最判平成18年1月24日(集民219号329頁(平成17年(受)第541号))

(原審:東京高判平成16年12月8日(平成15年(ネ)第3895号))

<事案の概要>
 X(原告,被控訴人,上告人)は,特許第2568987号(特許権者:D。以下,「本件特許権」という。)を目的とする質権(以下,「本件質権」という。)を設定して訴外Dに対し,3億6000万円を貸付けていた(以下,「本件債権」という。)。しかし,特許庁職員の過失により,本件質権の設定登録の申請が適切に処理されなかったために,本件債権の回収ができなくなり損害をこうむったとして,Y(国。被告,控訴人,被上告人)に対し,国家賠償法第1条第1項に基づき,3億3000万円の損害賠償を求めた。
 事件の経緯は,以下のとおりである。

平成 6年12月14日 出願(出願人:D,発明の名称:「鉄筋組立用の支持部材並びにこれを用いた橋梁の施工方法」(以下,「本件発明」という。))
平成 7年 4月25日 XとDとの間に,Dが手形交換所の取引停止処分を受けたときには当然に期限の利益を喪失する旨の信用金庫取引約定を締結。
平成 8年 3月26日 Dが,本件発明の一部を用いたFS床版工法を発表。翌日以降の新聞等で報道される。
平成 8年10月 3日 設定登録(特許第2568987号。以下,「本件特許権」という。)
平成 9年 8月19日 XがDに3億6000万円を貸付け(弁済期:平成13年1月5日,利息:年3.875%,損害金:年14.5%。以下,「本件債権」という。)。
平成 9年 8月31日 DからEに,本件特許権を譲渡。
平成 9年 9月 1日 DからXに,本件債権を担保するため,本件特許権を目的とする質権(以下,「本件質権」という。)の設定。
平成 9年 9月 2日 Xから特許庁長官に対し,本件質権の設定登録(以下,「本件質権設定登録」という。)の申請。
平成 9年 9月 3日 本件質権設定登録を受け付け(受付番号第3185号。)。
平成 9年 9月12日 Eから特許庁長官に対し,本件特許権の移転登録(以下,「本件特許権移転登録」という。)の申請。
平成 9年 9月16日 本件特許権移転登録を受け付け(受付番号第3330号。)。
平成 9年11月17日 受付番号第3330号として受け付けられた本件特許権移転登録を,特許登録原簿の甲区欄に登録。
平成 9年11月 EからF物産に対し,本件特許権を含む複数の特許権,特許を受ける権利を4億円で譲渡。
平成 9年11月27日 Eから特許庁長官に対し,Fへの上記特許権を含む複数の特許権の移転登録の申請を受け付け(受付番号第4295号,第4296号。)。
平成 9年12月 1日 受付番号第3185号として受け付けられた本件質権設定登録について,平成9年11月17日付けで特許登録原簿の丁区欄に順位1番で登録。
その後,職権により,次の更正登録。
  ア 職権更正
    原因 平成9年12月1日 遺漏発見
    質権の設定登録の追加更正
    登録年月日 平成9年12月1日
  イ 職権更正
    原因 平成10年5月15日 遺漏発見
    順位1番に登録すべき職権更正登録の追加更正
    登録年月日 平成10年5月15日
平成10年 2月23日 特許登録原簿の甲区欄に,受付番号第4295号,第4296号として受け付けられた,EからFへの移転登録の申請を登録。
平成10年 3月23日 Dが2度目の不渡りにより,銀行取引停止処分を受け,事実上倒産。
Dは本件債権につき,期限の利益を喪失。
平成10年 4月 F物産による,本件特許権の事業化への取組(パンフレットの作成,販売営業活動。)。
平成10年 5月 F物産から,Xに対する本件質権設定登録の抹消手続を求める訴えを提起。
平成10年 7月24日 F物産の請求を認容する判決言い渡し(東京地裁)。その後,判決確定。
平成10年10月 8日 本件質権設定登録の抹消。
平成10年11月 E倒産。
平成13年 5月14日 F物産が平成12年10月3日までに第5年分の特許料の支払をしなかったため,本件特許権の設定登録の抹消。

 第一審((平成12年(ワ)第81号))は,Xの請求を一部認容。
 Y控訴。
 原審(東京高判平成16年12月8日(平成15年(ネ)第3895号))は,「本件質権設定登録がされていた場合,F物産が本件特許権を譲り受けたか,また,Eが本件特許権の譲渡を図ったかについて,いずれも疑問が残る。また,本件質権設定登録がされた状態で本件特許権の譲渡契約の締結が具体的に検討された場合,F物産,E及びXの間で,譲渡代金のうち相当額をXに支払う旨の合意が成立するに至ったと断定するだけの根拠もない。そうすると,本件質権設定登録がされていた場合,本件特許権等についての譲渡契約が前記1(5)の譲渡契約と同様に成立し,本件質権設定登録を抹消するためにXに相当額が交付されるに至ったものとは認定し難いといわざるを得ないから,本件質権設定登録が本件特許権移転登録に先立ち正しくされていたとしても,Xが本件質権に基づき本件債権の弁済を受けることが可能であったともいい難い。したがって,本件においては,特許庁の担当職員の過失によりXに現実に損害が発生したものとは認めることができない。」として,第一審判決を取り消し,Xの請求を全部棄却する判決をした。
 X上告。

