最後の区切りの年を迎えて

2011.01.01

あけましておめでとうございます。
広島での6年の生活も残り3カ月となりました。思い返せば、あっという間に過ぎたというのが実感です。仕事人生の最後の期間に、広島という素材から本当に多くのことを学ぶことができて、私なりに充実していました。これからは世事に悲憤慷慨するのはほどほどにし、孫たちの成長を見守りながら、上さんともどもゆっくりと時間を過ごしたいと思います。本当にお世話になりました。ありがとうございます。

 私が今年の年賀状で書いたのが以上の文章です。1963年に外務省に入って27年間(文部省に出向する形で東京大学に勤めた2年間を含む。) 、その後日本大学、明治学院大学で合わせて15年間勤めたあと、2005年4月から広島平和研究所で6年間勤めてきました。合わせて48年間の仕事人生でした。私のこれまでの「区切り」としては、学生生活に見切りを付けて卒業を待たずに外務省に飛び込んだこと、外務省での「宮仕え」が性に合わないということで大学の世界に入ったこと、そして、誘いを受けたのを機に広島に生活の拠点を移したこと、以上の三つでしょう。
 外務省での実務体験が私の思考方式を形作ることに大きな意味を持っていたことは間違いなく、私にとっては不満のない27年間(実質は25年間)でした。二つの大学で講義を受け持つ中で自分なりの「思想」の骨格を形作ることができたことも間違いありません。特に、明治学院大学にいた時に丸山眞男集、丸山眞男座談(1~9巻)などを通じて、丸山眞男の思想に接することができたことは、私自身にとって、外務省の実務体験の中で無意識のうちに養っていた「思想」的素材に確信を持ち、それに私なりの磨きを掛ける作業を行う上で決定的な意味を持っていました。「人間の尊厳」を根底に据える「力によらない平和」観はこうして私の「思想」の中心をなすものとなりました。
 広島に生活の拠点を移すことは、「広島」が持つ魅力に正に魅せられたということでした。正直にいいまして、明治学院大学にいた最後の2年間に精神的なスランプ(というか鬱病)に陥り、かかっていた医者から「環境を変えるのも大切」と言われたこと、上さんの母親が広島市内の出身で、何人もの親戚がいたこともあって彼女が乗り気になったことなども私を後押ししたことは確かです。個人的には、障害を持って生まれた孫娘(ミク)のことが気になって(鬱病になった原因は自分でも特定できないのですが、時期的には、孫娘に先天的な障害があることが分かった頃と一致しています。)、広島に移ることをためらう気持があったことも事実です。
 広島は、掛け値なしに「思想的素材の宝庫」であり続けました。当初の予想では、広島には充実した「平和思想」があるはずだという思い込みがあったことは確かで、私としてはそれをどん欲に吸収することが主な狙いでした。しかし、早くも最初の1年目から「広島には、本当に平和思想と呼べるものがあるのか」という疑問が芽ばえ、残りの5年間は広島という素材から普遍性を持つ平和思想(ヒロシマ)を私なりに模索することが中心となりました。「人間の尊厳」を根底に据える「力によらない平和」観を肉付けする5年間だった、といってもよいと思います。

 仕事人生に区切りを付ける意味で、広島滞在の残り3カ月弱の間に、広島を素材にした、普遍性を持つ平和思想について考えをまとめて、できれば単著として出せるように頑張ろうと思っています。実は、すでに去年後半から着手しかけていたのですが、12月に入って、急に別の出版計画が具体化し、その作業に追われて中断しているというのが正確です。その出版計画というのは、広島平和研究所のニューズ・レター(年3回の刊行物)に、「広島に聞く 広島を聞く」というインタビュー・シリーズを計16回、16人の方に登場して頂いてインタビューしたものを載せてきたのですが、それを一冊の本にまとめることになったのです。かねてから一冊の本にまとめられたらいいな、とは思っていたのですが、幸いなことに出版計画が浮上し、フル回転で作業が進んでいます。私の6年間の広島生活を締めくくるものとして、この2冊はなんとか仕上げたいと思います(最初の方は、3月までに原稿をまとめ、出版社に手渡すことができるようにする、というのが目標です。)。

 4月以後のことについては、正直言ってまったくの白紙状態です。仕事人生を終えたあとの「余生」に関する設計が立たないというのは、ある意味情けない話ですが、年賀状にしたためたことが基本となることは間違いないでしょう。ただし、二つほど心に引っかかっていることがあります。一つは、丸山眞男の原爆体験と平和思想について私なりのまとめをしたいということです。もう一つは、アメリカの核戦略に関する批判的検討(世界的核拡散の根源になっているアメリカの核固執政策を根本的に改めさせない限り、核兵器廃絶は実現し得ないわけです。)を行うことです。この二つのテーマについては、なんとか具体的な成果物にしたいな、と考えています。

 「コラム」に載せるにはあまりに個人的なことを書くことになりましたが、お許し下さい。このサイトも4月以後は続けるかどうかまだ結論が出ていませんが、とりあえず3月までは更新することもあろうかと思いますので、時々覗いていただければ幸いです。

 最後になりましたが、私のささやかなサイトを訪れて下さった皆様に心から感謝申し上げるとともに、これからも暫くはご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。

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