1.判決
請求棄却。
2.判断
「第一 請求の原因1ないし3の各事実(特許庁における手続の経緯,本件特許請求の範囲,審決の理由の要点)については当事者間に争いがない。
また,交配により品種の改良を行うことが周知の手法であること,本件明細書において,本件黄桃の育種経過が,請求の原因3「審決の理由の要点」(3)ア(イ)のとおり記載され,更に,本件発明における育種目標,種子親の来歴及び特性,花粉親の来歴及び特性,交配により得られた新品種の特性,親品種及び新品種の所在地についても記載されていること,本件明細書において,本件黄桃の育種経過欄に,請求の原因3「審決の理由の要点」(3)ア(ウ)のとおり記載されていること,本件明細書において,目的とする新品種の特性等の確認のため17年を費やしたこと及び新品種の所在地を示すことにより,それを本件発明の確認,本種の特性確認のため役立てる旨を宣言することが記載されていること,当初明細書において,「晩黄桃」につき,請求の原因3「審決の理由の要点」(3)イのとおり記載されていること,本件発明が出願前に公然知られていたか否か,もしくは公然実施されていたか否かについての認定判断が審決記載のとおりであることについても,当事者間に争いがない。
第2 本件発明の概要について
前記第一における当事者間に争いのない事実に,成立に争いのない甲第2号証(本件公告公報)を総合すると,本件発明の概要は以下のとおりであることが認められる。
1 本件発明は,桃の品種として,甘酸適度で,果実が比較的大きく,黄肉種の加工用にもなるが,主として生食用である黄肉の桃黄桃を育成し,これを常法により無性的に増殖することを目的とする(1欄37行ないし2欄3行)。
2(1)育種目標
本方法は,果実が比較的大きく,甘酸適度であり,品質のよい黄桃種の桃新品種を育成することを目標として出発した(2欄4行ないし7行)。
(2)本件発明に係る新品種(本件黄桃)の育種過程
ア 新品種である本件黄桃の育種は,昭和27年から昭和42年にかけて,発明者の農場である東京都世田谷区<以下略>において実施した。
イ まず,昭和27年に,「タスバーター」を種子親とし,「晩黄桃」を花粉親として交配を行った。
上記の「タスバーター」とは,発明者が,昭和15年,当時在住していた朝鮮慶尚南道蔚山郡長生浦において,黄桃の改良のため,米国の缶詰専用黄桃品種「タスカン」に,同じく米国の黄肉種の桃品種「エルバーター」を交配して育成し,発明者が命名した品種である。また,上記の「晩黄桃」とは,同じく,発明者が,昭和15年ころ,同所において発見した偶発実生から選抜淘汰し,発明者が命名した品種である。
ウ この両品種を採用した理由は,種子親(♀)とした「タスバーター」は,酸味は強いが,果実が大きいという特徴を有しており,他方,花粉親(♂)として採用した「晩黄桃」は,果実は甘いが,外観が悪く,酸味が少ないという欠点を有していたため,この両者の優秀な形質を利用することにあった。
エ 昭和27年に,前記イにより交配種子約150粒を得て,これを播種し,実生苗130本を得た。
オ 昭和28年,上記実生苗より,両親の中間形質を供えていると思われるもの約3種を選び,20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして,供試苗とした。
カ 昭和29年から昭和33年までの間,各系統の形質を比較しながら,前記両親の中間形質のものの選抜を繰り返し行った。
キ 昭和35年にようやく希望に浴ったものが育成されたので,これについて,更にその均等性,安定性,永続性等について検討を加え,その確認に今日まで要したが,今回,ようやくその理想とする要件を満足し,かつ,その特性の均等性,安定性,永続性の確認ができたため,本出願に至った(2欄8行ないし3欄14行)。
(3)本件発明に係る新品種(本件黄桃)の両親の来歴及び特性
ア タスバーター種(本件新品種の種子親)
(ア) 来歴
前記(2)イのとおり
(イ)特性
樹勢 旺盛,立木性
葉 東洋系の桃とは異なった,葉縁に波打ちがあり,かつ鈍鋸歯のある披針形である。
花 淡紅色の蕊咲きである。花粉はほとんどない。開花は比較的早い。
果実 大きさ 大果,400g以上のものもある。平均350○g。
形状 円形で果頂に小突起を生ずる。
果色 熟すと肌黄色になり,日向面に紅暈を現し,外観きわめて美しい。
果肉 色黄色で,肉質緻密であり,粘核種。
味 糖度普通で,やや酸味が強く,生食用としては本種の花粉親エルバーターよりも美味である。
栽培 洪積層(火山灰土)においては生理的落果が多い。粘質土壌においては落果が少ない(5欄1行ないし32行)。
イ 晩黄桃(本件新品種の花粉親)
(ア) 来歴
前記(2)イのとおり。父母不明の偶発実生の黄肉種を選抜淘汰して作出したものであり,終戦時芽接した苗を持ち帰ったものである。
(イ) 特性
樹勢 普通
葉 葉縁に波打ちがなく,東洋系と思われる。
花 普通咲き,花粉多く,開花は普通,色は淡紅色である。
果実 形に特に変わった点はない。中果。果色は地肌黄色に赤色の暈を現し美しい。
果肉は黄色で肉質緻密,味は糖度多く,酸味少なく,甘味のみが感ぜられる。
熟期 8月上旬ないし中旬
その他 熟すと軟化するので,缶詰用としては不向きである(5欄39行ないし6欄17行)。
3 本件発明によって育成された新品種(本件黄桃)の特性(別紙第1ないし第3図参照)
樹勢 旺盛であり,耐病性も強い。
葉 葉縁は鈍鋸歯状で,幅広い披針形である。
色 若葉の色は,英国王室園芸協会色表(ローヤルホルティカルチュラル カラーチャート(Royal Holticultural Color
chart),以下「カラーチャート」という。)138/B-Dグリーングループであり,成葉の色は,カラーチャート137/Aグリーングループである。蜜線の形は腎臓形である。
花 花芽の発生は多く,蕊咲きで,大きさは比較的小さい。花粉は多く,自花受精する。色は淡紅色である。開花期は,一般の桃より早く,東京付近で3月下旬ないし4月上旬である。着花率は良く,東京方面の台地においても生理的落花は少ない。
