諏訪の森法律事務所 Lawyer SHIGENORI NAKAGAWA

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同性愛者の権利裁判報告

1996年 性を語る会シンポジウム

初出:あなたとわたしと性’96春 36号
「性を語る会」シンポジウムより AIDS・教育・人権PART10−同性愛者の権利−
性を語る会(FORUM ON SEXUAL ISSUE)編集 アーニ出版 発行

「府中青年の家裁判」とは<動くゲイとレズビアンの会>が東京都の青年の家で勉強会合宿をしようとしたところ、都の教育委員会が泊まりがけの利用を拒絶する決定をした、その決定・処分が違法・違憲だということで、損害賠償を求める裁判を起こしたというものです。

東京都の決定が1990年の4月で、私たちが裁判を起こしたのが翌91年2月。そして地方裁判所の判決(勝訴)が’94年3月に出ました。この裁判は、いろんな面で日本の同性愛者に対する差別や偏見、社会の状況を象徴していると思います。


1.孤立した状況からの脱出

最初に、この裁判のきっかけになったアカーの合宿についてお話します。同性愛とか異性愛という性的指向(セクシャルオリエンテーション)は、人間が意識的に選択するものではありません。思春期になるにつれて、自分が異性ではなく同性に関心をもっているのに気づく。しかし、同性を好きになるのはおかしいことだ、異性を好きになるのが当たり前だと、物心つく前からずっと刷り込まれてきているわけです。そういう中で自分だけが同性に惹かれる、これはどういうことなのだろうと、広辞苑や百科事典をひいてみる。すると(今は変わりましたが)、”異常性欲の1つ”と書いてある。ラジオやテレビ、漫画は、同性愛はホモとかオカマと呼び捨て笑い物にしている。そういう状況の中で、自分は同性が好きだ、関心があるということに気づくのは、とても残酷なことです。

ある人は「自分の中に黒い蛇が住んでいる」ように感じたと表現していましたが、誰にも言えない、自分自身にも受け入れられない秘密。「黒い蛇」という表現があてはまるぐらい、みんな自分を肯定できないまま孤立した状況に置かれてしまうのです。

<動くゲイとレズビアンの会>は1986年に設立、今年で10周年です。当時、年代で言えば高校生ぐらいの若いメンバーが集まって、同性愛者であることを隠すことなく生きてゆきたいとネットワークをつくった。自分が同性愛者であることに気づきはじめたきっかけ、いじめられた経験、誰にも言えなくて悩んだことなどを同性愛者同士で語り合う、ライフヒストリーを話し合うことで、「自分がおかしいのではない。社会の認識がおかしいんだ」ということを勉強し、その壁を一つ一つ乗り越えて自分を肯定的に受け入れる−コンシャスネスレイジング−をやっていくのが、アカーの勉強会合宿なのです。


2.立ち上がった若者たち

その合宿のために青年の家を使いたいと申し込んだら、東京都がダメだと言う。理由は「男女別室」で、同性愛者同士だと、男女同室と同じになる(セックスする)ので貸せないと。この東京都の決定に対して、彼らは黙っていなかった。教育委員会の決定がでる日、審議される場に僕と何人かのメンバーで傍聴に行ったのですが、テレビカメラなどが来て、(おもしろ半分でしょうが)マスコミにも流していました。

当時、アカーにかかわり初めてまだ数ヶ月の学生だった古野君は(そこがすごいところだなと思うんですけれども)、東京都と交渉する中、その場で、顔が映ってもいいからとテレビカメラの前でしゃべりました。

原告の一人風間君は、その時は「顔は困る」とモザイク模様で出ましたが・・・。その後1年ぐらいかけて裁判の準備をしていく中で、お父さんやお母さんに自分は同性愛者で、裁判をしようと思っているのだとカミングアウトし、第1回の裁判の時には他のメンバーと一緒に公開の法廷で堂々と陳述をしました。

僕も今より若かったけれど、もっと若い彼らが、「もう黙っていられない、もちろん勝つか負けるかわからないけど、この裁判をすることで、自分たちの将来を少しでもよくするのだ、と決心して、立ち上がったのです。

裁判を起こした当時、弁護士は私と森野嘉郎弁護士の2人でした。先輩の弁護士の中には、「時期尚早だ」、「青年の家のような教育施設となると、行政の裁量が広く認められてしまう。もっとケースを選ばなければダメだ」と言う人も多かったのです。 アカーや私たちにとって大きかったのは、海外で同性愛者の権利の為に闘ってきた人びとの励ましでした。

アメリカでは1973年にすでに、精神医学や心理学の分野で同性愛は精神障害のリストからはずされ、同性愛者の権利獲得運動も盛んなのですが、こうした運動をしてきた人たちが「自分たちだって何もないところから、勝つか負けるかわからない裁判を起こして、それが1つの流れになった。どんどんやりなさい。あなたたちのやろうとしていることは、自分たちが10年、20年前に踏み出した一歩と同じだ」と言ってくれたのです。


3.サンフランシスコから証人を呼ぶ

こうして裁判を起こしたのですが、当初は「男女別室ルール」というのが、どこから突き崩していいのかわからない壁のように思えました。しかし、全国の青年の家に向けて「男女で泊まれますか」と全部電話して調べてみると、実は男女でも泊めている施設がけっこう出てきたのです。

