「中国的民主」についての所感

2010.07.31

*「コラム」で「日本共産党への辛口提言-2-」を書いたところ、いくつかの反応を寄せられました。その中の一人の方が、私が触れた「中国的民主」について疑問を呈しておられました。私は最近中国からは「足を洗った」感が深いのですが、「中国的民主」という問題については、「デモクラシーは普遍的価値だ。だが、デモクラシーの各国における実現の仕方には各国のさまざまな歴史的、文化的、経済的その他のさまざまな要因の影響を受けた、各国それぞれの「顔」があることは当然だ」という認識の下、今日では特に、イラン的民主」とともに注目しているテーマですので、少し私の思うところを書いておきたいと思います(7月31日記)。

この方は、「中国的民主」にかかわって次のように書いておられます。

「中国についてのことで、「中国には西欧的デモクラシーとは違うけれども、中国的民主ともいうべきものが育っています(中国を「社会主義の独裁の国」という受けとめ方が日本では一般的ですが、私はそういう見方には同意できません)。」とお書きになっている事にわたしは引っかかりました。
それは、中国の驚くべき格差です。それについての本を読みますと、信じられないほどひどい格差です。よく、大きな暴動にならないものだと思う。そのほか、環境への取り組み、少数民族への圧制など、「中国的民主」という言葉はどういうことなのだろうと思います。」

まず、「中国的民主」というテーマとのかかわりにおいて、中国における格差の広がりという問題をどのように見るか、という点です(「環境への取り組み」、「少数民族への圧制」についても考えるべきことはいろいろあるのですが、ここでは、日本国内の報道ぶりについてはあまり「丸受け」しない方が良いということだけを申し上げるのにとどめ、「中国における格差の広がり」の問題が「中国的民主」のあり方に対して持つ意味合いに絞って考えることにします)。私は、中国の格差問題の内容と例えば日本の格差問題の内容との間には大きな違いがあるという点に注目してきました。すなわち、日本における格差の問題は、特に新自由主義が勢いを増してきた1980年代以来、富めるものはますます富んでいくのに対し、貧しいものは底なしに貧しくなっていく(絶対的貧困の進行)という形で格差が広がっているという点に大きな特徴があると思います。これに対して中国においては、たしかに所得格差はすさまじい勢いで広がっていることは間違いないのですが、その主な原因は、富んでいる層の富み方が半端ではない勢いで進行していることにあります。その陰に隠れてしまっているのですが、貧しいものについては、絶対的貧困が進行している日本の場合とは異なり、年を追ってより貧しくなるのではなく、富んでいる層に比べると極めて緩慢ではあるけれども、少しずつは所得が上がってきているのです(例えば、アメリカのリーマン・ショックで世界経済が動揺したとき、中国政府は果断な国内経済振興政策に乗り出しましたが、その際には、これまで改革開放政策の果実が都市部ほどには及んでいなかった農村経済の活性化が最重点として取り上げられています)。
このような日中の違いは、富の分配のあり方なかんずく貧困問題に対する政治の取り組みの基本姿勢の違いに起因していると思います。日本では特に1980年代以後、先ほど言及した新自由主義原理の下、契約社員、介護、後期高齢者医療、障害者自立支援法、限界集落、乳幼児施策等々、すべては市場任せの「自己責任」、いったんセーフティ・ネットから外れたら、底なし沼の貧困化が待ち受けています。政府がやることといえば、生活すること自体が不可能に陥った人々に対してしぶしぶ緊急支援をするような、いわば落ち穂拾い的なことに限られています。
