中国共産党の統治(中国語:'治理' 英語:'govern, governance')について、中国共産党が「執政」するという表現も時に使われますが、圧倒的に用いられるのは「領導」という表現です。日本語ではあまり使われないこともあり、「領導」を日本語に訳す時には「指導」という言葉が当てられることが多いのです。ところが、この「指導」という訳語が一人歩きすることで中国共産党の統治に対する誤った理解を生み出してしまっている、というのが私の強い実感です。そこで、まず、「領導」とはどういう意味なのかについて、皆さんと認識を共有することから始めたいと思います。
問題は、「領導」の意味・含意について、「命令」と「影響」のいずれが正しいのかということに帰着します。私は「影響」と判断します。。私の判断の根拠は4つあります。第一、第1回にお話ししたアグネス・スメドレー『偉大なる道』(及びその後読み終えたエドガー・スノー『中国の赤い星』)は、国共内戦及び抗日戦争時代の中国共産党と大衆(中国語:'群衆')との関係が"「領導」の本質は影響であって、命令でも強制でもないこと"を具体的に生き生きと描いていることです。その点については、皆さんも私の認識を共有してくださったと理解しています。第二、後ほどお話ししますが、革命戦争勝利・建国後の最初の章程(1956年)の前文では、党と大衆との関係を活写している箇所がありますが、そこからも"「領導」の本質は影響であって、命令でも強制でもないこと"を素直に理解することができます。第三、これも後ほどお話ししますが、「党の領導の堅持、人民当家作主、依法治国の有機的統一」を提起したのは習近平であり、「党の領導」をとりわけ強調するのも習近平時代になってからですが、それに「依法治国」を加えて三者の「有機的統一」という提起を行っている点にこそ、"「領導」の本質は影響であって、命令でも強制でもないこと"を踏まえた習近平の思考回路のカギがある、というのが私の理解です。第四、「人民当家作主」は欧米的「人民主権」の中国語表現であり、その本質的意味が「主権は人民に属する」という点で両者に違いはありません。とすれば、党が主権者・人民を「支配・強制」することはあり得ず、したがって「領導」は「影響に留まる」と理解するほかないのです。
 以上の判断を立ち入って検証し、中国共産党の「領導」と「人民当家作主」(人民主権)との関係を考察することが今回の目的です。 レジュメを添付します。↓

中国共産党の統治