ウクライナ問題と台湾問題は、国際法的にはまったく異質の問題ですが、国際政治的にはまったく同質の問題扱いです。正確には、ロシアと中国を脅威・ライバルと決めつけるアメリカ及び米欧メディアの報道によって、「力による現状の一方的変更は認められない」という「ルール」の対象となるという意味で、同質の政治問題に仕立て上げられてしまっている、というべきでしょう。
 ここでいう「ルール」とは、バイデン政権が盛んに持ち出す「ルーツに基づく国際秩序」における「ルール」のことです。「ルールに基づく国際秩序」とは、有り体に言えば、アメリカを頂点とする西側(米西側)が主導し、パワー・ポリティックスのゼロ・サム(弱肉強食)のルールが支配する旧来の国際秩序のことです。
 21世紀国際社会を20世紀国際社会と隔てる最大の特徴の一つは多極化であり、多極的国際社会を規律するのはウィン・ウィン(共存共嬴)のルール(具体的には国連憲章が定める国家主権の尊重、主権の対等平等、内政不干渉、問題の平和的解決等)です。しかし、米西側はこの現実を受け入れることに抵抗し、あくまで米西側主導の旧来の国際秩序に固執しています。米西側は、ロシアと中国をたたきのめすためにウクライナ問題と台湾問題を最大限に利用しているのです。そういう意味において、両問題は国際政治的に「同質」であるとされるのです。

1.国際法上の問題

<ウクライナ問題>
 まず、国際法上の問題点を簡単に整理します。ウクライナ問題の直接の発端は主権国・ウクライナに対するロシアの武力侵攻です。米西側諸国は一斉に、ロシアの行動は国連憲章が禁止する主権侵害(内政干渉、領土侵犯)の武力行使であると厳しく批判しました。
 ロシアは、ウクライナからの独立を宣言したドネツク、ルガンスクの要請に応じた国連憲章第51条の集団的自衛権の行使だと反論します。しかし当時、ドネツク、ルガンスクの独立を承認したのはロシアのみ(現在はシリア、朝鮮等5ヵ国が承認)で、この反論には無理があります。ロシアはまた、1999年に独立を宣言したコソボを守るとして、安保理決議を経ないでユーゴスラヴィアに対して空爆作戦を行ったNATO軍の事例を持ち出して米西側の今回の主張との矛盾をつき、攻撃を躱そうともしています。当時、アメリカとNATOは、ユーゴ空爆はコソボのアルバニア人の人権擁護、いわゆる人道的介入であるとして正当化しようとしました。しかし、当時ロシアは中国等とともに、「人道的介入」を根拠とした武力行使が国際法上確立しているわけではなく、正当化される理由にはならないと批判した経緯があります。この経緯からも、ロシアの主張には無理があります。
 しかし本筋論としては、米西側がロシアに対して国連憲章違反を振りかざそうとする場合、自らがこれまでに今回のロシアと同じ国連憲章違反を度々犯した過去(イラク、リビア、シリア、アフガニスタン等に対する武力行使)に対する反省を頬被りすることは許されません。ロシアの国連憲章違反を云々する場合は、まずは自らの過去の過ちを率直に反省する自覚ある行動を示すべきです。それを抜きにした米西側のロシア批判は「二重基準」以外の何ものでもありません。
 このような米西側の二重基準に対する非西側諸国の批判の目はもともと厳しいものがあります。今回も同じです。すなわち、3月2日の国連総会緊急特別会合で、ロシアのウクライナに対する軍事行動の即時停止を求めた米西側が提起した決議案は141ヵ国の賛成で可決されました。しかし、米西側がロシアに対して科した制裁に加わった国は米西側諸国以外ほとんどありません。そのことは、ロシアが対ロ制裁に参加した「非友好国」と指定した国・地域の数が48 (3月7日のタス通信発表) に留まっていることから窺うことができます。つまり、41の米西側諸国及びアジア太平洋地域4ヵ国(日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド)プラス台湾を除けば、ミクロネシアとシンガポ-ルの2ヵ国にすぎません。要するに大半の非西側諸国・途上諸国(アジア・アフリカ・ラ米諸国)は、ロシアに対する制裁に参加していないことが分かります。これは、米西側の二重基準に対する非西側諸国の冷ややかな認識、さらには後で述べるように、ロシアのウクライナ侵攻が国連憲章違反に該当するとしても、ロシアの行動がNATOの東方拡大に対するギリギリの自衛的行動であることについて、国際的に広範な認識が共有されていることに由来すると思われます。
<台湾問題>
