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帰路キャラバン その2 |
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マルファ付近から、ヤクカルカ方面を望む
10月17日 晴れ 起床6:30 「マルファ」滞在
朝10時、二人がアンプーリと一緒に降りてくる。
「ヤクカルカの、トラバース道で暗くなり道を見失って、
“屋根無し”カルカで、一晩たき火をして過ごした」とのこと。
二人にとっては、いい思い出の一夜だったことだろう。
あらためて、ロッジの食堂でダルバートとビールで、仕立君の登頂を祝って、乾杯。
名塚さんも「凍傷の片足をスリッパで」元気に到着し、
明日の便でカトマンズへ飛び、即日日本に帰るとのこと。
山田隊長も、「早くカトマンズでブリーフィングを済ませないと、
23日からはダサインで、3〜4日は役所が全て閉まってしまう」とのことで、
急遽あす名塚さんと、カトマンズに飛ぶことになる。
10人のポーターのうち、5人しか着かない。
明日のキャラバンは出発できるのか。
1人で居る間に、今回の登山を振り返ってみて「MEMO」したもの・・・。
「今回の遠征の、無事故で成功した要因は・・・。
山田君の『ダウラ・・Tに行くんだ』という、積極的なリードがあった。
仕立君のサポート、とりわけカトマンズでの先発隊としての働き、が大きかった。
登山に入ってからは、他の二人の条件(仕立/ヒマラヤ初めて、宮川/60才)を考慮した、
バラサーブ(山田)の采配が良かった。
ビスタリ・ビスタリを主体とした適切な順応、タクテイックスが功を奏した。
(3人とも、浮腫が出ず、行動に支障のある高度障害にならなかった。これは大きい。)
全体としての好天に恵まれた。
モンスーンあけの10日あまりと、カランコロンのとんだあとの数日間。
これをうまくつかんだ。(結果的にだが・・・)
石井隊のシェルパの働き(フィックス張り)があったこと。
これが予定通り、C3にのびなかったことが、
吾々メンバーのC3タッチが予定通りおこなわれなかった要因にもなったが、
このフィックス有っての吾々の登山であった。
予定していたC3(7400m)タッチが、3人とも一度も出来ないままのアタックとなった。
しかし、諸条件のなか、7000m〜7300mへのタッチは、各人2〜3回出来た。
これが、アタック体制の準備と登頂につながった。
なんと言っても、吾々のただ1人のシェルパ、
アンプーリ・ラマの献身的な働きが、今回の吾々の遠征を助けた。
ラストチャンスのアタックに際して、BC(4500m)→C2(6500m)に上がり、
さらにC3(7500m)を往復して、キャリーダウンする。
など、まさに超人的な働きをした。
しかも、自らの登頂にはこだわらず、“サーブの必要に応える”という、
シェルパ精神に徹した心意気には、本当に感心させられた。
コック/ダワと、キッチンボーイのニマの働き(別項にあり)
そして、バラサーブを中心とした3人のまとまりが良かったこと。
ベースキャンプ入り直後の、5日間もの天気待ちも、あせらず待ったこと。
仕立君の予期せぬ体調不良も、適切に休養を入れて切り抜けるなど、
ゆったりとした、思いやりにあふれた隊であった。