「終戦」70周年を前にして思うこと

2014.12.2.

*9月18日に行われた市民団体「村山談話を継承し発展させる会(村山談話の会)」主催の「安倍解釈改憲を撤回し、いまこそ東アジアに平和外交を」と銘打ったシンポジウムで、表題のタイトルのもとで冒頭発言を行いました。社民党の月刊誌『社会民主』編集部が原稿起こしをして、私が微調整を加えたものを紹介します(同誌でも掲載されました)。
  本日(12月2日)、衆議院総選挙が開幕(?)しましたが、明2015年は、日本の敗戦70周年であるとともに、国際的には反ファシズム戦争勝利70周年、中国の抗日戦争勝利70周年、朝鮮半島開放70周年、そして国連成立70周年でもあります。各10周年が国際的に大々的に取り上げられることはこれまではなかったのですが、70周年の2015年には国連はもちろん、中露両国を中心として大々的に記念する行事を行う取り組みが進んでいます。その最大の原因は、日本政治の右傾化が進み、歴史書き換えを目指す動きが日本国内で強まっていることに対する国際的な危惧と警戒の高まりがあります。
  私は、今回の総選挙における投票態度を考えるに当たって、一人でも多くの主権者が21世紀におけるこの国の進路のあり方を真剣に考えて欲しいと願っていますし、この小文がそういう態度決定を行う上での参考材料になることをも願っています。   このお話の要点は、①ポツダム宣言および日本国憲法は、「戦争違法化」の人類史の潮流の中に位置づけられるものであると同時に、戦後の東アジアの力によらない平和的秩序形成の座標軸となったものであること、②しかし、特に冷戦終結以降、力による支配を志向するアメリカは、こうした流れへの逆流を強めてきたこと、③アメリカの一極支配に抵抗する中国・ロシアのこの間の外交的方向性は、憲法の目指す力によらない平和の方向性と客観的に一致していること、④国際的相互依存の不可逆的進行と地球規模の諸課題の登場及び山積は、戦争による問題解決という手法を無意味化しており、憲法理念の実践は現実的なオプション(選択肢)になっていることを指摘し、来年2015年に迎える「戦後70年」の意味を考える上での、基本的な視点を提起したものです。

本題に入る前に申し上げたいのは、今の私たち日本人の国際情勢に関する見方というのは、とりわけ米ソ冷戦が終わった90年代以降、もっぱら米国というプリズムを通して世界を見ることに慣らされてしまっているということ。例えば皆さんが疑いもしないであろう「中国脅威論」や「北朝鮮脅威論」というのも、本来は米国の世界戦略を抜きに語れないものです。
しかし、21世紀に入った世界において、今や米国中心の発想を清算しないことには、日本は次に進めないというのが私の最大の確信です。本日はそのことを念頭に置きつつ話をしていきます。