果実 重量は,220gないし350gで,平均250gである。大玉で,円形,玉揃えもよい,果頂部の窪みななく,梗窪の深さ,広さ共に中位で,縫合線は明瞭である。
果皮 厚さ中程度で強靭,先端の先熟はなく,平均に熟し,地肌が未だ緑色がかった時期に収穫して,6ないし8日に及び追熟させても,他の桃と異なり極端な劣変がなく,食味が変わらず,したがって,遠距離輸送に耐え,店頭販売にも好都合である。
熟期 8月上旬ないし中旬である。
収穫量 多収である。
果皮色 地肌黄色カラーチャート19/Aイエローオレンジグループに,向陽面には紅色カラーチャート41/Aー47/Aレッドグループの紅暈を現す。
果肉色 黄色カラーチャート17/Bイエローオレンジグループである。
果肉質 緻密で多汁,繊維少ない。
種子 大きさは,他の品種に比べ小形であり,粘核である。
食味 甘味強く,酸味少ない。また,他の黄桃にみられる渋味はまったくない。食味についての精密データを示すと下記のとおりである。
(1) 調査方法
果実採取 昭和52年8月10日
調査月日 昭和52年8月13日
調査時熟度 柔軟Soft
供試個体数 5個
(2) 調査項目
PH ガラス電極法による。
滴定酸度 通常の方法にならって,0.1NのNaOHで滴定する。リンゴ酸として計算。
糖度 市販の屈折糖度計による。
(以上の3項目については,1個の果実の約3/4の果肉をガーゼで搾汁したものにつき測定した。)
可溶性固形物比率 果肉10gを採取し,赤外線水分計で水分量を測定し,恒量時の重量をもって表した。
(3)試験結果
PH 個体No.1について,4.78
同2について,4.82
同3について,4.89
同4について,4.89
同5について,4.81
平均値 4.84
滴定酸度(リンゴ酸g/100ml)
個体No.1について,0.43
同2について,0.37
同3について,0.35
同4について,0.36
同5について,0.30
平均値 0.38
糖度 個体No.1ないし5について,12ないし16%
可溶性固形物比率
個体No.1ないし5について,平均11.0
(6欄18行ないし7欄30行及び8欄1行ないし28行)
4 本件発明によって育成された新品種(本件黄桃)及びその両親の各所在
本件黄桃の種子親となったタスバーター種及び本件黄桃の原木は,発明者の農場である東京都世田谷区<以下略>に保管栽培されている。
また,花粉親である晩黄桃の原木は,発明者の弟である東京都目黒区<以下略>【B】方の庭内にあり,更に,これより穂木を採り接木して成木となったものが,島根県邑智郡<以下略>【C】方の農場に保管栽培されており,本件発明の確認及び本件黄桃の特性確認のために役立て得ることを宣言する(7欄31行ないし44行及び8欄29行,30行)。
5 本件黄桃の増殖法
従来周知の芽接,切接等,果樹類の通常の無性的繁殖法によって,容易に,かつ,正確に本件品種の形質を後代に伝え得るものである(8欄31行ないし34行)。
6 栽培上の留意点
本件黄桃は,桃の一般病害に対し強いので,栽培は容易である。花芽が多く着生する性質があり,花粉もきわめて多く,かつ,自花受粉の性質を有するので,本品種の単植や,家庭園での一本植えも可能である。なお,生理的落果も少ないので,経済的栽培品種である(8欄41行ないし9欄3行)。
第3 審決取消事由について
そこで,Xら主張の審決取消事由について判断する。
1 取消事由1(本件発明の反復可能性の欠如による発明未完成)について
特許法において「発明」とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」(特許法2条1項)をいい,出願に係る発明が発明として未完成のものであるときは,同法29条柱書にいう「発明」に該当しないものと解すべきである。
ところで,技術的思想の創作が「自然法則を利用したもの」といい得るためには,自然力を利用して,反復実施することにより確実に一定の結果を得られることを意味し,このような反復可能性がないときは,その発明は未完成というほかない。しかしながら,ここにいう反復可能性は,反復実施すればその都度100%ないしそれに近い確率をもって一定の結果が得られることを意味するものではない。利用する自然力如何によっては必ずしも反復実施の都度確実に一定の結果を得られるものではないし,そうであっても産業上利用できる発明として特許性を認めることができる技術的思想の創作が存在し得るからである。
特に「植物の新品種を育種し増殖する方法」が技術的思想の創作として特許出願された場合,育種した新品種は従来用いられている増殖方法により反復増殖(再生産)できるのが通常であることに照らすと,技術的思想の創作として重要な意味を持つのは,新品種の育種であり,理論的にみてそれが再現される可能性があるということに存する(その点で「新品種の育種」と単なる「新種の発見」とは区別される。)。したがって,前記意味での「反復可能性」があるとは,理論的に新品種の育種を再現できることであり,その確率が高いものであることを要求されないのであって,当業者において当該明細書の記載に基づいて確実に一定の結果をもって新品種を再育種できるならば,反復可能性は満たされるとするのが相当である。
本件発明は,その名称を「桃の新品種黄桃の育種増殖法」とし,その特許請求の範囲を前記請求の原因2記載のとおりとするものであって,上記にいう「植物の新品種を育種し増殖する方法」に該当することが明らかであるから,本件発明が反復可能性を有し,発明として完成したものといえるかは,上記の観点から判断すべきものである。
そこで,Xらの主張に基づいて本件発明が発明として完成したものであるかについて順次検討する。
(1) 遺伝法則(メンデルの法則)による反復可能性
ア Xらは,本件発明に係る新品種(本件黄桃)における両親の中間形質の獲得は,審決の摘示するように,メンデルの法則からみて明らかであるとはいえないとともに,遺伝学的にみても,交配により,本件黄桃の特性(遺伝子の組合わせ)を再現することは不可能であるから,本件発明については,一定の確実性に裏付けられた反復可能性があるものとはいえないと主張する(請求の原因4(1)ア)。
