今日(9月18日)はいわゆる満州事変(柳条湖事件。中国は「9・18事変」と呼ぶ)が起こった90周年に当たります。9月16日付の環球時報は、中国現代関係研究院の胡継平副院長署名文章「日本、今日なお9・18を深刻に反省すべし」を掲載しました。胡継平は、当時の日本の政・軍指導者が満州(中国東北地方)を日本にとっての「生命線」として中国侵略を進めた経緯をふり返るとともに、官製の「対中強硬論」に煽られた当時の日本国民が中国に対する侵略戦争を熱狂的に支持したことが「日本軍国主義がさらに対外拡張を進めることを助長する役割を果たした」ことを指摘しています。そして今日、政府・自民党が「台湾有事」を唱えて中国との軍事的対決を煽っていることを取り上げ、日本国民が満州事変の際に犯した誤り(侵略戦争への積極的加担)を思い起こし、その過ちをくり返さないように行動することを促しています。「歴史を以て鑑となす」ことを求めているのです。この文章を訳出紹介するゆえんです。

 1931年に日本軍国主義は9・18事変を発動し、中国侵略戦争の序幕を開けた。9・18事変は中日関係、両国の命運を変えただけでなく、日本が中国全面侵略戦争を発動し、太平洋戦争を挑発したことと直接かかわって、その影響は今日まで続いている。
 9・18事変は日本軍が綿密に計画して発動した。その前には、不平等条約と日露戦争を通じて遼東半島南端と南満州鉄道沿線の管理及び軍隊駐留の「特殊権益」を奪い取った。事変後は、東北地方全域を占領し、関内に侵入、北京付近まで至った。1933年5月の塘沽停戦協定で戦争は一時的に終わったが、日本はこれで歩みを止めることはなく、「非武装地帯」を利用して華北を分裂させる活動を盛んに進めた。よって、盧溝橋事変は完全に9・18事変の延長線上で発生したものであり、日本が中国全面侵略戦争に向かったのは偶然ではなく、日本の中国侵略戦争は米英等との矛盾も激化させ、最終的に太平洋戦争を引き起こすに至ったものだ。したがって、日本の歴史家は、9・18から日本敗戦にいたる日本の対外戦争を「15年戦争」と称している。9・18事変は日本が大規模な侵略拡張の道に歩み、敗戦という終局に走って行くキーとなる起点だったと言える。
 9・18事変発動者である日本にとっての最大の教訓は、"国家の「生命線」を勝手に他国の領土まで拡大することは最終的に武力拡張に向かうという死に至る道"であるということだ。早くも1927年6月、日本の内閣と軍部は対中政策を決める「東方会議」を開催し、東北3省を中国から引き離すという国策を決定した。会議発起者である田中義一首相は、日本が国運を賭けて日清日露両戦争を戦ったのは、「大陸拡張が日本民族生存のための最重要条件と考えたからである」と述べた。1928年に張作霖が北伐軍との戦争で敗北したとき、田中内閣は張作霖に東北地方における「保境安民」を迫ったが、その目的は中国南北の分割統治を実現し、東北地方を中国から分離させることにあった。ところが、東北地方を直ちに占領しようと急いだ関東軍が皇姑屯事件を引き起こしたために計画は妨げられた。張学良が東北地方を支配した後、日本の妨害を顧みずに「旗印を変え」て南北統一を実現したことに対して、日本は「日本が中国東北地方を分離独占する計画を根本から危うくするもの」と断定し、このことが武力で「満蒙問題解決」を決心した直接の背景となった。関東軍の9・18事変を画策した石原莞爾も、日米は必ず開戦するとし、中国東北地方を占領することが「日本の唯一の活路」と鼓吹した。共謀者の板垣征四郎も、満蒙は日本が直接占領する以外の道はないと公言した。1931年に松岡洋右は議会演説で、「中国東北地方は日本の存亡にかかわり、日本の生命線である」と公然と主張した。
