日中関係への視点(5)-尖閣問題に関する中国の立場-

2010.10.11

*私が尖閣問題に関して日本共産党の取っている立場に対して疑問を呈する見方をこのコラムで書いたのに対し、何人かの方からコメントをいただきました。私の外務省時代からの認識においては、中国側は日本側の尖閣問題(中国側では「釣魚島問題」)に関する見解を十分に了知しており、それに対して中国側の主張を対置しているということであり、日本政府がその立場を中国や国際社会に対して十分に主張してこなかったことに問題がある、とする共産党の主張は理解に苦しむし、むしろ日本国内の偏狭なナショナリズムにおもねるものではないか、と思い、そういう疑問を記したのでした。  私の認識に誤りがあるとすれば、共産党に対して失礼なことを発言したわけですから謝罪と訂正をしなければならないと思いますし、私の見解に批判的なコメントを寄せてくださった方に対してもお詫びしなければいけないと思いました。そのためにもまず中国側の見解の所在を改めて確認しておく必要があると思い、グーグル(中国語版)で中国側が尖閣(釣魚)問題に対してどういう反応をしているのかについて検索してみました。当然、数多くのヒットがありましたが、「中国法院網」(中国の最高裁判所に当たる最高法院のネット)に載っていた「釣魚問題に関する国際法上の考察」(中文:関于釣魚問題的国際法思考)という文章(以下「法院論文」)は、今回の事件を踏まえて書かれていたものですし、その法的権威性からいって検討していい対象だと思いました。   また、国営通信社である新華社の「新華網」には、2004年3月25日に中国外交部スポークスマンが行った記者会見で、釣魚島問題について質問を受けた際(小泉政権の時、つまり2004年3月24日に尖閣諸島の魚釣島に中国人活動家7人が上陸し、送検されず2日ちょっとで強制送還となった事件がありますが、その時のものだと思います。)、「2,3時間かけて皆さんに紹介するとしても時間が足りないと思うので、1996年10月18日に人民日報に発表された「釣魚島主権問題を論ずる」と題する文章を推薦する。この文章は、釣魚島が中国に所属することに関して、歴史的由来、法的根拠、国際文献及び中国政府の立場を全面的に述べている。」と述べて紹介した鐘厳署名の文章を再録しています。したがって、この文章(以下「鐘厳論文」)も中国政府の認識及び立場を理解するのに適当な文献だと思いました。 更に念のため、Wikipedia(中国語版)にも当たってみたところ、「釣魚島及び付属島嶼の主権問題」という解説がありました。そこでは、今回の事件についても言及があるほか、中国政府と日本政府の立場についてもそれなりに客観的な記述がありました。そこでは、外務省のウェブサイトに掲載されている「尖閣諸島の領有権についての基本見解」(以下「外務省見解」)がそのまま紹介されていますし、外務省の見解には含まれていない日本側の領有権を正当化するさまざまな論点(共産党が指摘した論点はすべて含まれています。)もすべて紹介されています。ついでですが、日本共産党が9月20日に明らかにした見解(以下「共産党見解」)についても大要を紹介しているサイトがあったことも付け加えておきます。 ここでは、以上の二つの文献を検討することによって、中国側がなぜ今回の事件に関して強硬な立場で臨んできたのかについて検証してみたいと思います。結論から先に言えば、中国側は、日本の外務省だけではなくさまざまな日本側の尖閣問題に関する立場・主張を十分に理解し、認識していること、しかし、中国側は日本側の論点を踏まえた上でなお自らの主張を展開していること(したがって、日本共産党の強調している「日本政府の中国政府及び国際社会に対する主張、努力が足りなかったことに問題がある」という論点は成り立たないこと)、今回の事件に関して中国側が怒っているのは別の理由によるものであること(その怒りは、1978年当時に鄧小平が訪日した際に日本側との話し合いでできたと中国側が理解している、領土問題を棚上げにするという日中両政府間の紳士協定を、民主党政権がことさらに無視するとともに、「領土問題は存在しない。したがって、国内法に基づいて冷静かつ粛々と処理する」という立場を取って、漁船及び乗組員を拘束し、船長に対しては起訴までしようとしたことに大きく起因していること)、しかし、中国側も決して事を荒立てることを望んでいないことが明らかになります。 なお、私自身が外務省にいた時には、尖閣問題が具体的に外交問題として浮上することはありませんでしたし、私自身は前のコラムで書きましたように、偏狭なナショナリズムに流されやすい領土問題で日中関係をぎくしゃくさせるべきではないと考えていました。いまから思えば怠慢だったと思うのですが、1978年の鄧小平訪日の時に日中間でどのような話し合いが行われ、鄧小平の「領土問題棚上げ」に関する記者会見発言に結びついたのかについて、中国課長だった時に関係ファイルを当たらなかったのも、正直言って領土問題には関心が薄かったためだったと、今にして思います。個人的には、尖閣(釣魚)問題だけでなく、竹島(独島)問題及び千島(クリール)問題を含め、日本が当事者である領土問題については国際司法の手に委ねて解決することが適当だと考えていたことも前に書いたとおりです。日中間の問題に関しては、私自身が当時したこととしては、1978年当時の日中間の領土問題棚上げの実質合意を前提にして、東シナ海での石油・天然ガス資源の日中共同開発の可能性を模索して、日中間の相互信頼を増進する手がかりを得たいとひそかに動いたことがあることを記憶しています。 最近は中国語を読むこともとんと怠っていたので、訳文には正直自信がありませんが、その点はお目こぼし下さい(10月11日記)。

