1.事案の概要
X(原告)は,発明の名称を「コリオリ流量計の本質的に安全な信号調整装置」とする発明について特許出願(特願2001-532063号。パリ条約による優先権主張平成11年10月15日,米国)をし,平成15年8月6日(明細書全文について)及び平成19年2月7日(明細書の特許請求の範囲について),その手続補正をした。
平成19年2月7日付け手続補正書による補正後の本件出願に係る明細書(以下,図面も併せて「本願明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項45の記載は,次のとおりである(以下,請求項45に係る発明を「本願発明」という。)。
「【請求項45】
流量計信号処理システムであって,
信号調整装置(201)と,
前記信号調整装置(201)に遠隔結合されたホスト・システム(200)と,
を具備し,前記信号調整装置(201)と前記ホスト・システム(200)とが本質的に安全な閾値内で動作し,
前記信号調整装置(201)が,流量計組立体(10)に結合された流量計組立体保護回路(330)と,前記ホスト・システム(200)に結合されたホスト側保護回路(320)とを備える流量計信号処理システム。」
特許庁は,平成19年3月5日,上記補正後の請求項1ないし50記載の発明のうち,請求項45ないし50記載の発明については特許を受けることができないとして,本件の特許出願に対して拒絶査定をした。
これに対し,Xは,平成19年6月6日,拒絶査定不服審判の請求をし,平成19年8月16日付けで,審判請求書の請求の理由の記載を補正する手続補正書を提出した。
特許庁は,不服2007-15678号事件として審理し,平成21年12月15日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「審決」という。)をした。
審決の理由及び判断は概略,本願発明は,特開平8-166272号公報(以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)及び周知技術に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものであるというものである。
X出訴。
2.争点
特許庁が,相違点に係る構成は周知技術から容易想到であるとする認定及び判断の当否に関して,請求人に対して意見書提出の機会を与えなかったことの当否。
3.判決
審決取消。
4.判断
「第4 当裁判所の判断
事案にかんがみ,先に,取消事由2「周知技術及び周知文献に係る意見書提出の機会の欠如」に係る手続違背の有無について判断する。当裁判所は,以下のとおり,審決には,新たな拒絶理由通知をしてXに意見書を提出する機会を与えるべきであったにもかかわらず,同手続を怠った瑕疵があり,審決は,特許法159条2項,50条に違反するものと判断する。
その理由は,以下のとおりである。
1 審査手続の経緯及び審決の内容
証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
(1)本願明細書の記載等
本願明細書には,以下の記載がある。
ア 従来技術においては,@流量計の電子装置(駆動信号を生じ且つセンサからの信号を処理するのに必要な全ての回路を含む)を流量計組立体に接続するためには,高価な特注品である「9芯ケーブル」を用いる必要がある,A流量計電子装置は,揮発性物質を含む爆発性の環境で使用される場合があるため,その全体を防爆型ハウジング内に封入すること等が必要である,との2つの解決課題があった(甲9,5頁16行〜45行。別紙・・・参照。)。
イ しかし,本願発明の解決手段によれば,この2つの課題を解決することができる。すなわち,@流量計電子装置20を,「ホストシステム200」と,「信号調整装置201」に物理的に分割し,「流量計組立体」と「流量計を駆動する信号調整装置」とを近接させる構成を採用することにより,「ホストシステム」と「信号調整装置」との間を比較的安価で入手の容易な2芯ケーブル又は4芯ケーブルで接続することができるようになる。また,A本質的に安全であるのに必要な所要のエネルギ及び(又は)電力の閾値よりも低い電力レベルで働く信号調整装置を用いた上,保護回路を設ける構成を採用することにより,信号調整装置を防爆型ハウジング内に密閉する必要がなくなる(甲9,6頁4行〜7頁19行。別紙・・・参照)。
(2)審査手続の経緯
ア 拒絶理由通知の記載内容
審査手続において発せられた平成18年8月2日付け拒絶理由通知(甲12)の記載内容は,次のとおりである。
