21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

朝鮮核問題をどう見るか

2017.11.30.

11月29日に、朝鮮は大陸間弾道弾(ICBM)「火星15号」の発射実験を行い、成功したと発表しました。朝鮮中央通信は、「これによってわが国家は米本土全域を打撃できる超大型重量級核弾頭装着が可能なもう一つの新型大陸間弾道ロケット武器システムを保有することになった」と述べ、金正恩委員長が「今日は、国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現した意義深い日である」と述べたことを紹介しています。
 また、同日同通信が紹介した朝鮮民主主義人民共和国政府声明では、「今日ついに国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現された」と宣布するとともに、「朝鮮民主主義人民共和国の戦略武器の開発と発展は全的に、米帝の核恐喝政策と核威嚇から国の主権と領土保全を守り、人民の平和な生活を防衛するためのものとして、わが国家の利益を侵害しない限り、いかなる国や地域にも脅威にならないということを改めて厳かに声明する」として、あくまで自衛のためのデタランスであることを強調しました。
 私は、11月26日のコラムで、「如何に乱暴なトランプ政権といえども、朝鮮による日本及び韓国を完全に射程に収めている核ミサイル戦力をとうてい無視できない(日韓両国が死の灰で覆われる事態は、アジア太平洋経済ひいては世界経済の壊滅に等しく、アメリカだけが「被害の外で涼しい顔」などという事態は考えようがない)以上、朝鮮はすでにアメリカに対する必要かつ十分な核デタランスを構築していると確言できます。したがって私としては、朝鮮がアメリカを射程に収めるICBM開発に執着するのではなく、むしろその開発可能性をカードとして、トランプ政権が「最大限の圧力」政策を断念することを要求することを考えるべきではないのか、と判断しています」という判断を示しました。しかし、今回のICBM発射実験は、金正恩政権があくまでアメリカを射程に収めるICBM開発に邁進していることを示しました。
 他者感覚を働かせて金正恩の考えるところを推し量るならば、次のようなことでしょう。つまり、「アメリカの侵略的本性」及び「何をしでかすか予測不能のトランプ」という2つの要素を考えれば、日本及び韓国を犠牲にすることをいとわず、アメリカが朝鮮に対して襲いかかる可能性は否定できず、これに対抗するためにはアメリカ本土に対して報復攻撃を行う能力を持ったICBMを保有することは不可欠である、ということです。私は、そのような発想には同意できませんが、朝鮮戦争以来の朝鮮がたどってきた歴史の重みを考えると、金正恩政権が以上のような判断にたってICBM開発に邁進することは理解できます。朝鮮核問題を解決するためには、アメリカの核固執戦略を改めさせる以外にないということになります。
 私は11月はじめに朝鮮核問題に関するお話をする機会がありました。その中心的メッセージはまさに、アメリカの核固執戦略を改めさせる以外、朝鮮核問題解決の出口はないということです。私のお話を聞いていたある雑誌の編集部がテープを起こしてくれたので、主要部分を紹介させていただきます。

 本日は「緊迫した朝鮮半島情勢と向き合い、平和統一の未来へ―朝鮮半島情勢と私たちの課題」というテーマでポイントをしぼって述べたいと思います。特に、なぜアメリカや日本においては「北朝鮮脅威論」を、それぞれの国民がストレートに受け入れてしまうのかという原因を確認することにより、「北朝鮮脅威論」を退けるヒントも見いだすことができるのではないかと考えますので、そういう視点でお話を進めます。
<アメリカの「脅威」と日本の「脅威」>