1.外務省基本見解の確認

外務省のウェブサイトには、「尖閣諸島の領有権に関する基本見解」(英文及び中文付き)として、次の文章が掲載してあります。竹島問題に関する同省サイトの力の入れように比べると、確かに素っ気ない印象を与えますが、これは、竹島(独島)については領有権を争う「挑戦者」であり、尖閣列島(釣魚島)については実効支配をしている日本の「固有の領土」という「既得権者」であることの違いに基づくものということで理解はできます。ただし、共産党見解の主要ポイントは網羅されていることは、あらかじめ指摘しておく必要があると思いますし、外務省関係者は機会と必要があれば、中国を含む国際社会に対して日本の立場を説明してきたことはいうまでもありません。だからこそ、後述するような中国側の反論が提起されるのです。

 尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
 従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
 また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。

2.日本側の主張に対する中国側見解て

<「無主の土地」だから先占による取得が成立する>

 法院論文は、先占が領土取得の国際法上の方法の一つであることを承認します。先占の対象はいかなる国家にも属さない土地、即ち「無主地」であること、「それ以外の要件としては、単なる発見や象徴的な占有だけではなく、必ず有効でなければならず、その意味からいえば、確実に占領する意思があり、国家の領土機能の現実的な顕示と行使を伴わなければならない」とします。つまり、「先占」の構成要件とは「領有意思」及び「領有行為」であり、近代における先占は領有行為が必ず有効なものであることを要求する、と明確に指摘しています。以上の観点に立って、法院論文は次のように述べています。

 第一、中国の釣魚島に対する占有は合法的な占有である。(下記の歴史的証拠に基づき)中国による釣魚島占有は占有意思を備えていただけではなく、占有行為をも具備していた。中国の占有意思とは、中国が明確に釣魚島を自国の領土の一部分とするという意思を指す。このことは、中国の明代及び清代の史料から見ることができる。中国はまた占有行為も備えているた。中国の昔の漁民は釣魚島を滞在地としていたし、清代においては釣魚島を薬草採取の基地などにしていた。これらの史料は、中国が釣魚島を有効に開発し、利用していたことを説明する。したがって、中国の釣魚島に対する占有及び支配は合法的でありかつ有効である。近代において日本の不法行為によって事実上釣魚島に対する占有及び支配を喪失したが、このことは中国が当該島を放棄したことを意味するものではなく、日本が釣魚島を取得したということを意味するものでもない。
第二、日本の占有行為は不法である。日本は現在釣魚島を事実上占有し、かつ、「釣魚防衛」人士や漁民が近づくことを認めない。しかし、日本のこのような行為は不法である。なぜならば、日本は自らが占領したのは無人の孤島だとしているが、事実は、一貫して中国が占有してきたし、漁民が利用してきたのであり、日本の孤島占有の論法は根拠がない。さらに、日本のいわゆる「先占」は秘密裏に行ったものであり、中国に通報しなかった。したがって、日本の当該島に対する占有は不法な占有であり、悪意の占有であり、瑕疵のある占有であって、この理由をもって釣魚島所有権取得とすることはできない。

 法院論文はまた、「歴史的角度から見て、釣魚島は中国に属する」として、次のように述べています。

中国の資料の記載によれば、釣魚島を最も早く発見したのは明朝が琉球に派遣した冊封使節である楊載である。1372年、明朝冊封使節である楊載は命を奉じて琉球に向かったが、釣魚島は楊載が経由する航行途上に位置し、楊載の船舶は釣魚島に停留し、この島を第一の足場とした。中国は、明代から釣魚島に対して有効な管轄を実施したのである。明代の歴史文献には、中国の過去の政府が釣魚島に対して軍事上の防衛守備を行ったという記載がある。このことは、中国の過去の政府が早くも当時において軍事手段により釣魚島に対する管轄を行っていたことを説明するものである。
中国側がこれらの歴史的な証拠を提出する目的は、中国人が釣魚島を最も早く発見しかつ管轄したことを証明するためである。この証拠は、国際法上意義があることで、中国の昔の人が釣魚島という無人の荒れた島を先占し、かつ、当該島の所有権を取得し、したがって、中国側が依然としてこの島に対する所有権を持っていることを説明するものである。

