中東情勢から学ぶこと -オマーン・UAE・カタール-

2011.05.09

*中東諸国(地理的にいえば、「中東・北アフリカ諸国」というべきなのですが、ここでは簡略形のまま続けます。)における、チュニジアから始まった民主化を求める動きを整理する作業ですが、今回はアラビア半島の東側に位置するオマーン、アラブ首長国連邦(UAE)・カタールを取り上げます。バハレーンについてはすでに別に取り上げました。いずれも親米政権で、保守的な政治体制であることが共通しています。事実関係については、今回も「中東・エネルギー・フォーラム」のHPに拠っています(5月9日記)。

1. オマーン

オマーンでは1月17日に、住宅省及び内務省の近くで、物価の上昇と失業の拡大に抗議して若者たちが平和的なデモを実施したのが最初でした。2月27日には、オマーンの首都マスカットから北西200kmにある産業都市ソハールで、政治改革や雇用の創出、腐敗の根絶を求める約2000人のデモ隊が警察署に向かおうとし、これを阻止しようとする警官隊及び治安部隊との衝突に発展し、デモ隊が投石等を行ったことから治安部隊もゴム弾や催涙弾で応戦し、その過程でデモ隊側の2人が死亡しました。この事態を受けて、カブース国王は、アブドゥラ・サウジ国王に電話し、善後策を協議しました。翌28日にもソハールで、賃金の引き上げや雇用の創出、一部閣僚の解任、新憲法の制定等を求める約1000人の反政府デモ隊が港や石油施設に通じる道路を封鎖し、スーパーマーケットに火をつけ、「給与の引き上げを」「物価の抑制を」「全ての税金の廃止を」「腐敗の根絶を」「全閣僚の裁判を」と書かれた旗を掲げました。反政府デモの組織者たちは、「3月2日 尊厳と自由のための決起」と名付けたフェイスブックを立ち上げ、3月2日(水)から要求が通るまで全国土で反政府デモを実施することを呼びかけました。4日にもソハールで約2000人が抗議行動をしたほか、首都マスカットで約300人が抗議行動を行い、保健省前でも医師の団体が職場環境の改善等を求めて座り込みを行いました。南部のサラーラでも、数千人が集まり平和的な抗議をし、人びとの動きは各地に広がりました。7日には、首都マスカットの諮問評議会前で座り込んだ人びとが、憲法改正、腐敗根絶を要求し、諮問評議会の役割拡大等まで抗議活動を続けると発言しました。13日、20日、24日、26日、28日にも抗議かつ王が行われました。
 4月1日(金)には、首都マスカットで約150人が諮問評議会の前に集まり座り込んで政府による暴力的な取締りに対して抗議を行い、ソハールでも反政府デモが行われました。集会や座り込み、ストライキ等で圧力をかけ続ける反政府デモ隊は、報道の自由や王家による政治関与度の引き下げ等も求めています。衝突でゴム弾により負傷した反政府デモ隊の青年が4月2日に死亡し、これにより2月下旬に反政府デモが発生してから死者は2人となりました。注目されるのは、これまで出された要求事項の中に王家の終焉や国王の追放は含まれていないことです。オマーンの反政府デモは、その他中東諸国に比べれば小規模なものに留まっています。5日には、ソハールと並んで反政府抗議運動の盛んなイブリで、ごみ収集車2台を含む政府車両3台が放火され、市庁舎ビルの一部も損害を受けました。イブリでは、3月、デモ隊が住宅省や人的資源省の駐車場に駐車中の車両に放火する騒ぎが起きていました。
反政府デモが暴力化することを懸念した政府は、ソハールに夜間外出禁止令を布告するとともに、政府庁舎や主要な建物の周囲に軍を配置しまし、反政府デモの指導者ハルファン・ビン・ムハンマド・アル・マカバリ氏をソハールで逮捕しました。他方で、シェイク・ムハンマド・ビン・アブドゥラ・ビン・ザヘル・アル・ヒナイ司法相が、北部の工業都市サラーラの反政府デモ及び坐り込みの行われている場所に出向き、抗議運動を終結するよう呼びかけました。2日に検察当局は、前日発生したソハールでの治安部隊との衝突で、反政府デモ隊の50~60人が新たに逮捕されたことを明らかにしました。19日には、北部のシナスでデモ隊が環状交差路をトラック等で交通遮断しようとし、治安部隊によって排除されました。この日には、首都マスカットの諮問評議会前で座り込みを続けている集団が、「オマーン改革協会(Omani Association for Reforms)」を結成し、社会開発省に正式な認可を申請していることが明らかにされました。22日(金)には、南部のサラーラで金曜礼拝の終了後、改革を求める市民約3000人による改革を求めるデモが行われ、聖職者のアメル・ハルガン師は、「オマーン国民は改革のためであれば抗議運動を行うことを恐れてはいない。最初で最大の要求は、数年にわたり公金を横領してきた政府役人を裁判にかけることである」(ロイター通信 4月22日)と民衆に語りかけました。国民の多くは、2月以降のデモの成果として不正を働いてきた閣僚が解任されたにもかかわらず、その後裁判にかけれていないことに憤りを感じているとのことです。同日には首都マスカットや北部の工業都市ソハールでも同様のデモが発生しました。
このような人びとの動きに対し、オマーン国営TVは4月17日、「政府は抗議者の要求を満たすために10億リアル(約26億ドル)を支出する」との国王府の声明を伝えました。20日にも、オマーン国営通信は、カブース国王が最近数週間のデモでの拘束者のうち234人を釈放したと伝えました。
このような状況を踏まえ、民主化闘争の指導者たちはおおむね政権側の対応を含めたオマーン情勢を肯定的に評価しています。4月18日、フェイスブックでオマーンの政治問題をよく議論するというアフメド・アル・ハルシイ氏は、「1年前であれば閣僚の悪口を言えば処罰された。しかし、今では国民が健全な方法で自己の意見を開陳し議論している」(ナショナル紙 4月18日)とコメントし、反政府デモの発生後、如何にオマーン国内の社会情勢が変わったかを説明しました。自身がブロガーであるハムード・アル・アムリ氏も、「今ではブログに何を掲載しても止められない。国民は国を良くするために意見を述べている。今や閣僚も自分たちが監視されているのを知っている。カブース国王のお蔭でブロガーは国の将来のために議論ができるようになった」(同上)と続け、国内の政治情勢が変わりつつあると評価しました。諮問評議会でメディア問題を担当するアワド・サイド議員も、「真の議会が生まれようとしている」「これはわが国の近代史上でも大きな飛躍であり、如何なる経済的な変革よりも重要なことである」(フィナンシャル・タイムズ紙 4月18日)と語り、政治的な変革をたたえています。また学生のムハンマド・ブサイド氏は、「諸改革は政治的に動機づけられた運動の成果だ。政府は反政府運動により急いで要求に答えねばならない状況に追い込まれた」(同上)と述べ、反政府デモの成果を強調しています。それまで政治イデオロギーとは無縁であったと告白するビジネスマンのハリッド・アル・サレヒ氏は、「毎晩集会に参加し、学者や専門家から政治、教育、国家の現状等についての話を聞いた」「仮に改革の要求が実現しても集会を続けて欲しい。皆にとっての公開大学のような存在だから」(同上)と述べ、反政府運動の一環としての坐り込が政治や社会問題に目を開かせる効果があったと解説しています。このように、オマーンの情勢は安定的に推移していることが窺われます。
 アメリカがオマーンの動きに反応したのは3月7日で、国務省のクローリー報道官が、オマーン政府が最近取った改革への動きに勇気付けられていると語りました。

