ロシア・ウクライナ戦争は、ロシア及びウクライナ(+後押しする西側)の双方が設定する戦争終結(=和平)のための条件がまったくかけ離れているため、交渉の糸口も見いだせないまま長期化する様相を濃くしています。3月末に停戦交渉がまとまる可能性が生まれたのは、西側がウクライナ支援を公にしない状況のもとで軍事的に劣勢を強いられたウクライナが、①ロシアに「併合」されたクリミアの現状を争点にしない、②ドンバスについてはミンスク合意に基づいて対応する、③NATO加盟を追求しない(=中立)という3点で、ロシア側の要求に応じる用意を示したことによるものでした。しかし、「ブチャ」事件(その真相は闇のまま)直後から西側の軍事的テコ入れが本格化したことを背景に、ゼレンスキー政権は徹底抗戦に180度転換し、今では、クリミア「回収」、ドンバスからのロシアの影響力排除、さらには戦争被害・復興再建に対するロシアの全面的責任(=ロシア在外凍結資産没収)等を停戦条件とするなど、ロシアの全面降伏を要求するに至っています。これに対してロシアも、その後の情勢変化(ドンバス等をロシア領に編入する憲法改正)を踏まえ、ウクライナに対する停戦合意条件のハードルを高くしています。こうして、双方の主張は今やまったく妥協の可能性も見いだせない状況に変わっています。
 戦争の様相も、ロシア攻勢(開戦当初)→ウクライナ反転攻勢(今夏)→膠着化(入冬以来)へと推移してきました。ウクライナがクリミア大橋を爆破する挙に出た(10月8日)ことは、ロシアによるウクライナの戦争遂行能力に直結する基幹インフラに対するミサイル、ドローンによる大量報復作戦を招いています。
 ちなみに、基幹インフラ大量破壊はアメリカがイラク戦争開始時に採った作戦でした。ロシアがクリミア大橋爆破事件後にこの作戦の採用に踏み切ったことは、この事件以前のロシアはまだ自制的であったことを物語ります。ウクライナは「寝た子を起こした」とも言えます。そのことはともかく、ウクライナ全土は今や、アメリカが日本全土を戦略爆撃の対象にした第二次大戦さなか・末期の日本全土のような状況に陥り、ウクライナの人々の精神状態も当時の日本人とさして変わらないのではないかと想像されます。
 「ロシア嫌い」(Russophobia)に凝り固まり、ロシアをたたきのめす絶好のチャンスと捉えて、ウクライナに対する軍事支援で一致団結してきた西側諸国も、戦争の長期化に伴う深刻な問題に直面しつつあります。エネルギー及び食糧価格の国際的高騰はウクライナ危機以前から始まっていましたが、戦争が勃発してからさらに悪化しています。ウクライナは食糧、またロシアは食糧及び化学肥料の輸出国ですが、ウクライナは積み出し港(黒海に集中)が戦争の影響をもろに受けたこと、また、ロシアの場合は西側諸国による制裁(金融、運送)が食糧及び肥料の輸出を妨げる要因として働いていることにより、食糧及び肥料価格の国際的高騰に拍車をかけ、国際的なインフレ傾向をさらに加速する要因となっています。
 また、アメリカは欧州がロシアの石油・天然ガスに対する依存を高めることを長年にわたって批判してきました。戦争勃発後、天然ガス輸送の大動脈であるノルド・ストリームが爆破され(9月)、さらにG7+オーストラリアがロシア産原油の輸出上限価格を1バレル60ドルとすることで合意したこと(12月)により、欧州諸国はさらなるインフレ圧力と厳冬圧力とに直面する自縄自縛の事態となっています。国際相場よりも高値で天然ガスを売りつけ、インフレ抑制法等に基づいて保護主義に走るアメリカに対する欧州側の反発の高まりも見逃すことはできません。これらのことは対ウクライナ支援に関する西側の一枚岩の対応にも亀裂を生み出す可能性が指摘されています。