 鐘厳論文は、①中国側の文献に基づいて、明の時代から清の時代に至るまでの事実関係に基づいて、釣魚列島の存在が知られており、各島に命名したこと、②1879年に李鴻章が琉球の帰属に関して交渉した時、中日双方が、琉球は36の島からなり、その中には釣魚などの島嶼は含まれないことが確認されたこと、③琉球王朝の権威ある歴史書である『琉球国中山世鍳』(1650年)もまた、久米島は琉球の領土だが、赤嶼以西は琉球領土にあらずとしていることなどを挙げて、釣魚島は古来中国の領土であった、と主張しています。その上で日本側の「無主」論については、次のように検討してます。
即ち鐘厳論文は、①1885年当時に沖縄県令が尖閣諸島の調査を行ったことに基づいて、山県有朋内務大臣が日本の標識を立てようと主張したのに対し、外務大臣(井上馨)が同年10月21日に山県に対して、「詳細な調査に基づいて熟慮するに、これらの島嶼は清国国境に接しており、…とりわけ清国がこれらの島に名前をつけており、最近の清国側報道においては、我が政府が台湾付近の清国所属の島嶼を占拠しようとしている噂について報道し、我が国に対して猜疑心を抱いており、かつ、しばしば清国政府の注目を引き起こしている。このようなときに標識を立てるとすれば、必ずや清国の疑いと忌避を招くであろうから、…他日を待って機会を見て行うことが適当であろう。」と述べたこと、②同年11月に沖縄県令が標識建立について内務大臣に指示を仰いだのに対して、翌日に、内務大臣及び外務大臣が連名で「当面、標識を立てるべきではない」という命令を出したという日本側文献の記載を示した上で、「明らかに、当時の日本帝国は軍拡と戦争準備を行い、機会を窺って朝鮮を侵略併合しようとしており、最終的には清政府と雌雄を決しようとしていたが、過早に『打草驚蛇』(「軽率なため計画・策略が漏れて、先手を打たれるようなことになる」の意)となることを望まなかった」と指摘しています(浅井注:このくだりは、当時の日本側も、尖閣諸島が無主の土地であるという認識ではなかったことが明らかだという趣旨で書かれていることは明らかです。)。鐘厳論文はさらに、1893年(日清戦争の1年前)に沖縄県知事が釣魚島などを沖縄県の範囲内に取り込もうと要求したが、内務大臣及び外務大臣は1年伸ばしし、日清戦争の年になっても、日本としては勝利の確信がなかったために、「島外の島が帝国に所属するかはなお不明確」として拒絶した、と指摘しています。
その上で鐘厳論文は、「1894年11月末になって日本が旅順口を占領し、清の北洋艦隊を威海衛内に封鎖してはじめて、明治政府は対清戦争に対する勝利を確信し、中国が台湾を割譲することを講和条件とするとともに、中国側に通報しない状況のもとで釣魚列島を秘密裏に盗み取った」と述べています。その具体的内容としては、①同年12月27日、内務大臣が外務大臣(陸奥宗光)に秘密の書簡を送って標識を立てることについて再議を求め、外務省は異議を唱えず、「予定計画通りに適当に処理されたい」としたこと、②その結果、1895年1月14日に日本政府は戦争終了を待たずに、閣議決定を行って釣魚列島を沖縄に帰属させ、標識を立てたこと、③同年4月17には下関条約(馬関条約)を締結して、中国に台湾及び周囲の島嶼を割譲させたこと、④こうして、日本が戦争(第二次世界大戦)に投降するまでの50年間、釣魚島などの台湾周辺の島嶼も長期にわたって日本の覇権的占領下にあったこと、を挙げています。
鐘厳論文は、以上の史実関係の指摘(ちなみに、日本語版のWikipedia「尖閣諸島領有権問題」2.1「年表」においても、鐘厳論文とおおむね同様の歴史に関する記載がありました。)に基づき、釣魚島は明朝時代からは「無主地」ではなく、中国明朝政府が海上防衛区として統治権を確立していたこと、これらの島嶼は環境が劣悪であり、長期にわたって居住するものはいなかったが、無人島であるということは無主島であるということではないこと、ましてやこれらの島嶼は最初に中国によって命名されて、歴史の版図に編入されたものであり、つまり、中国が最初に発見し、記載し、利用し、管轄し及び防衛してきたものであることを強調しているのです。
また、日本については、「日清戦争以前の10年間、以上の事実を知悉していたわけで、釣魚島に対しては「先占」ではなく、あとになってかすめ取ったものである」とします。なぜならば、「日本が1895年にこれらの島嶼を沖縄県に帰属させかつ標識を立てたのは、秘密の状況下でひそかに行ったものであり、事後においても世界に対して宣言していない。明治29年(1896年)3月5日の伊藤博文首相による「沖縄県郡組織令」においても釣魚島または「尖閣列島」とは一字も触れていない。」からだとするのです。

