群馬隊追悼


ダウラギリ東壁上部を望む

準備の段階から、実際の登山においても何度となく星野さんとは話させていただきました。
でも、なぜか写真の1つもなく、私達がC1撤収の時、仕立君が取ったあの写真が唯一のものとなりました。

それぞれが別の計画で進んでいましたが、同じ東壁を目指すということで、
私の方から星野さんへコンタクトしました。
最終的に星野さんら群馬隊は東壁で申請し、私達京都隊は、北東稜で登山申請をしました。
それぞれがどちらのルートからも登れるようにとお互いの計画書には、群馬・京都の7名をダブらせて申請した次第です。
そして、私達は東壁には触れることなく北東稜に向かい星野さんらは、予定通り東壁へと向かわれました。


ベースキャンプで星野さんと話した時のこと、今回の登山(アルパインスタイルによる登山)
を群馬で説得するのに苦労をした旨話されていたことが印象に残っています。

スタイルにこだわった3人の気持ちが私にも少しわかります。

北東稜上部からみた、東壁の偵察へ向かう3人の姿は、
豆粒のように小さいのに力強さと、少しばかりのうらやましさを感じました。

そして、私達は、名塚さんも含めて仕立・山田の3名でアタックに向かい名塚さんは強風を突いて10月11日登頂しました。
さすがと言わざるを得ません。
翌12日私たちは、再アタックへ向かい仕立君が首尾よく登頂に成功しました。

そして、同日星野さんらも東壁へと向かい、
14日C1を撤収中に東壁登攀中の3人の姿を遠望したのが最後となってしまいました。


後で考えれば、複雑な思いも残ります。
強風のC2にて名塚さんを誘わなければ、結果は変わっていたのでは。
ヘリで捜索にいったとき、目視ではC1もC3も確認できなかったが、
カトマンズに持ち帰ったネガではC1は存在したし、日本に持ち帰ったスライドではC3も確認できる。
もし、あの時C3までたどりついていたら・・・。
ああすればよかった・・・。
こうすればよかった・・・。などなど。


隊長として、星野さんと話す機会は、多々ありましたが、
品川さん、福本さんも含めて腹を割って話す機会に恵まれなかったことを残念に思います。
星野さんも、品川さんも、福本さんもこの結果には決して満足していないことでしょう。
でも最後まで生きるために攀じり続けたことと思います。
お金を払って、スタイルにこだわらなければ、エベレストでも比較的簡単に登れる今の時代です。
今後、スタイルにこだわった星野さんら3人を目標にする若い世代のクライマーが現れ、先人を追い越していくことを望みます。


これは、星野さんのお母さんからいただいた手紙の返信に修正・加筆したものです。
3人の若き登山家の冥福を祈ります。

  山田 記