 さらにまた、戦争が長期化するなかで、欧州諸国はウクライナに提供する武器が在庫をつき、アメリカも武器供給を維持することが難しくなりつつあることが報じられています。米議会選挙の結果下院で多数派となった共和党からは、バイデン政権の対ウクライナ武器供与政策に対して批判的な声も出ています。これに対してロシアは、国内での武器生産能力を高めるべく工場の操業時間を延ばす方針を打ち出しています。ウクライナが厳しい寒さに襲われる冬場を軍事的に乗り越えることができるかどうかも大きな問題となっています。
<ウクライナとロシアの真っ向から対立する主張・要求>
 以上に概観したとおり、ウクライナ内外の客観的状況は明らかに厳しさを増しているにもかかわらず、極端な民族主義勢力に基盤をおくゼレンスキー政権は和平実現に応じる条件(対ロ要求)をつり上げる一方であり、ロシアの全面降伏まで戦う姿勢を強調しています。これに対してロシアは、特別軍事行動の成否がロシア国家の存続に直結するという認識に立っており、これまた一歩も後に引かない姿勢を鮮明にしています。簡潔に双方の主張・立場を整理します。
(ウクライナ)
 ウクライナに関しては、ゼレンスキー大統領とクレバ外相の次の発言があります。
-ゼレンスキー-
 11月22日にゼレンスキーはフィナンシャル・タイムズの取材に対して、「ロシアとの和平取引にクリミアの占領解除が含まれていないのであれば、話し合いの余地すらない」と主張しました(11月25日付けロシア・トゥデイ。強調は浅井。以下同じ)。それに先立つ11月15日-16日にインドネシア・バリ島で開催されたG20サミットにオン・ラインで出席したゼレンスキーは、ウクライナの領土保全回復、ロシア軍の全面撤収、ロシア侵略罪に関する特別法廷設置、戦争全被害補償に関する国際メカニズム設立、ロシア資産による補償等の内容を含む10項目の提案を行いました(ウクライナ大統領府WS)。
さらに、エコノミスト誌は12月8日にゼレンスキーにインタビューした内容を12月15日に明らかにしました。この中でゼレンスキーは、インタビューの2日前のブリンケン国務長官の発言(「2月24日以後に占領された領地を回復する」)に反発し、クリミア及びドンバス全域を含めてロシアが1991年当時の国境線まで撤退すること、「数世代にわたって」賠償を支払うこと、「善良なロシア人」による政権交代が行われることを要求しました。
-クレバ-
 12月8日付けのウォールストリート・ジャーナル紙は、クレバ外相の同紙へのインタビューでの発言内容を次のように伝えました。
同盟諸国は戦争の結果ロシアが崩壊することを心配しないように呼びかけ。キエフにはロシア領内の目標を攻撃する権利があると主張するとともに、クリミアを含む被占領地域をそのままにした平和解決は絶対に受け入れないと強調。「ロシアが生き残り、国際社会の正常な一員になるのを助けることを考えるよりも、ロシアは国際社会の正常な一員にはなり得ないという事実を受け入れるときである」
○「我々は何よりもまず、ウクライナの被占領地域の目標を攻撃し、我が領土を解放することに焦点を当てている。ロシアはウクライナで何をやっても良いが、ウクライナにはそうした権利がないというのは、考え方として、道徳的にも軍事的にも間違っている。」「もっとも重要なことは、ロシアは何をやっても良いが、ウクライナは自己防衛に当たって尊重しなければならないレッド・ラインがあるという見方をしないことだ。」
○「ウクライナは果てしなく犠牲にされ続けるべきではない。我々は、その生き残りのため、領土保全のために全線で戦っている。」
ウクライナは、アメリカが提供する武器をロシア領攻撃のために使用しないと約束したが、国際的にウクライナ領と認められているクリミアにはこの合意は適用されない。プーチンにとってクリミア併合は重要な財産であり、それを失うことは彼の統治力を深刻に損なうことになるだろうが、それはキエフの知ったことではない。「ウクライナは、軍事的手段あるいは外交的手段によって、クリミアを含む領土すべてを回復する。」
