イラン(テヘラン)雑感

2011.06.18

*6月11日から15日までのほんの短い時間でしたが、イランの首都・テヘランを訪れることができました。会議が終わった翌日の14日は丸一日時間があったので、『地球の歩き方』を頼りに、5時間の契約でタクシーの運転手さんにバザール、ゴレスターン宮殿、イラン考古学博物館、アーブギーネ博物館を案内してもらい、帰りの15日には空港に向かう途中にあるエマーム・ホメイニ-の霊廟にも立ち寄ってもらいました。中東問題に詳しい方にとっては何の意味もない内容ですが、ずぶの素人の私には貴重な見聞なので、印象に残ったことを書き留めておきたいと思います(6月18日記)。

<すさまじい大気汚染>

実は、テヘランの第一印象はとても悪いものでした。なにしろ、とてつもなく空気汚染がひどく、その汚染ぶりは高度成長真っ只中の1960年代の東京と同じでしたし、1980年代から90年代にかけて改革・開放にまっしぐらだった中国の大都市そのものでした。しかし、東京や北京・上海の場合は高度経済成長の負の遺産であることがはっきりしているのに対して、イランの場合は西側の経済制裁もあって経済的には苦しい状況にあるわけで、この息を吸うことが恐ろしいほどの大気汚染については合点がいきませんでした。幸い、帰りの空港に向かうときに一緒した、同じ会議に出席していた中国人の中東問題専門家(中国国際問題研究所の李国富氏)が1988年からほとんど毎年イランを訪れている人で、詳しく説明してくれました。
まずイラン側の説明としては、イラクの砂漠から流れてくる砂が原因だというものです。それは、日本における中国大陸からの黄砂の影響を考えれば、それなりに納得がいくことではあります。しかし、その李氏によれば、この激しい大気汚染はここ数年になってからの現象であり、特に昨年から急激に悪化が進んでいるということでした。となると、イラン側説明では明らかに不合理であるということになります。
李氏は、主に三つの原因があるという解釈を示してくれました。一つは急激なモータリゼーションが進行しているということです。確かに市内の至る所で車が激しく渋滞する現象が起こっていました(ちなみに、タクシーをはじめとして、なぜかフランス製の車が圧倒的に多いという印象で、日本製、韓国・現代の車がちらほら混じっていましたっけ)。そして二つ目は、モータリゼーションと密接に関連して、使用されるガソリンがきわめて質の悪いものであるということです。私も前に、イランは石油産出国であるにもかかわらず、石油精製能力がないということを何かで読んだ記憶があるのですが、劣悪なガソリンを輸入せざるを得ないので、深刻な大気汚染を招いてしまっているのだ、と言う彼の解釈には納得しました。これも西側の経済制裁がもたらしている一つの結果なのかもしれないと思ったことでした。そして彼があげた三つ目の原因は、テヘランはいわば盆地の中にあり、しかも風がほとんどないので、空気がよどんでしまうということです。要するに汚染が蓄積されてしまうということでした。
この大気汚染に辟易した私は、帰国のフライトを早めてもらおうとさえしたぐらいです。それが不調に終わってしまったこともあり、意を決して(?)14日に市内見学を決行することになったわけですが、それが結果的には良かったのです。というのは、ホテルは市の北部にあり、所々に残雪をいただく山脈を目の前にしているところにあったので、市内の方の汚染ぶりがホテルから丸見えだったのですが、市内に入ってしまうとそれほど汚染ぶりを感じることはなく、したがって私のテヘランに対する好ましくなかった第一印象を相当程度軽減してくれたのです。しかも長い歴史を誇るイランの文化遺産の数々はさすがと思いましたし、歴史的な由緒ある建物も独特な風格と味わいがあるもので、堪能しました。また、イメージとしては「異様な服装」としか感じていなかった真っ黒のスカーフとチャドルを身にまとった女性の姿もなぜか景色に溶け込んでいて、とても魅力的でした。わずか5時間の市内見学でしたが、テヘランに対する第一印象はきれいに消え、とても好きな町になりました(もっとも、私はどこに行っても好きになる流されやすいところがありまして、かつて住んだキャンベラもモスクワも北京も好きでした。)。