<日本の実効支配>

 実効支配という観点は両論文で直接には論じられていませんが、法院論文では時効という観点で検討されているところが参考になると思いますので、そのくだりを見てみます。
論文によれば、国際法上の「時効」とは、「国家がある土地を継続して平穏に占有し、長期間を経てその土地の所有権を取得すること」を意味すると定義されます。さらに論文は、西側の国際法学者による権威ある定義として、「十分に長期にわたる期間内にある土地に対して連続してかつ干渉を受けずに主権を行使し、もって歴史的発展の影響のもとで、事物の現状が国際秩序に合致しており、よって当該土地の主権を取得するという信念を形成すること」を引用しています。
その上で法院論文は、日本が現在釣魚島を実際に支配してはいるが、時効をもって日本が釣魚島取得の理由とすることはできないと主張しています。即ち、国際法上、時効が領土取得方式として認められるか否かについては議論があり、肯定論も否定論も存在するからだというのです。論文は、そういう議論が分かれるポイントを根拠にして日本が時効を主張することは受け入れがたいとしています。また論文は、仮に時効が一定の条件の下で領土取得の方式として認められる立場に立ったとしても、その一定の前提条件としては「持続的かつ平和的な占有」が求められるのであり、中国側は公的にも民間においても一貫して日本の行為に抗議をしてきており、また、中国側が釣魚島に対する主権を放棄したことはかつてないこと(持続的占有の条件を満たさない)、また、日本の行為は秘密裏に行われた不法なものであるし、常に軍事力によって中国の漁業者に対決していること(平和的占有の条件を満たさない)から、やはり時効を主張することはできないと主張しています。そして結論として、「不法行為は権利を創設しない」ということは、世界で認められている法律の原則である、と論じています。
共産党見解はさらに、いくつかの具体的な証拠に基づいて日本の実効支配の正当性を弁護していますが、それらの点についても、二つの論文が反論を展開しています。
〇日本の敗戦後に、ポツダム宣言で台湾などの中国への返還が決められ、実行されたが、その中には尖閣諸島は含まれていなかったという論点(浅井注:共産党見解では、台湾の中国への返還が行われたとありますし、私もそうであるべきだと思っていますが、アメリカは1950年の朝鮮戦争勃発直後から態度を変え、「台湾の領土的帰属は未決定」として国民党政府を支援する政策を「合法化」し、日本政府も、1952年に国民党政府を中国を代表する政府として日華平和条約を結んだのですが、それ以来、「日本は、ポツダム宣言受諾によって台湾に対する領土権を放棄したが、台湾がいずれの国家に属するかについては国際的に決められるものと了解する」という立場で、実質的にアメリカの政策を追認して今日に至っています。つまり、台湾がいずれの国に属するかについてはまだ決まっていない、というのが日米両政府の立場です。)
 法院論文は、次のように指摘しています。

中国が釣魚島に対する所有権を抛棄または放棄したなどということはない。戦争期間中、日本がわが国領土に対して行った占領行為そのものが国際法上は違法であり、釣魚島所有権の取得理由とすることはできない。1943年12月11日に中米英三国は、カイロ宣言で、日本の不法占領地に関して明確な規定を置き、「同盟國ハ自國ノ爲ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス 同盟國ノ目的ハ日本國ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戰爭ノ開始以後ニ於テ日本國カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リ …」としている。
1945年7月26日に発表された中米英3国が署名したポツダム宣言第8項は、「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と強調しており、…日本国には決定権がないということを明確に定めている(浅井注:論文はまた、1972年の日中共同宣言においても、日本自らがポツダム宣言第8項の立場を堅持することを明らかにしていると指摘しています。)。
これらの国際文書の規定に照らしてみても、中国政府は、日本が釣魚島に対していかなる権益も有しないと考える理由があり、かつ、日本が引き続きこれらの島嶼を占有することは国際法の基本原則に違反するものである。

