以下に紹介するのは、12月3日に「わだつみ会」主催の「不戦の集い」で行ったお話しのために事前に準備した予定原稿です。当日は、かなりの説明を加えましたが、ここでは準備した予定原稿をそのまま紹介します。

(はじめに)
 私は今日、主に二つのことを中心にお話ししたいと考えています。一つは情勢判断能力の問題、もう一つは、日本外交にかかわっていく私たちが備えるべき主体的条件とは何かという問題です。
まず情勢判断能力の問題ですが、正しい外交を営むことを期する上では、正しい情勢判断が不可欠の前提になります。情勢判断に間違いがあれば、その間違った判断の上で営まれる外交が所期の成果を上げることはできません。その端的な例は、戦前の日本軍国主義の歴史に見ることができます。中国民族の抵抗力を過小評価した情勢判断に基づく中国侵略戦争、そして、アメリカ経済の底力を見通せないままに開始してしまったパール・ハーバー奇襲攻撃以後の対米戦争の歴史は、軍国主義支配者層の貧しい情勢判断能力によって引き起こされたものであることは、皆さんも歴史教育を通じて理解していると思います。
 しかし、私たち自身がその中に身を置いている現在進行中の情勢について正しい判断を行うことは決して簡単なことではありません。特に、「赤信号みんなで渡れば怖くない」(大勢順応)、「出る釘は打たれる」(いじめ)雰囲気が支配する日本の社会では、間違った情勢判断に基づいてできあがってしまう政治的な流れに対して「待った」をかけることは大変な勇気とエネルギーを必要とします。
具体的にお話しする方が分かり易いでしょう。自民党をはじめとする日本の保守政治が進めてきた9条改憲の勢いは今や改憲発議に必要な国会2/3の勢力を占めるに至っています。後でお話しするように、2度の世界大戦を経験した国際社会は、21世紀に入ってますます「戦争のない世界」への歩みを強めていますが、この歩みに抵抗して一極支配にしがみつくのがアメリカです。日本の保守政治はこのアメリカにピッタリ寄り添っています。アメリカも日本も世界の歴史的趨勢を正しく判断できないために、相変わらず昔のままの権力政治にしがみついているのです。こうして日本では、1990年代の「軍事的国際貢献」論、2000年代に入ってからの「中国脅威」論・「台湾海峡有事」論が作り出され、9条改憲のための世論作りが行われてきました。世界の流れからすれば、9条の平和憲法を活かすことこそが日本外交のとるべき道なのに、そういう主張をすることには「勇気が必要」という世の中になってしまっているのです。正しい情勢判断を行うことの重要性が分かっていただけるのではないでしょうか。
 今の日本では、ウクライナ問題と台湾問題(台湾海峡有事問題)が大きなテーマとして取り上げられ、9条改憲、防衛力強化(軍拡)は必要だとする主張の有力な根拠とされています。しかし、私にいわせれば、ウクライナ問題にしても、台湾問題にしても、とんでもない情勢判断の間違いに基づく議論が横行しているのです。これらの二つの問題はホットであり、皆さんもそれなりの問題意識を持っているのではないかと思います。したがって、この二つの問題に関する「正しい情勢判断」とはどういうものなのかについてお話ししたいと思います。私のお話に皆さんが「なるほど」とうなずけるのであれば、9条改憲、防衛力強化(軍拡)が必要だとする主張が間違っていることを納得できると思うからです。
今日、もう一つお話ししたいのは、私たちが備えるべき主体的条件とは何かという問題です。具体的には、「主権者・国民としての自覚と覚悟を持つこと」の重要性を皆さんに是非認識してほしいと考えています。戦後の日本では、かつて軍国主義に痛い目に遭わされた経験から、「国家」を遠ざけ、「国民」であることについて考えることを避ける雰囲気が生まれました。それに代わって「市民社会」、「市民」という考え方が強まりました。
しかし、「国家」と「市民社会」、「国民」と「市民」を対立的に捉えるのは日本ぐらいです。日本国を動かすのは主権者である日本国民です。また、私たちは日本国内に様々な形で存在する「市民社会」の一員であるとき、私たちは市民として活動します。今日取り上げる日本外交のあり方というテーマに関しては、私たちは主権者・国民としてかかわるケースが圧倒的です。したがって、「主権者・国民」という主体的条件を是非皆さんに我がものとしていただきたいのです。この主体的条件を備えなければ、日本外交にかかわりようがありません。

1.ウクライナ問題

 ロシアによるウクライナ侵攻問題を理解・認識する上では、ソ連崩壊後のロシアとアメリカ以下の西側諸国との関係の歴史的推移を踏まえることが不可欠です。なぜならば、日本を含む西側諸国においては、この歴史的経緯に関する視点が完全に抜け落ちており、このことがロシアに対する一方的批判につながる重要な原因となっているからです。
(ロシアと西側諸国の関係の変遷)
 1990年代から今日に至るロシアと西側諸国との関係の変遷については次のようにまとめることができます。
 エリツィン政権時代のロシアは、NATO加盟を含めて「西側の一員」として受け入れられる可能性を追求しました。西側諸国はロシアのこの希望に沿う姿勢を示す(その象徴的表れは1998年のG8実現)一方、ロシアを徹底的に無害化・弱体化させるべくNATOの東方拡大を推進する、いわゆるダブル・トラック戦略を採用しました。ロシアと西側との関係は、コソヴォ独立問題をめぐり、1999年にNATOが国連安保理決議の授権を経ないでユーゴスラヴィア(当時)を空爆したことにロシアが反発し、NATOとの関係を中断したことで最初の試練を迎えました。
 2000年に登場したプーチン政権は、いわゆる9.11事件を契機にとして西側との関係改善を進めました。2002年5月にはNATOとロシアとの間のローマ宣言が署名され、対テロ問題、核拡散防止、軍備管理等の分野で、ロシアはNATO加盟国(当時は19ヵ国)と「完全に平等」の権利を約束されました。当時は、この宣言によって、NATOとロシアの関係が新段階に入ったと評価されたほどです。
 しかし、プーチン政権は西側に対してエリツィン政権のような幻想を抱いているわけではありませんでした。特に、2003年のジョージアにおけるバラ革命、2004年のウクライナにおけるオレンジ革命など、ロシアの周辺諸国(かつてのソ連邦構成諸国)における政情不安に直面して、プーチン政権は、これらの「カラー革命」の背後にはアメリカ以下の西側諸国の関与があるとして、西側に対する不信感を深めました。
2007年のミュンヘン安全保障会議で、プーチンはNATOの東方拡大はロシアの安全保障に対する深刻な挑発行為であるとし、NATOが当初は東方不拡大を約束していたのに、これに違反した行動を進めていると公然と批判しました。また2008年には、NATOの存在が「ロシアの安全保障に対する直接の脅威となっている」と非難しました。この年にはロシアとジョージアとの軍事衝突も起こり、ロシアとNATOの関係は再び険悪な状態に陥りました。プーチン政権の強硬姿勢に対して、西側諸国はなおダブル・トラック戦略に基づいてロシアとの関係を維持する方針を示しました。しかし、ウクライナとジョージアを取り込むNATOの方針は不変であったため、ロシアの西側に対する不信感を緩和させることはできませんでした。
