Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ せっせん つきおか 月岡 雪僊浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
(泉山松月・月岡幡羽(ばんう)参照)
 ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③320(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
   「堤等琳系譜」〝(三代目堤等琳門人)雪僊【本町一丁目、本宅ト云、泉山松月】〟    〈本宅は本庄の誤記か。また泉山松月はこの記事にしか見えないので不審〉  ☆ 天保十五年(弘化元年(1844))    ◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
   「堤等琳系譜」(「三代堤等琳」の項)     〝月岡幡羽 本町住 字本庄と云、盃猪口の画をかけり 川島雪斎門人となる 天保四年春なり 後月岡         雪僊と改む 久世侯の絵師となる 画法師等琳の筆意をつたふ          金吹町住 嘉永中剃髪〟  ☆ 嘉永三年(1850)    ◯『【江戸文人】芸園一覧』「画家」〔人名録〕②322(畑銀雞編・嘉永三年三月刊)   〝金吹町 月岡雪僲〟      ◯『【現存雷名】江戸文人寿命付』〔人名録〕②347(畑銀雞編・嘉永三年刊)   〝月岡雪僲 月雪のながめにまさる君が画は江戸の花ともいふべかりけり 大極上々吉、寿九百年 金吹    町〟  ☆ 安政四年(1857)  ◯『【安巳新撰】文苑人名録』「セチ部」③243(松靄道人編・安政四年刊)   〝画 江戸 於玉池 月岡雪僊〟  ☆ 安政七年(1860)  ◯『安政文雅人名録』「世之部」②179(安政七年二月刊)   〝画 雪僊 名潔 字伯直 号清乎堂  浅草南馬道 月岡雪僊〟    ☆ 没後資料    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    収録なし    〈「国書基本DB」は雪仙名で二作品をあげている。文化四年序、芳宜陸可彦著・飯田備編の随筆『有の儘』(東春嶺     と共作)と文化九年の『筆花芳叢』である。作画は前者のみ。後者は書である。この雪仙は月岡雪仙と同人ではある     まい〉