最判昭和47年12月14日(民集26巻10号1909頁(昭和41年(行ツ)第46号))

(原審:東京高判昭和41年3月29日(昭和39年(行ナ)第159号))

<判決>
 上告棄却。
「上告代理人海谷利宏,同河野克己,同渡辺徳広の上告理由について。
一 原判決が本件の具体的な事実関係のもとにおいて上告人らの求める本件の訂正が許されないとした理由は,次のとおりである。
 1 本件明細書の特許請求の範囲の項に記載された第一工程中の餅生地の冷蔵温度は,本件特許発明の構成に欠くことができない事項の一である。
 2 特許請求の範囲の項その他に記載された右の冷蔵温度「3乃至5°F」をC(摂氏温度)に換算すると,ほぼマイナス16.1度乃至マイナス15.1度Cに相当し,「3乃至5°C」とのあいだに著しい差が存するのであつて,この温度差はその後の工程を経た焼成品に著しい差異を及ぼすものである。
 3 右の第一工程における冷蔵温度は,本件明細書の全文(すなわち,発明の詳細なる説明,特許請求の範囲の各項)を通じて,一貫して「3乃至5°F」と記載されている。
 4 上告人らの指摘にかかる個所その他明細書の全文等を参酌しても,本件特許発明の目的およびこれを達成するにつき上告人ら所望の温度を必要とする理由ないし理論を窺知しうるにとどまり,これによつて,明細書訂正の前後を通じ,当業者が容易に前記温度上の差異を無視しうるものとは,とうてい解し難い。
二 原判決が本件において誤記の訂正が許されないとした理由は,右のとおりであるが,原判決は,右の説示に先だつて,特許法(以下単に法という)126条2項の趣旨につき一般的に言及するところがあり,論旨は,主として,右の一般的説示についての論難であるので,まずこの点について検討することとする。
 論旨は,原判決が,法70条および128条を論拠として,法126条2項は,誤記の訂正についても一定の制限を設けて,表示を信頼する第三者の立場を保護する趣旨のものであり,したがつて,明細書の特許請求の範囲の項に記載された当該発明の構成に欠くことができない事項について,その内容,ことに範囲・性質等を拡張または変更するような訂正は許されないとした判示を非難し,特許発明の範囲はその特許明細書によつてこれを定めるべく,特許明細書を解釈判断するにあたつては,その記載した特許請求の範囲等の字句に拘泥することなく,発明の性質および目的または発明の詳細な説明等と相待つて新規な考案の旨意を明らかにし,もつて特許権の範囲を定めるべきものである(大判大正11年12月4日民集1巻697頁等参照)にもかかわらず,原判決が,本件明細書の全文を通じて実質的に解釈することなく,単に「3乃至5°F」を「3乃至5°C」と訂正することは,特許請求の範囲に記載された本件特許発明の構成に欠くことができない事項の一の変更であるから許されないと形式的に判断したのは違法である,と主張する。
 しかしながら,法は,特許出願に際し,願書に添附すべき明細書の「特許請求の範囲には,発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない」(36条5項)ものとし,また,「特許発明の技術的範囲は,願書に添附した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定めなければならない」(70条)ものとするのであつて,明細書中において特許請求の範囲の項の占める重要性は,とうてい発明の詳細な説明の項または図面等と同一に論ずることはできない。すなわち,特許請求の範囲は,ほんらい明細書において,対世的な絶対権たる特許権の効力範囲を明確にするものであるからこそ,前記のように特許発明の技術的範囲を確定するための基準とされるのであつて,法126条2項にいう「実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するもの」であるか否かの判断は,もとより,明細書中の特許請求の範囲の項の記載を基準としてなされるべきであり,本件訂正の許否につき,原判決が特許請求の範囲に表示された発明の構成に欠くことができない事項を重視したことは,もとより相当といわなければならない。論旨引用の判例は本件に適切でない。
三 おもうに,訂正の審判が確定したときは,訂正の効果は出願の当初に遡つて生じ(法128条),しかも訂正された明細書または図面に基づく特許権の効力は,当業者その他不特定多数の一般第三者に及ぶものであるから,訂正の許否の判断はとくに慎重でなければならないのが当然である。
 原審の確定事実に照らして本件を観るのに,上告人らが訂正を求める「3乃至5°F」の記載は,特許請求の範囲における発明の構成に欠くことができない事項の一であつて,その記載が「3乃至5°C」の誤記であることは被上告人の争わないところであるとはいえ,本件における特許請求の範囲の項に示された第一工程中の餅生地の冷蔵温度を「3乃至5°F」とする記載は,それ自体きわめて明瞭で,明細書中の他の項の記載等を参酌しなければ理解しえない性質のものではなく,しかも,「3乃至5°F」と「3乃至5°C」との差は顕著で,その温度差はその後の工程を経た焼成品に著しい差異を及ぼすものであるにもかかわらず,明細書の全文を通じ一貫して「3乃至5°F」と記載されており,当業者であれば容易にその誤記であることに気付いて,「3乃至5°C」の趣旨に理解するのが当然であるとはいえないというのである。これによると,前記の「3乃至5°F」の記載は,上告人らの立場からすれば誤記であることが明らかであるとしても,一般第三者との関係からすれば,とうていこれを同一に論ずることができず,けつきよく,右記載どおり「3乃至5°F」として表示されたのが本件特許請求の範囲にほかならないといわざるをえないのである。
 以上説示するところによれば,本件の場合も特許請求の範囲の「3乃至5°F」の記載を「3乃至5°C」と訂正することは,本件明細書中に記載された特許請求の範囲の表示を信頼する一般第三者の利益を害することになるものであつて,実質上特許請求の範囲を変更するものというべく,法126条2項の規定により許されないところといわなければならない。したがつて,これと同趣旨に出た原判決は相当であつて,論旨はすべて理由がない。
 よつて,行政事件訴訟法7条,民訴法401条95条89条93条に従い,裁判官全員の一致で,主文のとおり判決する。」