第12日目(2002年5月26日 日曜日) 奈良井宿〜藪原宿〜宮ノ越宿〜福島宿


★鳥居峠登り口 / 中の茶屋跡 / 九十九折れの山道



















鳥居峠は昔から碓氷峠、和田峠とともに中山道の難所といわれた。この峠を前にして、奈良井宿は旅人で大いに賑わったものである。
奈良井宿のはずれから10分くらい歩くと、いよいよ鳥居峠の登りにかかる。朝の冷気の中、林の中の気持ちよい道を快調に進む。やがて、中の茶屋跡という小さな建物の前を通る。この少し先に「葬沢」というところがあるが、これは木曾義昌と武田勝頼の古戦場跡である。道はやがて九十九折れの本格的な山道になるが、よく整備されているので歩きやすい。


★薮原宿街道風景 / 薮原宿旅籠「こめや」

鉄道のガードを超えてまっすぐ行くと、中山道にぶつかる。薮原宿は、南からの鳥居峠の登り口として大いに賑わったらしいが、たびたびの火災により、宿場としての面影を失っている。しかし、街道沿いには、昔日の面影を留めるいくつかの古い建物も残っている。左に曲がってすぐのところに、「中仙道やぶ原 こめや」の大きな看板を掲げた建物がある。これは、昔からの旅籠で現役の旅館、米屋である。


★ぬりもの処 宮川商店/ お六櫛問屋 篠原商店 / 薮原宿高札場跡碑












その先には木曾漆器の店、宮川漆器店がある。この店裏の土蔵は「資料館」になっている。また、近くには「お六櫛」を製造・販売している篠原商店がある。お六櫛とは、歯を細密にしたスキ櫛のことで、木曾地方の名産品になっていた。かつては薮原にもたくさんの店があったが、今ではこの店一軒になってしまったという。さらに先に行くと、薮原宿高札場跡の碑が立っている。これから先には宿場関係の遺構は何もない。道はやがてJR線路を渡り、国道19号線に合流する。


★鳥居峠頂上から木曾の御嶽山を望む / 林の中をゆく中山道 / 備え付けの熊よけの鈴












鳥居峠登り口から約40分くらいで峠の頂上に着く。ここからは木曾の御嶽山をかなり間近に望むことができる。手前の山並みにほとんど隠されてはいるが、真っ白な雪をかぶった御嶽山はやはり神々しく、感動的だった。少し下ったところに御嶽山遥拝所もある。
明治の初期に開削された国道はこの峠を越えた。この道は現在も未舗装の県道として残っており、峠の頂上まで車でくることもできる。頂上からの下り道も、中山道旧道と県道の二本立てである。旧道は林の中の気持ちよい道、まさに山の中を行く木曾路という感じである。途中に熊よけの鈴が備え付けられていた。昔の小学校で時間を告げるために用務員さんが鳴らしていた、あれである。2,3回ほど鳴らしてみたら、懐かしい音がした。


★鳥居峠出口 / 尾張藩御鷹匠役所跡 

峠道を下りきると広い道にぶつかり、これを渡ってまっすぐ行くと薮原の集落に入ってゆく。家並みの中をしばらく歩くと、尾張藩鷹匠役所跡がある。ここは、かつて尾張藩が鷹狩用の鷹の捕獲と飼育のために設けていた役所の跡である。見晴らしがよい場所で、薮原の町が一望できる。さらに坂を下ると、道は鉄道線路で途切れてしまう。迂回して鉄道線路のガードを越えると、いよいよ薮原宿である。


★国道、吉田洞門と木曽川 / 廃道になった旧国道 / アカシアの花












鳥居峠を越えると、木曽川は今までの奈良井川とは反対の方向に流れている。つまり、鳥居峠の山並みは太平洋側と日本海側の分水嶺になっているのである。薮原宿を出た後、国道を歩くが、この辺りは木曽川と国道とJR中央線が寄り添うように走っている。
国道をしばらく歩くと、吉田洞門というのがある。国道はトンネルになっているが、川側は開けており、歩道は川側にオープンで設けられている。歩行者にとっては、トンネル内を歩かずにすみ大変助かる。さらに1Kmくらい歩くと、国道は新しい山吹トンネルに入ってゆくが、ここにはトンネルを通らない古い国道がそのまま残されている。ここも、歩行者にとっては大変ありがたい道である。


