第11日目(5月25日 土曜日 <再訪 6月9日 日曜日>)塩尻宿〜洗馬宿〜本山宿〜贄川宿〜奈良井宿


今日はJR塩尻駅から歩き始める。9:30頃のスタートである。15分くらい歩いて中山道に復帰する。JR中央(東)線をガードで越えると中山道はまっすぐな一本道になる。そのうち左手に平出一里塚が見えてくる。これは初期の一里塚の姿を今に残す貴重なものである。この辺り、葡萄やりんご畑が続くのんびりとした農村風景が続く。やがて、JR中央(西)線の踏切を越えると交通量の多い国道19号線に合流する。

★洗馬(せば)宿街道風景 / 洗馬宿跡碑

車の往来が激しい国道19号線を1Kmくらい歩くと、中山道旧道は右に曲がってゆく。こちらは道は広いが車はほとんど通らない。
洗馬(せば)宿は度重なる大火、中でも昭和7年の大火により、本陣、脇本陣をはじめ200軒余りが焼失してしまった。現在、洗馬には宿場の面影は全く残っていない。
JR中央線洗馬駅の少し先に、中山道の道標と「洗馬宿」碑が建っており、わずかにここが昔宿場だったことがわかる。


★本山宿 出桁造りの家 「川口屋」 / 同 「まいさかや」

本山宿は洗馬宿から約4Kmの距離にある。国道19号線はこの宿場跡をバイパスしているので、宿場内はいたって静かである。おまけに、JR中央線の駅も隣の日出塩集落にとられてしまったので、活気も余り見られない。おかげで(?)、出桁造りの古い家がいくつか残り、昔の宿場の面影を彷彿とさせてくれる。
また、本山は蕎麦切り発祥の地と言われている。本山集落の入り口に「本山そばの里」という大きな看板を出した蕎麦屋がある。少し奥のほうだったので、まだ先にもあるだろうと思い、通り過ぎてしまったが、本山には蕎麦屋はこの店しかない。ちょうど昼時だったのに、名物を食べ損ねた。後から思うと残念なことをした。


現代の木曾路のメイン、国道19号線 / 「是より南 木曾路」碑 

「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾を巡る谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」これは島崎藤村、「夜明け前」の有名な書き出しの一節である。
現代の木曾路のメインは国道19号線であり、山の中の一筋の道であることには変わりない。木曽川と山にはさまれた狭い土地に、JR中央線と国道が並行して走る。これがこの地域の基本的なパターンである。
本山宿、日出塩の集落を出た後、中山道は国道19号線と合流する。国道を少し歩くと、「是より南 木曾路」の碑が路傍に建っている。裏に「木曽路はこの桜沢の地より、御坂に至る南二十余里なり」とある。


★贄川(にえかわ)宿案内板 / JR贄川駅

碑から国道をさらに3.5Kmくらい歩くと、JR贄川駅に着く。駅前に食堂があったのでまずは昼食にした。13:00頃だった。近くには贄川宿の大きな案内板も立っている。
贄川宿は木曽路の中ではもっとも北にあるが、これから先、馬籠宿まで全部で11宿あった。これらを総称して木曾11宿と言うことが多い。
贄川宿も昭和5年の大火でほとんど焼失して、昔の面影を残すものは全くない。古い道も所々は残っているようだが、不明確なところもあるので、これから先、平沢集落付近までは国道を歩くことにした。


ちょっと寄り道

前にパソコントラブルで、デジカメ画像が消失してしまったことを述べた。パソコントラブルは、この日に撮った画像をパソコンに取り込もうとしたときに発生した。これをきっかけとして、パソコン本体が起動不能となり、再インストールする羽目になった。したがって、バックアップをとっていないデータは、すべて消失というわけである。(一部、デジカメのカードに残っていた画像のみセーフ)
これから先の奈良井宿、鳥居峠などは木曾路のハイライトなので、画像をとばすわけには行かない。考えた末、6月9日に平沢から歩きなおすことにした。この日はちょうど平沢の漆器祭が行われ、奈良井宿でも「お茶壷道中」の行列が練り歩くという。妻にも声をかけたら行きたいとのことなので、早速、宿の予約をした。祭り中だし、日にちもあまりなかったので心配したが、予約も取れた。
というわけで、これから先の写真と文章は、6月9日に平沢から歩きなおしたときの記録である。


★JR平沢駅 / 祭り真っ最中の平沢漆器店街(中山道)












