11月15日にポーランド領内にミサイルが落下した事件は世界を震撼させました。ウクライナのゼレンスキー大統領が「我々が早くから警告していたことが起こった」と早速飛びつき、「深刻なエスカレーション」であり、「(西側)集団安全保障に対する攻撃」と断定して、NATOの断固とした対応(=第三次大戦への突入)を要求したこと、ポーランドはバルト三国と並んでロシアに対してもっとも強硬な政策をとってきたことから、本当にどうなることかと脂汗がにじむ思いをしました。
しかし、翌16日にポーランドのドゥダ大統領が慎重姿勢を表明(後の報道で分かったのですが、バイデン大統領等との電話会談で自重・慎重を要求されたことを受けたものでした)、また、バイデン大統領自らも、「(ミサイルの)弾道軌跡から判断すると、ロシアからのものではない」(ロシア、中国の専門家の紹介によれば、アメリカはウクライナ全域をカバーする監視システムを作り上げており、すべての飛行物体をチェックできるとのことであり、バイデンが「弾道軌跡から判断」と述べたことを裏付けています)と述べ、NATOのストルテンベルグ事務総長もバイデン発言の数時間後に「ウクライナの迎撃システムから発射されたソヴィエト時代の兵器らしい」とする追認発言で「火消し」にかかったことによって、事態は速やかに沈静化に向かうこととなりました。
 しかし、この事件にかかわる様々な報道を通じて、改めていくつかの重要な事実関係が浮き彫りにされたと私は受け止めています。
第一、アメリカ以下のNATO諸国はウクライナのためにロシアと第三次大戦を賭してまで戦う意思はないことが確認されたこと。この点については、前のコラムでも指摘したことがありますが、今回、正に一触即発の事態に直面したアメリカとNATOが大わらわで火消しに乗り出したことで、世界中がハッキリ認識することになりました。ゼレンスキーはそうしたアメリカ・NATOの対応に不満で、執拗に自説にこだわり、バイデンとの直接電話会談まで申し入れたそうですが、バイデンは応じず、サリヴァン補佐官がウクライナに対する説得工作を行うという場面もあったといいます(最終的にゼレンスキーは、ポーランドでの現地調査にウクライナも参加することで自説を撤回)。逆にロシア側はアメリカ・NATOの「冷静な対応」を高く評価しました(ペスコフ大統領報道官)。
 なおアメリカとNATOは、「ロシアの軍事侵攻がなかったら今回の事件は起こらなかった」としてウクライナには責任がないとし、全責任をロシアに押しつける主張も行っています。この主張に対しては、ペスコフもロシア外務省のザハロワ報道官も、「そもそもアメリカとNATOが2021年12月のロシア提案を受け入れていれば今回の戦争は起こらなかった」として、西側の主張を糾弾しています。私もロシア側の反論に同感です。
 第二、ウクライナ支援を行ってきた西側諸国特に欧州諸国には「ウクライナ疲れ」("Ukraine fatigue")が表面化しつつあり、「ロシア叩き」を継続したいアメリカとしてももはや無視できる状態ではなくなっていること。今回の事件が起こる前から、アメリカのサリヴァン補佐官がロシア側及びウクライナ側と接触しているという報道が行われていました。特に、11月7日付けのウォールストリート・ジャーナル紙の特ダネ報道("Senior White House Official Involved in Undisclosed Talks With Top Putin Aides")は、サリヴァンがプーチン大統領の対外政策アドバイザーであるユーリ・ウシャコフ及び直接のカウンターパートであるニコライ・パトルシェフと継続的にコンタクトをとってきていること、また、ウクライナ側とも外交努力を続けており、11月5日にはキエフを訪れて、ゼレンスキー及びレズニコフ国防相と会談したことを明らかにしています。その会談でサリヴァンは、ウクライナ側が紛争解決の用意があることを公にすることを主張するとともに、その趣旨は、交渉を促すということではなく、世界的な石油及び食糧価格の高騰の影響を受けている同盟諸国に対して戦争解決の意思があることを示すことで、ウクライナに対する西側諸国の支持をつなぎ止めることにある(政府関係者発言)と説明した、とこの特ダネ記事は付け加えています。サリヴァンのこの発言からも、アメリカが今や欧州同盟諸国の意向を無視し得なくなっていることが窺えます。