<イスラムにおける信仰心のあり方?>

 イスラムにはまるきり無知の私がとにかく驚いたのは、ホメイニ師の遺体が埋葬されている霊廟での見聞でした。これも李氏が教えてくれたのですが、この霊廟はもっぱら訪れる敬虔な信者のお布施によって建てられており、政府は何の手出しもしていないということです。1989年に彼が死去した後に、霊廟の建設が始まった(誰が言い出したのかは彼も知らないと言っていました。)のですが、お布施が一定額になると建設が行われ、お金が尽きると工事は停止し、またお布施が貯まると工事を再開するということなのだそうです。すでに広大な建物の輪郭が姿を現していますが、至る所未完成で、工事は現在進行形でした。また、何時になったら完成ということもないようで、お布施が続く限り工事は延々と続いていくだろうと彼は言うのでした。「こういうこと・スタイルは世界でも類例がないことだ」と彼が言うのもうなずけることでした。こういう発想はイスラム(シーア派)なるが故のことなのでしょうか。
 もう一つ、私が驚き、恐れ入ったのは、ホメイニの墓が安置されている(ただし、イスラムでは遺体を保存するということは禁じられており、そのまま土葬されたのだとか)前の正に広大な絨毯が敷き詰められている広場に、人々が三々五々座り込んでおしゃべりし、また中には寝っ転がっている人びとがいたことでした。それは、神聖な空間という私の勝手なイメージからかけ離れていました。私は信仰心ゼロの人間ですが、「霊廟で寝っ転がるのはありなの?」と恐れ入ったのです。伊勢神宮や靖国神社で寝っ転がる人間がいるでしょうか。仮にそんな人間が現れたとしたら、すぐさま警備員が飛んでくるでしょうし、周囲が黙っていないでしょう。キリスト教の教会で寝っ転がる人がいるということも聞いたことがありません。それは私には異次元の光景でした。また、ホメイニの墓のそばには彼の息子の墓があり、その二つは区切りで仕切られている(その仕切りの壁には紙幣を投げ入れる溝があって、本当に四方の壁の内側にたくさんのお布施が積み上がっていました。)のですが、広場の中にはホメイニの夫人などいくつかの墓もありました。こういうことにもあっけにとられました。
 私がテレビで見慣れているのは、イスラム教徒が集団でメッカに向かって礼拝する敬虔な姿でしたが、とにかくホメイニの霊廟で見た光景はまったく別物でした。

<イランの政治と民主(デモクラシー)>

 李氏にはにイランの政治と民主(デモクラシー)についても尋ねてみました。断片的ですが、興味深いことを話してくれました。  まず、イラン政治と中国政治の転換点・節目が二つの大きな点で時間的に一致しているということです。イラン・イスラム革命が1979年ですが、この年は中国の改革・開放政策が始まった年に当たります。ホメイニが死去したのは1989年6月3日ですが、6月4日には中国で天安門事件が起こったため、世界のメディアは中国一色になり、ホメイニの死去はほんの片隅に追いやられるか、まったく無視されました。もし天安門事件がなかったら、ホメイニの死は明らかにトップ・ニュースになっていただろうとは彼の見立てです。
 ただし、1979年以来の中国が経済的に大躍進を遂げてきたのに対し、イランは革命直後にイラクから戦争を仕掛けられ、約10年間の戦時を経ましたし、その後も西側の経済制裁のために経済政策が思うに任せない状況が続いてきました。しかも、ホメイニが毛沢東と同じ誤りを犯したことが現在のイランの苦境を深めているといいます。つまり、ホメイニも、毛沢東と同じく、人口増加を奨励する政策をとったのです。その結果、今日のイラン人口は、革命当時の3千数百万人から現在の7千数百万人へと倍増以上の伸びとなり、イスラム革命を知らない若年人口が全体の6割以上を占めるまでになっているということでした。毎年60万から70万人の新規労働力が生まれるのですが、その労働力を雇用で吸収するためには3%以上の経済成長が必要なのに、それだけの実績を示さないために、膨大な失業人口が生まれているということです。
 しかも、これは革命後の大きな成果として教育に力を入れた政権の政策によって、若者の教育水準は著しく向上した(特に大学生では女性の方が男性より多数を占める)のですが、就職できないことから来る不満が現体制に対する政治批判層を増やすという悩ましい問題を生み出しているという説明もありました。
 もっとも、ホメイニに対する国民的な支持は分厚いものがあり、いまや彼は神に近い存在(あるいは神そのもの)とすらなっているとのこと。彼は実に多くの著作、説教を残している(文章はとても無味乾燥だとか)そうで、中国人の目から見ても思想的にはとても高い水準という評価に値するとも説明を受けました。ホメイニを継いだハメネイも、ホメイニほどではないとしても一定の権威をもっている(ただし、70歳代の彼には健康に不安があるという見方もあるとのこと)し、アフマディネジャドは、西側メディアでは徹底的にたたかれているが、非常に頭脳明晰な政治家であることは間違いないと、李氏は断言していました。
 私がテヘランに滞在しているときにも、政権を批判するグループによるデモが市内で行われたそうです(同じ会議に出席していた中国新聞の記者が共同通信特派員から聞いた情報)。しかし、李氏は、西側メディアでは重視されているいわゆる「反体制派」の勢力がどの程度のものかについては懐疑的でした(私が前にこのコラムで紹介したイラン人対象の世論調査結果とも一致する見方)。また中国と違い、イランには民主(デモクラシー)の歴史がある(ただし、その点についての詳しい説明は聞けませんでした。)ので、現在のイラン政治に批判一色の西側の報道は明らかに偏向しているという口吻でした。

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