★伝説の残る「巴淵」 / 巴橋 / 義仲手洗の水












しばらく国道を歩くと、宮ノ越方面に向かう道は右に分かれてゆく。この道を行くと、やがて「巴淵」というところにつく。ここで木曽川は直角に曲がり、巴状に渦巻いているので巴淵と呼ばれる。木曾義仲の愛妾、巴御前はここで水浴をし、武技を練ったといわれている。なんとなく歴史の漂う深淵である。ここには、説明板と休憩施設が設けられている。道は、巴橋で川を渡る。橋を渡った右側に、義仲手洗の水という泉がある。義仲が南宮神社に詣でるとき、ここで手を洗ったという。
中山道旧道は木曽川沿いにすすみ、やがて葵橋で川を渡る。橋の手前の小さな公園で昼食にした。12:30頃だった。実はこのときの昼食のおにぎりは、昨日泊まった民宿「ながい」の女将がサービスで作ってくれたものである。中山道を歩いている人には、サービスで作って持たせてあげるのだという。ここまでに店はないし、まして食堂などもないので、本当に助かった。ありがとうございました。ちなみに、このときの同宿者は、奈良井宿観光のおばさん3人組と、釣りにきていた男性と私のの3組で、このサービスを受けたのは私一人だけだった。


★義仲館 / 宮ノ越宿本陣跡

さて、おなかもいっぱいになり、旅を続ける。宮ノ越宿に入る手前、街道から少し外れとところに義仲館というのがあるので立ち寄った。入口を入るとすぐ、義仲と巴御前の大きな像が迎えてくれる。まだ新しい施設であるが、木曾義仲の生涯を中心とした歴史を知ることができる。私は、これまで木曾の義仲についてあまり詳しくは知らなかったが、ここで一通りの知識を得ることができた。
旧道に戻りすこしゆくと、そこはもう宮ノ越宿である。現在の宿跡には昔の面影は全くない。少し行くと、本陣跡の碑と宿場の説明板が立ってる。これ以外には宿場の遺構は見られなかった。
中山道は、宮ノ越宿を出た後も旧道として国道に合流せず、かなり長い距離続いている。


★中山道中間点 / 中央アルプス木曽駒ケ岳方面を望む














宮ノ越宿を出てから旧道を2Kmくらい進んだところに、中山道中間点の説明板が立っている。ここは、中山道の中間点、江戸、京都双方から67里38町(約268Km)に位置しているという。私も、江戸日本橋を出発して12日目にようやく中間地点に到達した、という感じだ。
ここからは、中央アルプスの山並み、中でも木曾駒ケ岳をはっきりと望むことができる。木曽駒ヶ岳は、昨年、姉、弟と兄弟3人で登った思い出深い山である。このときは木曽駒から空木岳まで、3日かけて縦走した。


★手習い天神

中間点から、旧道を1Kmくらい行ったところに、手習天神というのがある。このお宮は、木曾義仲を養育した中原兼遠が義仲の学問の神として勧進した、と伝えられている。付近には、兼遠の屋敷跡、義仲の元服松などの史跡がある。
小さな社の脇には、合格祈願、学力向上祈願の絵馬がかけられていた。この後も旧道はしばらく続くが、やがて国道に合流する。この国道も、やがてトンネルに入り福島の町をバイパスする。中山道は国道とわかれ、福島宿に入ってゆく。


★福島関所跡(復元) / 同 上番所 / 関所の隣にある高瀬家土蔵(資料館)












福島宿の入口には、福島関所の門が建っていた。碓氷の関所とともに中山道の要衝として女改めや鉄砲の検査がやかましく行われた。現在、関所跡は復元され、昔日の様子をうかがうことができる。東海道の箱根関所、新居関所などと同じような造りである。
関所の建物の隣に高瀬家資料館がある。高瀬家には島崎藤村の姉、園が嫁いでいる。資料館には、藤村の手紙や遺品の類、高瀬家伝来の書類、その他江戸時代の木曾谷の諸資料が展示されている。


★福島宿街道風景 / 木曾漆器、民芸品の店 / 同












福島宿は木曾11宿の中でも、昔から政治経済の中心地であった。昭和2年の大火により、宿場の面影は薄れてしまったが、現在も木曾地方の中心であることに変りはない。建物は新しくなっているが、創業何百年というような店も多く、なんとなく歴史を感じさせる町並みである。
街道を歩いているうちに雨が降ってきた。町の見所はまだあるが、今日のところはこのくらいにしておこう。雨宿りのつもりで入った木曾漆器の店で、出るときには結局お土産の漆器を買っていた。ここからJR木曽福島駅までは近い。今日の旅はここまで。16:38発の電車で帰途についた。


歩行距離  約 21Km    歩数 40,100