 鐘厳論文ではごく簡単に、「日本がポツダム宣言を受け入れたということは、その強奪した中国のすべての領土を放棄したということを意味し、そこには当然台湾に属する釣魚島を含む」と述べています。この文章だけですと、論理に無理があるように思います(日本による尖閣の先占取得は下関条約による台湾割譲取得とは別の行為だったわけですから)が、鐘厳論文としては、いずれも「強奪」である点で変わりはないという意味で、この文章になっているとも解されます。

〇1951年のサン・フランシスコ対日平和条約で、尖閣諸島を含む「北緯29度以南の南西諸島が米軍施政下におかれたが、主権は日本にあった」し、それに対して中国政府は異議を唱えなかった、また、1971年の沖縄返還協定においても、釣魚島を含む北緯24度東経122度以内の各島などが日本に返還されたという論点
 法院論文はこの論点について言及はしていますが、直接には反論していません。これに対して鐘厳論文は、次のように述べています。

 中国政府は、第二次世界大戦後にアメリカが釣魚島などの島嶼に対して「施政権」を有すると一方的に宣言したことは不法であると、従来から認識してきた。早くも1950年6月、当時の周恩来外交部長は、アメリカの行動を強烈に非難し、中国人民は台湾及びすべての中国の領土を回復する決意であると声明した。サン・フランシスコ平和条約は、1951年9月8日、中国を排除する状況のもとで勝手に行われた単独対日講和条約だった。同年9月18日、周恩来外交部長は、中国政府を代表して、このいわゆる平和条約は中国の参加、制定及び署名のないものであり、したがって不法であり、無効である。中国は絶対に受け入れない。中国は異議がないなどとどうして言えようか、と宣言した。
 日本政府はまたしばしば、1971年6月17日に署名した日米の沖縄返還協定の中に「尖閣列島」が含まれることを提起し、このことをもって国際法上日本が釣魚島の主権を有するという主要な根拠にしようとしている。しかし、この点については、アメリカ政府でさえ今日に至るまで承認しておらず、ましてや中国の領土がどうして日米両国の協議で決定されることなどできようか。戦後の領土帰属問題については、日本は1945年に受け入れたポツダム宣言及びカイロ宣言を厳格に遵守するしかない。

 アメリカがその対ソ(反共)戦略の必要から、対日平和条約(日本の独立回復)とひき換えに日米安保条約を日本に押しつけて、日本を反共の軍事的砦に扶植する政策を取ったこと、それに対して中国が猛烈に反対し、対日平和条約の不法性、無効性を主張したことはよく知られた歴史的事実です。私が共産党見解に疑問を抱かざるを得ないのは、1951年当時、共産党も含め、国内においては日米安保条約と抱き合わせの平和条約締結(単独講和)に対しては強い異論、反対があったことについて、共産党見解が何も触れていないことです。中国政府は、尖閣問題そのものについては「異議を唱えなかった」かもしれませんが、そもそも対日平和条約そのものを不法、無効と断定していたのですから、尖閣についても当然その中に含まれていたと考えるのが自然だと思うのですが、共産党はこの点についてはどのように考えているのか、是非知りたいところです。
〇1920年5月20日付の中華民国の駐長崎総領事感謝状における尖閣諸島の日本領土としての記載
鐘厳論文は、1996年9月23日付産経新聞にこの点に関する記事が掲載されたことを紹介の上、次のように反論しています。

この「感謝状」はまったく根拠とするに足りない。なぜならば、1895年に日本が不平等な下関条約によって中国台湾省を覇権的に占領し、その前に釣魚島を盗み取ったものであるが、釣魚島は台湾の付属島嶼でもあって、この状態は1945年に日本が敗戦して投降するまで続いた。したがって、この期間中のいわゆる「感謝状」における記述は、日本の台湾に対する覇権的占領という状況のもとにおける一定の人々における認識を反映したに過ぎず、これをもって釣魚島が日本の「固有の領土」であることを証明するものとすることはできない。

