アメリカ国立衛生研究所(NIH)の研究者が6月15日にアメリカの雑誌『臨床感染症』で発表した報告は、アメリカにおいて早くも2019年12月に新コロナ・ウィルス(以下「コロナ」)に感染した人がいることを明らかにしました。すなわち、NIHが2020年1月2日~3月18日に全米50州から提供された24079人の血液サンプルに対して抗体検査及び分析を行ったところ、少なくとも9人のサンプルからコロナの抗体が見いだされました。いちばん早いものは1月7日にイリノイ州で採血したものであり、その後に1月8日マサチューセッツ州、2月3日ウィスコンシン州、2月15日ペンシルヴァニア州、3月6日ミシシッピー州それぞれのサンプルからも抗体を検出したとされます。ウィルス感染から抗体が生まれるまでは約2週間かかることから、アメリカで2020年に感染爆発が起こる以前の2019年12月(浅井注:武漢で感染爆発が起こった2020年1月以前)にはすでにアメリカ本土で感染が始まっていたことが今回の調査研究結果によって明らかにされたことになります。今回の調査研究結果について、米疾病管理予防センター(CDC)のナタリー・ソンバーグ首席研究員はアメリカ・メディアの取材に対して、以上の結果はCDCが以前に明らかにしていた研究結果を確認するものであり、アメリカでは2020年より前に散発的にコロナ患者が現れていた可能性が極めて高い、と述べました。
 また、6月16日付けの新華社パリ電は、欧州プレシジョン・メディシン・プラットフォームの最高経営責任者兼免疫学者のジュリアが『ヨーロッパ・タイムズ』紙とのインタビューにおいて、フランスのパスツール研究所が2020年4月にフランスのコロナ患者の遺伝子配列結果を報告し、その配列状況は中国から持ち込まれた患者のものとはまったく異なっており、フランス本土を源とすることをはっきり示していた、と述べたことを伝えました。すなわち、同研究所が2020年4月に発表した報告によれば、研究所は2020年1月24日~3月24日にフランスの様々な地域の患者から97のサンプルを取って遺伝子配列の比較調査を行った結果、フランスでは2020年初あるいはそれ以前にコロナの感染が始まっていたことが明らかになったとしています。
 6月16日の中国外交部定例記者会見でNIHの上記研究結果について尋ねられた中国外交部の趙立堅報道官は次のように答えました。

 コロナ発生当初、多くの国の専門家及びメディアは口々にコロナが地球各地で発生していた状況を指摘していた。『欧州伝染病学雑誌』(European Journal of Epidemiology)の研究は2019年11月には欧州でコロナが出現していたと述べた。米CDCの報告は、2019年12月にはアメリカで出現していたと明らかにした。スエーデンの公共衛生局伝染病首席研究者は、同国では2019年11月には感染者が現れていた可能性があると述べた。イタリアのミラノ国家癌研究所の研究でも、2019年夏にはコロナ感染がイタリアで始まっていた可能性があるということを示している。最近、フランスのパスツール研究所のジュリア博士もインタビューの中で、コロナ流行の全体状況から見ると、感染源は多くあり、多くの地域で感染爆発が起こったことは極めて明白な客観的事実であると指摘している。
 ウィルスは全人類の共同の敵である。国際社会はコロナが多くの地点で出現したという現実を尊重するべきであり、WHO主導の下で行うこれからの感染源に関する調査においては、グローバルな視野に基づき、特定の地域に限定するのではなく、多くの国の多くの地点で研究を進めるべきである。中国はすでに2回にわたってWHOの専門家の訪中を招請した。われわれは、ほかの国々も中国と同じく、開放、透明、科学の態度に基づき、WHOと感染源調査を行い、グローバルな抗疫協力を促進し、より多くの生命を救うために貢献することを希望する。
 NIHの今回の調査結果の発表は、中国攻撃キャンペーンで頭に血が上り、その一環として「武漢実験室起源」説をG7サミット共同声明にも盛り込ませるために躍起となったバイデン政権にとっては「不都合な真実」となったと思います。ところが、広州に本社を持つネット・メディアZAKER(中国名'補壹刀')が掲載(執筆者:胡一刀及び無影刀)した「ワシントンの対中国噛みつきを要警戒」(中国語:"这件事,要防华盛顿反咬中国一口!")は、バイデン政権が、国内では2022年中間選挙における対共和党(トランプ)攻撃材料に利用するとともに、対外的には中国に対する調査をさらに徹底的に行うべきだと主張する材料にする可能性があると指摘しています(浅井:同記事は環球時報WS「国際ニュース」6月16日付けの紹介による)。