本日の集会基調報告のなかで、「わたしたちは、世界で唯一の被爆国民として、すべての核の廃絶をめざします。それでは朝鮮の核はどうなのか」という問題提起がありました。この二つの問題は、私たち日本人にとって答を出すことがむずかしく思われる問題です。つまり、「私たちはすべての核廃絶をめざしている、それでは朝鮮の核についてはどのように考えればよいのか」ということを整理する必要があります。本集会に参加された方々は日朝友好運動と核廃絶を含む平和運動の両方に関わっておられる方が多いと思います。そのような方にとってはこの問題は深刻ではないでしょうか。
 この問題を解く一つの鍵として、核デタランスについて述べます。
 アメリカは第二次世界大戦後、自分の価値基準にもとづいて世界を一つにまとめていくという世界覇権戦略を追求してきました。けっして何も考えず力まかせに世界を支配しようとしてきたということではなく、アメリカには自らの行動を支えるアメリカなりの価値観があったのです。
しかし問題は、自分の価値観が絶対的に正しいと考えているところから、アメリカの価値観で世界を一色にしたいという戦略を追求してきたことにあります。
オバマ前大統領までの歴代アメリカ大統領は、少なくともアメリカの価値観にたいする誇りや信念をもっていました。それにたいしてトランプ大統領は根っからの商売人で、彼の物事の判断基準はすべて「得か損か」だけです。そのような意味からも歴代大統領とは異色の大統領があらわれたといえます。
 ただ、トランプ大統領もアメリカ第一主義を唱えており、アメリカの思うとおりに世界を動かしたいということでは、歴代政権の政策を踏襲しているといえます。
 世界を自分の思いどおりに動かそうとするアメリカにとって、世界におけるアメリカの覇権を確立することに立ちはだかり、その実現にとって邪魔になる存在はすべて「脅威」とみなされます。トランプ大統領も「脅威」をそのように定義しています。
 米ソ冷戦時代の主な脅威はソ連でした。ソ連社会主義が崩壊して、ソ連という脅威がなくなったあと、クリントン政権は「さまざまな不安定要因」を脅威と定義しました。さまざまな不安定要因とは、アメリカの思いどおりにならない存在のことです。そのなかには「ならずもの国家」も含まれています。それだけではなく民族紛争をはじめ世界の紛争など、アメリカの思いどおりにならないあらゆる問題を「脅威」としたのです。
ブッシュ大統領(子)は、脅威を「ならずもの国家」に特定し、イラクやイラン、朝鮮、シリア、リビアを名指ししました。
 その後、オバマ、トランプと大統領がかわっても、「ならずもの国家」を脅威とする基本的政策は踏襲されてきました。
イラク戦争ではサダム・フセインを殺して軍事的に政権を崩壊させ、その後もイラクの内政に干渉し泥沼におちいっています。
イランについては、アメリカだけではなくヨーロッパ諸国も高い関心をもっており、アメリカの思惑どおりにはならない状況になっています。2015年7月、イランに関する核の合意をイランと米中ロ英仏独の6か国がおこないましたが、トランプ大統領はその合意を破棄しようとしています。これにたいしては、中国、ロシアだけではなく、欧州諸国も疑念を表明し、トランプ政権とまっこうから対立しています。
 シリアはいま内戦状態にあります。しかしシリアにはロシアとイランの強力なサポートがあり、アサド政権は国土の90%を解放するまでにいたっている状況があります。
 リビアのカダフィ政権も、「アラブの春」のどさくさの中で軍事的に打倒されました。
 アメリカが「ならずもの国家」と名指しした国のうち、イラクとリビアがアメリカの軍事介入で政権が崩壊させられました。そうした国際的背景のもとアメリカは、朝鮮にたいして圧力を強めるようになりました。ブッシュ大統領(子)は、イラクのフセイン政権を崩壊させたあとは、イランか朝鮮をつぎのターゲットにして攻撃をしかけようとしていました。しかしイラクに足をとられて思うようになりませんでした。オバマ政権になってからは、朝鮮にたいして「戦略的忍耐」というアプローチをとりました。「戦略的忍耐」とは兵糧攻めを意味し、朝鮮の政権が崩壊するのを辛抱強く待つという考え方です。そのために国連安全保障理事会で朝鮮にたいする「制裁」決議を作りあげるよう画策していきました。