以上の背景を踏まえるとき、2014年にウクライナで起こったいわゆるマイダン革命(親ロ派と目されていたヤヌケヴィッチ政権を打倒して、親西側勢力が政権を掌握した事件。ロシアはクーデターとして非難)に対して、ロシアがクリミア併合で対抗したのはいわば必然の成り行きだったといえます。このウクライナ危機以後、「NATOとロシアの緊張関係は量的変化から質的変化に変わり、ロシアはもはやNATOと西側に対して如何なる幻想も持つことはなかった」と評されるゆえんです。これに対して、G8はロシアを締めだして再びG7に戻りました。
(NATOの東方拡大)
 ここで、NATOの東方拡大がロシアを如何に追い詰める意味合いを持っていたかを確認しておきます。1991年に崩壊したソ連の後継国となったロシアは、西側(アメリカ・NATO)に対する緩衝地帯(東欧諸国)を失い、西側の軍事的脅威に直面することとなりました。しかもその後の約30年間、NATOの東方拡大と、すでに述べた旧ソ連邦諸国のカラー革命により、ロシアを取り巻く安全保障環境は年を追う毎に厳しさを増していきました。ちなみに、カラー革命とは、主に旧ソ連邦を構成していた国々で起こった民主化運動の総称です。その中に、2003年のジョージアにおけるバラ革命、2005年のキルギスにおけるチューリップ革命と並んで、2004年のウクライナにおけるオレンジ革命が含まれています。
 NATOの東方拡大は5回にも及びます。すなわち、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリー、2004年にルーマニア、ブルガリア、スロヴェニア、スロヴァキア、ラトビア、リトアニア、エストニア、2009年にアルバニアとクロアチア、2017年にモンテネグロ、2020年には北マケドニアと、NATO加盟国は16カ国から30カ国にまで膨れ上がってきました。ロシアにとっての対西側正面の緩衝地帯は、今やベラルーシとウクライナの2国を残すのみになっています。ちなみに、ロシアのウクライナ侵攻に直面したフィンランドとスエーデンは、従来の中立的立場を放棄し、NATO加盟を申請するに至りました。これをNATOの第6次東方拡大と位置づける見方も有力です。
(ウクライナの反ロ路線)
 ウクライナは、主に国の西側(北西部)を基盤とする、親西側傾向が強いウクライナ系住民(宗教的にはカトリック。全人口の約2/3)と、東側(南東部)を基盤とし、親ロシア傾向が強いロシア系住民(宗教的にはロシア正教。全人口の約1/3)によって構成されている、と言われます。2004年のオレンジ革命後もウクライナ政情は安定せず、特に2014年のいわゆるマイダン革命(ウクライナ騒乱)によってヤヌコヴィッチ大統領がロシアに亡命し、親西側政権が成立した後、ロシア系住民が多数を占めるクリミアは住民投票でロシアへの帰属を選択しました。ロシア系住民がやはり多数派を占める東南部・ドンバスのドネツク及びルガンスク2州も、住民投票を行って「人民共和国」成立を宣言しました。ウクライナ政府は両州の動きを鎮圧するべく軍隊を出動させ、これに抵抗する両州との間で内戦状態となりました。ロシアとウクライナは、フランスとドイツの仲介を得て2州での停戦に合意しました(ミンスク合意)が、ウクライナ政府にはこの合意を履行する意思はなく、その後も小競り合いが続き、ロシアとウクライナの対立も深まっていきました。
 2019年にウクライナで行われた大統領選挙で、コメディアン出身で政治にはズブの素人だったゼレンスキーが勝利しました。ゼレンスキーの政治手腕に対しては当初から厳しい疑問符がつけられていました。果たせるかな、これといった成果を挙げることができないまま、ゼレンスキーに対する支持率はじり貧をたどりました。ゼレンスキーは事態を打開するべく、国内的にはロシア語の使用を制限するなどロシア系住民に対する締め付けを強化し、また、対外的にはウクライナのNATO加盟に理解を示すアメリカを公式訪問するなど、ロシアとの対決姿勢を鮮明にすることで国内支持基盤を回復しようとしてきました。
(ロシアの外交努力と西側の対応)
 これに対して、ロシアは外交攻勢で局面の打開を図ろうとしました。すなわち、本年1月27日及び28日、ラブロフ外相はロシア・メディアの質問に答える形で、ロシアがアメリカとNATOに対して思い切った外交的アプローチを行ったことを明らかにしました。
 まずラブロフは、2021年12月にロシアがアメリカとNATOに対してロ米間及びロシア・NATO間の安全保障に関する条約・協定案を提示し、これに対するアメリカ及びNATOからの回答を受け取ったという事実を明らかにするとともに、その回答に対するロシア側の立場を明らかにしたのです。その立場とは次の2点に要約できます。
 第一、西側がウクライナについて取ろうとしている行動は、アメリカ大統領を含む欧州安全協力機構(OSCE)諸国の首脳が署名した1999年イスタンブール首脳宣言及び2010年アスタナ首脳宣言に盛り込まれた「不可分の安全保障原則」に反するものであり、ロシアは西側がこの原則を遵守することを改めて要求する。
 ちなみに、「不可分の安全保障原則」とは、各国は「安全保障取り決め(同盟条約を含む)を選択する固有の権利」を持つけれども、「他国の安全保障を犠牲にする形で安全保障を強化しない」(アスタナ宣言第3項)ということを言います。簡単に言えば、自国の安全と他国の安全は不可分に結びついていることを認め、他国の安全を犠牲にする形で自国の安全を追求してはならない、ということです。
 第二、ロシアとしては、上記首脳宣言での約束を守ろうとしない西側に対して、条約・協定という法的拘束力ある文書で「不可分の安全保障原則」遵守を迫る。具体的にロシアは、①西側はウクライナのNATO加盟を認めない、②西側はウクライナに軍事力を駐留させず、攻撃型のミサイルも配備しない、以上2点を条約・協定に明記することを要求しました。
 ラブロフは、ロシアがアメリカに提案した条約案に以下の規定が含まれていることも明らかにしました。
○第1条 締約国は、相手国の安全保障に影響を及ぼす行動を取ってはならず、また、そうした行動に参加し、もしくはこれを支援してはならない。また、相手国の核心的な安全保障上の利益を損なう安全保障上の措置を実行してはならない。
○第3条 締約国は、相手国に対する武力攻撃または相手国の核心的な安全保障上の利益に影響を及ぼすその他の行動を準備し、遂行するために他国の領域を使用してはならない。 ○第4条 アメリカは、NATOのさらなる東方拡大を防止すること及び旧ソ連邦諸国のNATOへの加盟を拒否することを約束する。アメリカは、NATO加盟国ではない旧ソ連邦諸国の領土に軍事基地を設置してはならず、軍事行動のためにこれら諸国のインフラを使用することも、これら諸国との軍事協力を発展することもしてはならない。
○第5条 締約国は、相手国が自国の国家安全保障に対する脅威と認識するような形で軍事力を展開することを控えなければならない。
このようなロシア側の外交攻勢に対して、アメリカとNATOはまともに向き合うことを拒みました。これに業を煮やしたロシアは、ウクライナ南東部2州の独立を承認し、その独立を擁護するためにウクライナに対する軍事侵攻に踏み切った(2月24日)ということです。また、ウクライナ侵攻の目的について、プーチン(及びラブロフ)は「ウクライナの中立化と非軍事化」を掲げ、この点に関するウクライナの同意を取り付けない限り、軍事作戦を止めないことをくり返し明言しました。
(ロシアのウクライナ侵攻の目的)
