1.事案の概要
Y(被告)は,名称を「コーティング装置」とする特許第2550430号発明(平成2年9月6日出願,平成8年8月22日登録,以下「本件発明」という。)の特許権者である。
X(原告)は,平成9年7月14日,本件特許の無効審判の請求をし,平成9年審判第11816号事件として特許庁に係属したところ,Yは,平成9年12月22日,本件特許出願の願書に添付された明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載等の訂正を請求し,平成10年9月22日,訂正請求書の補正(以下,補正後の訂正を「本件訂正」という。)をした。
特許庁は,上記事件につき審理した結果,平成11年6月9日,本件訂正が特許請求の範囲の減縮及び明りょうでない記載の釈明を目的としたものであり,また,訂正発明は,特開昭63-156320号公報(以下「引用例1」という。),特開昭61-65435号公報(以下「引用例2」という。)及び特開昭63-246820号公報(以下「引用例3」という。)記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたと認めることはできないから,本件特許出願の際独立して特許を受けること(以下「独立特許要件」という。)ができないとする理由はなく,本件訂正は特許法134条2項の規定及び同条5項において準用する,なお従前の例によるとされる平成6年法律第116号による改正前の特許法(以下「旧法」という。)126条2項及び3項の規定に適合するとして本件訂正を認め,本件発明の要旨を訂正明細書の特許請求の範囲記載のとおり認定した上,訂正発明は引用例1〜3記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたと認めることはできないから,本件特許を無効とすることはできないとして,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をした。
X出訴。
本件明細書の特許請求の範囲【請求項1】の記載は,次のとおりである。
(1)登録時のもの
「コーティングすべきワークのコーティング面に,コーティング材を吐出するスロットを有しており,該スロットの延出方向と直交する方向へ該ワークとは相対的に移動されるスロットコータと,
該スロットコータに並設されており,コーティング面にコーティング材が塗布されたワークを,該コーティング面がほぼ水平状態になるように保持して高速回転させるスピン型塗膜調整機構と,
を具備するコーティング装置。」
(2)本件訂正に係るもの(以下,この発明を「訂正発明」という。)
「コーティングすべき矩形状ワークのコーティング面に,コーティング材を吐出するスロットを有しており,該スロットの延出方向と直交する方向で,且つ該矩形状ワークの1辺と平行な方向へ該ワークとは相対的に直線移動されるスロットコータであって,該スロットを該矩形状ワークのコーティング面に所定のギャップをもって対向し,該矩形状ワークとの相対的な直線移動により該矩形状ワークの該コーティング面に該コーティング材からなる所定の膜厚の塗膜を形成するスロットコータと,
該スロットコータに並設されており,該スロットコータによって該コーティング面に該コーティング材からなる該所定の膜厚の塗膜が形成された該矩形状ワークを,さらなるコーティング材が該コーティング面に供給されない状態で該コーティング面がほぼ水平状態になるように保持して高速回転させ,該コーティング材からなる該所定の膜厚の塗膜の厚みを調整するスピン型塗膜調整機構と,
を具備するコーティング装置。」
2.争点
(1)ワークの形状を矩形とする本件訂正が登録明細書等に記載された事項を超える新規事項を含むものであるか。
(2)独立特許要件。
3.判決
審決取消。
4.判断
「第5 当裁判所の判断
1 取消事由1(新規事項の追加)について
(1)Xは,本件第2図に正方形のワークが図示されていることを理由に,ワークの形状を矩形とする本件訂正が登録明細書等に記載された事項を超える新規事項を含むものであると主張するので,この点について判断する。
(2)登録明細書(甲第2号証)の発明の詳細な説明には,本件発明のコーティング装置を用いてコーティング材料を塗布する対象について,・・・との記載がある。
このように,登録明細書には,本件発明のコーティング装置によりコーティング材を塗布する対象が半導体,電子部品等の製造工程に用いられるガラス基板,シリコンウェハー等の「ワーク」であることが明記されているところ,ワークの代表的なものであるガラス基板は,その形状が正方形又は長方形である。