まず、憲法の平和と東アジアの平和を考えるための座標軸として、ポツダム宣言および日本国憲法に至る平和構想というものを振り返っておきます。
第1次世界大戦から第2次世界大戦に至るまでに、2つの重要な流れがあります。1つは、戦争を違法化するという国際的な動きです。それは私流の言い方をしますと、力によらない平和ということなのですが、それに向けた国際的な歩みです。これは東アジアのこれからの平和を考える上での基本的な座標軸の1つであると、私は確信しています。
戦争違法化の流れは、国際連盟規約、パリ不戦条約、そして(第2次大戦中の)大西洋憲章、(現在の)国際連合憲章、さらにポツダム宣言へとつながっています。
要するに、戦争というものはかっては政治の延長として正当化されていたのだけれども、余りにも戦争が残酷、悲惨なものになってしまったという反省が、やはり戦争は規制しなければならないという流れを生んだわけです。それが最終的には国連憲章2条4項が「全ての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定めることで、戦争一般を違法化し、戦争はやってはいけないということが国際法として確立しました。ポツダム宣言ももちろんこれを受けていたのです。
もう1つの大きな座標軸は、日本国憲法9条の成立への歩みです。それは、力によらない平和、戦争のない世界を展望するためには、戦争の元凶となった侵略者、加害者を完全に排除しなければならないということを強く意識したものです。これが憲法9条につながる思想的な源だと言えます。
ポツダム宣言の前に大西洋憲章というのがあり、その8項でもやはり侵略者の武装解除という思想が出ています。そして、その大西洋憲章を受けたポツダム宣言の6項で、日本の軍国主義の武装解除を明確にうたっているわけです。 しかも、このポツダム宣言には法的拘束力はないという乱暴な議論をする人もいますが、昭和天皇は終戦詔書で、ポツダム宣言に応じると言うことで初めて降伏ということを明らかにしており、さらに、1945年9月2日に署名された降伏文書で日本政府と軍の代表は、宣言の条項を誠実に履行することを「天皇、日本国政府およびその後継者のために約す」とした。これは立派な国際条約だから、この署名を通してポツダム宣言は、その「後継者」につながる私たちが逃れることのできない拘束力を持っているということです。
その降伏文書における侵略者、加害者の武装解除の徹底という趣旨から、憲法9条が生まれてきている。実はこの9条を導くものとして、「マッカーサーノート」というものがあり、その第2原則は「日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」とある。これはつまり、今で言う自衛権行使すらも放棄するというのが9条の本来の趣旨だったということです。
9条では、皆さんもご存じのように、「自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」ということは書いてありません。しかし、9条の本旨は自衛権行使も不可というものだったことは、当時の吉田首相も答弁で言っていたことです。吉田首相は当初、マッカーサーノート第2原則をちゃんと解して、9条の趣旨は自衛権も放棄しているということをはっきり認識していたのです。もう1つ、国連の軍事行動への参加もだめだということを当時の幣原大臣が明確に答弁しています。
ですから、侵略戦争を起こすという罪を犯した日本が完全非武装化することによって、戦後の東アジアの平和、国際秩序の礎(いしずえ)を築くことになったということが、ポツダム宣言の最大のポイントなのです。そのポツダム宣言が今日なお生きている以上、それは私たちを縛るものであることも明らかです。

ところがその後、なぜ日本のあり方がおかしくなってしまったのかというと、それがポツダム宣言および憲法9条を棚上げした米国の対アジア・対日戦略なのです。
もちろん、ポツダム宣言策定を主導したのは当の米国なのですが、米ソ冷戦が本格化する中で、トルーマン大統領は1947年3月のトルーマン・ドクトリンで対ソ対決戦略を打ち出します。
東アジアについても米国は当初、中国と組んで新しい国際秩序を構築するという考え方でした。従って日本については徹底的に無害化、非武装化するという考え方でした。ところが1949年10月に中華人民共和国政府が成立し、米国の目からすると、米ソ冷戦が東西冷戦として東アジアにまで拡大してくるという事態となった。
こうなると米国としては、もはや中国に頼ることはできない。そこで目につけたのが日本ということです。従って米国は対日政策を転換し、米国の軍事的な同盟国として独立を付与し、米国の先兵にするという方針をとった。それを法的に完成させたのがサンフランシスコ対日平和条約と日米安保条約でした。これによって東アジアにおける冷戦構造ができました。 そうなると、もう憲法9条は米国にとって邪魔ものになるわけです。だから1950年の年頭の辞でマッカーサーは「この憲法の規定は、…相手側から仕掛けてきた攻撃に対する自己防衛の…権利を全然否定したものとは絶対に解釈できない」として、マッカーサー第2原則を自ら否定した。これを受けて吉田首相は、自衛権が存在することは明らかだと答弁を修正し、サ条約5条が、日本は国連憲章51条の個別的または集団的自衛の固有の権利を有することを認めるまでに至りました。
ここでとりあえずまとめてみますと、1947年の憲法施行当時は、固有の自衛権も、集団的自衛権も、国連の集団安全保障も全部だめだったのです。これが憲法9条の本来の趣旨です。ポツダム宣言が有効である以上、実はそれが正解なのです。
ところが1950年ごろ、つまり米国が日本の再軍備を進めていくようになると、もう自衛権はあるのだと言わなければ話が通じなくなってきた。従って国の自衛権はマル。ただし集団的自衛権、集団安全保障はバツだった。それがサ条約締結を経た1952年になると、個別的自衛権は当然マル、集団的自衛権については国際法上の権利を有するが憲法上行使は許されないというように変わった。わずか5年の間にこういうことが起こりました。