 ロシアのウクライナに対する軍事侵攻に対して、日本を含む西側諸国は「国連憲章違反の暴挙」と厳しく糾弾しました。確かに、国連憲章は戦争を違法化しています。軍事力行使が認められるのは自衛権の発動の場合のみです。もともとロシアは、西側優位の国際秩序に固執するアメリカに対抗して、中国とともに、国連・国連憲章を中心とする民主的な国際秩序の構築を主張してきました。ロシアにとって、ウクライナ軍事侵攻は自らの年来の主張とも矛盾する極めてハードルの高い、危険な選択であったことは間違いありません。
 逆に言いますと、そのような極めてリスクの高い行動に敢えて踏み切った、というより、踏み切らざるを得なかったロシアは、よほど切羽詰まった状況に追い込まれていたと理解するほかありません。私としては、ロシアがウクライナ侵攻に踏み切らざるを得なかったのは次のように理解するほかないと考えています。
 そもそも、アメリカとNATOがウクライナのNATO加盟を認めないことを確約さえしていれば、ロシアの最低限の安全保障は確保されるはずでした。しかし、アメリカとNATOは言を左右にしてロシアの要求に応じませんでした。ロシアとしては、このままずるずると西側に引き延ばされ続ければ、ウクライナのNATO加盟という最悪の結果に直面せざるを得なくなると判断するしかありませんでした。しかも、アメリカもNATOも、ウクライナがNATOに加盟していない状況のもとでのウクライナへの派兵については否定しています。つまり、ロシアとの直接の軍事衝突の可能性を排除しているということです。ロシアとしては、このわずかに残されているタイミングを捉えてウクライナ侵攻を敢行することにより、ウクライナから直接に中立化への約束を強制的に取り付けるしかないと判断したと思われます。
 しかし、プーチン自身がたびたび強調しているように、ロシア、ウクライナそしてベラルーシはいわば「身内同士」です。ウクライナに対して力ずくで要求を呑ませることは禍根を残すだけで、ロシアにとっての安全保障環境の改善につながらないことは目に見えています。プーチン・ロシアの狙いは、ウクライナ侵攻という思い切った手段に訴えることによって、アメリカ・NATOから「ウクライナのNATO加盟は認めない」という明確な言質を引き出すことにあると思われます。とは言え、アメリカとNATOがそういう言質を与える保障はありません。したがって、ロシアとしては最終的には、ウクライナを交渉テーブルに引き出し、「中立化」確約を取り付けたいと考えていると思われます。現実に3月末にトルコのイスタンブールで行われた交渉では、ウクライナ側はロシアが受け入れ可能な提案を行いました。
(事態終結の難しさ)
しかしその直後にいわゆる「プチャ虐殺」事件が大々的に西側メディアの報道するところとなり、アメリカ以下の西側諸国はウクライナに対する本格的な軍事支援に乗り出しました。このような情勢の劇的変化を受けて、ゼレンスキーは徹底抗戦へと急旋回し、交渉は頓挫しました。戦争は当初ロシア軍の攻勢が顕著でしたが、西側諸国の全面的支援を受けたウクライナが反転攻勢に転じ、今やロシアは守勢に立たされていると言われます。勢いに乗ったゼレンスキーは今や、領土保全回復(クリミアを含む)、国連憲章尊重、戦争被害の全面補償、戦争犯罪人処罰、再発防止保証をロシアとの交渉の前提条件に掲げるに至っています(11月7日)。
 ロシアはウクライナに対して守勢に立たされていると言われますが、2月24日に開始した特別軍事行動の目的が達成されない限り、戦争を終結する用意はないことを繰り返し明言しています。つまり、ウクライナの中立化だけではなく、非軍事化、さらにはクリミアをロシア領に編入した既成事実、ドネツク及びルガンスクの全域支配をも要求しています。ロシアとウクライナの主張は真っ向から対立しているわけで、先行きはまったく見通せない状況です。
最後に、私たちとしては、日本メディアを含む西側の報道に振り回されることなく、ロシアがウクライナ軍事侵攻を余儀なくされた原因をしっかり見て取ることが求められます。ウクライナ問題はプーチン・ロシアの「専制主義」「全体主義」「権威主義」に原因があるのではありません。ロシアの安全保障環境を際限なく損なおうとする西側、特にアメリカ・NATOの「東方拡大」戦略に真の原因があることを見極めなければなりません。すなわち、ウクライナをNATOに加盟させてロシアの息の根を止めようとするアメリカの戦略的貪欲さにこそウクライナ問題の根本原因があるということです。「ウクライナ=善、ロシア=悪」のレッテル貼りに安住してロシア糾弾に終始するのは本末転倒です。

2.台湾問題

 ウクライナ問題と台湾問題は、国際法的にはまったく異質の問題ですが、国際政治的には同質の問題とし捉えられている現実があります。正確に言えば、ロシアと中国を脅威・ライバルと決めつけるアメリカ及び米欧メディアの報道によって、「力による現状の一方的変更は認められない」という「ルール」の対象となるという意味で、同質の政治問題に仕立て上げられてしまっている、というべきでしょう。ここでいう「ルール」とは、バイデン政権が盛んに持ち出す「ルーツに基づく国際秩序」における「ルール」のことです。「ルールに基づく国際秩序」とは、有り体に言えば、アメリカを頂点とする西側が主導し、パワー・ポリティックスのゼロ・サム(弱肉強食)のルールが支配する旧来の国際秩序のことです。
 21世紀国際社会を20世紀国際社会と隔てる最大の特徴の一つは多極化であり、多極的国際社会を規律するのはウィン・ウィン(共存共嬴)のルール(具体的には国連憲章が定める国家主権の尊重、主権の対等平等、内政不干渉、問題の平和的解決等)です。しかし、西側はこの現実を受け入れることに抵抗し、あくまで西側主導の旧来の国際秩序に固執しています。西側は、ロシアと中国をたたきのめすためにウクライナ問題と台湾問題を最大限に利用しているのです。そういう意味において、両問題は国際政治的に「同質」であるとされるのです。
(ウクライナ問題と台湾問題の国際法的性格)
 まず、ウクライナ問題と台湾問題は国際法的にはまったく異質の問題であることを確認しておきましょう。
-ウクライナ問題-
 ウクライナ問題における国際法上の問題は、主権国・ウクライナに対するロシアの武力侵攻は合法か違法かという一点に絞られます。アメリカ以下の西側諸国は、ロシアの行動は戦争一般を禁止する国連憲章(第2条4)に違反する武力行使であると厳しく批判してきました。
 これに対してロシアは、ウクライナからの独立を宣言したドネツク、ルガンスクの要請に応じた国連憲章第51条の集団的自衛権の行使であり、批判されるいわれはないと反論しています。ロシアはまた、1999年にユーゴスラヴィア(当時)からの独立を宣言したコソヴォを守るための「人道的介入」としてNATO軍が行った(安保理決議を経ない)ユーゴスラヴィアに対する空爆作戦を、自己の行動の正当性の根拠として挙げています。
 ロシアの以上の主張に関しては、ドネツク、ルガンスクの国際法上の国家としての主体性(2月24日当時の承認国はロシアのみ)、NATO軍のユーゴ空爆に対してロシアは当時「人道的介入」を根拠とした武力行使は国際法上確立していないとして批判した経緯があることなどの問題点が指摘されます。
 しかし、それ以前の問題として、国連憲章違反の武力行使(イラク、リビア、シリア、アフガニスタン等)を繰り返してきたアメリカとNATO諸国が臆面もなく、ロシアの今回の武力行使を国連憲章違反と批判するのは釈然としないというのが国際社会の一般的な受け止め方と言えるでしょう。要すれば、西側の「二重基準」に対する国際社会の目は厳しいものがあるということです。
