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中国をどう見るか-朝日新聞社説批判-

2019.11.17.

11月5日付の朝日新聞社説は、10月28日-31日に開催された中国共産党の第19期中央委員会第4回全体会議(4中全回)が採択した公報(コミュニケ)を取り上げて酷評していました。その内容は、日本人の多くが抱いている中国に対する見方を代表するものだと思います。「要約すればこうだ。共産党の一党支配は何ら間違っていない。統治はうまくいっている。だからこのままでいく--。およそ首肯できない結論だ。一党支配による矛盾は陰に陽に多くの問題を生んでいる。それが本当に中国の安定した発展につながるとも思えない。」「そもそも一党支配においては政治の過ちを正す道が、党内の権力闘争以外にない。共産党はその脆弱さを直視すべきだ。自由な民意の受け皿となる体制改革を進め、人権軽視を早急に改める。それが今の中国が追求すべき統治であろう。」
 私はこうした中国に対する見方が極めて皮相的で、中国の実像を捉えていないと思います。以下に朝日新聞社説の論点を踏まえて私の見方を紹介します。
<中国共産党の一党支配は間違っているのか?>
 1978年に改革開放政策を採用した中国のめざましい発展が様々な問題を伏在していることはコミュニケも率直に認めています。しかし、この約40年に及ぶ中国のあらゆる分野における進歩・発展を可能にした最大の原動力が中国共産党の指導力のたまものであることは紛れもない事実です。そして今日なお発展途上国である中国が各分野における進歩・発展を長期にわたって続けていく上では、全局を見据えた中国共産党の強力な戦略的指導力が今後も長期にわたって不可欠であることも間違いないところです。コミュニケは、中国共産党成立100年(2021年)、2035年そして新中国成立100年(2049年)の3段階での総目標を設定していますが、2049年までの30年間、中国共産党のもとで中国が安定的に発展することは、中国自身にとってだけではなく、世界の平和、安定及び繁栄のためにも最大のプラス要因となることを率直に認めるべきであると思います。
 また朝日新聞社説の上記主張は、日本を含む西側先進諸国の政治システムが深刻な機能不全に陥っており、また、いわゆる西側デモクラシーの諸制度を採用した途上諸国の多くが深刻な問題を露呈している事実も直視せず、「西側デモクラシー=善、共産党の一党支配=悪」という、ベルリンの壁崩壊後に西側諸国で広まった「神話」に相変わらずしがみついた空理空論というほかありません。私たちにとって一番分かりやすい例として日本の議会制民主主義を見ても、私たちは安倍強権政治のどこにもメリットを見いだせないではありませんか。そもそも、いわゆる西側デモクラシーの諸制度は19世紀までに整備されてから今日まで、大衆社会化(20世紀に入って急速に進行)、科学技術の革命的進行(20世紀後半から今日に至るプロセス)という新しい事態に適応する自覚的な自己変革の努力も行っておらず、その形骸化は否定すべくもありません。
 それに対して中国共産党は、建国以来の70年間試行錯誤を繰り返しながら、中国という土壌・国情にふさわしい社会主義建設の道を一貫して歩んできています。今回の4中全回コミュニケは過去70年間の成果を総括するとともに、70年間で築き上げた諸制度を基礎にガヴァナンス能力を高め、2035年までに社会主義強国の建設を目指すことを打ち出しているのです。西側デモクラシーの無目的性、無方向性との最大の違いはここにあります。西側デモクラシーの制度疲労に直面している私たちとしては、中国の問題点だけをあげつらうのではなく、まずはこの点を直視し、正当に評価するべきだと思います。
<一党支配は腐敗する?>
 「一党支配では政治の過ちを正す道が党内の権力闘争以外にない」とする朝日新聞社説の主張はあたかも自明のように聞こえます。確かに文化大革命はそういう性格を伴っていました。しかし、改革開放以後の中国における最高指導部の人事を見れば分かるのですが、中国では各分野・地方において実績を挙げた実力者が登用されていくシステムが確立しています(習近平はいわゆる「太子党」(政治家二世)ですが、地道に地方で働き、その実績の上で最高ポストに就きました)。また、特に習近平体制になってからは、「権力は腐敗する」法則(?)を遮断するための腐敗・汚職摘発の取り組みも自覚的・組織的に進められています。
私自身、習近平の任期制限を外す憲法改正には違和感があります。しかし、かといって習近平が過去のソ連におけるスターリン、中国における毛沢東のような存在になったのかといえば、それは明らかに事実ではありません。いかなる政治システムにおいても存在する派閥、権力闘争から中国共産党が無縁ということはあり得ないことです。しかし、重要なことは派閥、権力闘争だけに明け暮れするシステムなのか、自浄作用を働かせるシステムなのかということです。文化大革命の負の遺産に学んだ中国共産党は自覚的にこの問題に取り組んでいることは確認する必要があると思います。