 またバイデン政権は、国内対策上の必要(これまでに600億ドル以上に達する軍事支援一本槍の政策に対する米議会特に共和党からの批判を躱す意味。ちなみに、西側全体の支援額は1000億ドル以上とのこと)からも、ゼレンスキー政権に対して対ロシア交渉条件を緩和するなどの柔軟対応をとるように働きかけているという複数の報道があります。特に11月8日付けのポリティコ紙掲載の署名記事("Biden admin nudge led Ukraine to drop Putin condition for peace talks")は、前記のゼレンスキー・サリヴァン会談(11月5日)を受けて、11月8日にゼレンスキーが明らかにした対ロシア交渉5条件(領土保全回復、国連憲章尊重、戦争被害全額補償、戦争犯罪人処罰、再発防止保証)は、ゼレンスキーが強硬に主張してきた「プーチン相手の平和交渉には絶対に応じない」というポイントが抜け落ちていることを指摘しています。もっとも、この5条件にしてもロシア側が受け入れる可能性ゼロのものばかりであり、この5条件提起を評価するバイデン政権は、プーチン・ロシアの不退転の決意をあまりにも過小評価していると言わなければならないでしょう。
 第三、ゼレンスキーの「暴走」に対する批判が西側諸国からも公然化していること。以前にも、アメリカの軍事支援に対する感謝の言葉も口にせず、「さらなる援助を」と言いつのったゼレンスキーに対してバイデンが血相を変えたという報道もありました。今回は、ゼレンスキーがNATOのロシアとの直接軍事対決を要求したことで、アメリカ議会共和党のグリーン議員、フランスの元大統領選出馬経験者などから、ゼレンスキーの「不見識」を批判し、ウクライナ支援について再考を求める声が上がっていると伝えられています。
 私はコラムで、かねてからゼレンスキーの政治指導者としての資質を疑問視してきました。そういう私からすれば、もともとウクライナを「使い捨てのコマ」としてしか考えていない西側諸国が、「火の手が及んでくる」可能性に直面してやっと「本音を漏らす」身勝手さにあきれることが先立ちます。しかし、政治のズブの素人であるゼレンスキーを「泳がせる」ことの危険性を西側諸国が今回深刻に認識したとすれば、ロシア・ウクライナ戦争の第三次大戦への突入を防止するための「敷居を高くする」ことにはつながると思います。
 まったくの余談ですが、森喜朗元首相が鈴木宗男議員のパーティ(11月28日)で発言し、ゼレンスキーが多くのウクライナ人を苦しめていると批判したというニュースに接しました。森氏の発言の背後には鈴木宗男-佐藤優(ロシア問題専門家)ラインが存在するであろうことは容易に推察できます。森発言がネット上で大炎上したそうですが、そのことは「ウクライナ=善、ロシア=悪」で思考停止したままの日本の世論状況の怪しさを裏書きするものに他なりません。閑話休題。
 第四、戦場での攻防に目を奪われがち("ヘルソン奪回で意気上がるウクライナ軍"等の報道)ですが、何よりも深刻なことはロシアによるミサイル攻撃によってウクライナ国内が大変な事態に陥っていること。この点については、11月17日付のニューヨーク・タイムズ紙が掲載した、コロンビア大学教授ラジャン・メノン(Rajan Menon)上級研究員署名文章("Ukraine Is Advancing, and Russia Is Retreating, but President Zelensky Has a Big Problem")が以下の諸点を指摘しています。

○ウクライナ軍は戦場では攻勢だが、ウクライナ経済は壊滅状態である。戦争が長引けば長引くほど、問題はますます深刻になるだろう。ウクライナにとっての最大の問題は、ロシア軍の脅威以上にロシアの攻撃がもたらしている経済的破壊に如何に対処するかである。ロシアによる経済資産に対する攻撃は、ウクライナによるクリミア大橋攻撃(10月8日)以後大幅に増えた。
