最終更新日;2005年11月11日


道後温泉でいい気分! [2004/10/01〜02]

道後で温泉三昧だ!

自宅[8:00] - → R188 → 柳井港[8:50]

 娘が旅行に耐えられる程度に大きくなった事と、しばらく泊りがけの旅行に行っていなかった事もあって、念願の道後温泉へ一泊二日の旅行に出かけました。 前々日に台風21号が愛媛県を駆け抜け大きな被害を出している事が気にはなりましたが、当日は幸い天気も良く波も穏やかでフェリーは定刻通りに運行していました。
 平日なので渋滞に巻き込まれてはと早めに家を出ましたが、意に反してスムースな車の流れに乗り、出航の1時間前には柳井港に到着してしまいました。

フェリーに乗って

柳井港[9:40] - → 三津浜港(松山)[12:10]

 高速船では三津浜港に行った事がありますが、フェリーでの移動は初めてです。 乗船した車は15台程度でしたが、老人会を乗せた観光バスも乗船したため、船内は結構賑やかでした。
 船は大島大橋を潜り、周防大島の北側に沿って松山に向かいました。 途中、瀬戸ヶ鼻という海峡を抜けるともう愛媛県です。

乗船した「おれんじぐれいす」号
船内の様子(洋室サイド)
のりばの案内
大島大橋の下を潜りました

子規堂へ

三津浜港[12:10] - → 子規堂[12:30]

 2時間半程の船旅を楽しむといよいよ伊予(愛媛)へ上陸です。 お腹が空いていましたが、まずは子規堂へ向かいます。
目指す子規堂は「いよてつ高島屋」のほぼ真裏といった位置にありました。 周りは一方通行が多く、一度駐車場に入り損ねるとぐるりと迂回をしなければ目的地にたどり着けません。 駐車場といってもお寺の境内で車も一台しか止まっていませんでした。 入場料の50円をとるために受付のおばさんがいましたが、私用電話に夢中でなかなか我々に気付いてくれません。 ようやく気付いてくれ50円を払って横の建物に入ろうとしたらそこではなく、正面にある小さな建物が子規堂なんだそうです。 中は子規の俳句や絵、書簡などが展示されていました。

子規堂

 この子規堂は、文学なかまであった正宗寺住職仏海禅師が業績を記念して子規が十七歳で上京するまでの住居を、寺の中に残したものだそうです。

正宗寺

お昼は鍋焼きうどん(ことり)

子規堂[12:40] - → 松山銀座商店街[13:00]

 当初はベスト電器の駐車場へ入れて「ことり」まで歩いて行こうと考えていましたが、松山市内は至る所に駐車場がありました。 商店街近くの駐車場に止めて、「ことり」を探す事にしました。 ところがお店がなかなか見つかりません。 商店街の中にはつぶれて居る所もあり、もしかして潰れてしまったと案じたところ、裏通りのようなところに目的のお店がありました。
 お店は座敷とテーブル席が有り、思ったよりも広くて13時近くにも関わらず結構混んでいます。 ここは鍋焼きうどんの専門店で他にはいなりずししかありません。 我々も鍋焼きうどんとおいなりさんをお願いしました。 すると1分もしない内にうどんが運ばれてきました。 食べながら周りを見ていると、とにかく鍋焼きうどんを持ってくるのが早いです。 お客が来て、座るとお水が運ばれてきて、次にうどんが運ばれてくる、そんなタイミングです。
 鍋焼きうどんはいたってシンプルで、うどんの他には牛肉、きざみ、ねぎ、なると、卵が入っているだけで量も少なめです。 女性にはちょうど、男性にはちょっと物足りない位でしょうか。 持ってくるのは早いし、量も量なのでとにかくお客の回転が速いです。 また、ひっきりなしにお客が入ってきます。 潰れてしまったのではないか心配したのは、どうやら杞憂のようでした。
 お腹も収まった所で、次の目的地である松山城に向かいます。 途中、「ことり」を探すときに偶然見つけた小さなパン屋さん(三葉屋)で幾つかパンを買い込んでお城に向かいました。