○2014年及び2015年のミンスク停戦合意は、ドネツク及びルガンスクを事実上のロシア占領下に置いた。このことはモスクワと交渉することの不毛性を示している。「ミンスク・プロセスの教訓は8年間にわたって我々を苦しめてきた。過去9ヶ月間の苦しみはあまりにも大きく、領土及びそこに住む住民について如何なる譲歩を行う用意もない。」
○ロシアの行動から判断するに、モスクワはウクライナ全土の征服を含む軍事的勝利を狙っている。「プーチンは局面をひっくり返す奇跡が起こることを願っている。」
(ロシア)
 ロシアは、大統領府のペスコフ報道官がウクライナ側の発言に対する反論を積極的に行い、また、プーチン大統領が西側に対する不信感表明を含め、特別軍事行動開始(2月24日)当時よりも強硬な立場を明らかにしています。
-ペスコフ-
ペスコフ報道官は11月25日、11月22日のゼレンスキー発言(「ロシアとの和平取引にクリミアの占領解除が含まれていないのであれば、話し合いの余地すらない」)について、これは「ロシア領土の剥奪についてしゃべっているに他ならない」と指摘して「論外だ」と一蹴し、「ウクライナ側には問題を非軍事的手段で解決する用意も、意思も、能力もない」ことを示していると突き放しました(11月25日付けロシア・トゥデイ)。また11月29日には、ゼレンスキーのバリG20サミットでの発言について、ウクライナが交渉を望んでいないことを確認するものだと評しました(同日付ロシア・トゥデイ)。
-プーチン-
 プーチン大統領は11月25日、特別軍事行動に従軍している軍人軍属の母親たちとのミーティングの中で、次のように述べました(同日付ロシア大統領府WS)。

 2014年当時、私たちはミンスク合意のもとでルガンスクとドネツクがウクライナと再統合できると信じていたし、誠実にその方向に進んでいた。しかし、(我々は)人々のムードとか物事の隅々までは十分に感じ取れていなかった。(当時は)物事がどう進んでいるのかを完璧に理解することは不可能だった。今日では(ドンバスのロシアとの)再統合はもっと早く起こっているべきだったことは明らかとなっている。(そうなっていたならば)多分、民間人の多くの犠牲はなかっただろうし、たくさんの子供たちが砲撃で殺されることもなかっただろう。とは言え、結局そうなったこと(=ドンバス統合が実現したこと)は良いことだ。
 プーチンのこの発言について、ロシア国際問題評議会委員でカーネギー国際平和財団モスクワ・センター所長のドミトリー・トレーニンが11月28日付けのロシア・トゥデイに掲載した文章「ウクライナ紛争の長期化を示唆したプーチンの告白」(原題:"A confession from Putin suggests that the Ukraine conflict could last for years")で、その意味を解説しています。すなわち、トレーニンは「プーチンがミンスク合意は誤りだったと考えている」と指摘するとともに、「ウクライナの戦いを終わらせる平和交渉の可能性を考える上で、この告白は厳しいものだ」と解説し、以下のように述べています。ロシア・トゥデイはトレーニンの文章について何のコメントもつけずに掲載していますので、公的な見解と見て良いと思います。
 2014年、プーチンは、クリミアだけではなく「ウクライナにおいて」軍事力を行使するというロシア議会からの権限に基づいて行動し、ドネツクとルガンスクがキエフの軍隊によって席巻されることから救い、ウクライナ軍を打ち破った。しかし、(プーチンは)ドンバス地方全域を片づける代わりに、独仏が仲介した休戦に合意してストップした。(プーチンの母親たちとのミーティングでの上記発言を紹介した上で)指導者が誤りを犯したことを認めるのは珍しいことだが、指導者が何を学んだかを示唆する材料として重要である。この経験からプーチンが下した結論は、2月に特別軍事行動を開始した決定は誤りではなく、モスクワは8年前にそもそもキエフ、ベルリン、パリを信用すべきではなかったのであり、軍事力でウクライナのロシア語圏領土を解放するべきだったということだ