 そのことを示す具体例を紹介しておきます。3月2日の国連総会緊急特別会合で、ロシアのウクライナに対する軍事行動の即時停止を求める西側諸国提出の決議案は141ヵ国の賛成で可決されました。大多数の国々がロシアの行動・主張を肯定していないことを示しています。しかし他方で、西側の対ロシア制裁に加わったのは米西側諸国以外ほとんどないという事実もあります。
 ロシアは、対ロシア制裁に参加した国々を「非友好国・地域」と指定しています。そのように指定された国・地域は48 に留まるのです(3月7日のタス通信)。具体的には、41の西側諸国及びアジア太平洋地域4ヵ国(日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド)プラス台湾を除けば、ミクロネシアとシンガポ-ルの2ヵ国にすぎません。要するに大半の非西側新興・途上諸国(=アジア・アフリカ・ラ米諸国)は、ロシアに対する制裁に参加していないのです。
 以上の事実は、二重基準乱発の西側諸国に対する非西側諸国の冷ややかな認識、さらには、ロシアのウクライナ侵攻が国連憲章違反に当たるとしても、ロシアの行動がNATOの東方拡大に対するギリギリの自衛的行動であることについて、国際的に広範な認識が共有されていることに由来すると判断されるのです。
 以上から、ウクライナ問題の国際法上の側面に関しては、西側及びロシアの双方に言い分があること、しかし、国際社会の一般的な受け止め方としては、国際法上の問題としてウクライナ問題を考える雰囲気は希薄であることが確認できるのです。
-台湾問題-
 次に、台湾問題の国際法上の論点について確認しておきましょう。台湾問題は主権国家・中国の純然たる内政問題であり、したがって国際法が入り込む余地はありません。すなわち、台湾は中国の領土の不可分の一部であるという「一つの中国」原則は、中国と国交を持つ181ヵ国が承認しています。ちなみに、台湾と外交関係を維持している(したがって、「一つの中国」原則を堅持する中国が国交樹立に応じない)国家は、大洋州4ヵ国(ツバル、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国、及びナウル共和国)、欧州1ヵ国(バチカン)、中南米カリブ地域8ヵ国(グアテマラ、パラグアイ、ホンジュラス、ハイチ、ベリーズ、セントビンセント、セントクリストファー・ネーヴィス、セントルシア)、アフリカ1ヵ国(エスワティニ)、以上14ヵ国のみです。
また、中国の国連復帰(台湾追放)を実現した、1971年(10月25日)の国連総会決議2758(「国連における中華人民共和国の合法的権利に関する決議」)は次のように定めています。「一つの中国」原則は国際法上も確立していると言うべきです。
「国連総会は、
 国連憲章の諸原則を想起し、
 中華人民共和国の合法的権利の回復が、国連憲章の擁護及び国連が憲章のもとで奉仕しなければならない大義のために不可欠であることを考え、
 中華人民共和国の在国連代表が安全保障理事会の5常任理事国の一つであることを承認し、
 中華人民共和国のすべての権利を回復すること、同政府の代表が国連における中国の唯一の正統な代表であることを承認すること、及び蔣介石の代表が国連及びそのすべての機関で不法に占めていた地位から追放することを決定する。」
 西側諸国(日本を含む)も「一つの中国」原則そのものにチャレンジしているわけではありません。すでに指摘しましたように、台湾問題に関する西側諸国の中国に対する主張は「力による現状の一方的変更に反対」という一点に集中しています。したがって、国際法上の視点から台湾問題を論じる余地はないことが確認されるわけです。
(ウクライナ問題と台湾問題の国際政治的性格)
次に、国際政治上の論点について考えます。
-ウクライナ問題-
 国際政治上のウクライナ問題に関する最大かつ最重要のポイントは、すでにお話ししたことの確認ですが、ロシアの安全保障がNATOの5回に及ぶ東方拡大で脅かされ、今やロシアの心臓部を直接脅かす戦略的地政学的要衝のウクライナまでがNATOに組み込まれようとする絶体絶命の窮地にまで追い詰められている、ということにあります。端的に言えば、ロシアのウクライナ侵攻はプーチン・ロシアのいわば起死回生の反撃なのです。
 しかも、ロシアはいきなり「手を出した」わけではありません。繰り返しになりますが、ロシアは「安全保障の不可分性」(自国の安全を他国の安全を犠牲にする形で追求することは許されない)という、西側も繰り返し同意してきた原則を掲げ、アメリカ及びNATOと条約締結によって、この原則に法的拘束力を持たせる外交交渉を長年にわたって試みてきました。
 特に、2014年のいわゆるマイダン革命でウクライナに「NATO加盟」を掲げる親西側政権が成立してから、ロシアは、ドンバスの平和と安定を目指すミンスク合意の履行をウクライナに迫る外交努力とともに、アメリカ及びNATOとの間で「安全保障の不可分性」原則を条約化・協定化する外交努力を行ってきました。しかし、アメリカにバイデン政権が成立し、ゼレンスキー政権に対する支持を鮮明にするとともに、ロシアに対する対決政策を打ち出し、ロシアの度重なる条約化・協定化提案(最後は2021年12月)をとりつく島もなく却下するに及び、ロシアとしては最後の手段としてウクライナに対する武力侵攻を行い、ウクライナとの外交交渉を通じてウクライナの中立と非軍事化を勝ち取る手段に訴えることを余儀なくされたのです。これが国際政治上のウクライナ問題の本質です。
 大胆な予想をいえば、アメリカ以下の西側が思い描いているシナリオは以下のとおりでしょう。①核戦争に直結する危険性があるアメリカ・NATOの軍事介入は極力回避する。②「ウクライナ人の最後の一人まで」抵抗戦争(=代理人戦争)を支援し、長期戦に持ち込んでロシアを疲弊させ、実質的敗戦に追い込む。③最終的にロシアの弱体化・無害化を実現する。
-台湾問題-
 これに対して、国際政治上の台湾問題は中国の内戦から派生した問題です。中華民国を樹立した国民党政権と、その腐敗を正して人民共和国の成立を目指した中国共産党との内戦の結果、後者が勝利して中華人民共和国が成立(1949年10月1日)しました。台湾に逃れた国民党政権はその後も大陸反攻を掲げて対抗しようとしました。しかし、共産党政権が台湾を攻略して全土を統一することは時間の問題でした。ところが朝鮮戦争の勃発(1950年6月)によって、アメリカの台湾政策が180度転換し、台湾問題の帰趨に深刻な影響が及ぶこととなったのです。
 ちなみに、台湾が領土的に中国の一部であることについては、国際的に早くから承認されてきました。台湾は日清戦争の結果日本に「割譲」されましたが、1943年のカイロ宣言は中国に「返還」することを明記しました。1945年のポツダム宣言でもカイロ宣言の履行を定めました(第8項)。「割譲」といい、「返還」というのは、台湾が中国の領土の一部であることを前提にしていることの明確な証左です。アメリカも、朝鮮戦争が勃発するまでは基本的にこの立場を維持していました(詳細については、原喜美恵教授がアメリカ側の第一次資料等をもとに著した労作『サンフランシスコ平和条約の盲点』を一読されることを勧めます)。
 つまり、第二次大戦直後のアメリカは台湾が中国の一部であることを認識していましたし、万難を排して自らの支配下に置くことを意図していたわけでもありません。状況が一変したのは朝鮮戦争の勃発であり、トルーマン政権が東アジア情勢を米ソ(東西)冷戦の脈絡で捉える180度の転換をして、中国封じ込め戦略を採用してからのことなのです。