 朝鮮は安保理の「制裁」をうけつづけてきましたが、もともと対外依存度が低い朝鮮に対して、「制裁」は功を奏していません。オバマ大統領のあとに登場したトランプ大統領は、オバマ大統領の「戦略的忍耐」は失敗であると批判するなど、オバマ大統領のおこなってきた政策すべてを否定して、独自の政策をうちだしてアピールしています。
 トランプ大統領がうちだした対朝鮮政策は、「最大の圧力と対話」です。オバマ大統領と異なるのは「対話」という要素を入れたことです。もっとも対話といっても、最大の圧力をかけて朝鮮の政権が悲鳴をあげるように追い込み、アメリカの言うことを聞くようになったときに初めて対話をおこなうというものであり、真の意味の対話ではありません。日本が1945年8月15日、連合国側が提起したポツダム宣言の丸呑みを強いられたように、アメリカに無条件降伏することを意味します。
トランプ大統領は、オバマ前大統領のように朝鮮の政権崩壊については言及していません。トランプ大統領は国連演説で荒唐無稽な発言をおこないましたが、たいした考えもなく口からでまかせを言ったのではないでしょうか。トランプ大統領とオバマ大統領との間に唯一異なるところがあるとすると、朝鮮の政権崩壊までは目的にしていないということです。
アメリカは自分の言うことを聞かない者や国を「脅威」とレッテルを貼って徹底してつぶそうとします。そのようなアメリカの「脅威観」にどのように対抗すればよいのでしょうか。アメリカの圧力に断固として抵抗し、アメリカの思いどおりにならない存在であるということをアメリカが承認せざるをえなくすることが重要です。朝鮮がアメリカの策動に抗しつづけていくことは、アメリカ自身が自らの「脅威観」を反省するきっかけになるかもしれません。そういう意味では、アメリカの攻勢にたいして朝鮮が屈することなくがんばりぬくことは世界平和のためになります。
 それでは日本の言う脅威とは何でしょうか。わたしたち日本人のなかに、「ウチ」と「ソト」を区別する意識が根深くあります。いわゆる「ウチ・ソト意識」というものです。これは、身内はかわいく大事にするが、身内と認めないものにたいしては警戒、差別するという意識であり、昂じると「ソト」にたいして敵対するようになります。そこからさらに「脅威意識」が生まれます。
日本にとって朝鮮半島は長いあいだ見下す対象でした。日本を中心とする「小中華世界」という国際認識があり、自分よりも下の存在と位置づけたのが朝鮮でした。明治維新以降は、日本は朝鮮を見下すだけにとどまらず、支配するようにかわっていきました。こうして朝鮮にたいする植民地支配となったのでした。
日本は第二次世界大戦において敗北し、植民地であった朝鮮は解放されることになりました。解放された朝鮮は社会主義国家になりました。日本ではもともと「アカ」意識が根強く、それが「ウチ・ソト意識」とあいまって、朝鮮を敵視する政策をとるようになりました。
 朝鮮敵視政策は安倍晋三首相だけの問題ではありません。多くの日本人にとっても、「ウチ・ソト意識」からすれば、朝鮮はよくわからない国だ、わからないから警戒するというようになります。それがさらにすすむと「脅威」と感じるようになります。
 わたしたちはこの「ウチ・ソト意識」という根深い意識、感情を清算しなければなりません。そうしなければ、安倍首相が声高にさけぶ「北朝鮮脅威論」を簡単に受け入れてしまうことになるのです。
 アメリカ人の場合は、自分の意のままにならない存在があらわれれば、それを認め、「脅威認識」をあらためる可能性があります。しかし日本人の場合は「ウチ・ソト意識」といううちなる問題であるため、なかなか「脅威認識」をあらためることができないという問題があります。
 そのため、日本における「北朝鮮脅威論」を解消するほうが、アメリカにおけるよりはるかにむずしい問題であるということを理解する必要があります。
 それを克服するためには、自分たちのなかにある思想と意識を清算するという、個人の次元での取り組みからはじめなければなりません。日本人がもっている「ウチ・ソト意識」により、日本においては「北朝鮮脅威論」がストレートに入ってしまうからです。
もう一つの問題として、アメリカは自分を中心にして世界がまわっていると考える世界観があります。これをわたしは「天動説」と言っています。