 これに対して、台湾問題は主権国家・中国の純然たる内政問題であり、中国の台湾に対する武力行使という問題について、国際法的に云々する余地はありません。台湾は中国の領土の不可分の一部であるという「一つの中国」原則は、中国と国交を持つ米西側を含む181ヵ国が承認しています。ちなみに、台湾と外交関係を維持している-したがって、「一つの中国」原則を堅持する中国が国交樹立に応じない-国家は、大洋州4ヵ国(ツバル、マーシャル諸島共和国、パラオ共和国、及びナウル共和国)、欧州1ヵ国(バチカン)、中南米カリブ地域8ヵ国(グアテマラ、パラグアイ、ホンジュラス、ハイチ、ベリーズ、セントビンセント、セントクリストファー・ネーヴィス、セントルシア)、アフリカ1ヵ国(エスワティニ)、以上14ヵ国に過ぎません。また、中国の国連復帰(台湾追放)を実現した、1971年10月25日に国連総会が採択した「国連における中華人民共和国の合法的権利に関する決議」(決議2758号)は次のように定めています。「一つの中国」原則は国際法上も確立していると言うべきでしょう。
「国連総会は、
 国連憲章の諸原則を想起し、
 中華人民共和国の合法的権利の回復が、国連憲章の擁護及び国連が憲章のもとで奉仕しなければならない大義のために不可欠であることを考え、
 中華人民共和国の在国連代表が安全保障理事会の5常任理事国の一つであることを承認し、
 中華人民共和国のすべての権利を回復すること、同政府の代表が国連における中国の唯一の正統な代表であることを承認すること、及び蔣介石の代表が国連及びそのすべての機関で不法に占めていた地位から追放することを決定する。」
 米西側諸国(日本を含む)も「一つの中国」原則そのものにチャレンジしているわけではありません。台湾問題に関して米西側が中国に対して行っている主張は「力による現状の一方的変更に反対」という一点に集中しています。南シナ海の領有権問題に関しては国連海洋法条約等が持ち出されますが、台湾問題に関しては国際法上の論点はあり得ません。

2.国際政治上の問題

<ウクライナ問題>
 国際政治上のウクライナ問題については、3月6日、3月21日、3月28日、4月21日、5月3日、5月4日、5月22日、5月30日、6月2日、6月16日、6月20日、7月3日、8月2日のコラムで、その時々の問題を取り上げつつ、私なりの分析、判断を記してきました。重複は避けます。最大かつ最重要のポイントは、ロシアの安全保障はソ連崩壊後のNATOの5回に及ぶ東方拡大で浸食され、脅かされ、今やロシアに隣接し、ロシアの心臓部を直接脅かす戦略的地政学的要衝のウクライナまでがNATOに飲み込まれようとする絶体絶命の窮地にまで追い詰められた、ということにあります。ロシアのウクライナ侵攻はプーチン・ロシアのいわば起死回生の反撃です。
 しかもロシアはいきなり「手を出した」わけではありません。ロシアは「安全保障の不可分性」(自国の安全を他国の安全を犠牲にする形で追求することは許されない)という、米西側もヘルシンキ宣言以後繰り返し同意してきた原則を掲げ、アメリカ及びNATOと条約・協定締結によって、この原則に法的拘束力を持たせる外交交渉を長年にわたって試みてきました。特に、2014年のいわゆるマイダン革命でウクライナに「NATO加盟」を掲げる親西側政権が成立してからは、ドンバス(ロシア系住民が多数を占める)の平和と安定を目指すミンスク合意の履行をウクライナに迫る外交努力とともに、アメリカ及びNATOとの間で「安全保障の不可分性」原則を条約化・協定化する外交努力を強化しました。しかし、アメリカにバイデン政権が成立し、NATO加盟を推進しようとするゼレンスキー政権に対する支持を鮮明にするとともに、ロシアに対する対決政策を打ち出し、ロシアの度重なる「安全保障の不可分性」原則の条約化・協定化提案(最後は2021年12月)をとりつく島もなく却下するに及び、ロシアとしては最後の手段としてウクライナに対する武力侵攻を行い、ウクライナとの外交交渉を通じてウクライナの中立と非軍事化を勝ち取る手段に訴えることを余儀なくされたのです。これが国際政治上のウクライナ問題の本質です。
 ちなみに、岸田政権は米西側に盲目追随してロシアを糾弾しています。しかし、その岸田政権が、朝鮮による日本に対するミサイル攻撃の可能性を喧伝し、それを未然に防ぐ「敵基地攻撃能力」を保有することを「自衛権行使」として正当化する主張を行っています。ロシアによるウクライナに対する軍事行動は、岸田政権のためにする「敵基地攻撃」に比べれば、はるかに「急迫不正」(自衛権行使の正当要件)度が高いと思います(ロシアがそういう主張を行わないのがむしろ不思議です)。
