長い間様々な国際問題をコラムで取り上げ、私の判断や思うところを書き綴ってきました。私が最近考え込まされることが多くなったのは、いわゆる「世間の常識的理解」(多数意見)と私の意見・見解の隔たりが大きく、しかも年を追うごとにその隔たりが広がっていること、そして、それは何が原因なのか、という疑問です。私が素直に嬉しかったのは、ロシアのウクライナに対する特別軍事行動に関する私の判断を書いたコラムの文章に対して、内容の「物珍しさ」(多数意見にもの申す観点の提起)もあってか、予想もしない多くの反応をいただいたことでした。このような反応は、多数意見に対する疑問・違和感を覚えた人が多かったことによるのではないか、と勝手に想像しています。
 私が思うに、「世間の常識的理解」(多数意見)は圧倒的にいわゆる西側の政策・言説によって組み立てられています。これらの政策・言説が基本的ルール(原理・原則・法則)を踏まえていれば私の意見・見解と大きく隔たることはあり得ないはずですが、西側の政策・言説は圧倒的に権力政治(パワー・ポリティックス)的発想に立っており、基本的ルール(原理・原則・法則)を踏まえず、あるいは無視するために、極めて恣意的・ご都合主義的・二重基準的な内容に堕してしまうことが多くなってしまうのではないかと思います。
 西側の政策・言説も、西側が国際関係を圧倒的に支配していた時代には、権力政治の本質的属性である恣意性・ご都合主義・二重基準を露呈することを強引に覆い隠すことができました。私が外務省在勤時代に熟読し多くを学んだ、キッシンジャーのホワイトハウス及び国務長官時代の記録を記した二大著作("the White House Years""Years of Upheaval")では、早くも世界的支配力に陰りが生じつつあったアメリカの権力政治外交の恣意性・ご都合主義・二重基準もドライに記述しています。しかし、ニクソンにもキッシンジャーにもまだ、権力政治のそうした醜悪性に関する自覚(政治的リアリズム)はありました。私が強く思うのは、今日の西側の政策・言説には権力政治の醜悪性を自覚する政治的リアリズムすらもはや欠落しているということです。政治的道義・モラルの退廃とも言えます。
 それでは、国際情勢判断を誤らないために踏まえるべき基本的ルール(原理・原則・法則)とは何でしょうか。これを国際情勢判断上の盲点と捉え、私なりの答を示すことをコラムのテーマとして設定して、数回考えてみることを思い立ちました。コラムを訪れてくださる方たちにとって、参考材料としてお役に立つことがあれば嬉しいです。今回取り上げるのは「歴史の法則性」(国際関係の三次元的性格)及び「民主的国際関係」(主権国家の対等平等性)です。

<「歴史の法則性」(国際関係の三次元的性格)>

 「歴史の法則性」というといかにもいかめしく、迂遠に感じる方もいるかもしれません。理論的なことはマルクス主義の史的唯物論に任せ、ここで素直に確認したいのは、国際関係は二次元的ではなく三次元的・歴史的に捉える必要があるということ、そして人類の歴史は紆余曲折を経ながらも確実に自らの解放を目指して前進していく歴史であり、国際関係の歴史もその一部であるということです。私はこのことを、「歴史は自らを貫徹する」あるいは「歴史が道を誤ることはない」と表現しています(尊厳・人権の歴史を想起すれば、私の以上の指摘の意味することを分かっていただけると思います)。
 ところが、西側の思考を支配する権力政治的発想は優れて二次元的であり、歴史的脈絡を踏まえて国際関係を捉えるという視点が欠落しています。例えば、西側が振りかざす人権・デモクラシー(という価値観)も歴史的所産として今日的到達点があるのに、人権・デモクラシーの歴史的所産としての属性を無視するために、非西側世界に対して無条件の受け入れを迫り、思い通りにならないと、「アラブの春」「カラー革命」に訴えるということになるのです。