アメリカという価値観の担い手が、「俺が正しいのだからお前たちは俺の言うことを聞け」といった思考と行動を追求するのです。これはまさに「天動説」です。
しかし「天動説」はアメリカだけの問題ではなく、日本人の国際観も「天動説」です。つまり、他人とのあいだで何らかの問題が生じたとき、自分が悪いとは考えず、相手が悪いと考えるのです。それはまさに「ウチ・ソト意識」の発露です。アメリカの「天動説」と比較したときの日本の「天動説」の特徴はきわめて心情的ということであり、それだけに根深いものとしてあるのです。
アメリカも日本も「天動説」であるというところでは一致しています。また「脅威」の意味づけは異なっていても、朝鮮が「脅威」であるというところで一致してしまいます。それゆえ日米は朝鮮を脅威とみなすことで結ばれてしまうのです。
以上に述べたことをわたしたちは正確に認識する必要があります。なぜならば、そういう正確な認識があってこそ、それにたいしてどのように対峙していけばよいのかという問題意識がでてくるからです。
<「脅威」と「デタランス」>
朝鮮は「脅威」なのでしょうか。「脅威」という言葉には明確な古典的な軍事的定義が国際的に確立しています。朝鮮が「脅威」であるか否かということは、アメリカの「独善論」、日本の「心情論」とは別の次元で考える必要があります。それが朝鮮の核ミサイル開発と「北朝鮮脅威論」、核デタランス再考ということになるのです。
デタランス(deterrence)という言葉は日本語で「抑止」と訳されたりします。しかしわたしは「抑止」という言葉を使わず、デタランスという言葉をそのまま使います。
デタランスとは、国が他国からの攻撃を効果的に未然に防ぐために、「報復」という「脅迫」を行う軍事戦略・軍事力のことです。
すなわち敵国から攻撃をうける可能性があるとき、「報復」するという脅迫によって、攻撃しようとする相手側の脅威に対抗することです。たとえば、朝鮮に関していえば、アメリカが攻撃してくるという客観的可能性、「脅威」があるわけですが、それにたいして、攻撃をしかけてくるのなら、それに対して泣き寝入りせず、かならず報復すると「脅迫」することによって、アメリカが攻撃を思いとどまらざるを得なくすることなのです。これがデタランスです。
デタランスが成り立つための条件は、朝鮮が「報復」するという決意がホンモノであることを報復する相手側、つまりアメリカに確信させることです。
デタランスが成り立つためのもう一つの条件は、朝鮮の「報復」によってアメリカがこうむるであろう被害がとうてい受け入れ不能であるほど甚大であることです。
この二つの条件がともなわなければデタランスは成り立ちません。「報復」するといくら言っても、それがこけおどしであってアメリカが信じなければ、アメリカは朝鮮に攻撃をしかけることになります。「報復」する決意がホンモノであることをアメリカに確信させることが一つの条件です。もう一つは核に直結する問題です。「報復」によってこうむる被害が甚大で、アメリカにとってとうてい受け入れがたい水準であることです。アメリカにとって受け入れ不可能な被害、損害を与えうる、こんにちにおける最強の兵器は核ミサイルということです。
朝鮮の核ミサイルの本質を理解する上では、「脅威」と「デタランス」のちがいを正確に理解しなければなりません。攻撃する意思と能力がともにそなわっている場合に「脅威がある」といいます。アメリカの場合、朝鮮を攻撃したいという意思はホンモノです。同時に世界一の圧倒的な軍事力があります。意思も能力もともにあるため、アメリカは朝鮮にとって正真正銘の脅威です。
デタランスは、脅威と定義が似ていますが異なります。報復する意思と能力がともにそなわった場合をデタランスがある、またデタランスであるといいます。朝鮮については、アメリカにたいして報復する決意、かなわなくても少なくとも泣き寝入りはせず、一矢報いるという決意はホンモノであり、報復する能力もありますから、デタランスがあると言えます。しかし、朝鮮はアメリカを攻撃する物理的能力はありますが、世界最強のアメリカに進んで攻撃を挑む意思はありえませんから、「脅威」ではありえないのです。