 国内的な利用についての補壹刀の指摘は分かりやすいです。つまり、アメリカ国内でのコロナの発見に遅れ、そのために今や60万人の死者を出すまでになったトランプ政権の失政を証明、攻撃する上で、NIH調査結果は格好の材料となるという指摘です。
 しかし、対中国攻撃材料に利用される恐れがあるという補壹刀の指摘は私には意外でした。補壹刀によれば、次のようなシナリオが考えられるといいます。すなわち、
 第一幕:バイデン政権と民主党は、コロナの爆発と60万人以上の死者はトランプ政権の失政が招いたものと攻撃。
 第二幕:トランプと共和党は、「中国が隠蔽したために、アメリカ人は知らないうちに感染したし、アメリカにコロナが(中国から)持ち込まれた。バイデン政権は中国の責任を追及するべきだ。そうしない(で共和党を攻撃する)のは中国に対して軟弱なせいであり、中国の言いなりになることだ。」と反撃。
 第三幕:アメリカの世論状況及び両党が「中国攻撃でしのぎを削っている」背景のもと、バイデン政権はNIH報告をも中国攻撃材料にし、国際言論上の対中優位性を利用して、「アメリカは自らアメリカでのコロナ出現時期が2019年12月と突き止めた。中国の状況はもっとひどいはずであり、もっと徹底した感染源調査を中国で行うべきだ」という主張を国際的に広める。
 現実に、米英首脳会議及びG7サミットでは「中国を含む」コロナ起源の独立調査を支持し、WHOを中心とする「透明」な起源調査を行うことを呼びかけているではないか、と補壹刀は指摘するのです。また環球時報その他の中国メディアが報じた、6月14日付けのニューヨーク・タイムズ(NYT)が武漢ウィルス研究所の研究員である石正麗に対して行ったインタビュー及び記事の内容も「アメリカの世論状況」の異様さを物語るに十分なものがあります。中国メディアによると、この記事の内容は次のようなものです。
 武漢研究所に勤める3人が2019年11月にコロナに似た症状で治療を受けた、とするアメリカの情報機関の情報について尋ねたNYTに対して、石正麗はその情報を否定するとともに、「3人の氏名を教えてくれれば調査にお手伝いできる」と述べ、その後のNYTの接触(文脈から判断すると、NYTは3人の氏名を石正麗に提供していない)に対して石正麗は、「証拠がない事柄のためにどうして証拠を提供できるというのか。無辜の科学者に汚水を浴びせ続けるなんて、この世界はどうしてこんなになってしまったのだろう」と疑問を呈するのです。NYTは石正麗の発言を紹介しつつなお、石正麗がコウモリ由来のコロナについて実験を行っていたこと、彼女はその遺伝子の改造を通じてコウモリの動きを観察していたこと、彼女の実験室は安全レベルが低かったことなどを指摘して、「武漢実験室起源」説にこだわり続けました。このNYTの立場に対して、石正麗は「これはもはや科学の問題ではなく、WHO及び我々に対する極端な不信に基づく完全な推測である」と述べました(浅井:以上は環球時報の報道の要約)。
 補壹刀は、専門家の意見として、以上のアメリカの官民を挙げた攻撃に対処する反論の仕方を次のように紹介しています。①コロナは武漢以前の2019年12月にアメリカで現れていたのであり、これはアメリカの衛生当局が公認したアメリカにおける出現時間よりも早い以上、アメリカとしてはWHOによるアメリカでの起源調査を認めるべきである。②コロナは全世界で現れており、コロナ発生のどの国も起源である可能性がある(グローバル化の世界におけるヒト及びモノの頻繁な交流)。したがって、③「2019年12月におけるアメリカでの出現」を認めたアメリカは、アメリカが唱導するWHOによる「独立調査」をアメリカについて行うことを率先するべきである。
 補壹刀の以上の提言の是非はともかく、私たちが考えるべきことはアメリカの精神状態の異常なまでの深刻さということではないでしょうか。なぜならば、アメリカの官民を挙げた「中国=クロ」という「結論先にありき」の以上のような言説は日本のメディアを通して私たちの認識をもむしばんでいるからです。アメリカ発の言説が重大な問題を内包している以上、私たちはアメリカの言説にしばられている私たちの思考を根本的に再点検する必要があります。NIHの調査結果は客観的にそのことを教えるものであると、私は思います。