3.日本共産党の主張に関する再検討

以上の中国側の主張も踏まえて、共産党見解が示している論点について、私なりの疑問点を示しておきたいと思います。
<中国は75年間(1895年-1970年)異議をとなえず>
 この主張の最大の問題点は、中国政府が異議を唱えなかったというのは事実に反することです。清朝政府は、日本の台湾及び付属島嶼の割譲に抵抗しました(尖閣列島はその前に日本に併合する手続きが取られたので、この付属島嶼に含まれないということは形式的にはそのとおりですが、中国側には中国側の主張があることはすでに見たとおりです。)。さらに、腐敗した清朝末期を含め、1949年までの中国は長い内戦状態及び日本を含む欧米列強による半植民地支配、日本に対する抵抗戦争に明け暮れしていたことを考えれば、中国が1895年から1949年までの間、尖閣問題にまで眼を向ける余裕がなかったことも考慮する必要があると思います。また1950年以後については、東西冷戦激化の下、アメリカ主導の対日平和条約が中国の参加を得ずして行われたこと、そして中国政府は1951年にこの条約の違法性及び無効性を厳しく指摘したことは歴史的な事実です。この立場は、1972年の米中関係改善まで変わっていません。
<侵略による奪取とは異なる>
 共産党見解は四つのポイントを指摘していますので、一つ一つチェックしてみます。
 まず、日本の尖閣領有宣言が台湾割譲の下関条約(中国では馬関条約)の2カ月前である(したがって条約にまつわる不法性がない)点ですが、すでに紹介したように、当時の明治政府が中国(清政府)の意向を気にしながら行動していたことは否定のしようがありません。日清戦争に勝利することが明らかになった時点で尖閣領有に踏み切ったのですから、下関条約の2カ月前であるから問題はない、とするのはあまりにも機械的な議論ではないでしょうか。
 次に、下関条約には尖閣諸島には言及がないとする点ですが、日本政府が条約2カ月前に既成事実を作ることに走ったわけですから、条約に言及がないのはある意味当たり前です。このことは、以上の第一の問題点を解消することにはならない、と私は思います。
 第三の、下関条約の交渉過程で中国側が、台湾とその付属島嶼の割譲には抗議したが、尖閣問題には言及しなかったという点についても、中国側からすれば、付属島嶼の中には釣魚島が入ると考えていたという見方も成り立つでしょうし、そもそも日本政府が日本領に編入したという事実を知っていなかった可能性もあるわけで、明示的に言及しなかったから中国が自国領土と認識していなかった、と断定するのはいかがなものでしょうか。
 第四の点については、共産党見解そのものに疑問を提起しないわけにはいきません。つまり、「日本側代表は、台湾の付属島嶼は、それまでに発行された地図や海図で公認されていて明確だと述べ、中国側はそれを了解している」とあるのですが、そのあと続けて「当時までに日本側で発行された台湾に関する地図や海図では、例外なく台湾の範囲を、台湾の北東56キロメートル…までとしており、それよりさらに遠方にある尖閣諸島は含まれていない」、したがって「尖閣諸島は、台湾の付属島嶼ではないことを、当時、中国側は了解していたのである」としている部分です。
 実は、地図の問題については、鐘厳論文が中国の地図における釣魚島の記載に関して次のように述べています。

 日本では、中国が出版した地図においてもかつて「尖閣列島」としたり、釣魚島を示さなかったりの例もあり、これをもって日本が領有主権とする根拠とするものもいる。中国の歴史地図上では、清朝時代には釣魚島を「釣魚台」としたことがあり、台湾では今もそうしている。日本軍の占領期における中国で出版された地図では、釣魚島は「尖閣列島」と変えさせられたり、名前をつけなかったりということがあり、例えば当時の上海『申報』が出版した『新地図』はその例である。戦後から中華人民共和国が成立して以後の一時期に印刷された中国の地図でも、それまでの例にしたがったものや影響を受けたものもある。例えば、『中国分省地図』の1956年第一版及び1962年第二版は、末尾に、(対日)抗戦期または(中国)解放前の申報地図の図に基づいている、という説明が加えられていた。以上に述べた日本軍占領中の歴史的原因により、釣魚島にかかわる中国地図の記述については必ずしも同じではないところを生んでいる。これらは、近代中国の半植民地の歴史の痕跡であり、日本が釣魚島などの島嶼に対して主権を有することを証明するものではあり得ない。

 鐘厳論文は中国側の地図について、当時の日中関係の消極的影響の存在を指摘して、そのことが中国側の立場を損なうことがあってはならないとしているのです。ましてや共産党見解のように、日本側作製の地図に対して中国側が異論を差し挟まなかったからといって、「尖閣諸島は、台湾の付属島嶼ではないことを、当時、中国側は了解していたのである」と断定できるものでしょうか。
<戦後の25年間も異議をとなえず>
1971年以後についていえば、中国側が正しく指摘するように、沖縄を返還したアメリカ政府ですら尖閣の領土的帰属については中立の立場を維持してきたことは、今回の事件に際しても改めて確認されたことです(私の前のコラムで指摘しました。)。日本の最大最重要の「同盟国」にしてなおそうなのですから、決して、日本の尖閣列島に対する領有権は自明であるわけではありません。
<日本の領有は国際法上も明白>
 先占の法理がこの問題を考える場合に適用されることについては、中国側は同じ土俵で議論するという態度であることはこれまでに見たとおりであり、まったく問題にしていません。その法理を認めた上で、なお日本側の立場に異議を唱え、先占の法理に基づいて中国側の主張に根拠があると主張しているのです。法院論文及び鐘厳論文は、相互に補完関係に立つものと位置づけることができますが、いずれも、「先占」という西洋起源の国際法上の原則及びその定義を正面から受け入れた上で、中国側の主張を展開し、日本側の立論を法的にも、歴史的にも否定しようとするものです。日本側が中国側に十分に自らの立場を説明してこなかったから、中国側が理解不足に基づいて反発しているというような簡単な問題ではないことが分かると思います。