これに対して中国では、かつての政府「丸抱え」の仕組みはなくなりましたが、「社会主義市場経済」体制の下、市場にすべてを委ねるのではなく、社会的弱者に対するセーフティ・ネットを充実させる政策的取組が自覚的に行われているのです(市場にすべてを委ねないことで、中国はアメリカなどから「市場経済を十分に取り入れていない」と批判されるのですが、私などにいわせれば、市場にすべてを委ねることの方が大量の人権侵害を生み出すことにつながるわけで、中国の方がはるかに健全な経済運営をしていると思います)。
したがって、たしかに日本の報道において、中国の「驚くべき格差」がことさらに取り上げられますし、それを鵜呑みにしますと、この方がお書きになったように、中国は明日にでも大暴動が起きても不思議はないというような観測も出てくるわけです。しかし私自身は、中国において、人間一人ひとりの生活に配慮する上記のような政策(もちろん、13億の人口圧力がかかる中国においては、急速に経済成長をしているとはいえ、そういう社会政策に振り向けられる原資に限度があるので、一気に問題が解決するわけではありませんが、社会的弱者を切り捨てて知らん顔を決め込む日本とは違い、中国では一人ひとりの生存権を承認した取り組みを使用としていることは間違いありません)が今後も続けられる限り、中国社会の基本的な安定性は維持されると思います。むしろ、日本において進行している弱者切り捨て政策が中国で行われているならば、中国の民衆は、従順な日本の私たちのようにひたすら耐え続けるようなことはなく、とっくの昔に抗議行動に立ち上がっていると思います。
そのことは、「中国的民主」という本題にもつながってきます。中国においてデモクラシーが機能しているかどうかを観察するに当たっては、丸山眞男が指摘したデモクラシーの三要素、すなわち理念としてのデモクラシー、運動としてのデモクラシー及び制度としてのデモクラシーに即して、日本の実際と比較して見ることが有効です。
制度としてのデモクラシーという点では、日本には西欧型(特にイギリス式議会民主制度)の仕組みが整っています。これに対して中国では、機械的に西欧型制度をそのまま導入するということではなく、自らの歴史的模索を踏まえた独特の制度が発展しています。中国共産党が憲法で定められた執権党であること、立法府(全国人民代表大会プラス諮問機関としての全国政治協商会議)、行政府(国務院)、司法(最高法院と最高検察院。立法府に対して完全な独立性を持っていない)の仕組みもユニークであること、各級人民代表大会代表の選出は基本的に直接選挙ではなく間接選挙であることなどなど、中国の制度は西欧型のモデルとはいろいろ違いがあります。特に、中国共産党が権力を握っていることに対しては、デモクラシーとは両立し得ない「中国共産党の一党独裁」として批判の対象となっています。
中国共産党の一党支配を正当化する中国側の論理は、歴史的経験によって中国共産党が政権党の地位にあることが国民的に受け入れられている、とするものですが、過去における実績に対する支持・信認という事実は、将来に向けての支配の正統性を自動的に証明するものではありません。なによりも人民主権を根本とするデモクラシーの制度的あり方としては、主権者による選択を保証することが制度としてのデモクラシーの根幹であり、したがって、将来的には、複数政党制への移行、政権交代の可能性を保証する制度の採用に向かうことは不可避であると思います。
ただし、現実に着目する場合、数千万人の党員、特に優秀な人材を圧倒的に抱え込み、中央から末端にいたる統治機構の隅々まで牛耳っている中国共産党の政治的実力はぬきんでていることはたしかです。中国共産党に対抗できる政党が近い将来に登場する条件は非常に限られている、ということも否定できないでしょう。中国共産党が、理念としてのデモクラシー、運動としてのデモクラシーという側面においてデモクラシーの実をあげることに成功し続けるのであれば、中国共産党の「一党独裁」が中国的民主の一部としてかなり長期にわたって続いていく可能性もないわけではないと思われます。