 また、西側は二次元的・非歴史的な発想にとらわれているため、国際関係における自らの相対的立場が刻々と変化していくことも認識できず、いつまでたっても「世界を動かすのは自分たちだ」という立場にしがみつくことにもなります。しかし、米ソ冷戦が終結し、国際的相互依存が深まり、経済のグローバル化が進展するに伴い、新興国・途上国の台頭はめざましく、世界の多極化が進展し、西側の国際関係に対する支配力は確実に低下しています。国際関係における西側の地盤沈下は歴史的に不可逆です。そのことを端的に示したのは、西側による対ロシア経済制裁に対する世界の冷淡な反応でした。すなわち、ロシアのウクライナ侵攻に対して、西側はウクライナに対する軍事支援に乗り出すとともに、ロシアに対して空前の規模の経済制裁を発動しました。しかし、新興国・途上国でこの制裁に参加したのはシンガポールとミクロネシアだけです。この事実は、西側の国際的影響力の低下と地盤沈下をあからさまに示すものでした。
 国際関係に臨むに当たっては、彼我のおかれた歴史的条件の違いを踏まえ、他者感覚をふんだんに働かせ、互いに納得できる着地点を求めるのが外交の基本です。しかし、西側は相も変わらず権力政治特有のゼロ・サムの発想から抜け出すことができません。ロシアは歴史的にも国際政治的にも厳然とした欧州国際社会の有力な一員であり、その事実を承認する限り、ウクライナ問題を利用してロシアをとことん締め上げ、屈服させる(「欧州政治地図からロシアを消し去る」)という発想はあり得ないはずです。しかし、「ロシア嫌い」(Russophobia)に染まったアメリカ以下の西側が追求しているのは正にそれです。壁際まで追い詰められたロシアが国家的生存をかけて西側と対決するのは至極当然だと言わなければなりません。

<「民主的国際関係」(主権国家の対等平等性)>

米ソ冷戦終結後の西側の国際関係にかかわる言説の中で声高に唱えられるのは、「権威主義対民主主義」という二分法(黒白に分けるアプローチ)です。「民主主義を体現する西側は善玉」、「権威主義のレッテルを貼られた中国、ロシア、朝鮮、イランは悪玉」という言説が浸透し、理屈抜きで受け入れられる世論状況があります。しかし、こういう言説は国家単位の政治システム(主権者は国民)と国際関係における政治システム(主権者に相当する主体は国家)とを混同する初歩的誤りを犯しています。この初歩的誤りを正すことは国際関係を正しく認識する上で不可欠です。
 ちなみに、第二次大戦で民主主義陣営が勝利し、全体主義陣営が敗北したことにより、民主主義は国家単位の政治システムとして制度的にもイデオロギー的にも正統性を確立しました。「権威主義」のレッテルが貼られている国々も、それぞれの歴史的・文化的・宗教的等々の特色を反映した民主主義を採用しています。このことは、権威主義と名指しされる中国、ロシア、朝鮮、イランその他の国々の憲法を一読すれば直ちに確認できることです。しかし、西側諸国は、「世界を動かすのは自分たちだ」というエリート意識、人権・デモクラシーの歴史的所産としての属性を無視する二次元的アプローチにとらわれているために、西側的基準・めがねにかなわない国々に対しては「権威主義」という決めつけを行い、対決を前面に押し出すことになるのです。
 それはともかく、国連憲章第2条は、国連及び加盟国が従うべき行動原則(国家関係がよって立つ基本原則)として、主権平等、紛争の平和的解決、武力不行使、内政不干渉の諸点を挙げています。また、1954年に中国・周恩来とインド・ネルーとの間で合意され、その後今日まで中国が国家関係の基本原則として主張・推進してきた平和(共存)5原則(中国と国交を樹立した国々はすべて同意している)は、領土保全及び主権の相互不干渉、相互不侵略、内政不干渉、平等互恵、平和的共存を指しています。両者の間には若干の出入りはありますが、主権の対等平等性の尊重、他国の内政に対する干渉の禁止、国家間の紛争の平和的解決を骨幹とする諸原則は国際関係を規律する基本原則として広く承認されています。米ソ対立のさなか(1961年)に開始された非同盟運動も一貫してこれらの原則に基づく国際関係の構築を目指して活動しています。これらの諸原則に基づく国際関係の構築は、権力政治に固執する西側諸国を除く世界の大多数の国々によって支持されていると言えます。これらの原則は西側の権力政治と真っ向から対立するものであることは容易に理解できます。
