめちゃくちゃにしたというわけだ(バイデン自身は第三次大戦回避を口にしていたが)。
 今になってやっと、アメリカとNATOの指導者たちは赤ん坊(ゼレンスキー)を交渉に導こうとしているが、2023年の世界が直面しているのは、事態が制御不可能になる前に戦争当事者が交渉テーブルに着くことができるかどうかという問題である。

<1月見通しの提言内容>

 1月見通しは、アメリカの利益に影響が及びうるケースとして、①ロシアの核兵器使用の可能性、②ロシア対NATOへの戦争エスカレーション、③ウクライナが支配する領土を拡大できない可能性、④戦争が継続する可能性、⑤戦争終結形態の5つを挙げています。①及び②は本質的問題ですが、③~⑤は結果如何がアメリカの利益にどう関わるかという視点から取り上げられています。なお、以下の提言内容は原文そのままではなく、私の解釈を交えていますが、趣旨は変えていません。
提言①:ロシアは核兵器使用に踏み切る可能性がある。したがって、核兵器使用を未然に防止することがアメリカの至上優先課題(a paramount priority)である。
 1月見通しは、ロシアの核兵器使用に踏み切る可能性を判断した根拠として、①「クレムリンはこの戦争を国家存亡にかかわると認識している証拠があること」、②「ロシアには核以外のエスカレーションの選択肢が限られていること」、③「ロシアの核戦略における戦術核の利用価値重視(浅井注:西側専門家がロシアの核戦略理論の要素としてあげるescalate to de-escalateを指している)」の3点を挙げています。
 しかし、①と③は戦争開始当初からつとに認識されていたことで、今になって急浮上したわけではありません。また、②については明らかに間違っています。ロシアは長期的に通常戦争を戦う用意があることは周知の事実です。したがって、この提言内容は「タメにする」ものであるというほかありません。
提言②:局地戦に押さえ込むことが至上課題だが、ロシアがNATO同盟国に攻撃を仕掛ける可能性が出ている。(したがって、局地戦で終わらせることが至上課題となっている。)
 1月見通しは、そうした攻撃が想定される事態として、①ウクライナに軍事支援を行うNATO加盟国に対する懲罰、②NATOの軍事介入逼迫事態に対する先制攻撃、③ウクライナに移送される兵器の阻止、④ロシア国内の騒擾を支援するNATOに対する報復の4点を挙げています。
 確かにロシアはウクライナに搬入される戦車を破壊することは明言していますが、それは搬入時点であることを明確にしています。また、伝統的軍事国際法によるならば、ウクライナに軍事支援を行うこと自体が「中立法」違反なのに、ロシアは「目をつぶって」やり過ごしています。さらに、NATOがロシア国境沿いに兵力を増強していることに対しても、ロシアは「ならぬ堪忍するが堪忍」です。ロシア国内情勢は安定を保っています。要するに、①~④のいずれも当てはまらず、この提言も根拠を欠くと言うほかありません。
提言③:国際秩序の観点から見た場合、ウクライナの領土的支配を2022年12月時点以上に広げることの利益、言い換えれば、ロシアの2022年12月時点での支配ライン維持(を黙認すること)の不利益は自明とは言えない。
 1月見通しは、①2022年12月時点の支配線を認めても、「ウクライナの生存能力に深刻な影響を及ぼすような経済的に死活的な地域は奪われていない」、②「ウクライナの領土支配を拡大するには時間と資源を要する(長期戦が不可避だ)」からアメリカの負担増加となる、③ロシアはクリミアを失うことを国家的安全保障及び政権安定性にかかわる重大事と受け止めている、と指摘して、2022年12月時点での支配線凍結を事実上黙認する立場を打ち出しています。
 この立場は、事実上ロシアの主張・立場の丸呑みするに等しいものです。ウクライナ独立時点の国境線回復(クリミアを含む)を主張するゼレンスキー政権の考え方はおろか、2022年2月23日時点での国境線でやむなしとする最近の米西側の立場をも修正し、否定するものです。
提言④:戦争継続によってウクライナはより多くの領土を回復できるかもしれないが、戦争継続がアメリカの利益に及ぼす影響を考慮しなければならない。
 1月見通しは、①ロシアの力はすでに十分削がれており、アメリカの利益にとってすでに十分と言えること、②長期戦が欧州諸国に及ぼす圧力、③長期戦のディメリット(これ以上のウクライナの人的被害を食い止めることはアメリカの利益)、④ロシアによる軍事攻勢の可能性、⑤西側の兵器備蓄の枯渇、⑥世界経済への悪影響、⑦アメリカの対外政策への悪影響、等を挙げて、「エスカレーションのリスクを最小限に抑えることのアメリカにとっての至上的利益は、長期戦回避によるアメリカの利益を増大する」と結論しています。
提言⑤:ロシア、ウクライナのいずれによる完全勝利もあり得ず、また、平和条約締結による政治的解決はアメリカの利益に合致するが近未来的には非現実的であり、現状維持の休戦協定を当面の着地点とする。
 さらに1月見通しは、ウクライナの戦後復興に対する支援(浅井注:ロシアの在外凍結資産に関する言及はない)、ウクライナの安全及び中立に対する西側のコミットメント、ロシアに対する制裁救済条件についても検討しています。

(補足)1月29日のロシア・トゥデイWSは1月見通しに関するフェリックス・リフシッツ署名文章を掲載しています。2023年2月時点での現状凍結、ウクライナの中立保障、ロシアに対する制裁緩和など、ロシアの主張・立場を取り入れていることを肯定的に紹介しています。しかし、最後の次の指摘が急所でしょう。

 この提言が無視しているのは、西側諸国がロシアとの間で締結した条約(ミンスク合意など)を遵守する点では信用できないことを常に証明してきたことである。ミンスク号についてメルケル前首相は、実行するつもりはさらさらなく、キエフのために時間稼ぎすることが目的だったと認めている。