 私の大胆な予想をいえば、米西側が思い描いている理想型は、①核戦争に直結する危険性があるNATOの軍事介入は回避する、②ウクライナによる「ウクライナ人の最後の一人まで」」の抵抗戦争を支援し、長期戦に持ち込んでロシアを疲弊させ、実質的敗戦に追い込む、③最終的にロシアの無害化を実現する(=「ルールに基づく国際秩序」の中にロシアを取り込む)、ということを狙っていると思われます。
<台湾問題>
 国際政治上の台湾問題は中国の内戦から派生した問題です。清朝に代わって中華民国を樹立した国民党政権と、その腐敗を正して人民共和国の成立を目指した中国共産党との内戦の結果、後者が勝利して中華人民共和国の成立を宣言(1949年10月1日)しましたが、台湾に逃れた国民党政権はその後も大陸反攻を掲げて対抗しました。共産党政権が台湾を攻略して全土を統一することは時間の問題でした。ところが朝鮮戦争の勃発によって、アメリカの台湾政策が180度転換し、台湾問題の帰趨に深刻な影響が及ぶこととなりました。
 台湾が中国の一部であることについては、国際的に早くから承認されてきました。台湾は日清戦争の結果日本に「割譲」されました。第二次大戦さなかの1943年のカイロ宣言で中国に「返還」することが同盟国(米英中)の目的であると明記されました。1945年のポツダム宣言でも、カイロ宣言の履行を定めました(第8項)。「割譲」といい、「返還」というのは、台湾が中国の領土の一部であることを前提にしていることの明確な証左です。アメリカ自身も、朝鮮戦争が勃発するまでは基本的にこの立場を維持していました。1945年から1950年にかけてのアメリカの台湾政策の変遷を示すと次のようになります(原喜美恵教授がアメリカ側の第一次資料等をもとに著した労作『サンフランシスコ平和条約の盲点』による)。
○ヤルタ会談(1945年2月)前に米国務省が準備したブリーフィング・ペーパー:アメリカの中国政策の目標は、「あらゆる適切な手段を執り、国民党・共産党間の和解を含む国内的統一をもたらし、効果的に中国の国内及び国際的責任を果たせる、広範な代表政府の設立を促進すること」
○1945年8月15日の対日一般命令第1号(日本のポツダム宣言受諾後):満州を除く中国本土及び台湾の日本軍に、中国最高司令官・蔣介石に対する降伏を命令。台湾は台湾省として中国に編入。
(1949年に国民党政権は台湾へ逃れ、同年10月に中華人民共和国が成立、国共対峙状況へ)
○1949年12月23日付けで大統領が承認した国家安全保障会議政策文書NSC48/1:軍事手段以外では共産党の台湾支配を防ぐことは不可能だが、「台湾の軍事占領はアメリカの国益にそぐわない」。
○1949年12月29日付けで大統領が承認したNSC48/2 :アメリカは共産党政権の台湾と澎湖諸島の帰属阻止に努めるが、「政治的及び経済的方法によってはその目的を達することは不可能」。台湾は戦略的に重要だが「軍事行動は正当化できず」、「アメリカはフィリピン、琉球諸島及び日本に‥全力を尽くすべき」。
○1950年1月5日、トルーマンが台湾海峡不介入を声明。一週間後にアチソン国務長官がアメリカの西太平洋防衛線構想(アチソン・ライン)を発表。防衛線から朝鮮半島と台湾を除外。
○1950年6月27日(朝鮮戦争勃発の2日後)、トルーマンが台湾海峡不介入方針放棄を宣言、台湾海峡に第7艦隊を派遣。
○1950年9月30日付けで大統領が承認したNSC/68 、中国封じ込め政策をグローバル戦略として採用。
 以上から確認できるとおり、第二次大戦直後のアメリカは台湾が中国の一部であることを認識していたし、万難を排して自らの支配下に置くことを意図していたわけでもないのです。状況が一変したのは朝鮮戦争の勃発であり、トルーマン政権が東アジア情勢を米ソ(東西)冷戦の脈絡で捉えるように180度転換して、中国封じ込め戦略を採用してからのことです。そのことは、朝鮮戦争勃発の前と後にアメリカ政府が内部的に検討していた対日平和条約案における台湾の扱いが変わったことから確認できます(原喜美恵教授)。
(朝鮮戦争勃発前)
○1947年3月草案:台湾と隣接諸島及び澎湖諸島を中国に割譲することを規定(第2条)。
○1947年8月草案:同上。
○1948年1月草案:同上。
