丸山眞男の思想に学ぶ(公開講座)-追記-

2016.10.10.

10月7日付のコラムで表題の公開講座のご案内をし、私のような専門外の人間が大胆かつ不遜にもこのようなお話しの案内をする理由として、「幾多の先行研究に接してきましたが、私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想に関する指摘・解明に接したことがないという「不遜な思い」から、私自身の丸山理解を是非皆様にも共有して頂きたいという思い入れがあります」と記しました。
 最近、メーリング・リストを通じて、『聖教新聞』10月5日号の「没後20年丸山眞男・思索の軌跡を知る」という記事に接しました。この記事は、東京女子大学に寄贈された丸山眞男の蔵書、草稿資料類に基づく研究プロジェクトを通して、「丸山は「戦後」や「日本」という時間や空間にとどまらない、20世紀の世界を代表する知識人の一人であることが、より鮮明になってきました。…数多くの海外の著名な識者との交流が、それを物語っています。」と指摘しています。
 私が生意気にも、「私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想」の一つは正しく以上の指摘とつながることなのです。つまり、丸山の思想は、単に「戦後」及び「日本」の枠に留まらない、21世紀の世界の進むべき方向性を指し示しているということです。私は、そのことについて、私の公開講座の第3回でお話ししようと考えています。
 聖教新聞の記事は指摘していませんが、「私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想」のもう一つは、日本の思想の問題点に関する丸山の鋭い解明です。特に私が実務体験を通じて膨らませた様々な疑問に対して、外来思想の受容に当たってそれを修正させる、政治・倫理・歴史という3分野における日本独特の考え方のパターン(「執拗低音」)の存在を指摘した丸山の解明は本当に「目からウロコ」であり、私の様々な疑問を氷解させるものでした。また、丸山は直接に言及しているわけではありませんが、丸山が指摘した「普遍を欠く日本の思想」という重要なポイントや、彼がくり返し指摘して止まなかった、私たち日本人に欠落する「個」、「他者感覚」の問題も、根底において執拗低音との関連性があることは間違いないと思います。そして、これらの問題を直視することこそが、日本政治のあり方に対する正確な視座を持つことに直結するのだと、私は確信するのです。私はこの点について、私の公開講座の第2回でお話しする計画です。
 聖教新聞の記事が「私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想」の一つについて明確な言及をしていることは、私にとっては「我が意を得たり」以外の何ものでもありません。したがって、10月7日付コラムでの「幾多の先行研究に接してきましたが、私がもっとも重要だと確信している丸山眞男の思想に関する指摘・解明に接したことがない」という不遜な指摘を喜びをもって訂正するものです。この「追記」を書く所以です。
 なお、この記事によれば、10月14日に東京女子大学の「丸山眞男記念比較思想研究センター」は記念の国際シンポジウムを行うとのことです。丸山の思想の先見性について、このシンポジウムでさらに詳しく明らかにされることを期待します。そして、10月25日、11月15日及び12月6日には、私なりの丸山眞男理解について皆様にお話ししたいと考えています。