日本の世襲政治と戦争責任(中国側分析)

2015.03.26.

*日本・日本人が戦争責任を認めようとしないのは、日本人特有の歴史認識に原因があります。「特有の歴史認識」を生みだす根本的な原因として、私は丸山眞男が指摘した日本人に特有の時間に関する意識、つまり、日本人にとっては「いま」がすべてであること(丸山の表現によれば、「おのずから」「つぎつぎとなりゆくいきおい」)、そして丸山と相良亨がともに指摘した、日本の思想には「普遍」が欠けていることが非常に大きく働いていると判断しています。
日本人のこのような時間に関する意識においては、「過去」はひからびた事実にすぎません。したがって「歴史を以て鑑と為す」という学ぶべき対象として過去を捉える考え方は生まれてきません。また、普遍を欠く日本の思想においては、「未来」はどうなるか分からない、とらえどころのない不確定なものでしかありません。「真理」「正義」「歴史的な法則」などの普遍的な存在によって導かれ、到達されるべき目標として未来を捉える考え方も生まれてこないわけです。
中国においても、日本が頑なに戦争責任を認めようとしないのはなぜなのかという問題意識からの取り組みが行われてきています。そういう努力の一環として、3月24日付の新民晩報は、復旦大学国際関係公共事務学院教授の樊勇明署名文章「日本の世襲政治と戦争責任」を掲載しています。この文章は、日本が戦争責任を認めない原因を日本の世襲政治に求めています。そして、世襲政治というのは日本の政治土壌に深く根づいている病弊なので、戦争責任を直視しないという日本の病理を根治するには長い時間を必要とするだろうという判断を示しています。要旨を紹介します(全体の趣旨を紹介することが目的なので、文章及びデータの正誤はチェックしていないことをあらかじめ断っておきます)。

「世襲」は日本の政治世界において久しく続いてきた慢性疾患である。名門家族は、議員という指定席を代々引き継ぐことにより、日本の政治権力を牛耳ってきた。彼らの多くは、日本の歴史における対外侵略と複雑に関係してきた。「世襲」の政治生態環境のもとでは、戦争責任に対する追及及び清算も手加減されることにならざるを得ない。これこそが、国家としての日本が歴史問題において「歴史を以て鑑と為し、未来に向きあう」ことに本気で取り組むことができない重要な原因の一つである。

1.国会と首相官邸:「世襲」の巣窟

2014年10月に解散された当時の衆議院議員における世襲の数は次のとおりである。

  議員数 世襲議員数 世襲率
自民党 304人 124人 40.8%
公明党 31人 2人 6.5%
民主党 113人 26人 23.0%
共産党 9人 1人 11.1%
社民党 7人 0人 0%
その他 16人 9人 56.3%
合計 480人 162人 33.8%

 

つまり、3人の議員のうちの1人が世襲議員である。ここで世襲議員とは、祖父、父親または伯父(叔父)の議席を受け継いだ議員を指す。 首相及び閣僚についても状況は同じようなものである。1982年の中曽根内閣から2014年の第三次安倍内閣に至るまでの間、18人の首相が生まれたが、世襲でないのは宇野宗佑、海部俊樹、村山富市、森喜朗、菅直人、野田佳彦の6人で、他の12人は世襲だ。この12人のうち、父親から議席を継承したのは宮沢喜一、羽田孜、橋本龍太郎、小淵恵三、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫の9人である。特に注目されるのは、小泉内閣から鳩山内閣に至る5内閣首相は世襲が連続していることだ。
内閣閣僚に関して言えば、世襲議員はさらに多い。なぜならば、大臣になるためのもっとも大きい条件が当選回数であり、一般的な状況のもとでは、当選5回で入閣する機会がでてくる。世襲議員は地盤が安定しており、資金も潤沢、知名度も高いから、再選されるチャンスは一般の議員よりはるかに大きい。2014年12月に誕生した安倍内閣では、閣僚19人のうち9人が世襲だった。

2.「3ばん」と世襲政治

日本で議員に当選する上では、政治的主張も重要ではあるが、実力の方がさらに重要である。いわゆる「実力」とは、「地盤」(安定した選挙区)、「鞄」(カネ)、「看板」(知名度)の3つの「ばん」を指す。(浅井注:日本人にとっては知られていることなので、詳細省略)

3.「忠誠を尽くす」文化と世襲政治

「3ばん」式票田が日本の世襲政治の外的要因とするならば、「忠誠を尽くす」文化は世襲政治の社会的環境及び思想的淵源である。
「忠」は、儒教文化が日本に伝わってから変質を遂げた。儒家の思想の中身は極めて豊富であり、大まかに言えば、「仁義礼智信」を以て孔子の主要思想とまとめることができる。その中で「仁」は儒家思想の精髄である。孔子は、「仁」を以て、人が人である上での最高の準則とするとともに、仁の道を実践するに際しては孝悌からはじめなければならないとも強調した。しかし、儒教が日本に伝わった後、日本の幕藩体制と結合し、その核心思想は「孝」から「忠」へと変化していった。日本の幕藩体制の特徴は、天皇と幕府の間の分権及び幕府及び諸藩との間の分権である。重層的な分権の結果、人身的依存を特徴とする家臣及び武士集団が形成された。いわゆる「忠」とは、家臣及び武士に対して、善悪または正誤を問わず、幕府あるいは藩主に対して死ぬまで忠誠を尽くすことを要求した。この「忠を尽くす」文化が日本の政界においては支配的であり、議員の世襲制の思想的基礎であり、社会的環境ともなっているのだ。

4.世襲政治と戦争責任の清算

世襲政治の根源にあるのは日本の天皇制政治であり、対外拡張とも密接な関係があり、日本が国家全体として歴史を反省し、戦争責任を清算する上で、巨大にして避けて通ることのできない障碍となっている。
世襲政治は、戦前の天皇制政治の遺産である。アメリカ主導のGHQは、いわゆる共産主義の脅威に対処するために必要として、早々と日本の政治的民主化のプロセスを中断し、戦前日本の政界、財界、軍の重要人物は次々と復活を許され、堂々と政治の舞台に上っていった。それに加え、日本独特の閉鎖性によって形成された門閥が日本社会の様々な領域で重要な影響力を持ち続けることとなった。
周知のとおり、安倍晋三は岸信介の外孫であり、政治的に二人は結びついている。安倍はかつて、その著書『美しい国へ』の中で、自分のDNAの多くは岸信介から受け継いでいることを認めている。安倍晋三と岸信介は血統的な遺伝子のみならず、政治上の遺伝子も共有している。岸信介から安倍晋三に至る政治理念の伝承こそが、日本政治が対中侵略の歴史を死んでも認めない内在的関連性を反映しているのだ。
以上に述べたことから想像できるように、日本の世襲政治が清算され、根本的に取り除かれない状況のもとでは、日本の政治家に対して、侵略を深刻に反省し、過去の対中侵略の歴史と明確に境界を画することを求めるのは極めて困難なことであり、思想的政治的に結びついているならばなおさらそうである。我々としては、日本国内の侵略を否定し、戦争責任を水に流そうとする思想及び勢力との闘いは長期にわたる、複雑かつ困難なものになることを認識する必要がある。