 (ウクライナ問題の平和解決を望む途上諸国世論の存在を念頭に)ロシアの公式声明では前提条件なしの話し合いに応じる用意があるとしている。しかし、今後交渉に臨むロシア代表団はウクライナ4地域をロシアの一部と規定したロシア憲法を考慮しなければならない。…また、クレムリンは特別軍事行動の目的(ウクライナの非軍事化と非ナチ化、つまり極端な民族主義及び反ロシア勢力の国家及び社会からの排除)も引っ込めていない。
 ウクライナに関していえば、この秋の軍事作戦の成功で、ゼレンスキーはクレムリンとのすべての接触を禁止し、プーチンの後継者宛に極端な要求を突きつけている。また、ウクライナ紛争の主たる当事者であるワシントンとモスクワはともに、現在あるいは近い将来における交渉に懐疑的でもある。
 すなわち、アメリカから見れば、西側による前例のない制裁そしてロシア軍のハルコフ及びケルソンでの退却にもかかわらず、モスクワは戦場で敗北したとは到底言えないし、国内が不安定化しているわけでもない。クレムリンからすれば、ウクライナを「反ロシア」の敵対国家のままに残す休戦・講和は敗北と同義である。しかも、西側もロシアも自分たちが勝利できると信じている。アメリカにとっては原則にかかわる問題だ。だが、クレムリンにとっては生存そのものがかかっている。つまり、西側との争いはウクライナではなく、ロシアの命運がかかっている。戦争は2023年さらにはその先まで続きそうだ。いずれか一方が完全に消耗して譲歩に応じるか、双方が袋小路に入り込むというようなことが起こらない限り、話し合いはおそらく始まらないだろう。
 1962年、ケネディはソ連がキューバを自らのミサイル基地にするのを止めるために核戦争の崖っぷちまで歩む用意があった。今日、プーチンはウクライナがアメリカの不沈空母にならないことを確保するために軍事行動を命じた。以上について学ぶべき教訓は次のことだ。フルシチョフが、トルコからモスクワに照準を定めたアメリカのミサイルに対抗するべく、キューバからワシントンとニューヨークに照準を定めたミサイルを配備する権利があると考えたとしても、また、アメリカの歴代大統領がNATOにウクライナを含める権利があると考えるとしても、相手国の安全保障上の利害を考慮しないと、とてつもない代価を払わなければならないということだ。キューバは常識がかろうじて成功した事例として歴史に名を刻んだ。ウクライナは現在進行形であり、予断を許さない。
 トレーニンが指摘しているように、ロシアがウクライナとの和平に応じうるための条件は今や、当初の「ウクライナの非軍事化と非ナチ化、つまり極端な民族主義及び反ロシア勢力の国家及び社会からの排除」に加えて、クリミアはもちろん「ロシア憲法で新たに領土に加えたウクライナ4地域」に関する「既成事実」をウクライナが承認することも含まれます。ゼレンスキー、クレバの主張と対比するとき、ロシアとウクライナの主張の懸隔は絶望的なまでに広がっていることが分かります。
<メルケルの「告白」>
 12月7日にドイツの週刊新聞ツァイトは、ミンスク合意を仲介した際のドイツの意図・狙いが何であったかに関するメルケルの衝撃的な発言を明らかにしました(メルケルの発言の動機は分かりません)。プーチンが西側に対する不信感を強めていることは以上に見たとおりです。今回のメルケル発言はプーチンの対西側不信感をいやが上にも高めていることは想像に難くありません。私はメルケル発言の全容にアクセスできないでいますが、12月8日の定例記者会見でメルケル発言を取り上げたロシア外務省のザハロワ報道官は、メルケル発言の内容を次のように引用しています。