2. アラブ首長国連邦(UAE)

UAEについては、「中央・エネルギー・フォーラム」のHPは、次のような解説を行っています。

「周りのGCC諸国で何らかの反政府の動きが顕在化するなか、外国人労働者による待遇の改善を求める労働争議を除けば何ら不穏な動きの見られないのがアラブ首長国連邦(UAE)である。つい数ヶ月前までドバイ・ショックで生まれた債務リスケジュールに追われるドバイ政府系企業等の動きに注目が集まっていたことを思えば、短期間での事態の変化には驚かせられる。
 そのドバイを含む7つの首長国で構成するUAEは、今回のアラブ・中東諸国での反政府デモの遠因が食料価格の上昇にあったことを踏まえた次のような措置を導入している。また、アブダビ、ドバイ、シャルジャという3首長国に比べて社会資本の整備の遅れる残る4首長国向けの緊急開発案を作成し、首長国間の格差が不安定化につながらないよう腐心している。
 UAEの小売業者は、2011年3月1日、食品の多くや基礎品の価格を1ヶ月限定で最高40%引き下げることで合意した。ハシム・アル・ヌアイミUAE経済相が明らかにしたもの。因みに、具体的には、同相は同日、「多くの生協やスーパー、ハイパーマーケットが、3月を国家消費者保護日の一環として特別価格を適用することで合意した」「対象は約250品目で小売価格が20%~40%引き下げられる」(アラビア・ビジネス電子版 2011年3月1日)とその内容を説明している。」