ここで、戦争の違法化という第1次大戦以来の人類史の流れにとって、第2次大戦後、どういうことが起こったのかを確認しておきます。それは、まさに米国が主導して、戦争違法化という流れを逆行させる試みが戦後一貫して行なわれてきたということです。
まず、先に見たように国連憲章2条4項は戦争を違法化したのですけれど、実はこの憲章の中にすでに逃げ道が用意されていました。それが国連憲章への集団的自衛権の持ち込みです。
なぜ集団的自衛権の持ち込みが戦争違法化と矛盾するのかと言えば、要するに戦争は違法化されたわけですから、従来のような軍事同盟をつくることはもう許されないわけです。しかし米ソ冷戦下、米国もソ連も、互いと戦争する場合や代理戦争をする場合を考えるわけです。従ってそうした場合に備えて、違法化された戦争ではない、合法的な軍事力行使の法的な基盤を作る必要がある。それが集団的自衛権を国連憲章の中に忍びこませた理由です。
ですから、いま安倍政権が集団的自衛権を行使できるようにすることに躍起になっているというのは、戦争が違法化されているという法的な状況の下で、しかし実質的な戦争ができるようにするためには、集団的自衛権が行使できなければしようがないということです。それが集団的自衛権に関する議論の本質的な問題点なのです。

話を国際情勢の流れに戻します。米国は冷戦終結以降、国連憲章に書かれている集団的自衛権の中味を拡大する方向に一瀉千里(いっしゃせんり)に走るようになります。米国の一極支配が現実のものになったのです。その米国は、世界のいろいろなところで起きる紛争に、必要ならば自ら手を出し、そうでない場合でも同盟者を通じて武力を行使するということを考えていきます。そういった場合、それを国際法上正当化する根拠は、国連集団安全保障を別とすれば、集団的自衛権行使しかないということになります。
冷戦終結後、ブッシュ父政権による湾岸戦争に始まり、米国はいろいろなところで直接、あるいは間接的な軍事介入を続け、それはオバマ政権下においても、旧ソ連諸国での「カラー革命」や中東の「アラブの春」に際しての介入となって表れています。
そして、このアジアにおいてオバマ政権はリバランス(再均衡)戦略を打ち出しました。これによってまず突出したのが朝鮮脅威論です。そして、その後に出てきたのが、経済的な台頭の著しい中国を警戒するという戦略です。
まさに安倍政権がやろうとしているのは、米国と一緒になってやる戦争に、あるいは米国は手を出さないけれども米国の代わりにやる場合に、ちゃんと自衛隊が外に出ていけるように、集団的自衛権を行使できる場合を、なるべく広く解釈するということです。

こうした状況下、戦争違法化のなし崩し的崩壊というべきことが起こってきました。
国連憲章の本来の趣旨は、戦争を違法化し、その違法な戦争に訴えた者は国連自らが取り締まるということです。ただし国連がすぐに動きがとれると限らないから、国連が集団安全保障措置をとるまでの間の一時的・暫定的な権利として、加盟国に個別的または集団的自衛権の行使を認めたということにすぎません。自衛権行使は一時的なものとして認めるというのが国連憲章の考え方です。
米ソ冷戦下で、国連がほとんど機能しなかったのは確かです。ところが冷戦が終わると、今度は、国連は米国の言うがままになってしまいました。
最初に問題が顕在化したのは湾岸戦争でした。イラクがクウェートを侵略したとき、米ブッシュ政権はそれを撃退する多国籍軍を組織しました。この多国籍軍は、米国とクウェートの集団的自衛権に基づく組織化でした。ですから国連が自分でイラクを制裁するということになれば、多国籍軍は活動をやめなければならないというのが本来のあり方です。だけど現実には、国連にはそんな軍事的な能力も機能もない。そこで国連が何をやってしまったかというと、米国主導の集団的自衛権行使の多国籍軍の活動を国連の集団安全保障措置として認めてしまった。
本来、集団安全保障措置による国連の軍事力行使と、個々の国の自衛権、ここでは集団的自衛権行使とは、法的に全くの別物です。ところが、ここで国連は集団的自衛権行使を、取りも直さず集団安全保障の実行であるかのように認めてしまった。しかも最近では、集団安全保障措置が主で、集団的自衛権行使が従であるという国連憲章の捉え方が逆転して、集団的自衛権が主で、集団安全保障が従という仕組みに変わっています。そういうおかしなことまで起きているのです。
要するに、米国と、それに付き従う安倍政権が目指していることは、ポツダム宣言に基づく東アジアの平和的な国際秩序、つまり力によらない平和の秩序ではなく、再びむき出しの力が支配する秩序、力による平和の秩序をつくろうとしているということになります。