平沢は、木曾漆器の中心地である。木曾の豊かな森林資源と漆器に適した気候風土に恵まれ、古くから漆器の産地であった。昭和24年には重要漆工団地の指定を受けている。街道沿いに約600mくらいにわたって漆器を製造、販売している店が並んでいる。5月にここを通ったとき、店員の姿は見えずお客の姿も全く見えなかった。このときは、これで商売が成り立つのだろうか、と思ったほどである。
平沢では、毎年6月の第1金、土、日曜日が「木曾漆器祭」として大々的にPRしている。今年は6月7,8,9日の3日間行われた。この期間は、普段は無人の平沢駅も特急は止まるし、駅員も出てサービスしている。町の様子も一変する。街道沿いは人でごった返し、商店は店先に目玉商品を並べてお客の呼び込みに懸命である。私達も買物を楽しみ、大小とりまぜ結構な量を買ってしまった。漆器に関する知識もいろいろと教えてもらった。
平沢の漆器店通りは本日は歩行者天国で、はずれには休憩所も設けられている。私達もここで軽い昼食をとることにした。


★平沢から奈良井宿へ向かう道 / 奈良井川

平沢から奈良井宿までは約2Kmほどである。奈良井川に沿った気持ちのよい道で、これをのんびりと歩く。今日は平沢で漆器の買い物をして、そのまま奈良井まで歩いて「お茶壷道中」を見物しようという人が多く、同じ道をたくさんの人が歩いている。


★中山道古道杉並木 / 二百地蔵

JR奈良井駅のすこし先で、鋭角に分かれてゆく戻り道がある。これは、江戸時代の中山道の名残で、立派な杉並木が続いている。この古道は八幡神社の境内として残されているもので、その先で消滅してしまう。途中には「二百地蔵」と呼ばれる石仏群が並べられている。これらの石仏は、明治初期の国道開削、鉄道敷設の際に奈良井宿周辺から集められたという。


★「木曾路 奈良井宿」碑 / 奈良井宿街道風景

JR奈良井駅のすぐ前に、「木曾路 奈良井宿」の大きな碑と案内板が立っている。奈良井宿の町並みはこの辺りから約1Kmほど続いている。俗に奈良井千軒と呼ばれ、木曾11宿中でも特に賑わった宿場であった。現在、町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。街道沿いに建ち並ぶ日本家屋は、それぞれに風情があり町並みとして大変美しい。
奈良井宿では、平沢の木曾漆器祭と同じ6月第1週の金、土、日曜日に「奈良井宿場祭」がおこなわれる。その最終日の日曜日には「お茶壷道中」の行列が再現される。
今日、6月9日は、この行列を見ようと宿場内は観光客で大賑わいである。

★「お茶壷道中」行列












江戸時代、京都宇治から徳川家に献上されるお茶が中山道を行列した。大名行列並みの扱いで、「下にぃ〜下に」と、先払いが通る後を大きな茶壷を乗せた立派な駕籠が静々と進んでゆく。今から考えると滑稽な話だが、昔はこれが大まじめに行われた。江戸時代そのままのような町並みの中で、このような行列が通ってゆくと結構、様になっていておもしろい。


★木曾大橋

街道筋の裏側、奈良井川沿いに、ふれあい広場というのがあり、ここに木曾大橋が架けられている。長さ33m、巾6mで総ヒノキ造りの太鼓橋で、奈良井宿の新名所のひとつとなっている。
お茶壷道中の行列は、最後にこの橋を渡るそうだが、私達がここに着いたときには既に通り過ぎた後だった。行列がこの橋を渡る様子は絵になったかもしれない。残念。


★鍵の手にある水呑み場 / みやげ物店の並ぶ一画

町の中には水呑み場がいくつか残っている。宿の中央付近は鍵の手になっていて、そこにも大きな水呑み場がある。昔は共同水場であるとともに防火用水にもなっていた。
道筋には漆器、曲げ物を中心としたみやげ物屋、古い建物を活用した雰囲気のある喫茶店、蕎麦屋など、あるものをそれなりに生かした町造りが行われている。古いものを博物館的に残すだけではなく、町全体がそれを活用して生活している。そこが素晴らしいと思った。
その他、通りには昔の豪商の屋敷「中村邸」、「上問屋資料館」、「楢川村歴史民俗資料館」などがあり、一般公開されている。


★夕暮れ迫る奈良井宿風景

奈良井宿に夕暮れが迫ってきた。先ほどまでの賑わいがうそのように、静かなしっとりとした町並みになっている。創業200年を経て現在も現役旅館として営業中の旅籠、越後屋をはじめ、伊勢屋、あぶら屋などの旅館。その他多くの民宿が街道沿いに軒を並べている。そろそろ店先に明かりが燈る頃だ。
私達の本日の宿泊場所、楢川村保養センタ「ならい荘」は、宿場のはずれから、さらに坂を登ったところにある。宿場の雰囲気は全くないが、新しいきれいな施設である。到着は17:00頃だった。


歩行距離  約24Km    歩数 44,000歩