イ ところで,本件発明に係る本件黄桃の形質は,前記第2,2(3),3のとおり,両親のいずれかの形質を示すものであったり,そのいずれでもなく,中間の形質(「葉縁」等)を示すものであったりするなど,種々の様相を示しており,また,弁論の全趣旨により成立が認められる甲第28号証(【D】作成の陳述書,10頁)及び成立に争いのない乙第11号証(【E】外編著「果樹園芸大事典」株式会社養賢堂昭和59年1月10日第2次訂正追補版発行(昭和47年5月25日第1版発行),90頁右欄10行ないし25行,91頁,99頁左欄9−5表下27行ないし右欄7行)の各記載に照らすならば,果樹における各形質の遺伝構造は,形質の基になる遺伝因子が相互に影響し合い,複雑なものとなり,メンデルの法則によっては解明し切れない面を有するものであることが窺える。したがって,本件
黄桃と同一の遺伝子の構造を有する桃を交配により再現することは,きわめて低い確率でしか成立しないと認められる。
ウ しかしながら,本件発明の目的は,その発明内容からみて,育種目標とする形質の基礎となるべき遺伝構造の異同にかかわらず,育種目標とする形質自体の獲得の点にあることが明らかであり,遺伝子構成により桃の新品種「黄桃」を特定することを発明の要旨とするものではない。
そして,桃を含む果樹の形質遺伝においては,前記のとおり,その遺伝構造が複雑であるがゆえに,遺伝構造の異同にかかわらず,部分的には同一の形質を含む多様な形質が発現し得るものであることもまた,前出乙第11号証の記載に照らし明らかというべきである。
したがって,これらのことを前提にするならば,本件発明における新品種(本件黄桃)の作出過程(以下「本件作出過程」という。)を反復実施することにより,本件発明の育種目標とする形質と同じ形質が発現する可能性は,現実にはあり得ることであって,このことは,遺伝的知見もしくは育種学的知見に照らしても,容易に理解し得るところである。
そうすると,形質遺伝に係る遺伝構造の同一の観点からではなく,現実に発現する遺伝形質(特に,育種目標とする形質)自体の同一の観点からみるならば,本件作出過程により同じ形質が再発現する確率は,高いものとはいえないにしても,その可能性はあり得るものと認めるのが相当であるから,この限りにおいて,本件作出過程につき,遺伝形質の面から反復実施の可能性を否定することはできないものというべきである。
エ 以上のとおりであるから,Xらの上記主張も理由がないというべきである。
(2) 本件発明の選抜方法の客観性
ア Xらは,本件明細書中において,本件作出過程,具体的には前記第2,2(2)オ及びカの過程(以下,それぞれを「オの作出過程」,「カの作出過程」という。)について,植物を選抜淘汰するための客観的基準が示されていないから,当業者がそれらの過程を反復実施することはできない旨を主張する(請求の原因4(1)イ)。
イ そこで,検討するに,前記第2,1によると,本件発明の目的は,「桃の品種として,甘酸適度で,果実が比較的大きく,黄肉種の加工用にもなるが,主として生食用の黄肉の桃黄桃を育成し,これを常法により無性的に増殖する」ことにあることが認められる。
そして,本件特許請求の範囲の記載からみるならば,本件作出過程における具体的な育種目標は,「果実は整った円形で,果皮強靭であり,色は黄色地に陽光面に紅暈を現し,外観きわめて美麗であり,果肉は黄色で,肉質きわめて緻密で繊維少なく,粘核であり,核の周囲に着色が少なく,微酸を含む甘味を有し,果頂と底部との味の差がなく,芳香を有する桃」を育成することにあることが明らかである。
その上で,上記の具体的育種目標に合致する本件黄桃を作出するための本件作出過程(第2,2(2)イ,エ,オ,カ,キ)のうち,まず,Xら主張のオの過程(「昭和28年,上記実生苗より,両親の中間形質を供えていると思われるもの約3種を選び,20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして,供試苗とした。」との過程)を当業者が反復実施することができるか否かについて検討するならば,次のとおりである。
(ア)前出甲第28号証(1頁5行ないし13行)によると,桃の品種育成において一般に行われている交雑育種の過程では,交配年の翌年に得られる実生苗において,葉芽は得られるが,花芽は得られないことが認められる。
そうすると,交配年(昭和27年)の翌年であるオの過程においては,実生苗から果実を得ることができず,育種目標である前記のとおりの果実の形質による選抜はできないものと解される。
(イ)しかしながら,本件特許請求の範囲の記載によれば,本件黄桃は,果実の形質のほかに,葉の形質(「葉縁がわずかに波立つが種子親タスバーター程には波立たない大きな披針形の葉を有し」)及び花の形質(「淡紅色の蕊咲きで,花粉多く自家受精の性質を有し」)によっても特定されており,それらが一体となって,新品種である本件黄桃を特徴付ける要件とされていることが明らかであるから,葉の形質及び花の形質もまた,本件作出過程における選抜基準になり得るものというべきである。
(ウ)そして,前記第2,2(3)ア(イ),イ(イ)における,本件黄桃の種子親「タスバーター」の葉の形質と,花粉親「晩黄桃」の葉の形質からみるならば,本件黄桃の「葉縁」の形状は,両親の各「葉縁」の形状の「中間」の形質を示していることが認められる。
また,上記の中間の形質における葉形や葉縁の形状は,その態様の異同について,視覚的に確認できるものであり,更に,前出甲第2号証及び成立に争いのない甲第31号証(昭和52年10月24日付け本件特許願書及び添付の当初明細書,図面)によると,本件発明についての昭和52年10月24日付け特許願書(以下「本件願書」という。)においては,本件黄桃の葉の形質について,別紙第1図のとおりの葉部の枝の写真が添付されていることが認められるから,上記中間の形質については,当業者において客観的に把握,認識し得るものであったことが明らかである。