<判決>
 破棄差戻。
「(1)特許権の移転及び特許権を目的とする質権の設定は,特許庁に備える特許原簿に登録するものとされ(特許法27条1項1号,3号),かつ,相続その他の一般承継による特許権の移転を除き,登録しなければその効力を生じないものとされ(同法98条1項1号,3号),これらの登録は,原則として,登録権利者及び登録義務者の共同申請,登録義務者の単独申請承諾書を添付した登録権利者の申請等に基づいて行われることとされている(特許登録令15条18条19条)。したがって,特許権者甲が,その債権者乙に対して甲の有する特許権を目的とする質権を設定する旨の契約を締結し,これと相前後して第三者丙に対して当該特許権を移転する旨の契約を締結した場合において,乙に対する質権設定登録の申請が先に受け付けられ,その後丙に対する特許権移転登録の申請が受け付けられたときでも,丙に対する特許権移転登録が先にされれば,質権の効力が生ずる前に当該特許権が丙に移転されていたことになるから,もはや乙に対する質権設定登録をすることはできず,結局,当該質権の効力は生じないこととなる。このため,申請による登録は,受付の順序に従ってしなければならないものとされており(同令37条1項),特許庁の担当職員がこの定めに反して受付の順序に従わず,後に受付のされた丙に対する特許権移転登録手続を先にしたために,先に受付のされた乙に対する質権設定登録をすることができなくなった場合には,乙は,特許庁の担当職員の過失により,本来有効に取得することのできた質権を取得することができなかったものであるから,これによって被った損害について,国家賠償を求めることができる。
 前記事実関係によれば,Xは,平成9年9月1日,Aから本件質権の設定を受け,同月2日,特許庁長官に本件質権設定登録を申請し,同月3日,これが受け付けられたにもかかわらず,この受付に後れて申請及び受付がされた本件特許権移転登録が先にされたため,本件質権の効力が生じなかったというのであるから,Xは,特許庁の担当職員の過失により,本来有効に取得することのできた本件質権を取得することができなかったものであることが明らかである。
(2)特許庁の担当職員の過失により特許権を目的とする質権を取得することができなかった場合,これによる損害額は,特段の事情のない限り,その被担保債権が履行遅滞に陥ったころ,当該質権を実行することによって回収することができたはずの債権額というべきである。
 前記事実関係に照らせば,本件債権は,Dが銀行取引停止処分を受けて期限の利益を喪失した平成10年3月23日の時点で履行遅滞に陥ったものと認められ,しかも上記特段の事情はうかがわれないから,そのころ,本件質権を実行することによって回収することのできたはずの本件債権の債権額が本件質権を取得することができなかったことによる損害額というべきである。そして,本件質権には,これに優先する担保権は存在しないから,結局,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額から回収費用を控除した金額(それが本件債権の債権額を上回れば同債権額)が,本件質権を取得することができなかったことによる損害額となる。
(3)そこで,平成10年3月ころの本件特許権の適正な価額について検討する。
 特許権の適正な価額は,損害額算定の基準時における特許権を活用した事業収益の見込みに基づいて算定されるべきものであるところ,前記事実関係によれば,@Dが,平成8年3月,特許出願中の本件特許権を構成する技術の一部を用いたFS床版工法を発表したところ,多数の新聞に取り上げられ,多数の企業等から同工法についての照会や資料請求があったこと,ADから本件特許権の譲渡を受けたEは,平成9年11月,F物産に対し,本件特許権等を代金4億円で譲渡したこと,BF物産は,Dらと共に本件特許権の事業化に取り組み,平成10年4月,スーパーMSG床版という商品名でパンフレットを作成し,その販売営業に努力したこと,CF物産は,本件特許権の事業化の障害となる本件質権設定登録を抹消するため,同年5月,Xに対し,その抹消登録手続を求める訴えを提起し,同年7月,勝訴判決を得て,同年10月,その目的を達したこと,DF物産は,最終的には,本件特許権の事業化は採算が合わないものと判断してこれを断念し,平成12年10月までに本件特許権の第5年分の特許料の支払をしなかったため,本件特許権が消滅したが,それまでは同事業化の努力をしていたことなどが明らかである。
 以上に照らすと,本件特許権は,最終的にはC物産による事業化に成功せず,平成12年10月に消滅するに至ったというのであるが,本件債権が履行遅滞に陥った平成10年3月ころには,事業収益を生み出す見込みのある発明として相応の経済的評価ができるものであったということができ,本件質権の実行によって本件債権について相応の回収が見込まれたものというべきである。
(4)以上によれば,Xには特許庁の担当職員の過失により本件質権を取得することができなかったことにより損害が発生したというべきであるから,その損害額が認定されなければならず,仮に損害額の立証が極めて困難であったとしても,民訴法248条により,口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づいて,相当な損害額が認定されなければならない。ところが,原審は,上記(3)@〜Dのような事実が明らかであるにもかかわらず,本件特許権について本件質権設定登録がされていた場合に,本件特許権等についての譲渡契約が前記1(5)の譲渡契約と同様に成立し,本件質権設定登録を抹消するためにXに相当額が交付されるに至ったものとは認定し難いとして,本件質権を取得することができなかったことによる損害の発生を否定したのであるから,原審の上記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,本件については,損害額の認定等につき更に審理を尽くさせる必要があるから,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。」

<後日談>
 差戻後,YはXに約2160万円を支払うことを命ずる旨の判決があり,確定した(知財高判平成21年1月14日(平成18年(ネ)第10008号))。