 (メルケル)「2014年のミンスク合意はウクライナが時間を稼ぐことを目的としたものだった。今日見るとおり、ウクライナはその時間を使って強くなった。2014-15年のウクライナは今日のウクライナではなかった。2015年の早い時期にあったデバルツェヴォでの衝突の際、ロシアは簡単に勝ちを収めた。当時、NATO諸国が今ウクライナに対して提供しているような援助をできたかといえば、それは疑問だ。我々すべてが理解していたのは、これが凍り付いた紛争で、当時は解決できないということだった。だから、ウクライナは重要な時間の余裕を獲得したのだ。」
 以上のメルケル発言について質問されたプーチンは、次のように述べました(12月9日付けロシア大統領府WS)。
 「正直、私には驚きそのものだし、失望している。率直に言って、前ドイツ首相からこの話を聞くとは予想もしなかった。なぜならば、ドイツの指導者たちは我々に誠実だと考えていたからだ。もちろん、彼らはウクライナ側に立って支持していた。しかしそれでも、我々が合意し、双方に受け入れられた諸原則(ミンスク合意を含む)に基づいて、彼らは常に誠実に解決の努力をしていると考えていた。
 (メルケル発言は)特別軍事行動を開始した我々の行動が正しかったことを示している。なぜならば、誰もミンスク合意を実行する気がなかったということだからだ。ウクライナ指導者もかつて同じことを述べていた。すなわち、ポロシェンコ大統領(当時)は、ミンスク合意に署名したが、それを実行する気はなかったと述べたことがある。しかし当時の我々はなお、このプロセスに参加していた他の当事者は我々に誠実だろうと期待していた。しかし、彼らも我々を騙していたようだ。彼らの唯一の目的は、ウクライナに武器を供給して戦争の準備をさせることだったのだ。率直に言って、我々は立場を固めるのが遅すぎた。我々はこれ(特別軍事行動)をもっと早く開始すべきだったのだ。ところが我々は当時、ミンスク合意のもとで折り合いをつけることを単純に希望していた。
 以上のことについて何が言えるだろうか。信頼そのものが問われている。信頼は今やほとんどゼロだが、以上のような発言の後であればこそ、信頼という問題が前面に出てきている。一体何事かについて交渉できるのか。何に合意できるのか。誰かと話をつけるのは可能なのか。そしてその際の保障はどこにあるのか。こうしたことが問題となっている。
 しかし、最終的にはやはり話をつけなければならないだろう。幾度となく述べてきたように、我々は合意の用意があるし、オープンな立場だ。しかし、一体誰とやりとりすれば良いのだろうか
 プーチンがメルケルを信用し、メルケルとの信頼関係を重視していたことはよく知られています。ミンスク合意が成立したのはプーチンとメルケルとの信頼関係のたまものであるといっても良いほどです。それだけに、以上の発言はプーチンの真情を吐露しています。メルケルと自分との信用・信頼関係はまったく根拠がないものだったことを暴露する発言をメルケルが行ったことに対するプーチンの無念さ、やりきれなさを窺わせるものがあります。それはまた、プーチンが11月25日に行った自らの発言内容(特別軍事行動をもっと早くに開始すべきだったとするもの)の「正当性」をさらに確認させることとなったと思います。
<ゼレンスキー訪米とロシア国防省年次会議におけるプーチン発言>
 12月21日、ゼレンスキー大統領はいわば電撃的に訪米し、バイデン大統領と会談し、米議会で演説しました。同じ日にロシア国防省年次会議が行われ、プーチン大統領は会議の締めくくり発言を行いました。ウクライナが今やロシアと米西側との全面対決の戦場と化しており、真の主役であるアメリカとロシアが真っ向から対立している状況を改めて確認することができます。
(ゼレンスキー訪米)
 大々的に報道されたゼレンスキー訪米ですが、率直に言って、ウクライナ問題の解決につながるプラス材料は皆無だったというほかありません。バイデンは、ウクライナの抗戦決意を無条件で支持する意思を再確認しました。ただしバイデンは、ゼレンスキーと臨んだ共同記者会見で、条件が整えばキエフはモスクワとの「正義の平和にオープンである」とソフトさをにじませようとしました。ところがその発言の数分後にゼレンスキーは、ロシアという「人間ではないもの」('non-humans')が我々に押しつけた戦争においては「(ウクライナに)如何なる正義の平和もあり得ない」と述べて、バイデン発言を否定しています。