お店の入り口
鍋焼きうどん
おいなりさん

ロープウェイは

松山銀座商店街[13:30] - → 市営駐車場 - → 東雲口 → ロープウェイ[14:00] → 長者ヶ平

 松山城の本丸に上がるにはロープウェイを利用します。 このロープウェイ乗り場は入り口(待合室)は立派ですが、乗り場へ向かうには松山東雲中学校の屋上にあるプールの横を通って辿り着くといったちょっと変わった所に有りました。

天守閣は無理だった

長者ヶ平 - → 松山城天守閣 → ロープウェイ[15:00] → 東雲口 → 市営駐車場

 ロープウェイを降りると土産物屋がずらりと並んでいましたが、平日だという事もありどこも暇そうにしていました。 お城に向かって歩いていくといきなり階段が続いています。  娘を抱えて幾つか門をくぐり抜けるとようやく本丸に辿り着きました。 途中、坊ちゃんの登場人物に扮装したボランティアガイドの方々が何人かいらして、中の一人に写真を撮って頂きました。

 ここまで上がって来るだけで汗だくです。 三葉屋のパンを頂きながら喉を潤し、しばし休憩を取った後に、天守閣へ向かいました。 天守閣の下までは娘をなんとか抱きかかえて行きましたが、天守閣の内部は急な階段です。 流石に娘を抱いて登るのは無理があり危険と判断して、一人で駆け足で廻って来ました。 その間、嫁さんと娘は下で待っていました。 10月とは云えまだかなり暑かったようで、受付のお兄さんから団扇をもらって涼んでいました。 帰り際に返そうとしたのですが、「あげる」と云って下さり、そのまま貰って帰りました。 この団扇が娘のお気に入りとなり、この後の旅行でも結構役立つグッヅとなりました。

松山城
松山城は約400年前、戦国時代の勇将で、賤ヶ岳の七本槍で有名な加藤嘉明により築城されたもので、天守閣や城門、櫓など重要文化財に指定され眺望は雄大を極めている。
天守閣は欅、栂、樟材をもって築城せられ、3層建連立式平山城である。
松山城の高さは海抜132m、天守閣の1階251m、2階165m、3階102m、天守の高さは21mである。

戸無門 (重要文化財)
三ノ門 (重要文化財)
松山城 天守閣
天守閣から見た本丸

ホテルでビックリ

駐車場 - → ホテル茶玻瑠[16:00]

 子供連れの移動はやはり大変で、ホテルに入って一休みしてから道後温泉の街を散策する事にしました。 ホテルでチェックインして、部屋に案内されるとこれがまたビックリです。 ドアからして周りと異なり、ドア前には小洒落た玄関風の仕切りがあり、エントランスとしてソファとテレビが置いてある8畳位の広さの洋室があります。 寝室は15畳近くありその脇には浴室前に3畳ほどの部屋があります。 更にエントランス脇には洗面所を兼ねて2畳ほどのウォークインクロゼットがあり、今までで最も広い部屋の大きさと云っていいくらいの贅沢な間取りでした。
 娘の汗だけを部屋の浴室で流し、一息ついた後に道後温泉界隈を散策しました(後述)。

 散歩から帰って来ると次は食事です。 食事は部屋食で非常に豪華で大量に出てきましたが、直前まで街中の道後麦酒館でビールを飲んでいた事もあり、残念ながら全部は食べきれませんでした。 風呂は最上階で、露天風呂もありお風呂に浸かりながら道後温泉の街並みを眺める事が出来、最高に良い気分でした。 全てに亘って、最高の贅沢な気分を味わえた良いホテルでした。

ホテル茶玻瑠
豪華な夕食

道後の町を散策

ホテル[16:30] - → 伊佐爾波神社 → 道後温泉駅 → 道後商店街 → ビール → ホテル[18:30]

 ホテルで一休みした後に、道後温泉の街を散策する事にしました。 先ずは、ホテルの西側にある伊佐爾波神社に向かいます。

伊佐爾波神社

 ホテルから近いものの、小高い丘の上に有り階段が上まで続いています。 折角、汗が引いたのにまた大汗をかいてしまいました。
 神社は想像以上に立派な神社で、宇佐神宮、石清水八幡とならぶ八幡造を代表する神社なのだそうです。 夕日がかぶって、神殿の綺麗な朱色が写し撮れなかったのがちょっと残念でした。