中国的民主は、理念としてのデモクラシー及び運動としてのデモクラシーという側面についてはどう見るべきでしょうか。
私は正直言って、日本には制度としてのデモクラシーはかろうじて存在しているけれども、「権力の偏重」(強い者にはぺこぺこし、弱い者には居丈高にならずにはすまないメンタリティ)、「既成事実への屈服」(目の前にある「現実」を変更しがたいものとして受け入れてしまうメンタリティ)-ともに丸山眞男の言葉-が、戦後デモクラシーが60年近くにわたって制度として存続してきたにもかかわらず、今日なお多くの日本人の精神構造を占領している点で、日本の政治土壌には理念としてのデモクラシーは今日なお確固として定着したと言えるにはほど遠い状況にあると考えます。残念ながら、理念としてのデモクラシーは、1945年以後に限って言えば、日本国憲法の不可分の一部として「天から降りてきた」ものであり、日本人自らが闘い取ったものではないのです。ですから、その大切さもありがたみも分からないし、ましてやこの理念によって「権力の偏重」「既成事実への屈服」によって汚染されている自らの精神構造を克服、改造することもできなかったわけです。
いわゆる60年安保闘争において当時の岸信介内閣が議会制民主主義を根本から否定する行動をとったときに、私たちが理念としてのデモクラシーを我がものにしているかどうかが客観的に試されました(当時の丸山眞男や竹内好などの発言においては、この闘争を通じて日本人が理念としてのデモクラシーを我がものにすることへの強い期待感が表明されました)。結果的に、この闘争を経ても理念としてのデモクラシーが日本の政治土壌に定着することはありませんでした。その後は、岸信介内閣の後を襲った池田勇人内閣が推進した高度経済成長政策が奏功して、国民の関心は政治から経済へと誘導され、60年代後半から70年代前半にかけての革新地方自治の時代はあったものの、結局戦前の思想を温存する自民党の長期支配によって「戦後民主主義」そのものが揶揄されるような状況が出現するまでになってしまいました。そして、1980年代の労働運動の権力との一体化(その集中的現れは連合の結成と総評の飲み込まれ)、米ソ冷戦終結とアメリカの一極支配、湾岸戦争以後の軍事的国際貢献論の台頭、1994年の村山政権の成立と社会党の自衛隊及び日米安保肯定路線への転換、中曽根内閣に始まり小泉内閣で全面的に推進された新自由主義路線などによって、理念としてのデモクラシーが自生的に発育する条件はますます奪われて今日に至っていると言わなければならないと思います。
これに対して1921年に中国共産党が成立して以来の中国では、中国共産党が人民大衆の中に入り込み、彼らと一緒になって革命闘争を行い、その実践を通じて理念としての中国的民主のあり方を模索し、我がものにするという貴重な歴史的経験を蓄積してきました。また、人民に見放されたら共産党支配はあり得ない、という点の自覚においても中国共産党は一貫しています(中国歴代の王朝の転覆の多くは、農民の蜂起をきっかけとするものでした。日本人とは違って歴史の民ともいうべき中国人は、こういう歴史的教訓に対しては常に謙虚です)。中国では、これを「群衆路線」と呼びます。それこそは、中国における理念としてのデモクラシーの表れなのです。群衆路線は1949年の建国以来も政権党である中国共産党の指導理念であり続けてきました。
もちろん、大躍進運動とか、文化大革命とか、中国共産党は群衆路線を試行錯誤する中でいろいろな、重大な過ちを犯しました。しかし、1978年に開始された改革開放政策においては、鄧小平が毛沢東思想の真髄として提唱した「実事求是」(事実に基づいて、物事の真理を求める)を根底に据えました。これこそは、群衆路線の改革開放路線の下での具体化であり、中国的民主の今日的発展なのです。「権力の偏重」「既成事実への屈服」という日本人に特有な精神構造は、帝国主義列強の支配のくびきから脱し、新中国を建設してからの中国の人民には基本的に無縁なものです。
運動としてのデモクラシーという点についても、日本と中国の違いは際だっています。丸山眞男が言ったように、デモクラシーの生命力は非政治的市民の日常的な政治参加です。日本社会においては、市民社会の萌芽が生まれていることはたしかですが、非政治的市民の政治参加が日常的になっているとはいえません。日本人が政治参加するのは、極端なことをいえば選挙の時だけです。運動としてのデモクラシーが機能していないために、制度としてのデモクラシーが化石のように固定化してしまう(その典型は、「民主主義とは多数決である」と言い放つ風潮です)し、理念としてのデモクラシーが永久革命としての歩みを示すことができないようになってしまっているのです。
しかし、中国においては先に述べた群衆路線が正に運動としてのデモクラシーの集約的表現でもあります。「人民のなかに入っていき、人民の中から出て来る」「調査なくして発言権なし」「試点工作」(ある政策をいきなり画一的、行政的に実行に移すのではなく、いくつかの地域なり単位なりを選んでそこで試してみて、そこでの成果、失敗を総括して、徐々に試す地域、単位を広げ、最終的に全国的に実施する)など、中国共産党は、戦前の革命闘争の時代から群衆路線方式、すなわち運動としてのデモクラシーを豊富に実践してきました。改革開放政策が本格化するにつれて、欧米的な政策運営の手法も積極的に取り入れるようになっていますが、群衆路線という運動としての中国的民主の独特の考え方は今日もなお健在です。

以上、長くなりましたが、結論として、中国が理念及び運動としてのデモクラシーという要素を、群衆路線という内容及びスタイルにおいて我がものにしていることは、中国的民主が今後も独自の発展を遂げていく十分な条件を備えていることであると思います。おそらくは、制度としてのデモクラシーについても、理念及び運動としてのデモクラシーが不断に発展を遂げる過程において、中国的な仕組みを生み出していくだろうと思います。私たちは、中国は共産党独裁で日本は民主的だと思い込んでいるのですが、経済面だけではなく政治面でも、中国が日本よりも民主的な先進国になる可能性は極めて大きいのではないか、というのが私の一つの結論です。

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