4月8日付けのハンギョレ・日本語WSは、「9カ国の法律家「韓国の『慰安婦』賠償判決、国際法の未来切り開く歴史的なもの」と題する記事を掲載し、日本、韓国、中国、イタリアなど9カ国の410人の法律専門家が、日本政府に対して「従軍慰安婦」被害者に対する倍賞を命じた判決を「国際法の未来を切り開く歴史的な判決」と高く評価する「国際法律家宣言」を、4月21日に「慰安婦」被害者による第2次損害賠償訴訟の判決言い渡しが行われるソウル中央地裁に提出したことを紹介する記事を掲載しました。この「国際法律家宣言」の内容については不明(ネットで検索しましたが)ですが、この記事の中で紹介のある山本晴太弁護士による、「時代遅れの「主権免除」論-韓国「慰安婦」訴訟判決」と題する文章が雑誌『世界』3月号に掲載されています(「法律事務所の資料棚」WSでも紹介)。
 私もかねてから、国際人権法が確立した今日21世紀においては、日本政府の主張(「日韓請求権協定で解決済み」とか「主権免除」とかの議論)は「従軍慰安婦」問題に対しては適用され得ないことを指摘してきました(例えば、2019年9月21日のコラム参照)。私の主張は極めて荒っぽいものですが、山本晴太氏の文章は法律専門家の緻密性を備えたもので読み応えがあります。「国際法律家宣言」については、見つけ次第改めて紹介したいと思いますが、ここでは、4月8日付けのハンギョレ記事と山本弁護士の文章を紹介します。

<ハンギョレ記事>
 韓国、日本、中国、イタリアなど9カ国の410人の法律専門家が、今年1月に韓国司法が下した日本軍「慰安婦」被害者への賠償を命じる判決について「国際法の未来を切り開く歴史的な判決」と述べた共同宣言を発表した。彼らは、各自の署名入りの「国際法律家宣言」を、今月21日に「慰安婦」被害者による第2次損害賠償訴訟の判決言い渡しが行われるソウル中央地裁に提出した。
 法律家たちは7日、オンラインで記者会見を開き、日本政府に「慰安婦」被害者への賠償を命じた韓国司法の判決を支持すると述べた。彼らは共同宣言で「国家の反人道的違法行為について、被害者にとって最後の救済手段が国内(自国)での裁判であるなら、裁判を受ける権利を尊重しなければならない」と強調した。また、「国家免除(主権免除)の適用を認めなかった今回(今年1月8日)の判決は、国際法に違反したものではなく、発展しつつある国際慣習法に合致する」とした。彼らは「日本政府は直ちに判決を履行すべき」と主張した。国家免除とは、「他国の主権行為は裁くことができない」という国際慣習法のこと。
 日本の山本晴太弁護士は記者会見で「韓国司法の判決は、国家から侵害された人権を回復するための新たな手段をくれたもの」とし「法律家として、これを社会に伝える責任があると考え、宣言に参加した」と述べた。今月21日に判決が予定される訴訟で「慰安婦」被害者側の代理人を務めるイ・サンヒ弁護士は「被害者たちは、国際秩序の重心を国から人間へと移すために絶えず闘争している」とし、「今回の訴訟もその一環」と語った。
 今回の共同宣言には、9カ国の334人の弁護士、76人の研究者の計410人が参加した。日本からだけで192人が参加した。また、韓国司法に先立ち、国家免除を認めない判決を下したイタリアのいわゆる「フェリーニ事件」を担当したヨアヒム・ラウ弁護士も名を連ねた。イタリアの裁判所は、第2次世界大戦当時にドイツで強制労働をさせられたイタリア人ルイージ・フェリーニがドイツ政府を相手取って起こした訴訟で、2004年に賠償を命じる判決を下している。
(キム・ソヨン記者)
<山本晴太「時代遅れの「主権免除」論-韓国「慰安婦」訴訟判決」>
■日本国に賠償を命ずる判決
本年1月8日、韓国のソウル中央地方法院が元日本軍「慰安婦」の原告らの訴えを認め、日本国に原告一人当たり1億ウォン(約950万円)の賠償を命ずる判決を宣告した。日本政府が出廷しなかったので、訴訟の唯一の争点は韓国の裁判所に日本国を被告とする民事訴訟を行う管轄権があるか、という問題だった。判決は、日本国による「慰安婦」動員は国際強行規範に反する反人道的犯罪行為であり、例外的に韓国の裁判所に日本に対する管轄権があると判断した。
日本政府は期限までに控訴せず、判決は確定した。
■話し合いを求めた被害者らを日本政府が無視