これに対して、私の考えでは、中国およびロシアは、ポツダム宣言に基づく平和的秩序の実現に向けて動いています。こう聞くと皆さんは、何を言い出すのかとお考えになるかもしれませんが。
実は中国とロシアは、90年代から21世紀に入ったころにかけては、現実問題として米国に迎合していました。中国については、特に天安門事件以降の国際的孤立化の中、米国に対してなかなか正論を言うことができなくなったという事情があります。ロシアも、ソ連崩壊後の自由化の中で西側主導の「ショック療法」を受け入れ、国内の混乱を招いてしまいました。
ところが、だんだんと中国とロシアも、米国に勝手なことをさせておいたら、この世の中は「やくざな世界」になってしまうという危機感を深めるようになりました。私はあえて言います。力が支配する世界というのは、やくざな世界です。米国が狙っているのはそういう力による支配ですから、それは取りも直さず、やくざな世界がこの地球上に現出するということです。しかし、やくざな世界には何のルールもないわけですから、それでは世界は大変なことになる。そこで中国とロシアが、米国に待ったをかけるような行動を取り始めているわけです。
こうした中で中国とロシアがどういう外交努力をするようになったのか。一口で言えば、西側主導で1945年以降につくられた国際的政治経済秩序を、各国の対等平等性に基づく新しい民主的な国際政治経済システムに変えることを目指していると考えます。
例えば、中国もロシアも拒否権を持つ国連安保理常任理事国として、米国にノーと言うことを重視するようになっています。また経済面では、先進7ヵ国によるG7からG20への、国際経済の重心の移行があります。加えて、NATO(北大西洋条約機構)、日米軍事同盟に対抗するものとして、「上海協力機構」が2001年に発足しています。2009年には、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5ヵ国によるBRICS首脳会議が始まり、今年になってBRICS開発銀行の設立が合意されています。これは明らかにIMF(国際通貨基金)主導の国際通貨・金融秩序に対する対抗策だと思われます。
さらに重要なこととして、今年5月20日、ロシアのプーチン大統領が訪中した際、「中ロ全面戦略連携パートナーシップ新段階に関する共同声明」が出されました。私の見る限り、日本の国内メディアがこの声明の意義を正確に捉えた報道はありませんでした。しかし、ここでは中国とロシアが、現在の米国による世界支配に対する危機感を共有し、それに対抗するという考え方が示されています。
特に最初の3項が重要です。第1に、「一国の内政に干渉するいかなる企ておよび行動にも反対し、国連憲章が確立した国際法の基本原則を断固として擁護し、発展の道路を自主的に選択し、自国の歴史、文化および道徳・価値観を擁護するそれぞれの権利を十分に尊重する」とあります。これは一言で言えば、国際関係の民主化ということです。
2番目は、「各国の歴史伝承、文化伝統および自主的に選択した社会政治制度、価値観、発展の道路を尊重するべきであり、他国の内政に干渉することに反対し、一方的な制裁を放棄するべきであり、他国の憲法体制の改変を画策し、支持し、援助し、または激励する行為あるいは他国が多国間の集団または同盟に加入することを受け入れる行為に反対する」としています。
続いて、「国際経済金融システムを改革し、実体経済の必要に適応させ、新興市場国家および途上国のグローバルな経済管理システムにおける代表性および発言権を増大させることにより、グローバルな経済管理システムに対する確信を回復させなければならない」と言っています。
どれ1つとして、私たちが反対する内容のものはありません。同時に、これらは米国の主導する現在の国際政治経済システムに対する正面からの異議申し立てという意味を持っています。
もう1つ、この中ロ首脳会談の際、プーチン大統領と習近平主席は、中ロ両国が共同して、反ファシズム戦争および抗日戦争勝利70周年を記念する国際行事を行なうことで合意しました。この70周年とはもちろん、来年の2015年のことです。
この70周年記念活動において、中ロは、歴史を歪曲(わいきょく)し、戦後国際秩序を破壊する企みに引き続き断固反対していくと言っています。つまりそれは、ポツダム宣言をないがしろにした日本、そしてそれを容認し、むしろ積極的に進めてきた米国に対する正面からの異議申し立てなのです。そういう意味で、2015年は非常に重要な年になります。私たち日本国民がポツダム宣言に対してどういう態度をとるのか、国際社会に厳しく点検されることになります。私たちがその意味を曖昧にし、目をふさいできたポツダム宣言に対し、私たちがどう向き合うのかを、私たち自身の問題として捉えていかなければなりません。