デタランスと「抑止」という言葉のちがいについても理解しなければなりません。
わたしたちが一般的に「抑止」という言葉で理解していることは、「最悪の事態がおこらないようにするための政策的な努力」ということです。平和を守るために日米軍事同盟があり、アメリカの「核の傘」もそのためにある、といった言葉が浸透し、多くの人々が受け入れている考え方です。しかし、デタランスの本来の意味はそうではありません。泣き寝入りしない、かなわぬまでも一矢を報いるという不退転の決意というところに本質的な意味があるのです。
ところが日本政府はアメリカの「核の傘」を受け入れるときに、わたしたち国民に、アメリカの「核の傘」はいざとなったら、日本が甚大な被害をこうむることを覚悟のうえで、相手にたいして報復することを意味すると正直にいえば、「平和愛好国民」であるわたしたち日本人は、そのようなものは受け入れられないと拒否したことでしょう。それゆえデタランスという言葉を「抑止」という訳語にすり替えたのです。
言葉のすり替えは、日本政府の常套手段です。言葉の魔術で中身をすり替えるということは、デタランスと「抑止」との関係でも存在するということを理解しておいていただきたいと思います。
<朝鮮の核ミサイル開発と「北朝鮮脅威論」>
以上にお話ししたとおり、朝鮮の核ミサイルはデタランスではあっても脅威ではありえません。朝鮮がかりにアメリカに攻撃をしかけたら、つぎの瞬間アメリカが朝鮮をハチの巣にするほどの攻撃をしかけることを朝鮮は知りつくしているため、朝鮮から先手をとるということはありえません。トランプ大統領も安倍晋三首相もそれを先刻理解しているので、かさにかかって「制裁だ、制裁だ」と言うのです。 朝鮮にたいして、米日韓はすきあらば攻撃をしかけようと思っています。それにたいして、朝鮮は米日韓にたいして受け入れ不能な報復をおこなう意思と能力をもっていることをくりかえし示しているのです。アメリカがそれを認識することになれば、「朝鮮には核デタランスがある」ということになります。
ちなみに朝鮮は、アメリカに届くICBM(大陸間弾道ミサイル)をもつ必要はありません。なぜならいまでも、日本と韓国を射程におさめる核ミサイルは持っているため、これだけでもアメリカは朝鮮にたいして攻撃をしかけられないのです。日本と韓国には相当数の米軍が存在し、多くのアメリカ国民もいます。たとえばアメリカが朝鮮を攻撃するならば、朝鮮はその報復として、横田基地、岩国基地、嘉手納基地などを攻撃するでしょう。その結果、日本全土が死の灰におおわれるのです。韓国においても同じです。アメリカも、アメリカ本土は攻撃されなくても、そんな事態をまねくようなことはできっこないのです。
マティス米国防長官が「米国は北朝鮮をめぐる問題にたいし外交的解決が優先だ」と発言していました。マティス国防長官は軍事の専門家であるため、軍事的な解決はありえず、外交的解決のみが選択肢としてありえることをよく知っています。
ところが、トランプ大統領は軍事のことは何もわかっていません。知らない者ほど危ないといえます。
ただトランプは根っからの商売人であるため、日本と韓国が朝鮮の核ミサイルで打撃を受けたら、つぎの瞬間には東アジア経済がつぶれることになることはわかります。こんにち国際的相互依存の世界となっているため、東アジア経済がつぶれるならば、世界経済がつぶれてしまうのです。これは商売人としてのトランプ大統領にとって、取り得るリスクではありません。
このようにみていくならば、朝鮮の核ミサイルは「デタランス」であっても「脅威」ではないことがわかると思います。
ただし、朝鮮の自衛としての「先制打撃」はありえます。アメリカが朝鮮にたいして攻撃をしかけようという兆候が見られたら、朝鮮は先制打撃という自衛の手段をとると公言しています。
自衛のための先制攻撃は、伝統的な国際法では認められてきました。しかし国連憲章では認められていません。アメリカや日本、イギリスや韓国などは、伝統的な国際法にもとづいて自衛権を解釈しているため、自衛のための先制攻撃は可能であるという立場にたっています。そのことを朝鮮はよく理解しているため、朝鮮にたいして先制攻撃をしかけてくるという兆候が見えたら、朝鮮はそれにたいして、先んじて攻撃すると言っています。もちろんつぎの瞬間には朝鮮も攻撃をうけることはわかっています。しかし、朝鮮だけが犠牲になることはありえないという「脅迫」です。