(エ)そうすると,本件明細書に,オの過程における選抜基準として,両親の「中間形質」とする旨のみが記載されていたとしても,当業者においては,それが葉の形質を示すものであることが了知され,かつ,その「中間形質」としての形質の内容についても明確に了解し得るものであったというべきである。
(オ)なお,上記の葉の形質が上記選抜基準として実効性を有するものであるか否かについても検討するに,前出乙第11号証(113頁右欄12行ないし22行)及び成立に争いのない乙第10号証(【F】監修「育種ハンドブック」株式会社養賢堂昭和49年4月1日発行,545頁35行ないし546頁図9−13下1行)によると,交雑育種による果樹の品種改良に要する年数を短縮する方法の一つとして,「幼植物検定法」があり,それは,生育初期(幼苗期)において,生育後期(成木)においてもまったく同様に発現する形質,もしくは,生育後期(成木)の形質を推認できるような遺伝相関関係にある別の形質を選抜基準として,幼苗を選抜する方法であることが認められ,また,前出乙第11号証(104頁左欄18行ないし21行)によると,リンゴにおいては,葉の大きさと果実の大きさ,葉形と果形,葉柄の形と果こうの形の間に,それぞれ正の相関があり,葉柄および果こうの長さと果実の重さとの間に負の相関があるとされていることが認められる。
そうすると,桃に関する本件発明についても,本件特許請求の範囲に記載された「果実」の形質と,「葉」の形質とが相互に何らかの関連を有するものと推測し得るところであり(発明者においても,その点についての自己の経験的知見に基づいて,「葉」の形質を選抜基準として採用,実施したものと考えられる。),当業者においても,実生苗の段階において,前記のような「葉」の形質に基づいて選抜することは,十分に意図し得るものというべきである(また,仮に,桃における「葉」の形質と「果実」の形質との関連が客観的に明らかとはいえないとしても,そのこと自体が,オの過程における「葉」の形質を基準とした選抜を実施不可能とするものでもなく,後記ウ(ウ)(エ)のとおり,本件作出過程において中心となるべき「果実」の形質による選抜に影響を与えるものともいえない。)。
(カ)したがって,オの過程において,当業者が「中間形質」を選抜基準として本件黄桃の実生苗を選抜することは可能であり,上記基準による選抜の反復可能性がないとすることはできない。
ウ 次に,Xら主張のカの過程(「昭和29年から昭和33年までの間,各系統の形質を比較しながら,前記両親の中間形質のものの選抜を繰り返し行った。」との過程)についての反復実施の可能性を検討するならば,
(ア)a 前出甲第28号証(1頁14行ないし21行)によると,桃について一般に行われている交雑育種による品種育成の方法では,交配年から2年目の冬において,実生苗に,数は少ないが花芽が着生するようになり,3年目には花芽の着生が多くなるとともに,春に開花し,夏に結実するものであることが認められる。
b 他方,本件作出過程においては,前記第2,2(2)オのとおり,オの過程において,実生苗が台木に切接ぎされているものであるが,前出乙第10号証(545頁35行ないし546頁図9−13下1行),乙第11号証(113頁右欄1行ないし14行,同33行ないし114頁左欄2行)によると,交雑育種による果樹等の品種改良に要する年数を短縮する方法の一つとして,前記の「幼植物検定法」のほかに,「老化促進法」(「生育促進法」)があり,それは,生理面から積極的に老化を促進させ,幼型から成型への移行を早めて,世代交代を早期に実現させる方法であること,その一つである「接木法」は,1年生実生苗から採った穂木を,成木の台木に芽接ぎ,あるいは切接ぎをして,開花,結実を早める方法であり,果樹の育種年限の短縮のため,広く用いられているものであることが認められる。
c そうすると,切接ぎを用いた本件作出過程においては,開花が早まり,切接ぎの年である昭和28年の冬に花芽が着生し,翌年(昭和29年)の春には開花,結実し得たものとも考えられ(前出甲第28号証の記載(7頁10行ないし14行)も,必ずしもこれに反するものとはいえない。),そうでなくとも,遅くとも,通常の品種育成の場合と同様に,交配年の翌々年(昭和29年)に花芽が着生し,その翌年(昭和30年)に開花,結実し得たものというべきである。
d なお,この点について,前出甲第28号証(2頁23行ないし3頁10行)には,「(1)モモは,通常,交配後播種してから3年目より開花,結実する。(略)(2)モモは接木するより,実生樹を剪定せずにそのまま養成するほうが早く結実する。実生の若木に切り接ぎした場合,結果年齢は1〜2年遅くなるというのが育種関係者の常識である。従って,幼苗養成,幼木養成,予備選抜の段階では通常接木はしない。」と記載されていることが認められる。
しかしながら,前記の乙第10,第11号証の記載からみるならば,桃の育成において,育種年限を短縮させるため接木法を採用し得ないとする理由はなく,また,接木法においては,成木の台木を用いることは技術常識(乙第11号証113頁33行ないし37行参照)であるところ,甲第28号証の上記記載においては,若木を台木とした場合の結果年齢をいうものであるから,同号証の上記記載部分は,カの過程における開花,結実についての前記認定を左右するものとはいえない。
(イ)a そして,前記(ア)cのとおり開花する花についても,その形質をもって,本件における選抜基準となし得るものであることは,前記イ(イ)のとおりである。
b 本件特許請求の範囲に記載された花の形質は,「淡紅色の蕊咲きで,花粉多く自家受精の性質を有」するというものであるが,これと,前記第2,2(3)ア(イ),イ(イ)における本件黄桃の種子親「タスバーター」の花の形質及び花粉親「晩黄桃」の花の形質とをそれぞれ対比するならば,本件黄桃の花の形質は,両親に共通する「淡紅色」に加え,種子親の「蕊咲き」と,花粉親の「花粉多く」を併せ持つものであることが認められる。
そうすると,本件黄桃の花の形質は,両親の花の形質との全体的な比較において,両親に共通の形質と,それぞれの両親の一部の形質とを併せ持つ,「中間」の形質を示すものということができる。