<中国は人権無視の国なのか?>
 朝日新聞社説はまた、「自由な民意の受け皿となる体制改革」の必要性を強調しています。私も基本的人権を構成する政治的市民的権利(自由権)が普遍的価値を構成することを確信する者です。しかし、人権の歴史を振り返れば明らかなとおり、西側先進国においてもすべての個人に政治的市民的権利を承認するようになったのは20世紀に入ってから、特に1945年以後のことです。また、国際人権規約がA規約とB規約からなっている事実が示すとおり、政治的市民的権利が経済的社会的権利に無条件で優先するという主張は西側諸国の独りよがりであり、世界の大多数を占める途上国においては生存権、生活権の実現が最重要課題です。つまり、多くの途上国では生存権、生活権の保障すらままならぬ段階にあります。中国・中国共産党は、14億人近い人口を抱える途上国として、すべての中国人に生存権、生活権を保障、実現することを最大の政策課題としています(ちなみに4中全回コミュニケは、絶対的貧困問題を2020年までに解決するという課題をクリアした上で、次のステップとして相対的貧困問題を政策課題として日程に上がらせました)。
 中国・中国共産党が政治的市民的権利の無条件な承認・実現に消極的であることはそのとおりです。中国は国際人権規約のA規約は批准していますが、B規約は批准していません。中国・中国共産党は、政治的自由を認めることによって収拾がつかない政治的混乱を招くことは絶対に認めないという立場です。その点で、現在の香港で起こっている事態は極めて示唆的です。日本を含む西側メディアは取り上げようとしないですが、香港の混乱をアメリカが煽っており、いわゆる「民主派」にテコ入れしていることは紛れもない事実です。中国・中国共産党からすれば、仮に中国本土で政治的自由を無条件に認めればアメリカがつけ込んでくるに違いないことが香港事態で確認されたということでしょう。ちなみに、ボリビア(左派政権に対する事実上のクーデター)、レバノン、イラク(アメリカが敵視するイランと友好的関係を維持してきた政権に対するデモ)などにおける政治的混乱にもアメリカの関与があることも中国では同じ脈絡で捉えられています。
 朝日新聞社説は中国共産党が「人権軽視」だと断じていますが、すでに述べたとおり、これは極めて正確を欠くものです。中国における絶対的貧困撲滅の取り組みは赫々たる成果を収めていることは国連も認めている公知の事実です(中国の発表に基づけば、1978年に7.7億人だった絶対的貧困層の人口は2018年には1660万人にまで減少しました)。中国共産党は改革開放政策が富の格差を生み出していることを直視しており、それは今回のコミュニケにおける相対的貧困問題取り上げとなっていることはすでに述べました。習近平体制になってからは環境問題にも本格的に取り組んでいます。社会保障制度の整備、教育の普及も確実に進んでいます。都市と農村とを分け隔てる最大の制度上の問題であった戸籍制度についても、垣根を取り払う取り組みが行われています。なによりも習近平は毛沢東の「人民を中心とする」(以人民為中心)思想の重要性を強調し、中国共産党員すべての「初心」とするべきことを強調し、徹底させる運動を全国で展開しています。
<「中国共産党独裁」の中国の未来は?>
 2035年以後の中国がどのようになるかは分かりません。今回のコミュニケでもその点については無言です。中国共産党としては空理空論を振り回す余裕も関心もないということでしょう。それは無責任の表れとは違うと思います。例えば、今の日本において、2030年代までを見通した構想がでてくる可能性はみじんもありません。2030年代どころか、1年先、2年先の日本がどうなるかについてすら確信を持って論じる政治環境すらないのが現実です。アメリカ然り、欧州諸国また然りです。4中全回コミュニケが2035年までの見取り図を明らかにしたことの画期性は正にこの点にあります。

私は日本共産党の綱領改定に関わる中国批判について、その事実関係に関する分析・判断が間違っていることを1月10日のコラムで指摘しました。しかし、私がさらに進んで言いたいのは、中国は「覇権主義・大国主義」であるという批判の陰に潜んでいるであろう、「だから中国は社会主義を逸脱している」という判断は誤りであるということです。ソ連の社会主義建設路線は破産しました。中国共産党が強調するとおり、「社会主義建設」は前人未踏の未開の分野です。中国共産党は「中国独自の社会主義建設」を目指しており、自らの経験が他の国々の参考になればいいという立場です。なぜならば、いかなる国も独自の歴史、文化をはじめとする刻印を負っており、その建設には教科書はあり得ないからです。中国に対して軽々にステレオ・タイプのレッテル張りを行うのではなく、実事求是で中国を見る。これが私たちに求められていることだと思います。