○1949年11月草案:同上。ただし脚注として、中国が条約に調印しないのであれば、条約は台湾と澎湖諸島の中国への割譲条項を含むべきではない、と記述。その理由として、カイロ会談以後に発生した中国における不穏な状況が、(台湾)島の自動的処理を無効にしている、と指摘。
(朝鮮戦争勃発後)
○1950年8月草案:日本は、台湾、澎湖諸島、樺太、千島列島の将来の地位に関し、米英ソ中が今後合意する決定を受諾。1年以内の合意がない場合は、条約調印国は国連総会の決定を受諾(第5条)。
*12月4日付け周恩来首相兼外相声明:平和条約の基盤はカイロ宣言、ヤルタ協定及び極東委員会で合意された対日基本方針であり、台湾の中国への返還はカイロ宣言で決定済みと主張。
○1951年3月草案:4大国協議・国連決議という領土処理形式が脱落、台湾(及び朝鮮)については「放棄」のみを規定。その理由として、台湾の地位を未定にしておくのが賢明という判断。
○1951年6月草案:同上。1951年6月28日付けのメモで、国防長官は国務長官に対して、中国を平和条約に調印させないよう警告。
*8月15日付け周恩来声明:条約草案は日本の放棄のみを定め、中国への返還には言及がない。これはアメリカが台湾占領を長期化する目的と非難。
 東西冷戦のもとでのアメリカの対アジア戦略の骨格を形成・確立し、同時に、国際問題としての台湾問題を作り出したのは「対日平和条約+(旧)日米安保条約+日華平和条約」からなるサンフランシスコ体制です。すなわち、対日平和条約では、上述のとおり、台湾の領土的帰属を曖昧にする法的処理を行い(第2条)、中国の至極まっとうな法的主張(「台湾は中国の領土」)に対抗する法的論拠を人為的にでっち上げました。次にアメリカは、(旧)日米安保条約に基づいて、アメリカが台湾(及び朝鮮半島)を含む極東地域で軍事行動を行うために日本を利用する権利を自らに与えました(第1条)。さらにアメリカは、日本に蔣介石政権との間で日華平和条約を締結させることにより、東西冷戦のもとでの「西側の一員」としての日本の立ち位置を明確にさせました(第1条)。戦後の日中関係はアメリカの対中政策に支配されるという構図が作られたのです。くせ者は同条約第2条です。そこでは、「日本国は、‥平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」と定め、台湾が中国のものであることを実質的に認めつつ、建前としては帰属先が中国であることを明記しない、対日平和条約に従った処理を踏襲しました。
 1960年に改定された安保条約は、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」(第6条。「極東条項」)と定めて、日本は台湾海峡有事を含む極東有事に際して対米軍事協力を積極的に行うことを約束します。当初は基地提供だけでしたが、1990年代以後の一連の有事法制+安倍政権による集団的自衛権行使に関する閣議決定によって、「台湾海峡有事は日本有事」(安倍晋三発言)にまで拡張されてきました。
 アメリカの対アジア戦略及び国際政治問題としての台湾問題に調整が加えられたのは、1950年から続いていた対中封じ込め戦略を転換したニクソン政権でした。長期化したヴェトナム戦争を打開し、同戦争によって悪化した財政を立て直すことが政権の緊急課題でしたが、戦略に長けたキッシンジャーと毛沢東・周恩来という組み合わせは米中の「戦略的和解」を可能にしました。国際政治問題としての台湾問題に対する米中の立場を理解する上では、1972年の上海コミュニケに盛り込まれた、米中それぞれの立場を克明に記述した以下の記述に勝るものはありません。
 双方は、米中両国間に長期にわたって存在してきた重大な紛争を検討した。中国側は、台湾問題は中国と米国との間の関係正常化を阻害しているかなめの問題であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の一省であり、夙に祖国に返還されており、台湾解放は、他のいかなる国も干渉の権利を有しない中国の国内問題であり、米国の全ての軍隊及び軍事施設は台湾から撤退ないし撤去されなければならないという立場を再確認した。中国政府は、「一つの中国、一つの台湾」、「一つの中国、二つの政府」、「二つの中国」及び「台湾独立」を作り上げることを目的とし、あるいは「台湾の地位は未確定である」と唱えるいかなる活動にも断固として反対する。
