| 浮世絵文献資料館 | |
| 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 |
続柄 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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あね 伯姉 | 「姉君の一周忌ちかくなれるに雨ふりければ 末の露さきだつ草のはらからのもとの雫の身にこそありけれ」 | をみなへし | ②44 | 文化6年 1809/08/ |
あね 仲姉 | 「春日、吉見氏の姉の六十一の寿詞 | 南畝集14 漢詩番号2422 | ④306 | 文化1年 1804/02/ |
「吉見氏仲姉の七十の寿詞。七絶 【甥義方、都堂の吏為り。今歳、赦令の事を主どる】 「其の二 「其の三 「其の四 「其の五 「其の六 「其の七 | 南畝集18 漢詩番号3832 | ⑤298 | 文化10年 1813/11/ | |
おい 甥 野村松蔵 | 「野村氏の甥の庭上に紫芝を生ず。乃ち持して余に贈る。因りて賦す | 南畝集5 漢詩番号0793 | ③274 | 安永9年 1780/06/ |
「きさらぎ三日、大久保野村氏の甥松蔵、松一もとを贈るに 「又ざれごとうた | 紅梅集 | ②324 | 文化15年 1818/02/03 | |
おい 甥 吉義方 | | |||
おい 甥 外山 霞 | 「師走十三日、外山霞とみに身まかりけるに【法号宝華院釈清光】 | 紅梅集 | ②378 | 文政2年 1819/12/13 |
おい 女甥 | 「春日、女甥を哭す 其の二 其の三 | 南畝集1 漢詩番号0006-8 | ③3 | 明和8年 1741/03/ |
おとうと 弟 島崎金次郎 | | |||
がいせき 外戚 母方 | 「冬至前三日、外家の宴集 | 南畝集20 漢詩番号4423 | ⑤468 | 文政元年 1818/11/22 |
家族 | 「三月、人勝 | 南畝集8 漢詩番号1539 | ④16 | 寛政1年 1789/03/ |
「十月初四、九月初八の郷書を得たり。爾来、十三日・廿一日官府の郵書至るも、家人一書を託さず。此を賦して之を促す | 南畝集14 漢詩番号2573 | ④350 | 文化1年 1804/10/ | |
「雨中、家書を得【四月廿四日】 | 南畝集15 漢詩番号2667 | ④380 | 文化2年 1805/04/24 | |
「秋前涼雨。家書を得たり【七月十二日】 | 南畝集15 漢詩番号2701 | ④390 | 文化2年 1805/07/12 | |
じょせい 女婿 | | |||
そぼ 外祖母 (渋垂氏) | 「外祖母渋垂氏の墓に謁す【墓、四谷南寺町正覚寺に在り】 【外祖母、宝暦十三年五月三日を以て逝く。此に四十六年なり」 | 南畝集16 漢詩番号3163 | ⑤99 | 文化5年 1808/04/ |
「外祖母の五月三日、病み且つ雨ふるを以て墓に上らず。越えて六月初三、墓に謁す。墓前、紫陽花盛んに開く。感有り 【外祖母宝暦十三年癸未を以て没す】 | 南畝集20 漢詩番号4609 | ⑤522 | 文政4年 1821/06/03 | |
そぼ 外祖母 (山口氏) | 「外祖母山口氏、先人の家に寓す。予、幼くして撫養を蒙る。宝暦癸未五月三日を以て背かる。時に予成童なり、今に至つて五十年。聊か一絶を賦して以て追憶の懐ひを述ぶと云ふ | 南畝集18 漢詩番号3630 | ⑤241 | 文化9年 1812/05/03 |
ちち 父 先人 | | |||
ちゃくし 嫡子 定吉 | | |||
女児(長女) | 「十二月十九日、子を誕む 自茲須抱汝 何減掌中光」 | 南畝集1 漢詩番号0159 | ③55 | 安永1年 1772/12/19 |
「女児を悼む | 南畝集2 漢詩番号0164 杏園詩集 | ③60 ⑥30 | 安永2年 1773/01/05 | |