「この出願の補正後の請求項1〜22に係る全発明は,特開平6-281485号公報や,特開平6-288806号公報や,特開平8-35872号公報や,特開平8-166272号公報に記載された,コリオリ流量計の防爆回路技術を適宜利用するものでしかないのであって,その出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。」
イ Xの意見書(乙5)の記載内容
Xが記載した平成19年2月7日付け意見書(乙5)の内容は,次のとおりである。
「・・・審査官殿が引用された特開平6-281485号公報(以下,第1引用例という)には,出力回路21と,減衰率検出回路23と,センサユニット17に接続されたバリア回路18と,電源回路22とを有する制御装置14が記載されている。
同じく御引用の特開平6-288806号公報(以下,第2引用例という)及び特開平8-35872号公報(以下,第3引用例という)は,電源回路30(20)とバリア回路26(16)を一部として含み,センサユニット25(15)と他の構成要素との間にバリア回路を配置した演算装置16(流量計計測回路14)を記載している。
さらに,特開平8-166272号公報(以下,第4引用例という)には,CPU30に対するインターフェースの部分にツェナーバリアユニット25,26のツェナーバリアダイオードを設けた信号調整装置が記載されている。
・・・
そこで,本願の独立請求項に記載された発明(以下,独立請求項の発明という)と第1引用例〜第4引用例に記載された事項とを比較すると,第1引用例における電源回路22は出力回路21から遠隔に配置されてはおらず,また,ホスト側保護回路によって出力回路と結合されるものでもない。
また,第2引用例及び第3引用例における電源回路30(20)も演算装置16(流量計計測回路14)から遠隔に配置されてはおらず,また,ホスト側保護回路によって演算装置に結合されるものでもない。
最後に,第4引用例には流量計組立体保護回路,ホスト・システム,ホスト側保護回路など全く記載されていない。
・・・
以上,要するに,独立請求項の発明は,各独立請求項に記載された構成要件を有機的に結合して本質安全な流量計電子装置を提供するという所期の目的を達成するものであるところ,第1引用例〜第4引例のいずれも,独立請求項の発明の必須の構成要件を記載も示唆もしていないと言わざるを得ない。したがって,第1引用例〜第4引例に記載された事項に基づいて独立請求項の発明を想到することは当業者にとって困難であり,独立請求項の発明は進歩性を有すると思量する。その当然の帰結として,本願の従属請求項に記載された発明も進歩性を有する。・・・」
ウ 拒絶査定の記載内容
審査官がした平成19年3月5日付け拒絶査定(甲13)の記載内容は,次のとおりである。
「この出願は,平成18年8月2日付け拒絶理由通知書に記載した理由により,拒絶をすべきものである。
なお,意見書並びに手続補正書には,拒絶理由を覆す根拠がない。
拒絶理由通知に対する補正後の請求項45〜50の発明は,上記理由により,特許を受けることができない。
拒絶理由通知に対する補正後の請求項1〜44の発明は,上記理由では,拒絶することができない。
上記理由に引用された刊行物である特開平6-281485号公報の【図5】や,特開平6-288806号公報の【図3】や,特開平8-35872号公報の【図5】には,流量計と信号処理回路との間に保護回路を設けることが示されている。また,上記理由に引用された刊行物である特開平8-166272号公報の【図2】や段落【0024】【0025】には,信号処理回路の流量計と反対側の回路接続部に,ツェナーバリアユニット等の保護回路を設けることが記載されている。
よって,拒絶理由通知に対する補正後の請求項45〜50の六発明は,上記公知技術の寄せ集めの域を出ていない。」
(3)審決における相違点1に係る容易想到性判断の内容
審決の相違点1に係る容易想到性判断の内容は,前記・・・のとおりである。
「(1)まず,上記相違点1について検討するに,『信号調整装置とホスト・システムの結合を遠隔にする』点は,以下に示すように流量計の技術分野において周知技術である。
例えば,特表平4-505506号公報の図24には,『メータエレクトロニクス20n』(『信号調整装置』に相当)と『遠隔ホストコンピュータ80』(『ホスト・システム』に相当)が『デファレンシャル線83』で遠隔結合されている点が記載されている。
また,特表平6-508930号公報の12頁左下欄15〜25行,図2には,『計器回路20』(『信号調整装置』に相当)と『遠隔積算計』,『遠隔測定装置』(『ホスト・システム』に相当)が『リード線26』で遠隔結合されている点が記載されている。