 米国側は次のように表明した。米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論をとなえない。米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する。かかる展望を念頭におき、米国政府は、台湾から全ての米国軍隊と軍事施設を撤退ないし撤去するという最終目標を確認する。当面、米国政府は、この地域の緊張が緩和するにしたがい、台湾の米国軍隊と軍事施設を漸進的に減少させるであろう。
 「台湾は中国の国内問題である」とする中国の立場は終始一貫して不動です。これに対してアメリカの立場には変化した部分と変化していない部分があります。変化したのは、微妙な言い回しではあるけれども、「一つの中国」原則・立場に「異論を唱えない」と歩み寄ったことです。もう一つの変化は、「最終目標」としての在台米軍撤退をはじめて明らかにしたことです。変化していないのは、「台湾問題の平和的解決」に対する関心の再確認という表現で「台湾有事」に際しては軍事介入する可能性を排除していないことです。つまり、台湾問題を国際政治上の問題として捉える基本的立場は不変です。
 1979年1月1日の米中国交樹立共同コミュニケにおいて、「アメリカ政府は、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であるという中国の立場を認識している」と記しています。そして、アメリカは中国と国交を樹立し、台湾との関係は民間レベルに限定し、在台米軍を撤退しました。しかし、アメリカによる台湾への武器売却問題は解決されず、持ち越しとなりました。
 米中関係を複雑にする原因は様々ですが、アメリカでは国内法が国際法の上位規範であることが特に大きな問題です。台湾ロビーが強力な影響力を持つ米議会は、1979年4月10日に台湾関係法を成立させました。法律は、台湾問題(「地域の平和と安定」)を「国際的な関心事」(第2条B(2))つまり国際政治問題と位置づけ、台湾人民の「人権の維持と向上」がアメリカの目標と宣言(第2条C)し、「平和手段以外によって台湾の将来を決定しようとする試み」は「西太平洋地域の平和と安全に対する脅威」「合衆国の重大関心事」(第2条B(4)) であると規定します。そして、台湾に対して「防御的な性格の兵器」を供給(第2条B(5)) し、「十分な自衛能力の維持を可能ならしめるに必要な数量の防御的な器材および役務」を供与(第3条A)する、また、「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する」(第2条B(6)) ことを定めました。
 米中国交樹立交渉ではアメリカによる台湾への武器売却問題は決着がつかず、持ち越しになったと紹介しました。台湾関係法が防御的な性格の兵器並びに防御的な器材及び役務の供与・供給を明記したことで、武器売却問題に関する米中交渉は難航しましたが、1982年8月17日に台湾に対するアメリカの武器売却に関する米中コミュニケが成立しました。ここでは、「相互の主権並びに領土保全の尊重及び相互の内政不干渉は米中関係を律する基本的な原則」であり、「引き続き双方間の関係のすべての分野を律するもの」であることを再確認・声明します(第3項)。また、中国政府は「台湾問題は中国の内政問題である」ことを言明するとともに、1979年1月1日の「台湾同胞に告げる書」及び1981年9月30日の台湾に対する「9項目提案」を挙げて、中国が台湾問題の平和的解決に努力していることを強調します(第4項)。以上を受けてアメリカ政府は、「台湾への武器売却を長期的政策として実施するつもりはないこと、台湾に対する武器売却は質的にも量的にも米中外交関係樹立以降の数年に供与されたもののレベルを越えないこと、及び台湾に対する武器売却を次第に減らしていき一定期間のうちに最終的解決に導くつもりであること」を表明します。その上で、「一定期間のうちにその最終的解決をもたらすために、両国政府は、本問題を完全解決に導くための措置をとり条件を作り出すようあらゆる努力をする」(第7項)としています。
 私は1982年当時北京の日本大使館で仕事をしていました。アメリカ大使館の仕事仲間及び中国外交部担当者に「最終的解決」の意味を尋ねてすぐ理解できたのは、同床異夢(中国はゼロ回答を獲得したとするけれども、アメリカはそんな言質は与えていないとする)ということでした。しかし、中国との「建設的関与」を基調においたオバマ政権までは、台湾向け武器供与に関する質的量的制限に気を遣うことを含め、3つの共同声明に基づく米中関係を営む基本政策は曲がりなりにも維持されてきたと思います。この基本政策を無視したのは、「アメリカ第一主義」のトランプ政権であり、無視するに留まらず、中国を「最大のライバル」と規定し、米中関係のあり方を根底から規定し直そうとするバイデン政権の「ルールに基づく国際秩序」構想です。