 東西冷戦のもとでのアメリカの対アジア戦略の骨格を形成・確立し、同時に、国際問題としての台湾問題を作り出したのは「対日平和条約+(旧)日米安保条約+日華平和条約」からなるサンフランシスコ体制です。つまり日本は、アメリカが台湾問題を国際政治的な争点に仕上げる上で最初から重要な役割を担わされてきたのです。
 すなわち、対日平和条約では、台湾の領土的帰属を曖昧にする法的処理を行い(第2条)、中国の法的主張(「台湾は中国の領土」)に対抗する法的論拠を人為的に作り上げました。次にアメリカは、(旧)日米安保条約に基づいて、アメリカが台湾(及び朝鮮半島)を含む極東地域で軍事行動を行うために日本を利用する権利を自らに与えました(第1条)。さらにアメリカは、日本に蔣介石政権との間で日華平和条約を締結させることにより、東西冷戦のもとでの「西側の一員」としての日本の立ち位置を明確にさせました(第1条)。戦後の日中関係はアメリカの対中政策に支配されるという基本的構図が作られたのです。
日華平和条約第2条は、「日本国は、‥平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」と定めています。つまり、台湾が中国のものであることを実質的に認めつつ、建前としては帰属先が中国であることを明記しない、対日平和条約に従った処理を踏襲したのです。
 1960年に改定された安保条約は、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」(第6条。「極東条項」)と定めています。すなわち、日本は「台湾海峡有事」を含む極東有事に際して対米軍事協力を行うことを約束したのです。日本の協力内容は当初は基地提供だけだったのですが、1990年代以後の一連の有事法制及び安倍政権による集団的自衛権行使に関する閣議決定によって、「台湾海峡有事は日本有事」(安倍晋三発言)にまで拡張されてきました。
 ところで、アメリカの対アジア戦略及び国際政治問題としての台湾問題に若干の調整が加えられたのは、対中封じ込め戦略を転換したニクソン政権になってからでした。同政権の最大の課題は、長期化したヴェトナム戦争の局面を打開し、同戦争によって悪化したアメリカの財政を立て直すことでしたが、戦略に長けたキッシンジャーと毛沢東・周恩来という組み合わせが米中の「戦略的和解」を可能にしました。台湾問題に対する米中の立場を理解する上では、1972年の上海コミュニケに盛り込まれた、米中それぞれの立場を克明に記述した以下の記述に勝るものはありません。
 双方は、米中両国間に長期にわたって存在してきた重大な紛争を検討した。中国側は、台湾問題は中国と米国との間の関係正常化を阻害しているかなめの問題であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の一省であり、夙に祖国に返還されており、台湾解放は、他のいかなる国も干渉の権利を有しない中国の国内問題であり、米国の全ての軍隊及び軍事施設は台湾から撤退ないし撤去されなければならないという立場を再確認した。中国政府は、「一つの中国、一つの台湾」、「一つの中国、二つの政府」、「二つの中国」及び「台湾独立」を作り上げることを目的とし、あるいは「台湾の地位は未確定である」と唱えるいかなる活動にも断固として反対する。
 米国側は次のように表明した。米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論をとなえない。米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する。かかる展望を念頭におき、米国政府は、台湾から全ての米国軍隊と軍事施設を撤退ないし撤去するという最終目標を確認する。当面、米国政府は、この地域の緊張が緩和するにしたがい、台湾の米国軍隊と軍事施設を漸進的に減少させるであろう。
 以上の記述からも明らかなとおり、「台湾は中国の国内問題である」とする中国の立場は不動です。これに対してアメリカの立場には変化した部分と変化していない部分があります。変化したのは、微妙な言い回しではあるけれども、「一つの中国」原則・立場に「異論を唱えない」として中国の主張に歩み寄ったことです。もう一つの変化は、「最終目標」としての在台米軍撤退を明らかにしたことです。変化していないのは、「台湾問題の平和的解決」に対する関心の再確認という表現で「台湾有事」に際しては軍事介入する可能性を残し、台湾問題を国際政治上の問題として捉える基本的立場に固執した点です。
 1979年の米中国交樹立共同コミュニケ(1月1日)において、アメリカは「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であるという中国の立場を認識」すると確認し、在台米軍を撤退しました。ただし、アメリカによる台湾への武器売却問題は解決されず、持ち越しとなりました。
 もう一つ忘れてはならないことがあります。米中関係を複雑にする原因は様々ですが、アメリカでは国内法が国際法の上位規範であることが特に大きな問題となってきました。台湾関係法がそれです。
 すなわち、アメリカ議会は1979年(4月10日)に台湾関係法を成立させ、台湾問題(「地域の平和と安定」)を国際政治問題(「国際的な関心事」(第2条B(2)))と位置づけ、「平和手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試み」は「西太平洋地域の平和と安全に対する脅威」・「合衆国の重大関心事」(第2条B(4)) と規定しています。そして、台湾に対して「防御的な性格の兵器」を供給(第2条B(5)) し、「十分な自衛能力の維持を可能ならしめるに必要な数量の防御的な器材および役務」を供与(第3条A)する、また、台湾に対する「武力行使」に対抗する能力を維持する(第2条B(6)) ことを定めました。
 米中国交正常化の時点で持ち越しになった武器売却問題に関しては、台湾関係法が以上のように定めたことで、その後の交渉は難航しました。しかし、1982年になってようやく、台湾に対するアメリカの武器売却に関する米中コミュニケ(8月17日)が成立して一応の決着が図られました。
このコミュニケでアメリカは、「台湾への武器売却を長期的政策として実施するつもりはないこと、台湾に対する武器売却は質的にも量的にも米中外交関係樹立以降の数年に供与されたもののレベルを越えないこと、及び台湾に対する武器売却を次第に減らしていき一定期間のうちに最終的解決に導くつもりであること」を表明しました。問題は、「一定期間のうちに最終的解決」という文言が同床異夢の妥協の産物だったことです。すなわち、中国はアメリカが台湾に対する武器売却を終了させることを約束したという理解ですが、アメリカはそのような言質を与えたものではないという立場なのです。
 その後の米中関係について簡単に整理しておきます。中国との「建設的関与」を基調においたオバマ政権までは、アメリカは3つの共同声明に基づいて米中関係を営むと基本政策を曲がりなりにも維持してきました。ところが、トランプ政権はこの基本政策を公然と無視しました。バイデン政権に至っては、無視するだけに留まらず、中国を「最大のライバル」と決めつけ、3つの共同声明自体をないがしろにし、台湾の蔡英文当局に対するテコ入れを強化し、台湾問題を再び米中関係における最大の争点にしています。