伊佐爾波神社
 延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。 社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。
 当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。
 現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。  

急な階段の参道
本殿
八幡造

放生園

 伊佐爾波神社の階段を下りてそのまま真っ直ぐに歩いていくと、放生園の横を通ります。 今回の旅行の中でからくり時計の横を3〜4回通る機会がありましたが、いつも5分違い位の差で、からくりが動いている所を見逃してしまいました。 ちょっと残念でした。

からくり時計
足湯につかるお年寄り達

道後温泉駅

 駅前の引込み線のようなところに坊ちゃん列車が止まっていました。 今は現役を引退したものを展示しているのだと思い、取り合えずその前で記念撮影。 駅に併設されているSHOP・坊ちゃん列車でお目当ての「坊ちゃん列車チョロQ」と何点かお土産を買いました。

道後温泉駅
坊ちゃん列車
説明板

今治屋

 自分達の為の「伊予柑ゼリー」とお土産用に「伊予柑あめ」を買い求めました。 お店の方も暇なのか娘を構って遊んでくれました。

六時屋

 本来はタルト屋さんですが、伊予柑ソフトクリームの幟に目が止まり、ソフトクリームを頂きました。 柑橘系はソフトクリームよりもシャーベットの方が美味しいと思います。 ここでも娘は人気者です。

伊予かすり 白久本店

 椿の湯の向かい側にあるお店です。 ちょうど店頭に子供用の甚平が出ていました。 娘にはちょっと大き目でしたが、大きくなったら着せる事にして記念に買い求めました。

もち焼きせんべい

 観光地には必ずとあるといってもいいくらいの濡れせんべいがここ道後温泉にも有りました。 いつもの醤油、ゴマ、七味に加えて黒糖というのが出ていましたのでもちろんこれも買い求めました。 他のお店の方がとっても愛想が良かったのに比べ、ここの店員のおばさんがとっても無愛想だったのが印象的でした。

伊予雛屋

 一刀彫りのお店で今年の年賀切手のデザインに採用された木彫りの申も売られていました。 目を引いたのは三日月をシーソー代わりに遊んでいるうさぎたちの彫り物です。 ちょっと値段が張るので躊躇しましたが、後で後悔するのも嫌なので結局買い求める事にしました。

道後麦酒館

 食事前ではあったのですが、小腹が空いていたので道後ビールを軽く一杯飲む事にしました。 ビールの種類としては坊ちゃんビール(ケルッシュ)、マドンナビール(アルト)、漱石ビール(スタウト)の3種類あり、私はマドンナと漱石を、嫁さんは坊ちゃんを2杯頂きました。
 最初は軽く一杯ずつのつもりでしたが、ビールが美味しかったのに加えておつまみに頼んだ軟骨揚げが絶品で、珍しく飲みすぎてしまいました。

朝風呂は最高!

 温泉に泊まったら出来れば3回は温泉に浸かりたいと思っています。 理想的には夕食前に1回、寝る前に1回、そして起きた直後に朝風呂で1回。 今回は、夕食前には入れませんでしたが、露天風呂に浸かりながら夜が明け、街の景色が変わっていくのを眺めることが出来、最高の気分を味わえました。

湯神社へお参り

ホテル茶玻瑠[9:50] - → 湯神社[10:00]

 朝食を頂いた後、仲居の可愛いお姉さんに見送られ茶玻瑠を後にしました。 湯神社は目の前ですが、ホテルの前の道は一方通行なのでぐるっと一周して湯神社脇の駐車場に入ります。
 最初は、脇社として建っている中嶋神社を湯神社と間違えてしまいましたが、無事にお参りを済ませると、車はそのまま止めておいて、再びからくり時計の横を通って道後温泉駅へ向かいました。

湯神社
 祭神は、大己貴命と少彦名命の二神である。
 当社は、延喜式内社で、その由緒は古く、もとは鶯谷に祀られていた。 地震で温泉が埋没した際に、現在の冠山の出雲丘神社の祭神、須佐之男命と稲田姫命が祀られている境内に移され、いつしか合祀して四社大明神と呼ばれるようになったという。
 社伝によれば舒明天皇行幸のとき、勅命により神殿を新築したと旧記に記されているという。 その後、国司、領主の尊崇を受け、神田や幣帛の奉献があったと伝えられる。
 温泉は、地震なので、今までに十数回、湧出が止まったといわれ、その度に神楽を奉納して祈願したり感謝の祭礼をしたりしたといわれている。今も「湯祈祷」という例祭があり、正月の初子の神事も世に知られている。