そして,「矩形」という用語は,すべての角が直角の四辺形,すなわち「長方形」を意味し,「長方形」のうち4辺の長さが等しいものを「正方形」という(乙第4,5号証)のであるから,「矩形」は,代表的なワークであるガラス基板の代表的な形状であることは明らかである。
そうすると,本件訂正は,ワークの形状を,登録明細書に明記された代表的なワークの代表的な形状に限定するものであるから,登録明細書に記載された事項の範囲内のものというべきである。
(3)もっとも,本件訂正によって本件発明のコーティング対象を矩形状のワークに特定することにより,結果的に,本件発明の装置自体が,その構成において,登録明細書及びその図面に記載された事項の範囲を超えるものとなる場合には,当該訂正は,新規事項を含むものとして許されない。
本件において,登録明細書等及びその図面(甲第2号証)には,上記のとおり,本件発明のコーティング対象であるワークがガラス基板,シリコンウェハー等である旨記載され,これらワークの表面にコーティング材を塗布する本件発明のコーティング装置について,発明の詳細な説明等の記載がされている。確かに,本件発明の実施例を示す第2図には,正方形のワークが記載されているが,もとより一実施例にすぎず,正方形以外の形状を除外すべき根拠はなく,かえって,登録明細書に塗布対象として明記されているシリコンウェハーは,その代表的な形状がほぼ円形状であることは技術常識に属するにもかかわらず,本件発明のコーティング対象として記載されている。
(4)また,Xは,登録明細書等には,矩形状のワークについて直接的かつ一義的に記載されていないとして,ワークの形状を矩形状とする本件訂正が登録明細書等に記載された範囲を超えるものであるとも主張するが,本件訂正が登録明細書等に記載された範囲内においてされたことは上記のとおりであるから,Xの主張は,採用することができない。
2 取消事由2(独立特許要件の欠如)について
(1)まず,引用例発明3と訂正発明について比較すると,以下のとおりである。
ア 発明が解決しようとする課題について
引用例3(甲第5号証)には,・・・と記載され,これらの記載によれば,引用例発明3は,従来のスピン塗布では,角形のワークに感光性樹脂を塗布する際,多量のコーティング材を必要とするとの問題があったところ,この問題を解決し,少量のコーティング材で均一に塗布することを,その技術課題とするものと認められる。
これに対し,登録明細書(甲第2号証)には,・・・との記載がある。
これらの記載によれば,引用例発明3と訂正発明とは,少量のコーティング材でワーク上に均一な塗膜を形成するという同一の課題を解決しようとするものである。
イ 発明の構成について
(ア)引用例3(甲第5号証)には,・・・との記載がある。
そして,その図面(3頁)には,矩形の基板のコーティング面にコーティング材を塗布して塗膜を形成するロールコーターと,これに併設された,塗膜の膜厚を回転により調整するスピン塗布機とから構成されるコーティング装置が図示されているところ,そのコーティング装置において,コーティング材の塗布が,基板をロールの延出方向と直交する方向で,かつ,基板の一辺に平行な方向へロールコーターとは相対的に直線移動させることにより行われること,塗膜の膜厚の調整がスピン塗布機を水平状態で回転されることにより行われることが明確に看取される。
(イ)そこで,訂正発明と引用例発明3とを対比すると,両者は,いずれも,コーティング装置に関するものであって,基本構成として,矩形状ワークのコーティング面にコーティング材の塗膜を形成するコータと,これに並設された,矩形状ワークの上に形成された塗膜の膜厚を調整するスピン型塗膜調整機構とを組み合わせて具備する点で一致する。そして,ワーク上に所定の膜厚の塗膜を形成する際,コータとワークとが,コータの延出方向と直交する方向で,かつ,矩形状のワークの1辺と平行な方向へワークとは相対的に直線移動される点で一致し,コーティング材から成る所定の膜厚の塗膜が形成された矩形状ワークを,ほぼ水平状態で高速回転させ,コーティング材の塗膜の厚みを調整する点でも一致する。
そうすると,訂正発明と引用例発明3は,コータが,訂正発明ではスロットコータであるのに対し,引用例発明3ではロールコータである点(以下「相違点1」という。),ワーク上への塗膜の形成が,訂正発明では,スロットがワークのコーティング面と所定のギャップをもって対向した状態で行われるのに対し,引用例発明3では,ロールとコーティング面との間にギャップがない状態で行われる点(以下「相違点2」という。)においてのみ相違する。
(2)次に,相違点について検討する。
ア 相違点1について
(ア)引用例1(甲第3号証)には,名称を「レジストコーター」とする発明が記載され,発明の詳細な説明には,・・・との記載がある。