 以上のやりとりを紹介した12月22日付けのスプートニク通信は、ゼレンスキー訪米に対するロシア側の受け止めとして、ペスコフが次のように述べたことを紹介しています。
○「(今回の訪米が)示しているのは、アメリカが最後のウクライナ人までロシアとの実質的・間接的な(アメリカの)戦争を続けようとしているということだ。」
○「バイデンもゼレンスキーも、ロシアの関心の所在に耳を傾ける用意があると解釈できるような発言を一切しなかったというのは遺憾である。」
○「カメラ向けにはともかく、本心からの平和に向けた呼びかけは一切なかった。」
(ロシア国防省年次会議におけるプーチンのまとめ発言)
 ロシア国防省年次会議で、プーチン及びショイグ国防相は今回の特別軍事行動に関する反省点及びその反省に基づくロシア軍の今後のあり方に関して、それなりに率直な発言・提案を行っています。それを受けてプーチンはまとめの発言として次のように述べました(ロシア大統領府WS)。長期戦を覚悟したプーチンの胸の内を理解する手がかりとして紹介する次第です。
 「戦略的敵の目標はロシアを弱体化し、分割することだ。数世紀にわたってそうだったし、このことは何ら新しいことではない。彼らは、ロシアが大きすぎて脅威となっていると確信し、それだからこそ弱め、分割しなければならないと考えている。これが過去数世紀にわたる彼らのゴールなのだ。…
 我々に関していえば、まったく異なるアプローチとゴールを追求してきた。すなわち、我々はいわゆる文明世界の一部になることを望んできた。我々自身が許容したソ連崩壊後、我々は、そういう文明世界の一部になるだろうと考えた。ところが、私自身の努力を含め、ロシアが努力し、試みたのに、ロシアがそうなることを誰も望んでいないことが明らかになった。我々は世界の一部になろうと試みたが、無駄だった。
 逆に彼らがやろうとしたことは、コーカサスにおける国際テロリストの利用を含め、ロシアの息の根を止め、ロシア連邦を分裂させることだった。そのことは、1990年代半ばから2000年代初めにかけて起こったことから分かることだ。…我々はこの困難な時期を乗り越え、生き残り、その過程の中で強くなった。…
 地政学的ライバルは、そのアジェンダ遂行のためにすべてのチャンスを利用し始めた。かつてのソ連圏、主にウクライナで人々の洗脳を開始した。彼らはソ連時代から洗脳作業のための組織を備えていたので、洗脳工作は念入りに準備され、かつ、大いに成功した。
 2014年のウクライナのクーデター以後、我々は隣人関係のみならず兄弟的関係を構築するべくあらゆることをした。ほとんど無償で借款、エネルギー資源を提供した。数年間続けたが、どれ一つとしてうまくいかなかった。
 ソ連が崩壊したとき、ウクライナは袂を分かった。その独立宣言にはウクライナが中立国となると記している。だから、当時のロシアの指導者はウクライナを脅威とは考えなかったし、ロシアと文化を共有する兄弟国であり、共通の精神的道徳的価値観を備え、歴史を共有していると考えた。しかし、我が敵は執拗に工作を続け、それは実に効果的だったと認めざるを得ない。我々も努力したのだが、所期の目的を達成することはできなかった。ただし、我々自身を責めるべき理由は何もないことを強調する。全責任をもってそう言う。
 我々は常にウクライナ人民を兄弟民族として扱ってきた。今もそう考えている。今起こっていることはもちろん悲劇である。我々共通の悲劇だ。しかし、その悲劇は我々の政策によるものではない。そうではなく、この悲劇はロシア人の世界をバラバラにしようと常に願っている第三国が行ってきた政策によるものである。彼らはかなり成功し、その結果として我々を崖っぷちまで追い詰めたというわけだ。