 他国の領土を自民族及び国家の「生存条件」と言い張ること自体、本質的に成り立たないことである。しかし、日本の軍部と政客は「生命線論」を鼓吹し、危機を煽り、人々を惑わすことによって世論の強大な支持を取り付けた。このこともまた、日本が間違った道を走り続けることになった重要な背景である。日本の研究によれば、1931年春以前の日本世論は協調外交に対する支持度が高かったのであり、対中強硬論はまだ優勢ではなかった。ところが、メディアによる不断の「満蒙危機」の宣伝や、日本が東北地方で作り上げた中朝農民衝突事件、日本軍の不法なスパイ事件を「排日」「侮日」とした歪曲宣伝にひきずられ、人々は政府の対中「軟弱外交」を非難することとなり、9・18事件前には「対中強硬論」が圧倒的世論になってしまっていた。しかも、9・18事変以後も日本民衆の排外主義ムードは高まるばかりで、国際聯盟脱退などの強硬外交、日本軍の侵攻政策に対する支持はますます高じ、このことは日本軍国主義がさらに対外拡張を進めることを助長する役割を果たした。
 戦前の日本が他国を略奪するために行った対外拡張戦争は、すべては生存、自衛、共栄などを看板とし、それによって民衆を扇動した。戦後、日本が再び戦争を発動することがないようにするため、GHQが主導して日本憲法を制定し、日本の軍隊不保持、交戦権否定を定めた。しかし、日本は不断に憲法解釈を拡大し、また、2016年に成立した法律(浅井:平和安全法制関連二法)により、今日の日本は、自国の安全を守る以外に、日本に対する直接武力攻撃に至る可能性のある事態に対しては米軍に対する後方支援提供などによる間接的参戦ができ、日本の生存を脅かす「武力攻撃事態」に対しては直接武力行使が可能となった。これは事実上憲法を無効にし、日本の対外武力行使に道筋をつけるものである。
 果たせるかな、法律施行からわずか数年で、「武力攻撃事態」は日本の政治家が口にするところとなっている。本年3月、国交正常化以来では初めて、台湾海峡安定問題が日米共同声明に書きこまれた。麻生副首相は7月、台湾海峡問題は武力攻撃事態に当たる可能性があるとし、さらに「台湾の次は沖縄だ」として、日本はアメリカとともに「台湾を防衛する」べきだと述べた。安倍防衛相や自民党指導部などもしきりに同じような発言を行い、自民党は台湾民進党と安全対話まで公然と行い、中国のボトムラインに挑戦した。自衛隊前統合幕僚長の河野克俊はさらに率直に「台湾有事に支援することは日本の国家利益に当たる」と述べた。
 日本が台湾海峡に軍事介入することを決意するとすれば、それは台湾海峡が本当に日本の国家的安全に深刻に影響し、ひいては日本の生存を脅かすためなのか、それとも日本の私利のためなのか。仮に前者であるとしたとき、それはどのように日本の生存に影響し、どのように日本の生存を脅かすのか。仮に後者とする場合、一体日本のいかなる利益に抵触するのか。これらの問題及びそれに対する答は深刻に考える価値があり、特に日本国民にとって価値があることである。なぜならば、日本の政治家と軍部が勝手に「生命線」を拡大し、メディアを動員して国民の危機感を煽り、国家を戦争に導いた歴史の悲劇は、今を去ることまだ遠いことではないからである。
 台湾は中国の不可分の一部である。しかも、日本はその台湾植民地支配の歴史により、台湾問題での言動はさらに慎重であるべきだ。しかるに現在、日本の政治家が台湾問題が日本の生存を脅かすと主張し、台湾を「防衛」すべきだとしているのは、彼らが今なお戦前の軍国主義時代に生きているかのごとき錯覚を覚えさせる。周知のとおり、日本は戦後もなお侵略植民の歴史について真剣な反省を行っていない。軍国主義思想の残滓が跡形もなく清算されていないとすれば、新たな形で復活することはないのだろうか。この問題は今日なお注目する価値のある問題である。