これらの記載によれば,引用例1記載の発明は,少量のレジストで均一な塗膜を形成するという訂正発明及び引用例発明3記載の発明と同一の課題を解決しようとするものである。
(イ)引用例1には,上記の記載に続き,・・・と記載され,その実施例には,・・・との記載がある。
さらに,引用例1の第1図及び第2図には,引用例1記載の発明のレジストコータ(コーティング装置)の実施例が示されているところ,これらの図面によれば,レジスト供給手段12の開口部11はスロット状であり,スロットと基板13とは,所定のギャップを保って対向することが明確に看取し得る。
なお,引用例1記載のレジスト供給手段の開口部はスロット状であり,このスロット状の開口部11からワーク上にコーティング材を供給し塗膜を形成するものであるから,上記装置はスロットコータの一種にほかならない。
(ウ)したがって,引用例1には,少量のコーティング材で均一な塗膜を形成するという,引用例発明3及び訂正発明と共通する課題を,ワーク上に所定のギャップをもって対向するスロットコータを用いてワーク上に塗膜を形成することにより達成することが明確に示されているから,上記共通の課題を解決するため,引用例3記載の装置におけるロールコータを引用例1記載のスロットコータに置き換えることは,当業者にとって,容易に想到することができたというべきである。
(エ)なお,訂正発明のスロットコータと引用例1記載のスロットコータでは,塗膜の形成に際し,前者では,スロットがその延出方向と直交する方向で,かつ,矩形状ワークの一辺と平行な方向へワークとは相対的に直線移動されるのに対し,後者では,ワークが回転する点で相違するが,引用例1には,スロットとワークのコーティング面を1mmのギャップで対向させてコーティング材を供給すること,コーティング材の供給は,1mmのギャップで対向させたスロットとワークとの間の界面張力を利用することが記載されているところ,この1mmという微小間隔に働く界面張力及び自重は,界面を形成するコータ及びワークの相対的な運動の態様にかかわらず働くから,上記相違点があるからといって,引用例1において回転しながらコーティング材を塗布するとされていることにより,引用例発明3におけるロールコータを引用例1記載のスロットコータと置き換えることが阻害されるものではない。
イ 相違点2について
相違点2は,単に,スロットコータとロールコータとの塗布手法の違いを反映したものにすぎない。引用例1記載のスロットコータを引用例発明3のロールコータと置き換える際,スロットとワークとを所定のギャップをもって対向させることは,スロットコータの原理上,当然のことであり,そのような構成を採用することに当業者が格別の創意を要するものではない。
(3)Yは,訂正発明のスロットコータは,ワーク表面の水平からのずれをミクロン単位で検出,修正し,スロットとワーク表面とのギャップをミクロン単位の所定距離に精密に制御することにより,ワークにコーティングされるコーティング材が一定の厚さとなるようにするなど格別の技術的意義を有するとして,引用例1のコータとは異なる旨主張する。
しかしながら,訂正明細書の特許請求の範囲には,ワーク表面の水平からのずれの検出,修正について何ら記載はなく,スロットとワークのギャップについても,所定塗膜の膜厚についても何ら規定するところがなく,訂正明細書の発明の詳細な説明等を参酌しても,訂正発明におけるスロットコータの構成及び所定の塗膜の膜厚をY主張のように限定して解すべき根拠はないから,Yの上記主張は,本件発明の一実施例の構成につき主張するものであって,採用することができない。
(4)また,Yは,引用例1及び3のコータは,訂正発明のスロットコータと塗布方法が異なっていることを主張するが,この主張も,訂正発明における所定の塗膜の膜厚についての上記主張を前提とするものであって,その前提を欠き,また,塗布方法の違いがあっても,これが引用例3のロールコータを引用例1のスロットコータに置き換えることを阻害しないことは,上記のとおりである。
(5)したがって,訂正発明は,引用例1及び3に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであって,特許出願の際,独立して特許を受けることができないものであるから,特許法134条5項において準用する,平成6年法律第116号附則6条1項によりなお従前の例によるとされる旧法126条3項の規定に違反するものである。
3 結論
以上のとおりであるから,X主張の審決取消事由2は理由があり,この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから,審決は取消しを免れない。
よって,Xの請求は理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。」