 バイデン政権が理想型として思い描いているのは次の三点と判断されます。①「一つの中国」原則を国際的規範の地位から引きずり下ろす。②(その具体化として)台湾に国際法上の主体としての地位を回復させる。③最終的に中国の弱体化・無害化を実現する。
(バイデン政権の対中対ロ政策の問題点)
 バイデン政権が目指しているのは、アメリカが西側諸国を束ねて中ロ両国を力尽くで押さえ込むことです。その具体的材料がウクライナ問題であり、台湾問題であるということです。しかし、バイデン政権の両問題に対するアプローチには以下の根本的欠陥が潜んでいることをしっかり踏まえる必要があります。
第一、ロシア及び中国にとっては、ウクライナ問題・台湾問題は死活的・核心的利益であり、譲歩の余地はあり得ません。しかし、バイデン政権にとっては中ロ両国を押さえ込み、弱体化させるための材料に過ぎず、「返り血を浴びる」ことは避けたい「火遊び」の類いの問題でに過ぎないということです。ウクライナに「代理人戦争」を押しつけ、(2022年)8月の中国の台湾包囲大軍事演習に際しては傍観に徹したことが何よりもの証拠です。
第二、両問題のバイデン政権にとっての成否はウクライナ及び台湾の当事者能力の有無によって決定的に左右されるということです。しかし、ゼレンスキー及び蔡英文の当事者能力ははなはだ疑問です。しかも、ウクライナ、台湾には、現政権に対する有力な反対勢力(前者はロシア系住民、後者は国民党)が存在します。ウクライナがどこまで国内引き締めを持続できるか、台湾が今後本格化する中国の軍事的、政治的、経済的締め付けにどこまで結束して対処できるかははなはだ疑問であると言わなければなりません。
 第三そして決定的に重要なことですが、今日のアメリカの国際的実力は1950年代のそれに遠く及ばないということです。しかも、多極化が進行する21世紀国際社会では、国際的多数派のアジア・アフリカ・ラ米諸国はアメリカのゼロ・サムのパワー・ポリティックスに対する反感警戒を強めています。国際情勢はもはやかつてのごり押しはもはや通用しないということです。
 第四、バイデン政権の「器量」はあまりにも貧弱であるということです。キッシンジャーは、「西側がかかわって作り出した問題についてロシア及び中国と戦争の危機にあるというのに、バイデン政権はそれをどう終わらせるか、また、どうなっていくのかについてまったく考えていない」、「バイデン政権はその時々の感情に流されてしまっている」と喝破しました。実に的を射た指摘です。
 しかし、真の問題は、アメリカ政治の劣化が限りなく進行しており、その劣化はもはや構造的・本質的であるという点にあります。バイデン政権はその「氷山の一角」に過ぎないのです。アメリカの専横(パワー・ポリティックス)に歯止めをかけない限り、国際社会が仮にウクライナ問題、台湾問題の破局を免れる僥倖に恵まれるとしても、第二、第三のウクライナ問題・台湾問題が起こるでしょう。21世紀国際社会が真の平和と繁栄を展望する上では、「アメリカ問題」をまな板に載せることこそが求められているのです。

3.東アジアの平和と日本外交

 明治維新で開国してから今日に至る日本外交の本質的問題は2点に要約できます。一つは、古来より日本では、国家関係を階層的に捉える見方(私は「天動説国際観」あるいは「垂直的国際観」と名付けています)が支配的で、それが明治維新以後も今日に至るまで温存されてきたことです。もう一つは、日本外交は、戦前から今日に至るまで、階層的国際システムにおいて覇権的地位を獲得することを志向する権力政治(パワー・ポリティックス)的アプローチで一貫してきたことです。そのいずれもが東アジアの平和に対する破壊・撹乱要因という性格を内在しています。そして実際にも、日本は戦前から今日に至るまで一貫して、東アジアの平和と安定を破壊(戦前の軍国主義)し、あるいは脅かし続けてきた(戦後の日米安保体制)客観的事実があります。逆に言えば、東アジアの平和と安定は日本外交のあり方如何に大きく左右されるということでもあります。東アジアの平和を真剣に考える私たちとしては、日本国の主権者・国民として、日本外交の根本的転換を自らの課題として明確に認識することが求められています。
(国際社会の成立と拡大)
 ところで、今日の国際社会の原型は17世紀に欧州で成立しました(1648年のウェストファリア条約)。中世欧州は神聖ローマ帝国が支配する単一世界でした。その支配が緩み、宗教戦争を経て、各地で宗教的権威からの独立を目指す動きが台頭し、それぞれが主権的権利を主張する民族国家(ネーション・ステート)として立ち現れ、上記条約を経て近代欧州国際社会が成立したのです。そこでは、主権国家の対等平等性が強く意識され、かつ、主要原則として受け入れられました。
 近代欧州国際社会が社会として存続する上では、主権国家の対等平等原則に加え、外交、国際法、戦争、大国、バランス・オヴ・パワー(BOP)等の様々な制度的要素が機能することの必要性が認識されました。特に中央政府が存在しない近代欧州国際社会を規律する上では、大国の果たす役割、特に大国間のBOPが社会としての安定的存続にとって不可欠として受け入れられました。確認すべき重要なポイントは、近代欧州国際社会では、主権国家の対等平等性原則とBOPを通じる大国の特別な役割という、相互に矛盾する要素が等しく受容されることで、国際社会の平和と安定の実現が図られてきたという事実があることです。ちなみに、その今日的現れは、一国一票を体現する国連総会と大国の特別の役割を前提とする国連安全保障理事会です。
 欧州列強が植民地獲得競争に乗り出し、世界をその版図に組み込む過程で、欧州的基準を満たす国家を欧州国際社会の一員として組み込むプロセスが進行しました。具体的には、アメリカ、オスマン・トルコに次いで、「脱亜入欧」を掲げた日本が欧米列強との不平等条約の改正を実現することを通じて欧州国際社会に参入することに成功しました。
(日本的国際観の問題点)
 日本が国際社会の仲間入りしたときの世界は帝国主義の全盛期でした。日本にとって不幸だったのは、帝国主義全盛期に近代欧州国際社会に参入したために、階層的国際観をそのまま温存してしまったことです。そのために日本は、主権国家の対等平等性という、近代欧州国際社会を成り立たせているもう一つの基本原則を看過してしまいました。
 第一次及び第二次世界大戦を経て、近代欧州国際社会は今日的国際社会へと地理的拡大と質的変化を遂げてきました。第二次大戦に敗北したことは、日本が主権国家の対等平等性原則を確認し、受容する絶好のチャンスでした。しかし、日本は世界的覇権を追求するアメリカ(「丘の上の町」を自認する天動説国際観の国家)に単独占領され、その後、アメリカの対アジア覇権戦略に組み込まれる (サンフランシスコ体制) 形で独立を回復したため、このせっかくのチャンスも活かされなかったのです。こうして、階層的国際システムにおいて覇権的地位を獲得することを志向する戦前の権力政治(パワー・ポリティックス)的アプローチは、「脱亜入欧」から「対米一辺倒(従属)」へと変形された形で戦後も今日まで温存されてしまうことになりました。
(日本外交の根本的課題)
 私たちが対米一辺倒外交からの転換という課題を考えるに当たっては、以上の歴史的経緯を踏まえ、階層的・天動説的・垂直的国際観を根本的に清算して民主的・地動説的・水平的国際観を我がものとし、かつ、権力政治(パワー・ポリティックス)的アプローチからの脱却を図ることが大前提となります。なぜならば、ひとり保守政治のみならず、日本人はおしなべて「井の中の蛙大海を知らず」であり、階層的国際観と権力政治的アプローチを当然の前提とする国際観にどっぷりつかってしまっているからです。日本ほど対米一辺倒の外交を行う国家は世界的に希有であり、異常を極めているのですが、その事実すら圧倒的に多くの日本人が認識できないでいるのが現実です。