c また,本件黄桃における上記の中間の形質は,色,咲き様,花粉量についてのものであるから,その異同を視覚的に確認することができ,他方,前出甲第2,第31号証によると,「葉」の場合と同様に,本件願書においては,本件黄桃の花の形質について,別紙第2図のとおりの開花状況の写真が添付されていることが認められることから,当業者において,上記中間の形質を客観的に把握,認識することが可能というべきである。
d 更に,「花」の形質と,本件特許請求の範囲に記載された「果実」の形質とが相互に何らかの関連を有するものと推測し得ることについても,「葉」の形質の場合と同様である。
e 以上によれば,前記(ア)のとおり,切接ぎにより苗木の開花が早まった場合には,交配年から2年目(昭和29年)において,葉の形質に加え,花の形質によっても,カの過程における「中間形質」のものを選抜することが可能であったというべきであり,また,切接ぎした苗において,老化の程度が不十分であったため,切接ぎした年(昭和28年)に花芽が着生しなかったとしても,切接ぎのない実生苗に比べ,老化は進行しているはずであるから,交配年から2年目(昭和29年)には多くの花芽が着生し,交配年から3年目(昭和30年)以降には多くの開花が得られ,上記のとおりの花の形質による選抜が可能であったものと認められる。
(ウ)a また,前記(ア)のとおり,交配年から2年目もしくは3年目以降の苗木においては,開花に伴い,特に3年目以降においては多くの結実が得られるものであることが明らかである。
b そして,本件黄桃の「果実」の形質(育種目標)は,前記(2)イのとおり,「果実は整った円形で,果皮強靭であり,色は黄色地に陽光面に紅暈を現し,外観きわめて美麗であり,果肉は黄色で,肉質きわめて緻密で繊維少なく,粘核であり,核の周囲に着色が少なく,微酸を含む甘味を有し,果頂と底部との味の差がなく,芳香を有する」ものであるが,これと,前記第2,2(3)ア(イ),イ(イ)における本件黄桃の種子親「タスバーター」の果実の形質及び花粉親「晩黄桃」の果実の形質とを対比するならば,育種目標である果実の形質は,両親に共通する色,外観,果肉,肉質とともに,種子親の「整った円形」,「粘核」,及び,花粉親の「微酸を含む甘味」を併せ持つものであることが明らかである。
このように,育種目標である果実の形質は,両親に共通する形質及び両親の形質の一部を併せ持つものであるから,それを,両親の全体的な形質との対比において位置付けるならば,葉及び花の形質と同様に,両親の形質の「中間」に位置するものということが可能である。
c また,前出乙第10号証(570頁27行ないし572頁24行)によると,果実の形状,色,外観,果肉,肉質,味等について,それらを客観的指標により評価,確認し得る各種の検定法が存在することが認められ,更に,前出甲第2及び第31号証によると,本件願書には,果実の側面と断面について,別紙第3図のとおりの写真が添付されていることが認められることから,当業者においても,カの過程における果実の「中間形質」について,客観的に把握,認識し得るものというべきである。
d したがって,交配年から2ないし3年目以降においては,当業者において,果実の形質により選抜を実施することが可能というべきであり,そのうち,多くの結実が認められる年以降においては,専ら果実の形質による選抜基準のみに従って,選抜を実施し得るものと考えられる。
(エ)そうすると,カの過程においても,本件明細書においては,選抜基準として,両親の「中間形質」によるべきことが記載されているが,当業者としては,この点についても,桃の開花前は,「葉」の形質の基準により,開花,結実後は,「葉」「花」もしくは「果実」の各形質の基準により,苗木を選抜すべきことが理解でき,かつ,その選抜基準は明確なものというべきであるから,上記過程における「中間形質」を基準とする選抜の反復可能性についても,肯定することができるものというべきである。
(オ)なお,Xらは,カの過程において,実生苗から「約3種を選び,20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎして供試苗とした。」とされていることに対し,各20本については遺伝的にまったく同じものであるから,本件発明における遺伝淘汰とは,実生苗3種(本)のうちから1種(本)を選ぶことに過ぎず,各20本から選抜した際に現れた形態の差異は,必ずしも遺伝因子とは関係がないものと主張する(請求の原因4(1)イ(イ)c)。
しかしながら,前出乙第11号証(99頁右欄3行ないし9行)によると,同号証における「交雑育種法」の説明の項において,果樹類の個体の選抜に関し次のとおり記載されている。
「現在の品種はその中で最も多くのすぐれた形質が組み合わされているものが多いから,交雑することにより各形質の組合せがくずれて,優良な形質の組合せが散逸することが少なくない。したがって,交雑実生の中で両親よりすぐれた形質の組合せを持つ個体を選抜するには,多くの個体を必要とする。」
上記記載に照らすならば,交雑実生の中から,所望の形質の組合わせを持つ個体を選抜するには,多くの個体を必要とすることが認められるから,カの過程における「実生苗の選抜」とは,両親の中間形質を有し,かつ,ある程度の幅を持つ3つの選抜基準を設定し,それにかなう実生苗を,翌年の選抜対象数として十分な数だけ選抜したことを意味するものと解するのが相当である。
したがって,カの過程における20本ずつの各実生苗については,遺伝的にまったく同じものとみなすことはできないものというべきである。
エ 更にまた,前出甲第28号証(5頁8行ないし6頁7行)には,本件作出過程中における前記第2,2(2)エの過程についても,交配種子を播種した年(昭和27年)に実生苗を得ることはできず,翌年(昭和28年)に得られるべきものであるとして,上記記載内容は誤りであるとする趣旨の記載がある。