中嶋神社
御祭神 田道間守命
当神社は四国四県の製菓業者に依って建設奉賛会を組織し、昭和三十二年三月但馬国出石郡神美村三宅なる延喜式内社中嶋神社の御分神を迎え、菓祖中嶋神社四国分社として創祀せり。 

坊ちゃん列車に乗って

湯神社[10:20] - → 道後温泉駅[10:40] → 坊ちゃん列車 → 松山市駅[11:00] - → 道後温泉駅[11:20]

 坊ちゃん列車に乗るために道後温泉駅に向かうと、昨日駅前に展示されていた坊ちゃん列車が見当たりません。 展示されていたものとばかり思っていましたが、どうやら本当に引込み線で停車していただけのようでした。 ところで止まっていた列車は客車を2両繋いでいましたが、我々が乗った列車は1両だけでした。 どうやら2編成あるみたいです。
 一緒に乗ったのは10人程度で我々と同じ様に小さな子供連れが2組同乗していました。 さて汽笛を鳴らして出発です。  運転手も車掌さんも当時の格好をして、観光案内をしてくれます。 途中3箇所に停車し、20分程で松山駅に到着しました。 戻りは普通の市電で道後温泉駅に向かいます。 帰りの電車を待っている間に、面白い光景に出くわしました。 先程乗ってきた坊ちゃん列車ですが、当然前後ろがあり進行方向が決まっています。 どうやって方向転換するのかと思っていたら、松山駅に小さなターンテーブルがあり、その上に機関車を載せると人力で方向転換をさせていました。 市電だからこそ出来る技だと、思わず感心してしまいました。

道後温泉駅に入線する坊ちゃん列車
松山市駅で人力で方向転換する坊ちゃん列車

大洲へ

道後温泉駅[11:30] - → 湯神社 - → 松山IC → 松山自動車道 → 大洲IC → たる井[13:00]

 松山インターから次の目的地、大州に向かいます。 先日の台風の影響で、高松方面は通行止めが続いていましたが、大州方面は通ることが出来ました。 四国は思った以上に山が深く、中央高速でアルプスの山中を走っているような錯覚に捉えられながら大洲に向かいました。 大洲の街に入るとお目当ての「たる井」を目指します。

お昼は鮎だ(お食事処との町たる井)

 お店に入ると2階に上げて頂き、早速「鮎といもだき」の定食を頼みました。 残念ながら鮎はシーズンを過ぎているので小さいものしかないがとお店の方に忠告頂きましたが、やはり鮎を目的に来たので、小さくても構わないからと強引にお願いしました。
 鮎もいもだきもとっても美味しく頂いたのですが、娘のおしめを替えるときに座布団を汚してしまい、ひたすら謝り逃げるようにしてお店を出てきたので、どんな味がしたのか一気に忘れてしまった事が悔やまれます。

鮎といもだき

大洲散策

 お腹が一杯になった所で大洲の街を散策する事にしました。

大洲城

 ちょうど改修工事との事で中には入れませんでした。 尤も、娘を抱いての登城は無理ですが。

大洲城
大洲城は元弘元年(1331)に宇都宮豊房が地蔵ヶ岳に城を築いたのが始まりです。 その後、小早川隆景や藤堂高虎の居城となりましたが、明治21年(1888)に惜しくも天守が取り壊されてしまいましたが、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。 4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組模型などの史料をもとに平成16年(2004)に木造で復元されました。

赤レンガ館

 旧伊予銀行の跡地を観光案内施設に転用したものです。

赤レンガ館

ポコペン横丁

 赤レンガ館の横の一画に戦後の横丁を再現したものです。 訪れてきた人々が懐かしがっていましたが、 我々の年代としては知らない時代の話ですから、横目で見ながら通り抜けた程度に済ませました。

明治の街並み

 場所によっては綺麗に整備されていましたが....