 中国とロシアは2022年2月4日、「新時代の国際関係及びグローバルな持続可能な発展に関する共同声明」を発表しました。この共同声明は、ウクライナに対する特別軍事行動を開始する直前にプーチン大統領が中国を訪問した際に発出されたものです。
 その中では、「中ロは世界の大国及び国連安保理常任理事国として、国連が国際関係で核心的協調的役割を果たす国際システムを確固として擁護し、国連憲章の精神及び原則を含む国際法を基礎とする国際秩序を確固として擁護し、世界の多極化及び国際関係の民主化を推進し、さらに繁栄安定する公平公正な世界を共同で建設し、手を携えて新型国際関係を構築する」(第4項)と強調しています。世界の多極化と国際関係の民主化の推進を中ロ両国が協力して取り組む中心課題の一つとして宣明したのです。西側の権力政治に支配されてきた従来の国際関係のあり方を拒否・否定し、主権の対等平等性の尊重、他国の内政に対する干渉の禁止、紛争の平和的解決を骨幹とする諸原則によって規律される民主的な国際関係に作り替えていくという決意表明とも言えます。繰り返しになりますが、ロシアのウクライナに対する特別軍事行動開始直前に、「国際関係の民主化」という西側の権力政治に対抗する政治理念が中ロ共同で打ち出されたということは、アメリカ以下の西側に対する強烈なメッセージと言えます(中ロ両国は2021年6月28日の「中ロ善隣友好協力条約」締結20周年共同声明では、「両国はさらに公正で民主的な国際秩序を構築すべきだと考える」と述べていました)。
 ちなみに、中国が「国際関係の民主化」の推進を最初に提唱したのは、2000年10月10日に江沢民主席(当時)が行った「中国とアフリカが手を携えて協力し、新しい世紀をともに迎えよう」と題する講演においてでした(2014年11月6日付の国史網に掲載された任晶晶(中国社会科学院当代中国研究所)署名文章「新世紀以来の中国の国際関係民主化推進の理論と実践」)。2001年11月にフランスを訪問した胡錦濤主席(当時)は、フランス国際関係研究所で行った「21世紀の中国と世界」と題する講演で、世界の多極化は恒久平和の重要な基礎であり、公正で合理的な国際政治経済新秩序建設と安定した国際政治の枠組みの形成に有利であること、及び、国際関係の民主化は世界平和の重要な保障であり、国家は大小、貧富にかかわらず国際社会の平等な一員であり、各国の問題は当該国政府と人民が決定し、国際問題は各国政府と人民が平等に協商するべきであるとし、世界及び地域の重大問題については国連憲章の精神と原則及び国際関係の基本準則に基づき、協商と交渉を通じて紛争を平和的に解決するべきであることを指摘して、「国際関係の民主化」という新しい政治理念の意味・内容を詳しく展開しました(同)。
 長くなりましたが、「権威主義対民主主義」という二分法(黒白に分けるアプローチ)がいかに誤った、国際関係に関する正しい認識とかけ離れているかが分かると思います。百歩譲って、中国、ロシア、朝鮮、イラン等が権威主義であるとしても、これらの国々の政治のあり方を決定するのはあくまで当該国々の主権者である国民であり、他国がこれに介入することは国連憲章等が固く禁止する「内政干渉」に他なりません。これらの国々が国連憲章をはじめとする国際法規範に則って行動する限り、民主的国際関係における主権者的主体として承認・尊重される権利があるのです。