しかしながら,前出乙第10号証(546頁1行ないし3行)及び乙第11号証(113頁右欄28行ないし32行,116頁左欄2行ないし9行)によると,桃の苗を養成するにあたり,交配種子に,除核処理,休眠打破処理(温度,日長,化学物質等による処理),はい培養処理等を施して播種するならば,播種した年に実生苗を得ることができることが認められる。
したがって,それらの方法を用いるならば,上記エの過程に記載のとおり,播種した昭和27年に実生苗を得ることができたものと解することが可能であるから,本件明細書における上記記載も誤りとはいえない。
オ 以上によれば,本件明細書に,植物を選抜淘汰するための客観的基準が示されていないから,当業者において本件発明を反復実施することができないとするXらの主張は,いずれも失当というべきことになる。
(3)「通常の手法」による本件発明の反復実施の可否
ア Xらは,審決が,周知の選抜法,繁殖法,特性検定法の内容たる技術を明らかにしておらず,選抜のための客観的指標も明らかにしていないから,当業者において,審決のいう「通常の手法」により本件発明を実施することはできないと主張する(請求の原因4(1)ウ(ア))。
しかしながら,本件発明において,苗木を選抜するための客観的指標(基準)が明らかであることは,前記(2)に判示のとおりであり,また,本件発明に係る桃の育種における選抜法,繁殖法,特性検定法が本出願前に周知であったことも,前記(2)における各証拠としての刊行物の記載から明らかである。
したがって,Xらの上記主張は失当である。
イ また,Xらは,オの過程において,実生苗から約3種を選び,20本ずつ計60本を実生砧木に切接ぎをしたとされていることについて,実生苗の選抜基準が不明である以上,その過程については「通常の手法」とはいえないとも主張する(請求の原因4(1)ウ(イ))が,この点についても,選抜基準が明らかであることは前記(2)の判示のとおりである。
ウ 更に,Xらは,実生苗を台木に切接ぎをした年(昭和28年)の翌年(昭和29年)に果実が得られることは当業者にとって自明とはいえず,「通常の手法」ではないと主張する(請求の原因4(1)ウ(イ))。
しかしながら,前記(2)ウ(ア)のとおり,本件発明において,必ずしも,切接ぎをした翌年に果実を得ることができなかったものともいえず,また,仮に,果実を得ることができなかったとしても,「葉」と「花」の形質により,苗木を選抜することが可能であったものと認められるところである上,そのことは,当業者においても十分了解可能であったものというべきであるから,本件作出過程の反復実施の可能性は否定されるものではなく,Xらの上記主張も失当である。
エ Xらは,オの過程について,桃は結実が早いため,その育種にあたり,成木に高接する方法が採られることはないとも主張し(請求の原因4(1)ウ(イ)),前記甲第28号証(3頁5行ないし4頁4行,77頁2行ないし7行)にも同旨の記載がある。
しかしながら,前記(2)ウ(ア)bのとおり,「接木法」は,果樹の育種年限の短縮のため広く用いられている方法であり,また,接木法そのものが育種学的もしくは育種技術的に,桃に適用することができないとする理由は見当たらないところであるから(前出甲第28号証における記載内容も,接木法が桃に適用できないとするものではなく,適用する必要がないとするものである。),接木法を用いることによる育種上の効果(育種能率の向上,育種年限の短縮等)が想定できれば,それを採用したとしても不都合はなく,したがって,オの過程において接木法を用いたことが,本件発明の反復実施に対する障害となるべき余地はない。
オ 以上によれば,本件発明が「通常の手法」によらないものであり,出願人の「勘」に頼ってなされたものであるとするXらの主張も理由がない。
(4)本件黄桃の均等性,安定性,永続性の存否
Xらは,交配により,本件発明に係る新品種(本件黄桃)を安定的に取得することができないから,本件黄桃に,均等性,安定性,永続性を認めることはできず,本件発明に反復可能性はないと主張する(請求の原因4(1)エ)。
しかしながら,交配により,その確率は高いとはいえないが,本件黄桃と同様の特性を有する桃を作出できることは,前記(1)及び(2)のとおりであり,そうすると,その作出物を無性的に増殖することにより,その均等性,安定性,永続性を確保することは十分に可能というべきである。
したがって,本件発明に係る本件黄桃について,均等性,安定性,永続性を欠くものとすることはできない。
なお,前出甲第28号証(9頁8行ないし20行)の記載においては,本件発明により作出された本件黄桃の均等性について,供試個体数が少ないこと,滴定酸度,糖度の各数値にも開きがあることを理由に,疑問を呈しているが,上記の個体数及び数値であっても,必ずしも均等性を欠くものとみなすことができないことは明らかである。
(5)親品種(「晩黄桃」)の入手手段の確保
Xらは,本件発明において作出された新品種(本件黄桃)の花粉親である「晩黄桃」について,発明者(【A】)によるその入手経路からみるならば,第三者による再入手の方法が確保されているとはいえないから,本件発明は反復可能性を欠くと主張する(請求の原因4(1)オ)。
しかしながら,前出甲第2号証によるならば,本件明細書においては,前記第2,4のとおり,本出願当時,発明者により「晩黄桃」の所在が確保されている旨及び発明者がそれを分譲する意思を有する旨が記載されていることが認められるのであり,本件において,上記記載内容に,格別疑問を呈すべき事由は見当たらない。
当業者が本件明細書の記載に基づいて本件黄桃と同様の特性を持つ桃を再現するための親品種の入手手段としては,親品種が出願人(発明者)の事実上の管理下にあり,第三者に提供可能であることが合理的疑いのない程度に明細書に示されていれば足り,それによって産業上利用することができる発明として完成しているといえるのであって,当該親品種が寄託機関に寄託されていることや,当該発明の特許期間の終了まで常に第三者に提供できることが保証されていることまで必須とするものではない。