(主体的認識のあり方)
 対米一辺倒の外交からの転換という課題を考える上では、私たちが如何なる主体性認識に立って日本外交のあり方を考えるのかという問題も避けて通るわけにはいきません。特に問題となるのは、対米一辺倒外交を批判する私たちが「国家」「国民」という概念を忌避し、「市民的立場」を前面に押し出す傾向がいまだに強いことです。これまた、「軍国主義・日本」に痛めつけられた過去を持つ私たち日本人に固有の現象(「羮に懲りて膾を吹く」)です。世界的に見れば、「国家の主権者」としての国民と「市民社会の一員」としての市民という「二足のわらじ」を履くことは常識であり、両者は何ら矛盾するものではないのです。
 もちろん、「市民外交」という領域は存在し、今後その活動領域は広がっていくでしょう。しかし、21世紀以後を見通しても、国家としての外交が今後も国際関係における主軸です。私たち主権者・国民が日本外交にどのようにかかわっていくかという主体的視座を抜きにしては、日本外交のあり方を考えること自体が成り立ちません。特に、「対米一辺倒外交」からの転換を考える上では、私たち主権者・国民が日本外交を自分自身の主題として捉える主体性確立が不可欠の前提となります。その前提に立って、対米一辺倒を転換する「日本の対米外交はいかにあるべきか」という主体的問題意識を設定することが求められるのです。
(21世紀国際社会における日本のあるべき立ち位置)
 階層的・天動説的・垂直的国際観は、国際社会を成り立たせる主権国家の対等平等性原則を否定するだけでなく、21世紀国際社会の現実・歴史的方向性とも根本的に相容れず、「歴史の屑箱」に放り込まれる運命にあります。すなわち、2度の大戦の反省に立つ国連憲章(第2条)は、すべての加盟国の主権平等、内政不干渉、紛争の平和的解決、武力行使(戦争)禁止等の原則を明記し、民主的・地動説的・水平的国際観に立脚しています。
 また、米ソ冷戦終結後の国際社会のあり方をめぐっては、アメリカを中心とする西側一極支配を目指す勢力と、国際的相互依存の不可逆的進展を背景に急速な経済発展を遂げつつある大多数の新興国・途上国を中心とした、民主的多極的国際社会の実現を目指す勢力との角逐がますます顕著となっています。しかも、歴史的方向性としては後者の勝利が確実視されるのです。
 階層的・天動説的・垂直的国際観にどっぷりつかったままの日本そして私たち日本人は、以上の21世紀国際社会の現実及び歴史的方向性に対して恐ろしいまでに鈍感です。私たちは、この鈍感を克服し、鋭敏な歴史感覚に立った民主的・地動説的・水平的国際観を我がものとすることを第一課題として設定する主体的自覚を身につけることが求められています。その自覚を国民的共有財産とする私たちの努力・働きかけは、対米一辺倒外交を空気のごとく受け入れている大多数の日本人の意識を呼び覚ますことをはじめて可能とするでしょうし、「市民」意識に対するこだわり故に世論的辺境に追いやられている私たちの運動エネルギーにダイナミックな活力を持ち込むことを可能にするでしょう。
(脱権力政治(パワー・ポリティックス)の国際秩序)
 すでに述べましたように、近代欧州に成立した国際社会は主権国家の対等平等性原則を大前提とすると同時に、中央政府なき国際社会の平和と安定を図る制度的要素として大国及びBOPの機能を、いわば必要悪として受け入れてきました。ところが、二度の大戦を経て世界最強国となったアメリカは、東西冷戦期及び脱冷戦期を通じて一貫して世界の盟主を自任し、世界を自らのデザインに基づいて作り替える戦略を追求してきたのです。
-国際経済-
 客観的にいって、アメリカ主導で作られた市場経済及び自由貿易の原則に立つ国際経済システム(GATT・IMF体制。冷戦終結後はWTO・IMF体制)が様々な障壁を取り除くことを通じて、多くの新興国・途上国(まとめて非西側諸国)の経済開発を助長・促進し、国際経済全体のパイの拡大に貢献してきた事実は肯定的に評価するべきです。もちろん、地球温暖化、食糧危機、エネルギー問題等の深刻な地球規模の諸問題を生み出した元凶もこの戦後国際経済システムであることはしっかり抑えておく必要があります。
 圧倒的経済力を誇ったアメリカの経済的覇権は長続きせず、1971年の金・ドル交換停止(ニクソン・ショック)、1972年の日米繊維協定を皮切りに、アメリカは次第に自国経済・産業保護への傾斜(保護主義)を深めていくことになります。他方でアメリカはレーガン政権のもとで新自由主義を打ち出し、イギリス・サッチャー政権及び日本・中曽根政権との三頭立てで国際経済特に国際金融の自由化を積極的に推進しました。この政策は、アメリカの放漫財政運営を支えるドルの垂れ流しと相まって、金融投機主義が世界経済を支配する今日の異常な局面を生み出すことにつながっています。
 その結果、アメリカにおいては、金融経済の空前の繁栄のもとで国内産業の空洞化が進行する経済の二極化が進行し、政治問題化してきました。これがトランプ政権及びバイデン政権による「アメリカ・ファースト」の保護主義的経済政策の採用・強行につながっているのです。
 それはとりもなおさず、アメリカ自身がかつて推進した自由な国際経済システムを自ら否定することに他なりません。その結果、国際経済全体が方向性を見失い、未曾有の挑戦と試練に直面する今日の事態を生み出しています。また、アメリカが保護主義をがむしゃらに追求する結果、多国間協調があってはじめて可能となる地球規模の諸問題の解決もままならない深刻な試練に直面していることはよく知られている事実です。
 戦後日本は、GATT/WTO・IMF体制のもとで経済大国として復活し、1980年代以後の新自由主義の潮流にも順応してきました。しかし、トランプ政権が突如として開始し、バイデン政権になってからは同盟・友好国にも同調を強要するに至った、露骨な「アメリカ・ファースト」・中国排除の経済政策を前にして、日本は未曾有の試練に直面しています。ところが安倍・菅・岸田政権は、中国敵視を優先する安易な政治的考慮から対米一辺倒に終始し、経済活動の長期低迷、国民生活へのしわ寄せ、国家財政における借金体質の深刻化という三重苦にも手を打つすべがなくなっているのです。
 しかし、保護主義こそは第一次及び第二次世界大戦の導火線になったという歴史の教訓を忘れることは許されません。その意味からも、日本が対米一辺倒外交から脱却し、自主独立の外交を営むことが何よりも求められています。私たち主権者・国民は、この事実・責任を危機感を持って受け止めることが求められています。
-国際安全保障-
 国際安全保障の分野においては、バイデン政権は中国を最大の脅威と決めつけ、ロシアを当面の脅威と位置づける、時代錯誤も甚だしいパワー・ポリティックスを全面的に復活させています。そこから台湾問題をめぐる軍事的緊張がもたらされ、ウクライナ危機・戦争が引き起こされていることについてはすでに詳しく述べたとおりです。端的に言って、アメリカが台湾・蔡英文当局の「独立志向」を助長せず、ウクライナ・ゼレンスキー政権のNATO加盟願望を煽っていなければ、今日の事態が生み出されることはなかったのです。 中国は「一国二制度」の実現について「百年河清を待つ」用意があります。ロシアは、ドイツとフランスも加わって成立した「ミンスク合意」をウクライナが履行(ドンバスに高度の自治を承認)しさえすれば、ウクライナの独立を尊重することを確約していたのです。要するに、諸悪の元凶はアメリカであり、日本を含む西側諸国が中国とロシアを「悪者」扱いするのは根本的に間違っているということです。
