第3日目(2001.7.1 日曜日) 上尾宿〜桶川宿〜鴻巣宿〜熊谷宿


★上尾宿中心部 / 中山道上尾宿の石標と説明版

JR上尾駅から歩き始める。中山道は旧国道17号線で、狭いのに交通量はかなり多い。これから鴻巣の少し先までこの旧国道を歩くことになる。上尾駅の近辺は大きなビルが建ち並んでおり、街道筋には古い遺構はほとんど残っていない。「上尾宿」というバス停があったが、このあたりが宿場の中心部か。ここから少し歩いたところに中山道上尾宿の石標と宿場の歴史などの説明版が立てられていた。


★街道沿いの古い旅館(武村旅館) / 桶川宿本陣跡、明治天皇行在所碑

しばらく行くと、桶川宿の南の木戸跡の石碑がある。その少し先左手に古い旅館「武村旅館」がある。これは宿場で唯一残った旅籠で、現在も営業している。昔の旅籠の様子を今に留める貴重な建物といえる。
そこからしばらく歩くと、右手に大きな木戸門があり、少し奥まったところに「明治天皇桶川行在所跡」の石碑が建っている。ここは桶川宿の府川本陣跡である。建物の一部が残っているそうだが、民家の奥で見ることはできなかった。


★桶川の稲荷神社 / 同所の力石

本陣跡の先の信号を右折し少し行くと、稲荷神社がある。ここに二基の石灯篭が並んでいる。
桶川地方は紅花の産地であった。ここの紅花は品質がよく、全国で珍重されたという。この紅花商人24名が先ほどの石灯篭を寄進した。
拝殿に向かって右側に大きな石が置いてある。宿場町によく見られる「力石」だが、これは大きい。二百貫くらいありそうという。嘉永5年にこれを持ち上げた者があり、石に名前が刻まれている。


★桶川宿北の木戸跡碑 / 中山道桶川宿石標

中山道に戻り旅を続ける。少し行くと桶川宿の北の木戸跡の碑が立っている。また、その脇に小さな祠が置かれていた。その先の交差点の手前には中山道桶川宿の石標がたっている。
この先めぼしいものはあまりなく、交通量の多い旧国道をひたすら歩く。北本市に入ったあたりで街道沿いに白壁に瓦葺の大きな家があり、わずかに街道情緒を感じさせてくれる。


★北本宿石標 / 北本宿説明版

そのうち歩道の脇に中山道北本宿の石標が見えてくる。近くに説明板が立っており、北本の歴史が書かれている。
この付近(本宿)は初期の中山道の宿駅であったが、街道整備の際に鴻巣に移された。その後、宿場のあったところは本宿(元宿)と呼ばれ、北本の地名の起こりとなったという。


★例大祭中の浅間神社

北本駅を過ぎて少し行くと、左側の神社でお祭りをやっていた。ここは浅間神社で、6月30日と7月1日が例大祭の日だという。境内の人出も多く、車の往来の激しい街道にまで屋台の店が出ていた。
社殿は奥のほうにあり人も多いので、遠くから気持ちだけの参拝をして先に進む。


★鴻巣宿の町並み(人形店が並ぶ) / 鴻神社

道は鴻巣宿に入ってゆく。このあたりは人形町という。かつてこのあたりに人形師が大勢住んでいたのでこの名がつけられたという。現在でも街道沿いには人形店が多い。鴻巣の人形つくりの歴史は古く、江戸中期の天明年間ころにはほぼ現在の雛人形が作られるようになり、昭和の初期まで盛況が続いたという。少し行くと右手に「こうのとり伝説」のある鴻神社が見える。この先で旧中山道は国道と分かれJR高崎線の踏切を渡る。


★箕田八幡神社 / 箕田碑

踏切の少し先で左に松山道を分けると、旧中山道は車の往来も少なくなり、ぐっと静かになる。
しばらく歩くと、箕田(みだ)八幡宮が見えてくる。入り口に「箕田碑」と書かれた大きな石碑が建っている。これは宝暦9年(1759年)に建てられたもので、これには源経基の徳と、箕田源氏の活躍などが記されている。
この先で武蔵水路を渡る。これは利根川の水を荒川に直接流している重要な水路である。


★吹上神社 / 「中山道間の宿」(吹上)の道標と説明版

道は田園風景の中をまっすぐに進む。この先に二又の分岐路が2箇所あり、少々間違えやすい。JR踏切を再び渡り、国道17号線と合流する。吹上駅の少し先の本町交差点で旧道は左に折れる。少し行ったところに吹上神社があり、道が間違っていないことを確認した。
この先で旧道はJR線路にぶつかり、陸橋で線路を越える。そこに「中山道間の宿」の道標が立っており、脇に説明板があった。鴻巣宿と熊谷宿の間は距離が長く、吹上は間の宿として賑わったという。


★荒川の土手上を行く中山道 / 荒川土手からの風景(久下橋)

線路を越えて道なりに少し歩くと、やがて道は荒川の土手上に出る。江戸時代には「久下(くげ)の長土手」と呼ばれ、中山道屈指の景勝地であったという。ここからしばらくこの土手上の道を歩く。
実は、私は3年程前に荒川に沿って河口から秩父の先まで歩いたことがあり、そのときにこの道を歩いた記憶がある。そのときにはこの道が中山道とは知らなかった。のんびりとした気分で軽快に土手の上を歩いてゆくと、やがて久下橋という狭い仮橋が見えてくる。この少し先で土手を下りる。


★「みかりや跡」の説明板 / 熊谷駅付近の踏切

土手から下りてすぐの民家の石垣の脇に「みかりや跡」の説明板が立っていた。ここには昔、中山道を往来する旅人相手の茶店があった。忍藩の殿様が鷹狩にくるとここで休んだので、「御狩屋(みかりや)」と呼ばれたという。
道は熊谷市の普通の住宅地をまっすぐに進む。八丁の一里塚の立札を見て秩父鉄道とJR高崎線の踏切を越えれば、熊谷駅はもうすぐである。今日はここまで。暑い中をよく歩いた。


歩行距離 約28Km   歩数 41,300歩