 2014年2月、ポーランド、フランス、ドイツの外相がキエフに来て、ミンスク合意の保証人として署名した。その数日後にクーデターが起こった。保証人である彼らがなすべきことは、「交渉テーブルに戻り、投票による政治手続きで権力問題を解決しなさい」と呼びかけることだった。しかし、私がいわゆる同僚たちにクーデターが起こることを許したのはなぜかと尋ねても、肩をすくめるだけで答は返ってこなかった。明らかになったのは、かつては同じ国家の一部だったこの地域と関係を回復するチャンスは一切ないということだった。数十年にわたって行われたウクライナ市民に対する洗脳とネオ・ナチのイデオロギーのせいだ。ネオ・ナチ勢力はロシアに対して戦うために利用されている。彼らがネオ・ナチであることを気にかける者はいない。彼らにとって重要なのは、ネオ・ナチ勢力がロシアに対して戦っていることだ。
 当時からウクライナのこれら勢力との衝突は避けられないことは分かっていた。問題は「いつか」ということだけだった。軍事行動は常に悲劇と人命の損失を伴う。それは分かっている。しかし、それが避けられない以上、明日よりも今日の方が良い。我々は我々の有利なポイントを分かっている。核トライアドを含む軍事力。もちろん改善すべきことも理解している。強調したいことは次のことだ。つまり、世界の他の国々にはほとんどないことだが、我々には必要なすべての資源がそろっているということだ。しかも、他の多くの国々とは異なり、科学、技術、生産、人的パワー等で自給自足できるのだ。その上、経済成長や社会開発を犠牲にすることなく、市民に対する社会的責任を実現しつつ、諸目標を達成することができる。
 軍事力増強のために経済を犠牲にするという過去の誤りは繰り返さない。国全体を軍事化することもしないし、経済を軍事化することもしない。今の発展水準と経済構造をもってすれば、そうする必要はないからだ。繰り返すが、必要としないことをするつもりはない。人民及び経済に害となるようなことはまったくする必要はないのだ。ロシア軍及び軍隊の構造全体を改善していく。粛々と、ルーティンに、一貫して、慌てることなく。防衛力全般を強化するとともに特別軍事行動の諸目標に見合うように計画を達成していく。
<問題解決の道筋>
 私は、出口戦略も考えず、ひたすらウクライナに代理人戦争をさせることによってロシアの全面敗北を追い求めるアメリカ・バイデン政権が主導し続ける限り、ロシア・ウクライナ戦争の終結はあり得ないと確信します。なぜならば、アメリカの意図を読み切っているロシアは自らの国家の存続をかけてこれに徹底抗戦する覚悟であることは、ロシア国防省年度会議におけるプーチンの結語発言から明々白々だからです。ロシアは今や戦いの真の相手はウクライナではなく西側全体であると認識しています。問題解決の道筋を考えるためには、「ロシアの関心の所在に耳を傾ける用意がある」(ペスコフ)か否かが決定的に重要です。北風(軍事力)ではなく太陽(他者感覚)のみが旅人(ロシア)の心を開かせることができます。
 そのことに気づき、ロシアの立場を考慮することによって事態を打開しようとする発言・提案もようやく現れています。12月3日、訪米から帰国したフランスのマクロン大統領はテレビ局とのインタビューの中で、プーチンが「NATOがロシアを脅かす武器を配備する」ことを警戒していることを認め、米主導の同盟側は「ロシアの安全に関する保障」を提供することを「準備する必要」があると述べました。それに先立つ12月1日、ドイツのショルツ首相もベルリンで開かれた安全保障フォーラムで発言し、モスクワとの間で軍備管理及びミサイル配備に関して議論する用意があるとし、それらの合意は欧州における「平和及び安全に関する秩序の基礎」を形成すると述べました(12月3日付けロシア・トゥデイ)。