4. 法院論文の問題解決に関する論点提起

鐘厳論文には今後の見通しにかかわる記述はありませんが、法院論文は取り組む姿勢を示しています。法院論文は、「国交回復の際に両国政府が紳士協定を行い、「論争」のある釣魚島領土帰属に関するもめ事に関しては、争っている期間においては双方が当該島に永久的な固定的装置を置かないことを約束した。争いの解決は、将来のより知恵のある両国の青年が処理することを引き受けることにしよう、ということだった」と指摘します。しかし、「長期にわたって、日本政府の態度が曖昧であったために、右翼や個々の国会議員が公然と上陸し、いわゆる主権を主張する活動を行い、中国政府に対して直接挑発を行った」と指摘しています。そして「9月7日の「釣魚島船舶衝突事件」では、日本は、中国領海において正常に作業していた中国漁民に対して、そそっかしくかつ横暴にも日本の国内法によっていわゆる「司法手続き」を実行した。彼らが「冷静かつ粛々と」日本法令を適用して中国公民の権利を侵害したことに対し、中国政府は事件発生以来一貫して外交上強硬な態度を取ってきたのだが、事実として、釣魚島問題の争いについて根本的に徹底した解決を得ることはできない」という判断に立って、国際法の角度から問題解決に関する見解を述べる、と言っています。そして「中日の釣魚島の争いを解決する対策の分析」という項目の下で、四つの可能性を検討しています。
一つは戦争です。論文は、国内の青年たちが民族感情に基づいて軍隊を出動させて釣魚島を占領すべきだし、可能性があれば台湾軍とも共同作戦を行い、日本の勢力を島から駆逐するべきだ、としていることを紹介しながら、次の二つの理由から、戦争という手段はダメだと否定します。一つは、戦争は最終の究極的手段であり、軽々に戦争を言い出すべきではないということです。「中日両国間の百年の戦争が引き起こした損害は誰もが認めることであり、損害を被るのは中日両国の人民の利益である」ことを冷静に指摘しています。もう一つは、中国の軍事力はまだ日本に対抗するのに不十分であり、特に海軍力の配置からいって、日本の軍事力は大陸及び台湾より強いこと、しかも、日米同盟によって米軍が手出しする可能性も考えれば、状況は中国にとってきわめて不利だと判断しています。
一言脱線していえば、中日間の軍事力比較にまで踏み込んで中国の軍事的劣勢を率直に指摘している点は目新しいですが、いずれにしても軽挙妄動を戒めている点は評価できることでしょう。日米両国では、急台頭する中国の軍事力を警戒する議論がかまびすしく取り上げられていますが、中国側からすれば、なお圧倒的な米日軍事力に対抗するために軍事力増強を急がざるを得ない、という状況であることも、私たちとしてはこの文章から正確につかみ取るべきでしょう。中国の軍事力増強の原因が日米の軍事力にあることを認識すれば、この地域の軍事的緊張を解消するためには「強者」である日米がまずは「弱者」である中国の警戒心を解く努力を行うのが筋であることを理解しなければなりません。
論文が提起する第二の論点・選択肢は法律的解決ですが、この可能性も小さいと、論文は判断しています。その理由として論文は、国際的な仲裁や司法に解決を委ねるということはいずれの国の政治家にとってもリスクが大きすぎるし、両国の人民も「分割してこれを治める」式の解決案を受け入れそうにないことを挙げています。
さらに論文は、両国政府がこの解決方式を事実上すでに排除していることも指摘しています。即ち、日本政府に関しては、1996年7月19日に国連で見解を発表し、この問題を地域的裁判所(詳細は不明です。)に付託して解決する意思はない、なぜならば事実上領土紛争は存在しないからだ、と述べたということを挙げています(正直に言って、私はここで紹介された日本政府の見解なるものを承知していませんので、コメントは他日を期したいと思います。しかし、尖閣問題にかかわる国連の場での日本側発言をキャッチしているとすれば、中国側が如何に本件問題に対してセンシティヴであり、アンテナを張り巡らせているか、ということに私は驚きを感じます。)。中国政府も、1996年10月にアメリカに対して本件に手を突っ込むなと警告したこと、外交部のスポークスマンもかつて「中日両国にかかわる問題に関して、第三者は手を突っ込むべからず」と述べたということを、論文は紹介しています(この2点についても、私は寡聞にしてはじめて知りました。)。
私自身は、今すぐは無理でも、やはり将来的に(双方の国民が理性的に物事を考えるまでに成熟することは「百年河清を待つ」に等しいことで非現実的ですが、領土問題で争うことのばからしさを認識するようになることは、双方政府の働きかけ如何によっては甘楽寿司も実現不可能な条件ではないと思います。)国際司法に解決を委ねることを真剣に考えるべきだと思います。
第三の選択肢は、中国自身が主張してきた「争いは横に置いて共同開発を」という方法ですが、論文は、これは要するに問題を後延ばしするだけのことで問題解決にはつながらない、として退けています。そして、論文が可能性を考慮して提起するのは、第四の方法である「東シナ海(中国では「東海」)の大陸棚問題の先行解決」です。つまり、東シナ海を「対立の海」から「協力の海」にすることによって両国人民ひいては世界の平和的発展が期待できる、としています。