 ところが、日本では文字通り朝野をあげて中国及びロシア非難一色に染まる異常を極める状況となっています。そのために、岸田政権の際立った対米一辺倒外交の醜悪さ・無能さに目が行くことが妨げられることにもなっています。
 2022年は日中国交正常化50周年の節目の年です。中国は自民党内の「ハト派」と目された岸田首相、日中議連会長を務めた林外相に期待を寄せた時期もあります。しかし、反中・嫌中が支配する世論を背景に、バイデン政権の対中強硬政策に前のめりになった岸田政権は中国が発するシグナルをことごとく無視してきました。「台湾海峡有事は日本有事」(安倍元首相)とする言説が世論をも飲み込む未曾有の状況が現れており、安倍政権末期以来どん底に陥った日中関係を打開するせっかくのチャンスが失われてしまっています。
 極東・シベリアの経済開発を重視するロシアも、日本との経済協力の進展、良好な日ロ関係を望んでいます。しかし、西側報道が垂れ流す「ウクライナ=善、ロシア=悪」のイメージが日本社会に浸透したのを背景に、岸田政権はウクライナ危機に際して安倍政権以来の対ロ対話路線と決別し、「西側の一員」として強硬な制裁措置を発動しました。ロシアはこれに猛反発し、日ロ関係も最悪の状態に陥っています。
 要するに、日中関係がかつてなく険悪化し、日ロ関係が最悪の状況に陥ってしまったのも、岸田政権(自民党政治)の対米一辺倒の外交に原因があるのです。私たち主権者・国民は、以上の事実関係を正確に認識し、対米一辺倒の外交からの転換が急務であることを認識することが求められています。
(「東アジアの平和を目指す日本外交はいかにあるべきか」)
 以上にお話ししたことから明らかなとおり、日本外交は今日、経済及び安全保障という二大領域のいずれにおいても未曾有の試練・難局に直面しています。両者に共通するのは、伝統的な対米一辺倒外交を根本的に転換しない限り、この試練を克服し、難局を乗り越えることはできないということです。私たち・主権者の自覚と奮起が今ほど求められているときはないのです。
 経済に関しては、幸いなことにすでに国際的にコンセンサスが得られた目標が目の前にあります。すなわち、2015年9月の国連サミットにおいて全会一致で採択された持続可能な開発目標(SDGs)であり、この目標の実現に資する国際経済システムの構築です。
 ただし、SDGsに関して採択された基本文書「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(以下「アジェンダ」)は、アメリカを含む全会一致で採択されたことからも明らかなとおり、すべての国々が同意できる諸目標を網羅的に盛り込んだものであり、諸目標達成のために克服・解決するべき課題・問題には深く立ち入っていません。対米一辺倒外交からの転換を目指す私たち主権者としては、以下の明確な視点・方向性を提起することが不可欠の課題であることを認識しなければなりません。
 第一、アメリカの保護主義に正面から立ち向かい、克服すること。アジェンダは「WTOの下での普遍的でルールに基づいた、差別的でない、公平な多角的貿易体制を促進する」ことを提言しています。自由、無差別、公正はWTOの拠って立つ基本原則であり、今や世界的に受け入れられた普遍的経済原則と言えます。自主独立外交の日本を唱道する私たち主権者は、この原則に立って保護主義に凝り固まったアメリカを批判し尽くす国際的先頭に立つ覚悟を持つべきです。
 第二、国際経済関係のあり方に関しては、WTO・IMF体制を基軸とし、新興国・途上国を含むG20による大国的機能を活かす、21世紀にふさわしい国際経済システムを構築すること。アジェンダも、求められる国際的な経済環境として「首尾一貫した、互恵的な国際貿易、 通貨・金融システム及びより発達した地球規模の経済ガバナンス」の重要性を強調しています。ところがバイデン政権(イエレン財務長官)は、WTO・IMFを迂回する、西側主導の新たな国際経済システム構築を言い出しています。私たち主権者は、こうしたアメリカの動き(これに追随する日本の保守政治)に対して、「待った」をかける先頭に立つ気概を持たなければなりませんし、「太平の眠り」の中にある広範な国民各層を啓蒙する役割を担わなければなりません。
 第三、国際秩序のあり方を含む広義の安全保障に関しては、覇権的一極的秩序の主張と民主的多極的秩序の主張とが対立していますが、日本は決然と後者に与すること。
 アメリカを先頭とする西側諸国が唱えるのは「ルールに基づく国際秩序」という名の覇権的一極的秩序です。これに対して、中ロ両国を含む非西側諸国が提唱するのは国連憲章・国際法に基づく国際秩序、すなわち民主的多極的秩序です。
 アメリカが「ルールに基づく国際秩序」を主張するのはバイデン政権以来であり、当初は「ルールを守らない中国」を批判するのが主眼でした。しかし、ロシアがウクライナに対する武力侵攻を開始してからは、ロシアに対しても矛先を向け、アメリカの言いなりにならないイラン、シリア等をも攻撃の対象に含めています。
 しかし、「ルールに基づく国際秩序」における「ルール」が具体的に如何なる内容であるかに関しては、アメリカ以下の西側諸国は一度として明確に説明したことがありません。有り体に言えば、"弱肉強食の世界を認めろ、西側支配の旧秩序にこれからも従え"と言っているに等しいのです。
 これに対して非西側諸国が対置するのは、国連憲章及び確立した国際法という普遍的なルールに基づく国際秩序です。アジェンダも非西側諸国の主張を支持しています。すなわちアジェンダは、「目指すべき世界像」として、「人権、人の尊厳、法の支配、正義、平等及び差別のないことに対して普遍的な尊重がなされる世界」を提起し、アジェンダの原則として、「国際法の尊重を含め、国連憲章の目的と原則」を確認し、「領土保全及び政治的独立」として「国連憲章に従って、国の領土保全及び政治的独立が尊重される必要があることを再確認」しているのです。
 ちなみに、非西側諸国の主張に「人権、人の尊厳、法の支配」が含まれるという指摘には異論があるでしょう。例えば、「中国、ロシアのような強権的な国は人権に対して敵対的だ」という主張はすんなり受け入れられる雰囲気があります。しかし、この問題に立ち入る余裕はありません。ここでは、「人権」「尊厳」「法」という概念に関する理解は世界的に様々であり、いわゆる西側的理解だけがすべてではないことを指摘するにとどめます。
 岸田首相はことあるごとに「ルールに基づく国際秩序」の重要性を強調します。これほど岸田首相の見識のなさ、というより無知をさらけ出すものはありません。対米一辺倒外交の醜悪さの極致というべきです。しかし、日本国内にはそのことを指摘するだけの成熟した世論も不在であるという悲しい現実があります。実は、そのことこそが真の問題の所在なのです。政治の貧困と世論の未熟が相乗作用を起こし、「井の中の蛙大海を知らず」の日本が再生産され続けているということです。
 私たち主権者には、ここでも保守政治批判の先頭に立つ覚悟と世論啓蒙の役割を担う先達者としての自覚が求められています。任務・責任の重大さの前にたじろぐのか。それとも、そのことに日本・日本社会の可能性を見いだし武者震いするのか。それは正にひとりひとりの政治的意思決定にかかっています。