 そのUAEにおける最初の民主化を求める動きは3月11日で、学者や元政府高官、ジャーナリスト、人権活動家など133人の署名する建白書がハリーファ大統領に提出されました。建白書は現在のUAEの統治制度の変更、特に国民の政治参加や国民への国富の公平な配分を求めています。
建白書に署名した人権活動家でブロガーとしても知られるアフメド・マンスール氏は、「様々な要求を今の時点で出すことで、我々も政治改革と民主主義を求めているとのメッセージを送りたかった」(AP通信 3月9日)とその狙いを語りました。建白書では、「議会制度の包括的改革」や「全国民による自由な選挙」「憲法の改正」「国民の選出する議会への立法権の付与」等を求めています。
UAEには現在40人で構成される諮問評議会が設置されていますが、諮問機関と位置づけられ立法権は与えられていません。また、諮問評議会議員の選出も、首長家による任命と首長家が投票を認めた国民による投票での選出の2本立てとなっており、一般国民が諮問評議会議員を選出する仕組みとはなっていません。加えて、UAEでは結社・集会の自由も認められていないのです。こうしたこともあってUAEの人権活動家は、ここ数年、当局による取り締まりが強化されていると不平を述べていました。
ちなみに、ニューヨークを本拠とする人権ウオッチの報告書である「世界報告書2011年」は、①UAEでは政治改革や報道の自由を求める活動家に対する当局の拘束等が激化しており、人権状況は悪化している、②またUAE当局は、ブログや社会的メディアに対する監視を強化している、と結論づけていました。こうした点も踏まえてアフメド・マンスール氏は、「不幸なことに、UAE政府はアラブ世界の歴史的な展開を無視しており、エジプトの革命を支持しただけの理由で人々を逮捕している」(上記AP通信)と述べ、UAE政府の対応の遅れを批判しています。
 3月23日、政府は、国営通信社や国内紙を通じて、ハリーファ・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーン大統領の勅令として、国防省や軍部の軍人向けの年金が3月以降、70%引き上げることを明らかにしました。その前の週にも、諮問機関である連邦国民評議会(Federal National Council、FNC)の選挙を9月に実施すると発表しています。前回の連邦国民評議会(FNC)の選挙は2006年に行われ、1160人の女性を含む約6600人が投票しました。投票者数は、外国人を含めた総人口の1%未満に留まっていたのです。人口の80%超を外国人が占めるUAEでは、一人当たり国民所得が4万7000ドルと高いこともあって、自国民が反政府デモを展開する兆候は今のところ見られない、というのが「中東・エネルギー・フォーラム」のHPの分析に示された判断です。
 他方で政府は強攻策もちらつかせているようです。すなわち、4月8日、建白書に署名した活動家のブロガーを拘束したことが明らかとなりました。拘束されたのは民主化を求める活動家で、ブロガーとしても知られるアフメド・マンスール氏です。同氏はUAE国内では禁じられているオンラインの政治フォーラム「UAEヘワル」の一員でした。拘束される前日の7日、同氏は、次のように述べ、建白書の提出後、脅迫されていることを明らかにしていました。

-自分と仲間が連邦評議会へのさらなる国民の参加を求める建白書を提出して以降、脅迫は始まった。
-政治改革を求める活動家はGCCにおいても支持を拡大しているので、各国政府は政治改革を求める動きはどのようなものであれ止めようとしている。

 また4月9日には、政治改革を求める2人の活動家がさらに拘束され、拘束者数は2日間で合計3人に達しました。弁護士で活動家として知られるムハンマド・アル・マンスーリ氏は、この日、UAEの民主改革を呼びかけるオンライン・フォーラムの参加者であるファハド・サーレム・アル・シェフィ(38歳)氏が、同日午後7時にUAEの7つの首長国の一つであるアジュマンの自宅で拘束されたことを明らかにしました。同フォーラムの主宰者であるアフメド・マンスール氏は前日拘束されています。さらに、ムハンマド・アル・マンスーリ氏は、フランスのソルボンヌ大学のアブダビ分校の経済学教授で金融アナリストとしても著名なナーセル・ビン・ガイス氏がドバイで拘束されたことも明らかにしました。ナーセル・ビン・ガイス教授は、UAEの首長家が限定的な政治改革でさえ検討することを拒んでおり、また、過去10年にわたり停滞してきた経済発展にとって必要とされる法制面の枠組みも整備してこなかったとして批判を続けてきた人物です。ダヒ・ハルファン・タミーム・ドバイ警察庁長官・准将は、4月9日、アフメド・マンスール氏の拘束について、犯罪に関係しているとのUAE検察庁の要請に基づいてドバイで逮捕したことを確認しました。

3.カタール

 カタールについては、私が調べた限りでは「中東・エネルギー・フォーラム」のHPには次の紹介があるに留まっており、詳しいことは分かりません。 2月下旬までに、「自由革命、3月16日カタール」と名付けたフェイスブックが登場し、以下の要求を掲げるとともに、3月16日に反政府デモを行うことを呼びかけました。2月26日の時点で1万8262人からの反応があったとされます。国王の追放、対イスラエル及び対米関係の断絶を打ち出している点が注目されます。

-親西側のハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニ国王の追放
-モウザ王妃の公的問題からの排除
-対イスラエル及び対米国関係の断絶

 ハマド・ビン・ジャシム・ビン・ジャベル・アル・サーニ首相・外相(王子)は、このフェイスブックの呼びかけを牽制するように、2月28日、「我が国は近々、諮問評議会の選挙を実施する」「我が国はハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニ国王の治世下で、報道の自由、地方評議会への男女の選出、憲法の制定等多くの改革を実施してきた」(ミドル・イースト・オンライン 3月1日)と述べ、カタールは既に諸改革を行っていることを国民にアピールしました。

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