5.結びに代えて

私が中国側の見解、立場を比較的詳しく紹介しようと思い立ったのは、日本国内における私たちの議論が他者感覚を備えない、天動説的な議論に陥っていると思ったからです。正直に印象を述べれば、日本共産党の見解も他者感覚が備わっていないし、天動説のにおいがプンプンしてきます。10月10日付の『しんぶん 赤旗』によれば、志位委員長の国会質問での本件に関する発言に際し、民主党席からも、自民党席からも拍手が起こったと、同紙は得意げ(?)に報じていましたが、私は本当にげんなりしました。私からすれば、他者感覚ゼロで天動説国際観にどっぷりつかっている民主・自民両党が志位委員長発言に拍手したということは、共産党にとってはこれ以上にない自戒の材料だと思うのです。
 それと比べれば、私が今回紹介した法院論文及び鐘厳論文の方がはるかに日本側主張をも踏まえた内容になっています。もちろん、両論文にも露骨な天動説が垣間見られるのですが、少なくとも日本側の主張を正確に踏まえた上で自らの反論を示そうとしており、一方的な自己主張には終わっていません。私たちが尖閣問題を考え、論じる際には、中国側の主張、論点を踏まえることから始めるのは最低限の責任ある態度ではないでしょうか。
確かに、これまでの日本政府(自民党政府)が「尖閣は日本の固有の領土であり、中国との間に領土問題は存在しない」と木で鼻をくくった態度できたことが、問題の根幹にあることは共産党の指摘するとおりだと思います。しかも、今回の事件に際して、民主党政権は自民党政府の立場をそっくり継承し、しかも、あの小泉政権でも外交的考慮を優先したのに、民主党政権は「国内法に基づいて冷静かつ粛々と対処する」として中国人船長の逮捕拘留(そして起訴の可能性)にまで踏み込んだのですから、民主党政権に若干なりとも期待感を寄せていたであろう中国側が強硬手段に訴えたのも、その当否はまったく別問題として、ほんの少し他者感覚を働かせれば、理解はできるというものです。
中国側からすれば、尖閣問題に関する日中双方が取るべき対処の仕方とは、1978年の鄧小平訪日の際に双方で合意した「棚上げにしておく」ということなのです。鄧小平は公式の記者会見でそう発言しましたし、日本側はこの発言を黙認したという事実があります(もし、鄧小平が事実に反する発言をしたのであれば、日本政府は即刻それを打ち消さなければならなかったはずです。)。その基本点について、共産党見解を含め、日本側が無視して顧みないというのは、どう見てもおかしいと思います。
とにかく、国際関係では双方の合意づく、納得づくで物事を進めるということは最低限のルールであり、マナーです。その最低限さえ守ろうとしない日本側の対応では、中国国内で大衆感情が激発するとしても、中国政府としては無理矢理押さえ込みようがないし、そういう大衆感情の動きを測りながら事態が収拾つかない状況に追い込まれないように舵取りを余儀なくされる中国の指導者も大変だろうと、私は若干同情せざるを得ません。
共産党を含め、日本の政治に心から希望するのは、他者感覚の重要性を認識すること、その他者感覚に立った地動説の国際観を我がものにすることを、ということです。特に共産党の場合、立党の精神からいって、歴史的弁証法を駆使した問題の分析を行い、真に日中両人民の利益になる(したがってアジアひいては世界の平和と繁栄に資する)政策を提言することを心がけてほしいのです。「万国のプロレタリアよ、団結せよ」(共産党宣言)を今日的に言い換えれば、「世界の勤労人民は国境を越えて団結しよう」ではないでしょうか。共産党にはその出発点を愚直に踏まえた取り組みを有言実行してほしい、と心から願っています。

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