 私の大胆な予想を言うならば、台湾問題に関してバイデン政権が理想型として思い描いているのは、①「一つの中国」原則を国際的準則の地位から引きずり下ろす、②(その具体化として)台湾に国際法上の主体としての性格を回復させる、③最終的に中国の無害化を実現する(=「ルールに基づく国際秩序」の中に中国を取り込む)、ということだろうと思います。

3.バイデン政権の落とし穴

 冒頭で、「「ルールに基づく国際秩序」とは、有り体に言えば、アメリカを頂点とする西側(米西側)が主導し、パワー・ポリティックスのゼロ・サム(弱肉強食)のルールが支配する旧来の国際秩序のことです」と述べたことを思い出してください。要するに、バイデン政権が念頭に置いているのは1950年代の東西冷戦構造の再現であり、目指すのはアメリカが西側諸国を束ねて中ロ両国を力尽くで押さえ込むことで実現する「ルールに基づく国際秩序」だということです。その具体的表れがウクライナであり、台湾海峡であるということになります。
 しかし、ウクライナ問題に関する「①核戦争に直結する危険性があるNATOの軍事介入は回避する、②ウクライナによる「ウクライナ人の最後の一人まで」」の抵抗戦争を支援し、長期戦に持ち込んでロシアを疲弊させ、実質的敗戦に追い込む、③最終的にロシアの無害化を実現する(=「ルールに基づく国際秩序」の中にロシアを取り込む)」という理想型にしろ、台湾問題に関する「①「一つの中国」原則を国際的準則の地位から引きずり下ろす、②(その具体化として)台湾に国際法上の主体としての性格を回復させる、③最終的に中国の無害化を実現する(=「ルールに基づく国際秩序」の中に中国を取り込む)」という理想型にしろ、私は、バイデン政権のアプローチには根本的欠陥が潜んでいると思います。
 第一、ロシア及び中国にとってウクライナ問題も台湾問題も死活的問題であり、譲歩の余地はあり得ないのに対して、バイデン政権にとっては「ルールに基づく国際秩序」を実現する上での政策的手段に過ぎず、「返り血を浴びる」ことすらためらう程度の問題であるということです。ウクライナに「代理人戦争」を押しつけ、今回の中国の台湾包囲大軍事演習に際してはひたすら傍観に徹したことが何よりもの証拠です。「核戦争回避が至上課題である限り、グローバルな均衡(の実現・維持)における小国の役回りは大国によって決定されざるを得ない」(キッシンジャー。8月15日のコラム)という指摘の正しさを、バイデン政権の中途半端なアプローチが如実に証明しています。
 第二、バイデン政権のアプローチの成否はウクライナ及び台湾の国内情勢の推移によって決定されるのであって、しょせんは他力本願にすぎないということです。ゼレンスキー及び蔡英文の「リーダーシップ」に関してははなはだ疑問です。キッシンジャーが指摘した「芸術的スキル」を両者が備えているとは到底思えません。また、ウクライナにも台湾にも現政権に対する有力な反対勢力が存在します。ウクライナがどこまで継戦意志を持続できるか、台湾が今後本格化する中国の軍事的政治的そして経済的締め付けにどこまで「一枚岩」でいられるかははなはだ疑問です。
 第三そしてこれが決定的に重要なことですが、今日のアメリカの国際的実力は1950年代のアメリカのそれに遠く及ばないということです。しかも、多極化が進行する21世紀国際社会では、米西側はもはや国際的少数派であり、国際的多数派(アジア・アフリカ・ラ米諸国)は米西側のゼロ・サムのパワー・ポリティックスよりも中ロ両国のウィン・ウィンの脱パワー・ポリティックスにより多くの親近感を抱いているということです。
 第四、バイデン政権の「器量」があまりにも貧弱であるということです。「我々は、米西側がかかわって作り出した問題についてロシア及び中国と戦争の危機にあるというのに、(バイデン政権は)それをどう終わらせるか、また、どうなっていくのかについてまったく考えていない」、「彼ら(浅井:バイデン政権)はその時々の感情に流されてしまっている。外交をライバルとの個人的関係から切り離すことに抵抗している」というキッシンジャーの指摘(8月15日のコラム参照)に私はまったく同感です。