行政がつくった施設だって、「男女の部屋割りはグループの責任に任せる」とちゃんと規則に書いてある所があります。いろいろやってみることだなと思いました。 それからサンフランシスコの教育委員会の委員長トム・アミアーノさんを証人として呼びました。彼は、自分が同性愛者だということを公表して教育委員に立候補し、トップ当選した人です。

「同性愛者の生徒も職員も差別してはいけない」ということを教育委員会のポリシーとして決定し、そのことを「生徒手帳」にもきちんと加えた。また、スポーツ選手・医者・弁護士・消防士など社会で活躍している同性愛者の大人をロールモデルとして学校に呼んで話をしてもらう。さらに、性的指向で悩んでいる生徒は、教室のカベに貼ってあるホットラインの番号に電話をすれば、プライバシーを保った状況で相談ができる−そういうことをやっていると法廷で証言してくれました。

「男女別室ルール」についても、「アメリカだって教育の場、たとえば修学旅行の宿でセックスするのは絶対禁止で厳しく処罰する。自分が学校の先生だった時、修学旅行で、同性愛者の生徒たちを同じ部屋に止めたが、何のトラブルもなかった。生徒は修学旅行に行きたいから、ルールを伝えれば99%守るのだ。それで十分ではないか」と話してくれました。すごく説得力があり、裁判官を動かしたのではないかと思います。

トムの証人尋問の準備をするために、私もサンフランシスコへ行きました。トムのパートナーのティム(小学校の先生)はHIVポジティブで、その後亡くなられましたが、いっしょに日本に来て集会に出たり、いろんな行動をともにしました。トムとティムを見て、アカーのメンバーは自分の将来のロールモデル(イメージ)が得られたということもあったのではないかと思います。


4.画期的だった第1審判決

この第1審判決('94年3月)は画期的な判決だったと思います。1つは、東京都に対して利用拒絶は明確に違法である。そもそも同性愛者について「男女別室ルール」を理由に拒絶する、そういう単純な考え方自体が違法なのだと、はっきり認めています。

もう1つ注目すべきことは、「同性愛・同性愛者について」という項目を8ページも設けて、同性愛も異性愛も人間の性的指向のひとつとして双方を同列に置いた定義を述べたことです。その上で、「従来同性愛者は社会の偏見の中で孤立を強いられ、自分の性的指向について悩んだり、苦しんだりしてきた」ことまで認定したのです。嬉しかったですね。

法律家はもちろん、いろんな分野の専門家の間でも、同性愛・同性愛者の置かれている社会的状況について必ずしも正確な認識がなされていない日本の状況を考えると、この点について裁判所がきっちり書いてくれたことは大きな意義があったと思います。


質疑応答

北沢
'94年3月に第1審で勝訴した直後に東京都は高裁に控訴しましたが、その後の状況はどうなっていますか。

中川
高等裁判所になって東京都の主張は劇的な展開をしました。今までは「同性愛とか同性愛者ということが問題じゃありませんよ。性的に引かれるもの同士が、同じ部屋に泊まるのが問題なのです。」と言っていたのですが、高裁にきて、「同性愛という性的指向を、性的自己決定能力を十分にもたない小学生や青少年に知らせ混乱をもたらすこと自体が問題である」、「それがトラブルのもとになる」と変わったのです。これは、最初にアカーのメンバーが青年の家を利用した時、他のグループが「あ、おかまがいる」「ホモがきた」と嫌がらせをしたことを指しているのですが、「わが国の性教育は男女間の性を原則としている。学習に対する能力が十分に備わっていない小学生に同性愛者が泊まっていることを知らせると強い衝撃を受ける」「理解不可能な中で、そういう嫌がらせの行動に出たのは、そういうふうにさせられた小学生が被害者で、アカーが加害者である」と堂々と書面に書いています。で、こちらも書面で「その混乱とはどういう混乱なのか? 混乱すると主張する研究やデータがあるのか?」「アメリカではレズビアンのカップルと暮らしている子どもたちと、異性愛者の親と暮らしている子どもたちの知的な発達・性的指向の形成・自尊心・自分を肯定的に考える姿勢などを比較して、まったく違いがない、という実証的な研究がたくさんある」と、反論したら、結局、東京都の主張は事実上、引っ込んでしまって、少々拍子抜けといった感じです。

北沢
今度の裁判官は何を考えていそうですか?

中川
まったくわかりません。1審の裁判官だって、最初から同性愛について理解があったわけではありません。いろんな材料を与えて、裁判官の認識や共感にいかに飛躍のきっかけを与えるか? 1審はそれができたから勝った。1審は3年ぐらいかけたのです。高裁は1審の足りないところを補って結論にいくので、時間的な制約があります。

北沢
見通しはどうでしょう?

中川
勝ちます! 日本の裁判所で2回勝つのは簡単なことではないのですが、実際に同性愛者でも泊まれる青年の家が既にあるのですから。

北沢
私は何度か傍聴に行っているのですが、これは「同性愛者の権利」裁判であると同時に、東京都は負けたら沽券にかかわるというところがあって「官尊民卑」の裁判なのだなと感じました。

会場のみなさんも、裁判を傍聴されたり、学校にもアカーの人たちに来ていただいて、いろいろ話してもらうといいと思います。「子どもの権利条約」12条の子どもの意見表明権に対して、大人はあらゆる情報を子どもに与えなければならないと義務づけています。同性愛についての情報も提供すべきでしょう。

中川
みんなが高等裁判所の判決が出ることに注目しているのを伝えていくため、いろいろとキャンペーンをやっていきたい。ご協力をお願いします。



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