○最近数週間だけでも、ロシアのミサイルとドローンによってウクライナのエネルギー関連インフラの40%が破壊された。450万人が電力なし、80%が水を絶たれている。そういう状態のもとで、ウクライナ政府は人々のベーシック・ニーズを保証しなければならない。国連によれば、国内難民化した人口は600万人だという。ウクライナ国立銀行によると、失業率は第二四半期に35%に達した。
○戦後の再建に要する金額は3490~7500億ドルと見積もられ、今後さらに増えるだろう。
○世界銀行の予測では、ウクライナのGDPは本年35%減少すると見積もられている(40%に達するという予測もある)。
○ウクライナの毎月の予算の赤字は50億ドルに達し、西側及びIMFの緊急援助を仰がなければならない。シュミハル首相は最近、収入と支出のギャップからいって、2023年には420億ドルの援助が必要になると述べた。ゼレンスキーによれば、そのほかに発電所及び住宅の再建に170億ドルを要するとのことだ。これらの金額を合わせると、ウクライナの現在のGDPの約30%に達する。
○ウクライナの経済的窮状に鑑み、大量の援助が必要となるが、西側の経済状況が思わしくないことで先行きは見通せない。その一因としては、ロシアに対する制裁にロシアが天然ガスの対欧州供給カットで対抗したことがある。西側諸国としては、自国民が価格高騰と失業率増大に苦しむなかで、ウクライナ支援を継続することは経済的のみならず政治的にも難しくなる可能性がある。ウクライナからの難民受け入れの負担により、これを歓迎しないムードも生まれている。
○IMFと世界銀行は、(アメリカにより継続的金利引き上げに起因する)世界の金利が上昇し続ける事態に直面した多くの途上国からの苦情(償還金利の負担の増大)にも直面している。
 第五、11月14日に開催された国連総会のウクライナ問題に関する緊急会議は、賛成94,反対14,棄権73、投票不参加11で、ロシアの戦争における国際法違反を追及し、ウクライナに対する賠償支払いを要求することを含む、ウクライナに対する補償及び賠償に関する決議を採択したこと。決議では補償及び賠償に関する国際的メカニズムの設立等についても定めています。
国連総会決議には法的拘束力はありません。しかし、西側の意図は、西側諸国が凍結したロシアの在外資産をウクライナの復興再建に当てるとともに、西側諸国がウクライナに対して行ってきた軍事支援費用を回収することにも充当することを正当化するための布石作りの一環であることは明らかです。
 8月2日のコラムでも取り上げたように、アメリカはすでにアフガニスタン国立銀行がアメリカの銀行に預け入れている資産の半分を没収して9.11事件被害者遺族への補償に充てる決定を行った「前科者」です。2021年12月のロシアの提案を却下して特別軍事行動に追い込み、本年3月末のウクライナとロシアの和平合意の可能性も握りつぶしたアメリカ以下のNATO諸国には、ウクライナの戦後復興・再建を全力で支援する当然の責任があるはずです。ましてや、ウクライナに対する軍事支援費用をロシアの凍結資産没収によって回収するという発想に至っては「盗っ人猛々しい」にも程があると言わなければなりません。国連安保理はロシアと中国の拒否権発動が目に見えているから、国連総会決議へ迂回するという発想も「言語道断沙汰の限り」です。これがバイデン政権の推進する「ルールに基づく国際秩序」の本質でもあります。
 ちなみに、今回の決議は多数決で可決されましたが、反対+棄権+投票不参加は98ヵ国で賛成94ヵ国を上回っているのです。ロシアの特別軍事行動を非難したときの国連総会決議では145ヵ国が賛成したことと比べても、西側諸国の強引な手法に対する国際的批判が強くなっていることを示しています。ロシアがこの決議に断固反対したのは当然です。
 私たちに求められているのは、以上に述べた問題点を正確に認識し、バイデン政権の言うなりに動く岸田政権の危険性、というよりも愚かさを徹底的に糾弾する自覚と責任です。そのためには、「ウクライナ=善、ロシア=悪」というレッテル張りの硬直思考からの脱却が不可欠です。