アメリカや日本のなかでは、「朝鮮が何をするかわからない」というイメージが浸透しています。朝鮮の「先制打撃」論はそのような米日のイメージを逆手にとっているといえます。
結論として、「北朝鮮脅威論」は米日合作のフィクションにすぎないということがいえます。
<核デタランスの「虚」と「実」>
本集会の基調報告で提起された「わたしたちは、世界で唯一の被爆国民としてすべての核の廃絶をめざします。それでは、朝鮮の核はどうなのか」という疑問にたいするわたしなりの答えが核デタランスの「虚」と「実」ということです。
核廃絶を唱えながら、アメリカの「核の傘」は必要という日本国民が世論調査で3分の2をこえている事実があります。このような数字は、日本人の核意識がいかに曖昧であるかを示しています。
世界最強の軍事大国であるアメリカに攻撃をしかける国はありえません。そのようなアメリカが身を守るために核を持つというのは、いかなる意味でも正当化されるものではありません。すなわち、アメリカの核デタランスとは「虚」の塊です。
また力関係の問題だけではなく、国際的相互依存のすすんでいる世界において核を使ったらその時点で世界は終わりになります。したがって核兵器というのは20世紀までの過去の遺物です。
さらに世界で生きている一人ひとりの人は、人間の尊厳をもっています。人間の尊厳とは誰にも譲り渡すことのできない、その人だけがもつ固有の価値です。世界に60数億の人間がいます。しかし、誰一人として同じ存在はありません。そのようなかけがえのない価値をわれわれ一人ひとりがもっているのです。それをわたしは「人間の尊厳」と定義しています。
誰一人として犠牲にしてよい命などありえません。日本の人たちの命も大切であると同様、朝鮮の人たちの命も大切なのです。シリアの多くの人たちが難民となっていたり、世界には飢餓に苦しむ人たちも多くいたりします。人間の尊厳を承認する限り、このようなことがあってはいけないのです。
人間の尊厳という価値観が世界的に確立することによって、人間を大量に殺す核兵器は使ってはいけないということは国際世論になるはずです。
21世紀のこんにちの世界では、国際的相互依存、人間の尊厳という二つの規準、価値観からみても、核兵器は過去の遺物にしなければいけません。
人類が生きのびるためには、核兵器廃絶しかないのです。したがって、アメリカの核デタランス戦略は「虚」の塊です。
しかし、アメリカによって脅威をうけている国々にとってはどうかという問題があります。それがまさに中国であり、ロシアであり、そして朝鮮なのです。
朝鮮はアメリカを攻撃することはできません。しかし、攻撃をしかけられたら、報復する能力はもっています。それによってアメリカの攻撃を防ぐことができるのです。これが核デタランスの「実」であり、中身はあるということなのです。
もちろん、朝鮮が核を保有しなくてもよいように世界の流れをつくっていくことが重要です。
それには、アメリカの核戦略を批判しなければなりません。アメリカの核固執に引導を渡す、この課題に世界の知恵を結集する状況をつくっていく必要があります。
「朝鮮の核は悪い、しかし、アメリカの「核の傘」はよい」というわたしたちの曖昧な姿勢を転換しなければ、ものごとをかえることはできません。
わたしは6年広島で生活したことがあります。広島においてすら、一般の国民世論と同じ核意識です。核兵器は廃絶すべきだと言いながら、日米軍事同盟に賛成という人が3分の2います。アメリカの「核の傘」は必要だという人も、被爆者を含めて3分の2います。
このような状況をあらためなければ、世界の人たちが耳をかたむけるような、しっかりした安全保障観を日本はもつことができないでしょう。
朝鮮の核ミサイルは、もちろん望ましいものではありません。わたしは朝鮮は核をもつ必要はないのではないかと思っています。なぜならば朝鮮は38度線沿いに大量の砲火をもっており、ソウルを火の海にすることができるからです。それだけで十分にアメリカが攻撃をしかけるのに対抗する力になっています。