この訴訟は原告らが2013年に日本政府との話し合いを求めて調停申立をしたことから始まった。裁判所は調停に応じるか否かの照会書を繰り返し日本政府に送ったが、日本政府は全て返送した。裁判所は「調停をしない決定」をして、韓国の民事訴訟法により自動的に訴訟に移行した。日本政府はその後も訴えは却下すべきであると外交ルートで韓国政府に伝えたのみで、訴訟手続を無視して書面の受領も拒否した。その間に12人の原告のうち7人が亡くなり、裁判所は書面を公示送達(裁判所の掲示板やインターネットで一定期間公開し、相手方に届いたものとみなす)して訴訟手続を進め、判決を宣告したのである。
■「主権免除」には例外がある
日本政府は「この判決は主権免除に違反する」と非難している。主権免除とは、主権国家は平等なので一国が他国の裁判権に服することはないという慣習国際法上の規則である。しかし、主権免除が国家のどのような行為にも適用される絶対的な規則であるという考え(絶対免除主義)が支配的だったのは19世紀のことである。国家の行為が多様化し、商品の購入や工事の発注など一般人もできる行為(私法行為)を国家が頻繁に行うようになると、絶対免除主義を維持することはできなくなった。紛争を最終的に民事訴訟で解決することができないのでは、安心して外国政府と取引できないからである。そこで、19世紀末ころから私法行為については主権免除を否定する判決がヨーロッパの国内裁判所に現れるようになった。これを制限免除主義と呼んでいる。制限免除主義は徐々に世界にひろまり、韓国は1998年の大法院判決、日本は2006年の最高裁判所判決でこれを最終的に受け入れた。ほぼ100年をかけて制限免除主義が世界の東の果てまで到達したのである。
続いて、領域内行われた外国の不法行為に対する損害賠償請求訴訟も主権免除の例外とする国内判決がヨーロッパに現れた。不法行為に主権免除が適用されると、外交官による交通事故の被害者等は泣き寝入りすることになるからである。不法行為例外も数十年かけて世界に広まった。日本は2009年に制定した対外国民事裁判権法という法律で主権免除の範囲を定めているが、この法律にも不法行為例外が明記されている。
■「人権例外」の登場
そして、今世紀の初めころ、やはりヨーロッパの裁判所で新たな例外を認める国内判決が現れた。人権例外である。
1995年、ギリシャの裁判所にドイツ連邦共和国を被告とする損害賠償請求訴訟が起こされた。原告は第二次世界大戦末期、ドイツ軍が民間人214人を虐殺したディストモ事件の被害者遺族らである。地方裁判所は主権免除を否定して原告らの主張を認め、ドイツに賠償を命じた。ドイツは上訴したが、2000年に最高裁判所は上訴を棄却して判決が確定した。イタリアでも、ドイツ軍の捕虜となり強制労働に従事させられたフェッリーニ氏がドイツに賠償を求めた裁判で、2004年に破棄院(最高裁判所)はドイツの主権免除は認められないとの判断を示した。その後、強制労働や虐殺事件の多数の被害者と遺族がドイツに対して訴訟を起こして勝訴した。
■裁判を受ける権利の保障
これらの裁判所がドイツの主権免除を否定した理由は一様ではないが、要点は、裁判を受ける権利は場合によって主権免除に優越するということである。世界人権宣言や国際人権規約、地域的な人権条約、各国の憲法は裁判を受ける権利を保障している。つまり、現代の国家はその領域の人々に裁判を受ける権利を保障する義務を負っている。主権免除の適用は一種の裁判拒否であり、この義務と衝突する。主権免除が国家の尊厳の確保や外交関係の安定に寄与するとしても、国際法の重大な違反による深刻な人権侵害の被害者の最後の救済手段が国内裁判である場合には主権免除よりも裁判を受ける権利の保障による人権救済を優先させるべきだとするのが人権例外の考え方である。
■人権例外に対する賛否の拮抗
人権例外は新しい考え方であり、否定する判決も多い。クウェートで拷問を受けた被害者が英国の裁判所にクウェートを訴えた事件で、裁判所は人権例外を否定してクウェートに主権免除を認めた。欧州人権裁判所も2001年に英国の裁判所の判断を支持した(アル・アドサニ事件)。しかしこの評決は、9対8の僅差だった。このころから人権例外に対する賛否は拮抗していたのである。
前記のイタリア裁判所の判断については、ドイツが国際司法裁判所(ICJ)にイタリアを提訴した。2012年のICJ判決はドイツの主張を認めてイタリアを敗訴させた。ただし、その理由は人権例外を認める国家実行(国内判決や立法例)はまだ相対的に少数なので、現在のところ人権例外を慣習国際法と認めることはできないという、将来の国際法の発展に含みを残すものだった。