そうすると,本出願当時,当業者(第三者)が「晩黄桃」を入手することは,発明者を通じることによって可能であったものというべきであり,本件明細書上,その入手方法の確保が発明者の「宣言」に基づくものであったとしても,本件において,「晩黄桃」の入手手段については確保されていたものというべきである。
したがって,本件発明において,花粉親の「晩黄桃」の入手手段の確保がなく,その反復実施が不可能であったとすることはできない。
(6)親品種(「晩黄桃」)の不存在
Xらは,本件発明においては,少なくとも本件特許権の存続期間の満了に至るまで,親品種の保存,分譲が確保されるべきであるところ,現在,花粉親である「晩黄桃」については存在しないものであるから,本件発明についての反復可能性は認められず,本件発明は未完成のものというべきである旨主張する(請求の原因4(1)カ)。
ところで,弁論の全趣旨により成立が認められる甲第23号証の1及び成立に争いのない同号証の2によると,平成7年2月に発明者であった【A】が死去したことに伴い,同人が使用していた圃場を管理する者がいなくなったこと等から,本件黄桃の花粉親である「晩黄桃」の原木については,同年8月時点において既にその所在が不明となり,今日に至っていることが窺えるところである。
しかしながら,前記(5)のとおり,「晩黄桃」の入手手段は,本件明細書の記載(前記第2,4)により確保されていたものと認められ(なお,本件明細書における上記記載は,後記3のとおり,本件補正により補正されたものであるが,補正の効力は本出願当初にまで遡るものと解される。),それによって本件発明は産業上利用できる発明として完成していたといえるから,仮に,上記のとおり,本件特許権の設定登録後であって,特許権の効力発生時から18年近く経過した平成7年の時点において,本件発明に係る本件黄桃の花粉親である「晩黄桃」の原木が所在不明になったとしても,そのことから本件発明を未完成のものとすることはできない。
(7)以上によれば,本件発明については,Xら主張のいずれの事由をもってしても,本件発明の反復実施の可能性を否定することはできないものというべきであるから,本件発明を未完成のものであるとするXらの主張は失当といわざるをえない。
2 取消事由2(本件発明の要旨認定の誤り)について
(1)選抜方法の記載について
Xらは,本件特許請求の範囲について,「目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法」の記載を欠き,また,審決においては,上記「選抜する方法」を,「果樹の育種における通常の方法」であると認定しているが,この「通常の方法」は,本件明細書の「詳細な説明」の記載に基づくものではないから,審決における本件発明の要旨の認定は誤りであると主張する(請求の原因4(2)ア)。
しかしながら,前記審決の理由の要点によれば,審決は,請求人であるXら主張の特許無効事由を検討して本件発明が特許要件を具備していたかについて判断するに当たり,その前提として本件発明の要旨を特許請求の範囲の記載に基づいて認定したものであり,本件発明の前記特許請求の範囲の記載に照らし,その記載どおりに本件発明の要旨を認定したことに何らの誤りも存しない。
Xらの前記主張は,本件発明の特許請求の範囲には「目的とする植物を客観的指標に基づいて選抜する方法」を記載すべきであり,この記載を欠くことは特許請求の範囲に特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項を記載していない場合に当たるという趣旨に理解されないではないが,本件特許が特許法36条に違反することは,審判手続において無効事由として主張されていないから,そのような主張を審決取消訴訟においてすることは許されないところであり,また本件明細書の記載内容に照らし,本件発明に係る桃の作出過程の基本的手法を「果樹の育種における通常の方法」と認定したことに何らの誤りも存しないことは前記1に判示したとおりである。
したがって,審決においては,本件発明の要旨認定について,上記の点に関する誤りがあるとする余地はなく,Xらの主張は失当である。
(2)「常法により無性的に増殖する方法」の記載について
Xらは,本件発明は,桃の新品種の育種方法についての発明であり,他方,植物品種の増殖方法については,先行技術により既に解決済みの事項であるから,本件特許請求の範囲の記載中における「常法により無性的に増殖する方法」の部分は,本件発明の要旨となるものではないと主張する(請求の原因4(2)イ)。
しかしながら,本件発明は,新品種を育成するとともに,増殖することも発明の目的とするものである(前記第2,1)から,「常法により無性的に増殖する」ことについても,発明の構成要件となり得ることは明らかである。
したがって,本件発明の要旨については,「常法により無性的に増殖する」ことをも含めて認定すべきことは当然であるから,Xらの上記主張も理由がないというべきである。
3 取消事由3(本件発明における要旨変更)について
(1)Xらは,本件明細書に基づく本件発明について反復可能性が認められ,未完成のものとはいえないとしても,当初明細書においては,「晩黄桃」の入手手段の記載がなく,その分譲を保証する旨の記載もなかったため,発明の反復可能性を欠き未完成のものであったところ,本件補正により上記記載が追加され,本件発明が反復可能なものとなったのであるから,本件補正は,未完成発明を完成させたものとして,発明の要旨を変更するものである旨,したがって,本件発明は,本件補正のなされた昭和57年7月19日に出願されたものとみなされるから,本件公開公報に記載された発明に基づいて容易に発明することができたものである旨を主張する(請求の原因4(3))。
(2)そこで検討するに,前出甲第31号証(当初明細書)及び成立に争いのない甲第7号証(本件補正書),甲第32号証(昭和56年8月17日付け手続補正書)によると,本件黄桃及び「晩黄桃」の所在等について,当初明細書の「発明の詳細な説明」欄には次のとおり記載されており(なお,昭和56年8月17日付け手続補正書(全文補正)においても同文とされた。),それが,本件補正書により,前記第2,4のとおり補正されたことが認められる。