しかし朝鮮は、イラクのサダム・フセイン政権、リビアのカダフィ政権がアメリカの圧力、軍事力によって崩壊させられたのを見て、自国を守るためにはどのように対処するべきかを考えたのだと思います。
アメリカは湾岸戦争以来、ピンポイント攻撃能力を飛躍的に高めています。38度線沿いの朝鮮の火力をピンポイントで全滅させて、そのうえで朝鮮に攻撃をしかけることもありえると、朝鮮が考えても不思議ではありません。
そのため、朝鮮は究極的な選択として核ミサイルを追求することになりました。わたしは朝鮮の核ミサイル開発には賛成ではありませんが、朝鮮の戦略は理解できます。朝鮮が安心して核ミサイルを放棄することができるようにする国際関係をつくっていくことが、わたしたちが取り組むべき課題なのです。
朝鮮を侵略し植民地支配をおこない、永久にあがなうことができない犯罪をおかした日本人は、せめてアメリカという猫に鈴をつけるくらいの責任を負わなければなりません。日本にはそれだけの力があります。日本は世界三位の経済大国でもあります。日本がアメリカとの軍事同盟を反故にすると言ったら、アメリカの世界戦略は完全に崩壊します。
日本がアメリカに反対したら、アメリカは日本を攻めてくるのではないかという人もいます。しかし、こんにちほど国際的相互依存がすすんだ世界では、アメリカが日本に軍事的打撃を加えることはトランプ大統領でもできません。トランプ大統領は経済の重要性だけはわかっています。
日本の圧倒的に多くの国民は、21世紀に入ってもあいかわらず、20世紀の発想のままでいます。21世紀の世界においては、国際的相互依存、人間の尊厳の二つを考えなければ成り立たないのです。21世紀の世界においては、核兵器はありえず、軍事同盟はありえず、戦争はありえないと理解するならば、アメリカにたいして物申す日本になることができます。そのような資格と能力を十分にもっている日本だということを、わたしたちは一日も早く自覚しなければなりません。
それが日本を救う道であり、世界の平和と安定をもたらす道でもあるといえます。
<「他者感覚」を働かせて見る朝鮮半島情勢>
「他者感覚」という言葉は、日本政治思想史学者の丸山眞男氏が強調した言葉です。「他者を他者として、他者の内側から見る目」を「他者感覚」と言います。「相手の立場に立ってものごとを考えなさい」というだけでは「他者感覚」ではありません。相手の立場に立って、自分の頭をそっくり相手の側にもっていって考えても、自分のことしか考えていないのですから。
重要なことは他者の内側から見る目なのです。他者だったら、この人だったら世界はどのように見えるのかと考えるのです。他者になりきることはできるはずもありません。しかし、なりきるようにかぎりなく努力することが大事だということです。
これが、わたしが外務省で25年間働いて得た財産です。相手国が日本にたいしてある行為をおこなう、それにたいしていまの安倍政権のように敵対的に対抗していくことは簡単です。しかし、なぜ相手はこのような態度をとるのか、政策をとるのかと考えることが重要なのです。それは相手になりきる努力をしなければできない発想です。わたしは、25年間の外務省での実務経験を通じて、知らず知らずのうちに「他者感覚」を身につけていたのです。
大学の世界に入ってから、丸山眞男氏の著作を集中して読む機会がありました。そのとき丸山眞男氏がすでにそれを「他者感覚」として強調していることを知りました。
朝鮮半島情勢を見るときに、わたしたちの立場、モノサシですべてをはかろうとしても真実を見あやまってしまいます。朝鮮のモノサシでは物事はどう映じているのか、中国のモノサシではどうか、ロシアのモノサシではどうか、アメリカのモノサシではどうか、韓国のモノサシではどうかということを考えて情勢を把握する努力をすることが、すべての国際問題に取り組むうえでの出発点となります。
朝鮮にとって世界はどう映っているのだろう、朝鮮にとって朝米関係、朝中関係、朝ロ関係、南北関係はどういうものなのか、ということを「他者感覚」をはたらかせる努力をして考えていく必要があるのです。