更に,特表平2-500537号公報の7頁右上欄3〜15行,図6には,『計器電子回路20』(『信号調整装置』に相当)と『遠隔の計算機』(『ホスト・システム』に相当)が『リード線282』で遠隔結合されている点が記載されている。
よって,引用発明に上記周知技術を適用して,引用発明の『信号処理部20』と『(A/D)(アナログ−ディジタル)変換部29とCPU30』の『結合』を遠隔と特定することは,当業者において容易に想到し得るものと認められる。・・・」
2 判断
本件では,審決において,本願発明と引用発明との相違点1に係る「信号調整装置とホスト・システムの結合を遠隔にする」との技術的構成は,周知技術であり(甲2ないし4),本願発明は周知技術を適用することによって,容易想到であるとの認定,判断を初めて示している。
ところで,審決が,拒絶理由通知又は拒絶査定において示された理由付けを付加又は変更する旨の判断を示すに当たっては,当事者(請求人)に対して意見を述べる機会を付与しなくとも手続の公正及び当事者(請求人)の利益を害さない等の特段の事情がある場合はさておき,そのような事情のない限り,意見書を提出する機会を与えなければならない(特許法159条2項,50条)。そして,意見書提出の機会を与えなくとも手続の公正及び当事者(請求人)の利益を害さない等の特段の事情が存するか否かは,容易想到性の有無に関する判断であれば,本願発明が容易想到とされるに至る基礎となる技術の位置づけ,重要性,当事者(請求人)が実質的な防御の機会を得ていたかなど諸般の事情を総合的に勘案して,判断すべきである。
上記観点に照らして,検討する。
本件においては,@本願発明の引用発明の相違点1に係る構成である「信号調整装置とホスト・システムの結合を遠隔にする技術」は,出願当初から「信号調整装置201から離れた位置のホスト・システム200」(甲8,【請求項1】),「信号調整装置201から遠隔位置のホスト・システム200」(甲8,【請求項14】)などと特許請求の範囲に,明示的に記載され,平成19年2月7日付け補正書においても,「信号調整装置(201)に遠隔結合されたホスト・システム(200)」と明示的に記載されていたこと(甲10,【請求項45】),A本願明細書等の記載によれば,相違点1に係る構成は,本願発明の課題解決手段と結びついた特徴的な構成であるといえること,B審決は,引用発明との相違点1として同構成を認定した上,本願発明の同相違点に係る構成は,周知技術を適用することによって容易に想到できると審決において初めて判断していること,C相違点1に係る構成が,周知技術であると認定した証拠(甲2ないし4)についても,審決において,初めてXに示していること,D本件全証拠によるも,相違点1に係る構成が,専門技術分野や出願時期を問わず,周知であることが明らかであるとはいえないこと,EXが平成19年2月7日付けで提出した意見書においては,専ら,本願発明と引用発明との間の相違点1を認定していない瑕疵がある旨の反論を述べただけであり,同相違点に係る構成が容易想到でないことについての意見は述べていなかったこと等の事実が存在する。
上記経緯を総合すると,審決が,相違点1に係る上記構成は周知技術から容易想到であるとする認定及び判断の当否に関して,請求人であるXに対して意見書提出の機会を与えることが不可欠であり,その機会を奪うことは手続の公正及びXの利益を害する手続上の瑕疵があるというべきである。同瑕疵は,審決の結論に影響を及ぼす違法なものといえる。
この点,Yは,相違点1に係る構成は,容易想到性判断の推論過程において参酌されるありふれた技術であるから,審決が,甲2ないし4を初めて提示したとしても,Xに対する不意打ちとはいえないと主張する。しかし,相違点1に係る上記構成が推論過程において参酌されたありふれた技術にすぎないか否かは,結局,Y独自の見解にすぎないのであって,何ら論証されていないのであるから,そのような論拠に基づいて,Xに対して意見書提出の機会を要しないとする主張は,採用の限りでない。のみならず,審決において,相違点1に係る上記構成を採用することが容易であるとの判断内容は,主要な理由の1つとして記載されているのであり,そうである以上,推論過程について参酌された技術にすぎないことをもって意見書提出の機会を与える必要がないとするYの主張は,根拠を欠く。
3 結論
以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,X主張の取消事由2(手続違背)は理由があるから,審決を取り消すこととし,主文のとおり判決する。」