 ハンガリーは従来からロシアとの対決一本槍のアメリカ・NATOのアプローチに批判的です。12月20日、ハンガリー議会議長のラツコ・コヴェール(Laszlo Kover)は、ウクライナを反ロシアの拠点にし、モスクワに軍事力行使以外の選択を残さなかったことは大失敗だったと指摘しました。さらに、欧州のエリートたちは「ロシアを政治的経済的に破壊することに熱中」し、「新しい鉄のカーテンを作ろうとしている」と急所を突きました。その上で彼は、「西側がウクライナをロシアの利害圏から引き剥がすだけではなく、反ロシアの基地に変えようとしたことは戦略的間違いだ」とし、モスクワとしてはこうした事態にもはや安閑としてはいられなくなったのだと強調しました(12月21日付けロシア・トゥデイ)。
 また、キッシンジャーは12月17日付けのイギリスの週刊誌・スペクテーターに掲載した文章「世界大戦を避ける方法」(原題:"How to avoid another world war")で、ロシアが「世界の均衡及びバランス・オヴ・パワーに対して決定的な貢献を行ってきた」という「歴史的な役割をおとしめるべきではない」という重要な指摘を行っています。また彼は、「ロシアを解体し、その戦略的政策能力を破壊することになれば、その領域は群雄割拠のあるいは争奪戦の対象となる力の真空状態に陥る」が、そこには「数千発の核兵器」があることも指摘して、ロシアを弱体化させることだけに集中する、米西側の対ロシア・アプローチに対して強い警告を発しています。キッシンジャーの提言の中には私として素直に首肯できない要素も含まれていますが、以上の2点に関する指摘は、ウクライナ問題の解決の道筋を考えるに当たっては、絶対に見落としてはならないポイントだと確信します。
 さらに私が強調したいことは、国際関係における構造的変化を見極めたアプローチを心がけることが不可欠だということです。今日なお米西側の圧倒的影響力のもとにある日本ではほとんど意識されていませんが、ウクライナ問題に関する米西側の政策・主張はもはや世界の圧倒的少数派です。それは国際政治経済関係における新興国・途上国(いわゆる第三世界)の実力の高まりを反映する、正に時代の潮流です。しかも、ウクライナ問題でも顕著な米西側の対外政策における「二重基準」に対する批判・警戒も強まるばかりです。その端的な表れは、前にもコラムで指摘したように、米西側の対ロシア制裁に対する同調国が第三世界では皆無に近いという事実に示されています。「ロシアは国際的に孤立している」というのは日本を含む西側世界でのみ通用する議論です。
 最後に、ロシアの軍事侵攻で悲惨な状況に陥っているウクライナ及びウクライナ人民に関して。ウクライナ問題の解決を考えるとき、和平実現後のウクライナの復興は最大問題の一つです。しかし、米西側(そしてゼレンスキー政権)が主張する、凍結したロシア在外資産をその資金に充てるという考えは荒唐無稽です。そもそも、米西側が「焚きつけ」なければ、3月末時点で和平が実現していた可能性があったことを想起するべきです。和平が実現していたならば、今日の惨状は回避できたのでした。米西側としては、ウクライナの戦後復興に自らが圧倒的に重い責任を負っていることを自覚するべきです。もちろん、ロシアも含めた国際社会を挙げての支援体制を組む必要があると思います。
 また、ウクライナ全土の荒廃を生み出し、ウクライナ人民に塗炭の苦しみを強要したゼレンスキー政権の「戦争責任」を直視する必要もあると、私は確信します。ロシアを「人間ではないもの」('non-humans')と放言するゼレンスキー、「ウクライナの被占領地域の目標を攻撃し、我が領土を解放することに焦点を当てている」と公言して、被占領地域に住む自国民(ロシア系住民であるにせよ)に対する攻撃を放言するクレバからは、人間の尊厳に対する謙虚さの片鱗も窺えません。米西側の都合のためにゼレンスキー政権を美化する言論が横行する現実には極めて危ういものを感じずにはいられません。ゼレンスキー政権の戦争責任という問題に如何に向き合うかは、私たち一人一人の人権感覚の確かさを問いかける問題でもあると思います。