「壬辰季冬、一女を挙ぐ。今春に至りて宛乎として孩抱中に没す。頃ろ夢に亡女を抱いて階前に彷徨す。女去らんと欲す。吾遽に之を止むれば、則ち詩三首を示す。其の詩皆忘れたり。唯だ首章の結句に「空窓細雨来たる」と曰ふを記するのみ。一たび慟じて絶ゆ。蘧然として覚む。覚れば則ち風雨瀟瀟として其の詩の如し。遂に継いて全詩を成し、以て自ら広くす。安永癸巳五月朔日の夜なり 夢断孤燈滅 空窓細雨来」 | 南畝集2 漢詩番号0185 | ③67 | 安永2年 1773/05/01 | |
新嫁 (妻・里与か) | 「新嫁娘 | 南畝集1 漢詩番号0090 | ③30 | 明和9年 1772/05/ |
「亡妻の七周の忌日、感有り | 南畝集14 漢詩番号2435 | ④310 | 文化1年 1804/03/11 | |
つま 妻 | 「夜帰 | 南畝集16 漢詩番号3223 | ⑤116 | 文化5年 1808/10/ |
転居 | 「もとすみける家【牛込中御徒町木戸キハ。菅沼又太夫様隣】をうりてのち、庭に植をきける松のきられけるときゝてよめる【小日向金剛寺坂御引越之後よめる歌】杏花園 「二月廿七日に、家のうちのもの、うつりすみしより、垣ゆひ家根ふきあらためなどして、いとかしがまし」 | 巴人集 細推物理 | ②420 ⑧402 | 文化1年 1804/02/27 |
はは 母 (先妣) | | |||
「元日口号 | 南畝集 漢詩番号1910 | ④149 | 享和1年 1801/01/01 | |
「孫を弄ぶ 「又 「北町にすめる娘の、年の賀祝すとて来りぬれば(云々)」 | 南畝集13 漢詩番号2216・7 細推物理 | ④244 ⑧343 | 享和3年 1803/01/10 | |
まご 孫 | 「ちのなきものゝめのとの、あたへ十日にさだめけるはづきの頃 「うまごのめのともとむるとて | 巴人集 | ②460 | 文化1年 1804/08/ |
まご 孫(お幾) | 「竜口世子、海錯一籃を賜ふ。会々女孫阿幾の誕辰なり | 南畝集16 漢詩番号3216 | ⑤113 | 文化5年 1808/09/27 |
まご 孫(鎌太郎) | | |||
まご 孫 鎌太郎(10) 鉄太郎 豊(7)・幾(5) | 「孫を弄ぶ詩 不懈同豚犬 書香幸不磨 女豊与女幾 嬌啼共婆娑 七齢且五齢 未通以呂波 無非又無儀 何必問其它 鉄児最肥大 孩笑応呵々 老来過耳順 百事已蹉跎 含餳須撫弄 不楽亦如何」 | 南畝集16 漢詩番号3353 | ⑤158 | 文化7年 1810/04/ |
まご 外孫 | 「元日、外孫を挙ぐ。喜びて賦す | 南畝集16 漢詩番号2857 | ⑤8 | 文化3年 1806/01/01 |
「人日、外孫女を哭す | 南畝集16 漢詩番号2863 | ⑤8 | 文化3年 1806/01/07 | |
ひまご 曾孫 | 「曾孫の誕辰 | 南畝集19 漢詩番号4282 | ⑤424 | 文化14年 1817/07/ |
「曾孫のはつ幟を祝して たけの子の自然生して幟棹七代つゞきたつる珍宝 しらが昆布三千丈のあやめ草ひきくらぶればかくのごとく長し あやめふく五月五関もやぶるべし青竜刀を御手にふりつゝ 六衛府のわかかぶと(ママ)のあがりての世にも奢やふせぎかねけん」 | あやめ草 | ②81 | 文政4年 1821/05/05 | |
「文政いつゝのとし壬午神無月二日、曾孫暫光如元童子をいたむ みなづきの朔日うまれいとまごひ九月の尽は三歳の尽 ぬぎすてしもがさのあとにのこれるは漁陽のつヾみ山陽の笛 大川の玉やかぎやの花火舟山王あかきまつりをも見き 我がひこの三ツ子のたましい百迄はいきずとせめて五十六十」 | をみなへし | ②51 | 文政5年 1822/10/02 | |
「曾孫小字正吉、父大田畯、母矢部氏。文政三年庚辰六月朔、生於駿河台之杏華園、五年壬午九月、罹痘起脹、五日而没、実十月二日也、嗚呼哀哉、葬於白山本念寺先塋、法謚曰暫光如元童子 七十四翁杏華園主人書」 「寐ねず | 序跋等拾遺 南畝集20 漢詩番号4675 | ⑱651 ⑤539 |