最後に、「日本の進むべき進路」ということで、あえて挑発的な問題提起をしたいと思います。21世紀の国際環境というものを考えた場合、所与の前提としておくべき、2つの大きな特徴的な状況があると思います。
1つは、不可避的かつ不可逆的な国際的相互依存の進行です。これはどういうことを意味しているか。一般的には経済的な意味でしか捉えられていませんが、実はこの国際的相互依存の進行とは、戦争というオプションが国家間の紛争を解決する手段としては、もうあり得なくなったということを意味します。
よく最近、中国が攻めてきたらどうするか、などという議論が世をにぎわせています。この議論におかしなところは、仮に日中間で弾が1発飛んだだけでも、次の瞬間には世界経済がペシャンコになるということを、考察の外に置いていることです。要するに日中の軍事衝突は、世界経済にとって絶対に耐えられないことなのです。
ご存じのように、米国のリーマン・ショックやギリシャの政府破綻危機で、世界経済はすでに奈落の淵をのぞき見ているわけです。ましてや世界第2位、第3位の経済大国が角突き合わせたらどうなるか? 本当にドンパチやらなくても、銃声1発、盧溝橋事件の再現だけでも終わりだと、私は断言してもいいと思っています。ですから、もう戦争はできないのです。相互依存状況の中でがんじがらめに結びつけられているという意味で、好き嫌いを問わず、お互いに仲良くするしかないのです。それが、国際的相互依存の進行ということの人類史的な意味なのです。
もう1つは、地球規模の諸問題への対処です。要するに、放置したら人類の生存そのものが危殆(きたい)に瀕(ひん)しかねないという問題がいっぱい出てきているということです。地球温暖化や食糧問題、最近の感染症問題もそうです。しかもこれらの問題は、一国単位では解決できない。国際社会が一致協力して対処してのみ、解決できるという性格の問題です。そういう問題を前にした場合に、もう戦争なんてあほらしいことをやっている余裕はないのです。
国際的相互依存の進行と地球規模の諸問題への対処。この2つが、21世紀以降の国際社会を規定する要因なのです。それに歯向かうことは許されないし、できない。そこを前提にして考えると、ポツダム宣言および日本国憲法に基づく平和な東アジアの国際秩序を形成することを、私たちの目指すべき方向性として確立することを、私は提案したいと思います。
憲法施行から米ソ冷戦下の当時、あるいは日本国憲法は理想主義の産物だったかもしれません。しかし21世紀の今日。まさに憲法を実践すべき国際環境が成立しています。ですから日本国憲法を実践するということは決して空理空論ではない。まさに日本の選択すべき現実的なオプションです。
それから、中国およびロシアが目指している方向性は、米国が目指す力による一極支配を否定し、民主的で平和的な新国際政治経済秩序の形成を志向するものです。ロシアや中国の言うことをまともに信じるのかと思われる人は、冒頭申し上げたように、米国というプリズムを通して世界を見ることに慣れ切ってしまってはいないか、一度考えてみていただきたい。
ではそうなると、どうなるか。三段論法の最後の結論ですけれども、私たちが日本国憲法に基づいて目指す方向と、中国およびロシアが目指す方向は、客観的には一致しているのです。ですから、私たちが選択すべきは、保守政治の日米軍事同盟路線ではなく、まさに日本が中国、ロシアと一緒になって、平和で民主的な東アジアの国際秩序を目指すということでなければならないはずです。
これは決して、米国から中国、ロシアに、鞍(くら)を変えてしまおうという安易なことではありません。たまたま中国とロシアが目指す方向と、私たちが憲法に基づいて目指す方向と一致しているのだから、私たちが自信を持って、むしろ中国とロシアを引っ張って、私たちが指し示す方向を一緒に目指すべきであり、私は、これこそが21世紀の日本の目指すべき進路だと確信しています。