歩行距離 約24Km    歩数 37,900歩


第4日目(2001.7.8 日曜日)  熊谷宿〜深谷宿〜本庄宿


★熊谷宿の玄関口JR熊谷駅 / 高城神社

今日は熊谷駅からスタートである。駅前の道をまっすぐ行くと、広い国道17号線にぶつかる。これが中山道である。
広い国道をすこし行くと右手奥に高城神社がある。大里郡の総鎮守で、熊谷直実の氏神でもあった。今残る本殿は寛文11年(1671年)に再興されたものである。


★本陣跡碑 / 星渓園(竹井本陣別邸)

熊谷は昭和20年8月14日夜半の空襲により、市内の7割が焼失した。これにより昔からの宿場的な町並みが一掃され、近代的な都市に生まれ変わった。
国道の左側歩道上に本陣跡を示す石碑が説明板とともに建てられている。
本陣は代々竹井家が務めた。敷地1600坪、建坪700坪という大邸宅であったが、明治17年に焼失した。その後縮小して建て替えられたが、これも戦災により焼失した。現在は、本陣竹井家の別邸が「星渓園」として復元、公開されている。(無料)


★熊谷寺山門 / 同 本殿

国道の右側に大きな八木橋デパートがある。この建物の西側が熊谷寺(ゆうこくじ)の参道になっている。これを少し歩けば熊谷寺である。
この土地には熊谷館があった。永治元年(1141年)ここで熊谷直実が生まれている。彼は平家との一の谷の戦いなどで有名だが、その後出家し京都で修行した後この地に戻った。そして、館跡に草庵を結び、念仏修行に励んだ。
その後、天正年間(1580年代)に幡随意上人が彼の徳を慕って、草庵跡に寺を建てた。これが熊谷寺である。


★旧中山道跡碑 / 旧中山道風景(一番街)

国道に戻ると、デパートの脇に「旧中山道跡」の石碑が建っている。旧中山道は現在のデパートを突っ切って続いていたので、そのことを示す石碑が建てられたという。旧中山道は、この後「一番街」として600mくらい続いているが、再び国道に合流する。


★国道17号線(石原付近) / 明治天皇御小休所跡碑

この後しばらくは交通量の多い国道17号線を歩く。
40分くらい歩いた後、ようやく旧道は右へ分かれてゆく。途中に明治天皇御小休所跡の碑が立っている。JR籠原駅はここから近い。
この後、街道沿いには熊野神社、愛宕神社などが続いている。


★見返りの松 / 深谷宿常夜灯

中山道が再び国道17号線と交差する地点に背の高い松の木が1本立っている。これが「見返りの松」で、樹齢300年とも500年とも伝えられている。根元に由来を伝える碑が建てられている。深谷宿に泊まった旅人が江戸に向かうとき、前夜ちぎりを交わした女たちと別れを惜しんだ場所という。
国道を横断して少し行ったところに古い大きな常夜灯が建っている。ここからが深谷宿である。


★深谷宿中心部・深谷七夕祭り風景

中山道は深谷宿の中心部に進んでゆく。この日はちょうど七夕祭りの真っ最中で、車の通行を遮断して町は祭り一色であった。北関東では深谷の七夕は歴史も古く、近郷近在から人が集まり大いに賑わう。
今年(2001年)は空梅雨で、7月に入ってほとんど雨が降らない。七夕には絶好だが、歩くには暑かった。


★深谷宿、街道沿いの古い家

街道沿いには古い家がいくらか残り、昔の宿場の名残がある。
宿場町としての深谷は商人が多く、繁華な宿場であった。隣の熊谷宿に飯盛り女がいなかったため、深谷には大勢集まってきた。遊女の町としても名をはせており、江戸から出発した旅人の中には二晩目の宿をここに求める人も多く、いっそうの賑わいを見せたようだ。


★滝岡橋(小山川) / 八幡神社

深谷宿の中心部を抜けた後、旧道は再び国道17号と合流し、しばらくの間交通量の多い国道を歩く。
約3Kmくらい歩いたところで旧道は右に分かれてゆく。その少し先に島護産泰神社というのがある。
この先少し道が分かりにくいが広い17号深谷バイパスを渡るとやがて滝岡橋が見えてくる。
この先の道も少々分かりにくいが、地図をよく見ながら歩こう。そのうち八幡神社が見えてくれば正解である。


★旧道風景(牧西地区) / 街道脇の塞神・地蔵(傍示堂付近)

八幡神社から先の旧道は、これまでの国道あるいはそれに準じた道から見ると、なんとなく鄙びた街道筋という感じがした。
その少し先は畑の広がる開けた場所になる。路傍に塞神碑、地蔵、道祖神などがずらりと並んでいた。(特に説明板なし)
この後、旧道は国道17号線と再び交差し、本庄宿中心部へと向かってゆく。道の両側に商店が建ち並び、車の通行が多くなるとJR本庄駅はもうすぐである。
今日の旅はここまで。