民主党・小沢党首のアフガニスタンISAF参加合憲発言

2007.10.

民主党の小沢党首が、雑誌『世界』11月号に論文を掲載し、「ブッシュ政権はアフガン戦争、イラク戦争を行うにあたり、自身の孤立主義と過度の自負心が常に国際社会の調和を乱していることに気づいていない。日本のイ ンド洋上給油活動は、この「アメリカの戦争」の後方支援である。これは、憲法が禁じる集団的自衛権の行使をほぼ無原則に認めない限り、不可能なはずであ る。しかし、個々の国が行使する自衛権と、国際社会の平和維持のための国連の活動は全く異質のものだ。日本が憲法9条に則りつつ国連の活動に積極的に参加 することは、成立可能である。しかし、そこには個々の国の政治判断が生じる。そこにこそ「政治」がある。」(雑誌『世界』の紹介リード)と述べたことが様々な反応を呼んでいます。

私はまだ論文を読んでいませんが、朝日新聞によれば、小沢氏はこの論文で更に、「国連の活動に積極的に参加することは、たとえ結果的に武力の行使を含むものであってもむしろ憲法の理念に合致する」とし、「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAF(注:国際治安支援部隊)への参加を実現したい」と踏み込んだ(さらにスーダン西部のダルフール地方への国連平和維持活動にも「当然参加すべきだ」と明記)」ということです。 ただ、現実の派遣判断に関しては「合憲なら何でもやるということではない。国連決議があっても実際に日本が参加するかしないか、どの分野にどれだけ参加するかはその時の政府が政治判断する」との考えを示したとのことです。

このような小沢発言は、民主党の「憲法提言」の次の主張を踏まえれば、実は驚くべきものではありません。「そもそも日本国憲法は、国連憲章とそれに基づく集団安全保障体制を前提としている。そのうえで、日本は、憲法 9 条を介して、一国による武力の行使を原則禁止した国連憲章の精神に照らし、徹底した平和主義を宣明している。」「憲法に何らかの形で、国連が主導する集団安全保障活動への参加を位置づけ、曖昧で恣意的な解釈を排除し、明確な規定を設ける。これにより、国際連合における正統な意志決定に基づく安全保障活動とその他の活動を明確に区分し、後者に対しては日本国民の意志としてこれに参加しないことを明確にする。こうした姿勢に基づき、現状において国連集団安全保障活動の一環として展開されている国連多国籍軍の活動や国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にする。それらは、その活動の範囲内においては集団安全保障活動としての武力の行使をも含むものであるが、その関与の程度については日本国が自主的に選択する。」

問題は、「個々の国が行使する自衛権と、国際社会の平和維持のための国連の活動は全く異質のものだ。日本が憲法9条に則りつつ国連の活動に積極的に参加することは、成立可能」とする主張が成り立つか、ということです。特に問題となっているISAFについて見てみましょう。

アフガニスタンの和平プロセスを定めたボン合意(2001年12月5日)の附属Ⅰでは、「アフガニスタンの治安及び軍の部隊が完全に構成され、機能するまでには一定の時間がかかることを認識し、国連アフガニスタン討議の参加者は、国連安保理に対し、国連に委任された部隊の早期配備の権限を与えることを考慮するよう要請する。この部隊は、カブール及びその隣接地帯の安全維持を支援する。この部隊は、適当な場合には、他の都市部及びその他の地域に段階的に拡大することもあり得る。」(3項)と定めています。

つまり、国連の軍事能力では事態に対応できないことを見越して、NATO主体のISAFの派遣を予定し、国連安保理に「お墨付け」を与えることを促しているのです。そして国連安保理は、その筋書き通りに、決議1386(2001年12月20日)を採択し、次のように決定しました。

「ボン合意附属Ⅰ・3項における国際治安部隊のアフガニスタンへの早期配備の権限を与えることを安保理が考慮する旨の要請及び事務総長特使のアフガニスタン当局との接触(当局側は国連の権限を受けた国際治安部隊のアフガニスタンへの配備を歓迎)に留意し」
「アフガニスタン情勢はなお国際の平和と安全に対する脅威を構成していると決定し」
「ISAFが、ボン合意で設立されたアフガニスタン暫定当局と協議しつつ、その権限を完全に行使することを確保することを決意し」
「これらの理由により、国連憲章第7章のもとで行動し」(以上前文)
「1 ボン合意附属Ⅰに規定するように、カブール及び隣接地帯でアフガニスタン暫定当局を支援するISAFを6ヶ月間(注:その後随時安保理決議で今日まで延長)設立することを認める。」
「2 加盟国に対して人員、設備その他の資源をISAFに対して貢献することを要請する。」
「3 ISAFに参加している加盟国がその権限を果たすためにすべての必要な措置をとることを認める。」

分かりやすくいえば、正規の警察(国連の集団的措置)では無法状態のアフガニスタンの治安を取り締まる能力はないので、暴力団(NATO主体のISAF)に取り締まりを白紙委任するということなのです。このことがどういうことを意味するかということを身近な例で考えれば、「国際社会のいうことを聞かない無法者」の北朝鮮をやっつけるためにアメリカと日本が軍事行動を起こそうとするとき、その任に堪えない国連(安保理)に日米軍事同盟に基づいて組織される米日主体の軍隊に白紙委任の安保理決議を出させる、ということです。国際社会の名の下で大国間の足並みがそろうと、安保理決議をでっち上げさえすれば何でもできるということなのです。小沢党首の主張は要するにそういうことです。

手前味噌になりますが、私は1993年に出版した『新保守主義 -小沢新党は日本をどこへ導くのか-』(pp.110-136)で小沢氏の軍事的「国際貢献」に関する主張を分析したことがあります。今回、小沢氏の主張を拙著で検証してみましたが、彼の主張は当時とまったく変わっていないことを確認しました。したがいまして、詳しくは拙著を読んでいただきたいと思いますが、小沢氏の主張の要諦は、「第9条はもっぱら、日本が過去のような侵略戦争を行うことを禁じる趣旨のものであり、国連の集団安全保障体制に参加することまで禁じる趣旨は含まれていない」(拙著p.125)という点にあります。

しかし、憲法第9条を正しく読むものであれば、安保理決議で認められるとしても、武力行使・海外派兵は憲法違反であることは間違いないところです。石破防衛相が明言していることは、その限りで正しいのです。百歩譲って小沢氏の土俵で議論するとしても、アフガニスタンのケースのように安保理決議で形式さえ整えれば何でもあり、と言えるでしょうか。正規の警察と暴力団を一緒にするようなことになったら、もはやいかなる社会も成り立ちません。

私は、ある意味、小沢氏が再び本音の主張を行ったことは、私たちが民主党という政党を正確に認識する上で良かったと思います。なぜならば、民主党に幻想を抱くことは禁物であることを、民主党の党首自身がこれほど分かりやすい形で明らかにしたのですから。ただし、小沢氏の主張には「ついて行けない」国民は多いでしょう。そういう国民が「まだ給油活動の方がまし」と安易に判断して、自民党の「対テロ特別措置」新法の支持に回ってしまいますと、自民党が新法成立強行に突き進む事態も十分に考えられます。国民の政治的判断能力が格段に高まることを望みたいと思います。

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