イタリアの国会はICJ判決を受け入れるため、裁判官に主権免除の適用を義務づけるなどの立法を行った。ところが、イタリア憲法裁判所は2014年にそのような法律は裁判を受ける権利を侵害して違憲であると決定した。 このように、国際法の世界で人権例外の肯定論と否定論はせめぎあい、拮抗している。制限免除主義や不法行為例外が反対論とせめぎあいながら長い年月をかけて世界に及んでいったのと同じ過程が、今、人権例外で進行しているのである。ここに、アジアで初めて人権例外を認めた今回の韓国判決が現れた。肯定論への強力な援軍である。
■国家中心の国際法と人権中心の国際法
人権例外をめぐるせめぎあいは、国家中心の古い国際法と、人権保障を国際法の目的とし、個人を国際法の主体と位置づけて行こうとする新しい国際法の対立の反映である。
この対立は日本と韓国の対立ではなく、人権を侵害された個人と国家の対立である。人権例外が認められれば、難民が自分を迫害した国家を避難先の国の裁判所に提訴するようなことが可能になる。一九五〇年代に広島の原爆被爆者が裁判を起こしたことがあるが、米国に対する損害賠償請求権を日本国が講和条約で放棄したとして補償を求め、日本国を被告として原爆の国際法違反を訴えた。人権例外が認められるなら、直接米国を被告にすることも可能だったであろう。韓国政府が誠実な対応を怠れば、将来ベトナムの裁判所でベトナム戦争の被害者が韓国を被告とする訴訟を提起するかもしれない。
もちろん、判決の第一の意義は日本軍「慰安婦」被害者らが苦難の人生の終盤に裁判所から法的権利を認められたということにある。しかし、国際法的にみれば、それを超えて国際法の発展に寄与し、国家によって人権を侵害される可能性のある、日本と韓国を含む世界の人々に人権回復の新しい武器を授ける可能性もった判決なのである。
■日本政府の愚民政策と二重基準
この判決に対して、菅首相は「国際法上、主権国家は他国の裁判権には服さない。これは決まりですから。」、茂木外相は「国際法上も2国間関係上も到底考えられない異常な事態」と述べた。しかし、前述のように慣習国際法である主権免除規則は絶えず発展しており、「決まりですから」というような固定的・恒久的なものではない。人権例外への賛否は国際的に拮抗しており「到底考えられない異常な事態」でもない。政府の態度はまるで19世紀の絶対免除主義の亡霊である。人権例外のような複雑な論点に触れることを避け、国際法=主権免除という単純な図式を繰り返し、韓国は国際法を守らない国という印象を国民に植え付けようとしているのだろう。一種の愚民政策である。
加藤官房長官は「国際法上の主権免除の原則から韓国の裁判権に服することは認められず、控訴する考えはない」と述べ、前記のように判決は確定した。しかし、他国の裁判所で主権免除を主張することはその国の裁判権に服することとは異なるし、日本政府の対応は過去の対応と矛盾する。
2000年に韓国、中国、フィリピン、台湾の日本軍「慰安婦」被害者15名が米国のワシントン連邦地裁に日本国を訴えたことがあった。このとき日本政府は訴訟手続に応じ、ワシントンの法律事務所に依頼して45頁におよぶ申立書を提出して主権免除などによる却下を主張したのである。
米国の裁判所の訴訟手続には応ずるが、韓国の裁判所の手続には応ずることなく、判決も無視しようという日本政府の対応は明らかに韓国を蔑視した二重基準である。
■判決の歴史的意義の評価を
一方、一部の野党やメディアは、判決が2015年の日韓合意に反すると批判している。しかし、被害者から何の委任も受けていない韓国政府と日本政府の合意により被害者個人が請求できなくなるという論理は理解しがたい。しかもこれは管轄権ではなく実体(事件の内容)にかかわる問題であり、民事訴訟では裁判所は当事者の主張にしたがって判断する。日韓合意で原告が請求できなくなったというのなら、被告がそれを主張しなければならない。この立場からの批判は一切の訴訟手続を無視して判決を確定させた日本政府に向けられるべきである。
野党やメディアには、このような本質から外れた議論に終始するのではなく、国家により人権を侵害された世界の人々の立場に立って、国際法における判決の歴史的意義を評価することを望みたい。
(「世界」2021年3月号掲載)
(出所)「法律事務所の資料棚」WS