大洲神社

 ここの神社も丘の上に建っていました。 既に気力・体力とも使い果たし、とても階段を上がってお参りする状態ではなかったので、階段の下で勘弁して貰いました。

大洲神社
 大洲神社は、元弘3年(1331)、宇都宮氏が大洲城を築いた時、城内総鎮守神として下野国二荒山神社より勧請し、太郎宮として斎祭され、明治4年に太郎宮・久米神社・恵比須神社を合祀し、大正3年に旧県社に列せられた由緒ある神社です。
(写真)

お花はん通り

 今は低迷しているNHKの朝の連続テレビ小説「おはなはん」の舞台となった場所なんだそうです。 一角で「きつねの手袋」の紙芝居をやっていました。 ちなみに植物で「きつねのてぶくろ」と云ったら、猛毒を持つ「ジキタリス」 の事です。

町の駅

 結構賑わっていました。 気温が高めだったので、アイスクリームで喉を潤し、次の目的地へと向かいました。

内子に寄ったものの

大洲 - → R → 内子 → 内子十五崎IC → 松山自動車道 → 松山IC → 三津浜港[17:30] - → 柳井港[20:00] - → 自宅[21:30]

 時間的に遅くなってしまったので内子によるのは断念する話もあったのですが、「和蝋燭」が欲しいねという事で、和蝋燭だけを求めに内子に向かいました。 ところが途中の道路標識に惑わされ、内子の街の中をグルグル回ったものの和蝋燭屋も駐車場も見つからず、そうこうしているうちに雨も降り始めてしまったので、結局内子は断念して帰路につきました。

 更新していないため相変わらず頓珍漢な指示を出すカーナビは無視して、最も最短コースを辿って三津浜港に向かいました。 柳井への到着時刻が遅くなりそうなので、途中の弁当屋によってフェリーの中で食べるつもりでいましたが、残念ながら弁当屋とは遭遇しませんでした(コンビニでも良かったのですが、全く頭に有りませんでした)。
 三津浜港に着いてみるとフェリーが口を開けて待っています。 どこ行きなのか判らないので様子を覗っていたところ係りの方が聞きに来てくれ、柳井行きである事が判り、切符も往復で購入していたので慌てて乗り込みました。 もし途中でお弁当を買っていたら、当然乗り遅れるところでまさに危機一髪でした。

 予定していた「道後温泉本館での入浴」、「道後公園散策」、「内子散策」は果たせませんでしたが、娘を連れての遠出にしてはまあまあの出来だったのではないかと思います。 これに味をしめて、またどこかへの旅行を計画したいと考えています。

後日談

 後日談と書くと大げさですが、10/3の朝刊を見ると2日の午前2時ごろの柳井行きフェリーが機関士の居眠り航行により座礁し5時間立ち往生したとのニュースが載っていました。 もし自分たちが乗っていたフェリーだったらと冷や汗ものでした。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
防予汽船 フェリー 山口県柳井市柳井134−6 0820-22-5909  
子規堂 愛媛県松山市末広町16-3 089-945-0400  
ことり 鍋焼きうどん 愛媛県松山市湊町3-7-2 089-921-3003  
ベーカリー三葉屋 パン屋 愛媛県松山市湊町3丁目 089-921-1616  
松山ロープウェイ ロープウェイ 愛媛県松山市大街道3丁目2−46  089-921-4873  
道後温泉駅 愛媛県松山市道後町1丁目10−12  089-986-3662  
今治屋 土産物 愛媛県松山市道後湯之町6−16
089-921-6073  
六時屋 たると 愛媛県松山市道後湯之町14−22
089-943-6060  
白久本店 伊予絣 愛媛県松山市道後湯之町14−21
089-943-7679  
もち焼きせんべい   愛媛県松山市道後湯之町13−17
089-921-0019  
道後麦酒館 ブルワリーパブ 愛媛県松山市道後湯之町20-13 089-945-6866  
伊予雛屋 一刀彫 愛媛県松山市湯之町13−8 089-931-1477
 
茶玻瑠 ホテル 愛媛県松山市道後湯月町4 089-945-1321  
たる井 食事

愛媛県大洲市殿町553-19

0893-24-3000  
大洲まちの駅あさもや 道の駅 愛媛県大洲市大洲649−1 0893-24-7011  



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