「[3]本新品種‘倉方黄桃’の所在
本発明の桃植物の新品種‘倉方黄桃’の原木は,本発明者の農場である。東京都世田谷区<以下略>にその直接の種子親であり朝鮮より移入したタスバーター種と共に保管栽培されており,本種の特性確認のために役立て得ることを宣言する。」(当初明細書13頁下から9行ないし3行,以下「補正前の記載部分」という。)
(3)そして,本件発明については,本件補正に係る前記第2,4の記載により,本件黄桃の親品種である「晩黄桃」の入手手段が確保されているものと解されることは,前記1(5)のとおりである。
そうすると,本件補正が「晩黄桃」について記載を追加したことにより,本件発明が反復実施不可能なものから実施可能なものに補正されたものであるか否かは,当初明細書における補正前の記載部分に基づいて,当業者が本件発明を反復実施することが可能であったか否かにかかることになる。
(4)そこで,以下,その点について検討するに,
ア 補正前の記載部分においては,本出願人が当業者(第三者)に対し,種子親「タスバーター」の原木の所在及び本件黄桃の原木の所在を明確にし,かつ,本件黄桃の無性的繁殖を試みようとする当業者には,両原木の分譲を保証する旨が記載されているが,花粉親「晩黄桃」の所在及び分譲の保証については記載されていない。
イ しかしながら,成立に争いのない甲第20号証(【G】著「果物のたどってきた道」日本放送出版協会昭和51年1月20日発行,45頁11行ないし14行,49頁12行ないし14行)の記載にも照らすならば,交雑育種で得た果樹の新品種を増殖,栽培するにあたっては,同じ交雑育種を繰り返しても同様の品質,特性のものを得ることが困難であることから,再度の交雑育種によることなく,無性増殖の方法を用いることが当業者の技術常識であることが明らかである。
このような技術常識を前提とするならば,当業者が,本件発明を再実施するに際しては,交配から本件作出過程を反復実施するということはなく,本出願人から,本件黄桃の原木の分譲を受けるのが通常であると解される。
ウ してみれば,本出願人が,当初明細書において,当業者に対し,本件黄桃等の原木の所在を明確にし,その分譲を保証するとしたことは,上記のような技術常識を踏まえた上でのことであり,それにより,当業者に対し,本件発明の反復実施を保証するという趣旨を示したものと解される。したがって,補正前の記載部分は,上記技術常識によらず,本件作出過程の当初の段階から本件発明の反復実施を開始しようとする当業者が出現した場合には,当然,本件発明の反復実施のため,本件黄桃の花粉親「晩黄桃」の提供に応じる意思を示すものであることが明らかである。
エ そして,前記第2,2(2)のとおりの本件明細書(甲第2号証)の記載(なお,当初明細書においても同様の記載がある。)及び上記(2)のとおりの当初明細書の記載からみるならば,花粉親「晩黄桃」が,昭和27年当時,本出願人の農場に存在していたものであることは確かであり,その後も,本出願人の農場又はその支配の及ぶ場所において,それが栽培されていたものと考えられるところである。したがって,当初明細書に,本件黄桃の花粉親「晩黄桃」の所在及び提供手段が記載されていなかったとしても,そのことは,花粉親「晩黄桃」が,本出願当時,本出願人の所有又は支配の及ぶ場所に存在せず,その結果,当業者による本件発明の実施が不可能であったことまでをも意味するものでないことは明らかである。
オ 以上によれば,当初明細書における補正前の記載部分は,本件黄桃の花粉親「晩黄桃」の原木の分譲についても,実質的に保証する趣旨を示しており,本件補正は,当初明細書に開示された本出願人の上記保証の範囲内において,出願時に明示されていなかった花粉親「晩黄桃」の所在及び提供手段を明確にしたものということができるから,当初明細書の開示の範囲内において,その記載内容を補正したものというべきである。
カ したがって,当初明細書の補正前の記載部分においても,「晩黄桃」の入手手段の確保は図られていたものとみなすのが相当であり,本件発明は,当初明細書の記載によっても,当業者による反復実施の可能性を欠くものではなかったというべきである。
そうすると,本件補正は,未完成発明を完成させたものであるとはいえず,本件発明の要旨を変更するものといえないことは明らかである。
(5)以上のとおりであるから,Xらの上記主張も,その点において失当というべきである。
4 取消事由4(UPOV条約違反)について
Xらは,本件特許権が,実質的には新品種(本件黄桃)の保護を目的とするものであるから,UPOV条約2条1項(二重保護の禁止)に違反するとし,また,その点について,審決には,審理不尽,理由不備の違法があると主張する(請求の原因4(4))。
しかしながら,UPOV条約は,植物品種の保護を目的とした国際条約であり,それに対応する国内法として種苗法が施行されているが,UPOV条約及び種苗法は,植物品種それ自体を保護するためのものであるのに対し,本件発明は,その特許請求の範囲における記載のとおり,実質的にも,植物品種についてのものではなく,植物品種の育成,増殖方法についてのものであることが明らかであり,このことは,Xら主張の各事由を考慮しても同様である。
そうすると,本件特許権は,その保護対象を種苗法と異にするものであるから,そもそも,本件特許権がUPOV条約2条1項に抵触する余地はないものというべきであり(なお,1991年3月の外交会議において,上記二重保護禁止条項の削除を含むUPOV条約の改正案が採択されている。),また,審決に,審理不尽,理由不備の違法があるとする余地もない。
したがって,Xらの上記主張もまた失当というべきである。
第4 以上によれば,審決には,Xら主張の違法はなく,その取消しを求めるXらの本訴請求は理由がないものというべきであるから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法89条,93条1項を適用して,主文のとおり判決する。」