☆ 文政五年(1822)
◯『正本製』五編(歌川国貞画 柳亭種彦作 西与板 文政五年刊)
(国書データベース)
〝〔種彦口上〕さてこれにひかへましたるものどもは 国貞門人 貞繁 貞景 貞岡 貞知 貞宜 貞勝
貞升 貞猶 貞周等にござりまする いづれもおひ/\ゑざうししたゝめますれば 国貞どうぜんにご
ひいきをこれ又ねがひあげたてまつりまする〟
〈「追々絵草紙認めますれば」とあるので、まだ合巻デビュー前、修行中なのである。国貞は文政三年、伊勢から大坂
へと歴訪している(本HP、国貞の文政三年の項参照)。貞升の国貞入門はそのあたりか〉
☆ 天保六年(1835)
◯『街能噂(ちまたのうわさ)』平亭銀鶏作 歌川貞広画 天保六年刊
(霞亭文庫 東京大学附属図書館)※半角カッコ(かな)は原文の読み仮名
〝〔万松〕大坂の錦絵も近年は強気(がうき)に能(よ)くなりやしたぜい。江戸と格別今では違わぬ絵が何
程(いくら)もござりヤスぜい。〔鶴人〕さやうさ、浮世絵師に名大人(めいたいじん)が出来やしたから、
結構でこざりヤス。〔千長〕大坂では何といふのが上手でござりヤスネ。〔鶴人〕似顔を能書やすのは
国貞の弟子の歌川貞升といふのがござりヤス、殊に成田屋の似顔は分て手に入つた物でござりヤス〟
〈江戸の平亭銀鶏が大坂滞在中に見聞したことがらを記事にしたもの。鶴人は江戸人、万松と千長は大坂人〉
☆ 天保十一年(1840)
◯「浪花諸芸玉づくし」(番付 天保十一年八月刊)
(国文学研究資料館 新日本古典藉総合データベース「万番付」所収 33コマ)
〝似㒵画ノ 重春 貞舛 貞広 貞信〟〈役者似顔絵〉
☆ 天保十二年(1841)
◯「咄本年表」〔目録DB〕(天保十二年刊)
歌川貞升画『落噺千里藪』歌川貞升画 花枝房円馬作
☆ 天保十三年(1842)
◯『江戸小咄辞典』「所収書目改題」(天保十三年刊)
歌川貞升画『落噺千里藪』花枝房円馬作(板元名なし)
☆ 天保年間(1830~1843)
◯「艶本年表」〔日文研・艶本〕(天保年間刊)
歌川貞升画『閨の友月の白玉』墨摺 一部色摺 半紙本 四冊 天保年間
序「女好庵の主まじめに云」19図 屏風絵「五蝶亭貞舛筆」松亭金水作
◯「おもちゃ絵年表」〔本HP・Top〕
歌川貞升画
「子供十二月」「一樹園貞升画・五蝶亭貞升画」板元未詳 天保頃 ⑥
「稚舞尽」 「貞升画」板元未詳 天保頃 ⑥
☆ 天保十四年~弘化四年(1843-47)(改印:名主単印)
◯「おもちゃ絵年表」〔本HP・Top〕
貞益画〔立版古おみこし〕「貞房画」板元未詳(名主単印)⑥
☆ 弘化元年(天保十五年・1844)
◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
「一雄斎国貞系譜」〝国貞門人 貞升 後国升に改 浪花人〟
☆ 弘化三年(1846)
◯『噺本大系』巻十六「所収書目解題」(弘化三年刊)
歌川貞升画『落噺千里藪』署名「口画出像貞升画」巻末「歌川貞升画」花枝房円馬作 播磨屋板
☆ 成立年未詳
◯『京摂戯作者考』〔続燕石〕①339(木村黙老著・成立年未詳)
〝歌川貞升 大坂の人。農人橋に住す、俗称金屋和三郎、柳亭に相次ての巧手なり〟
☆ 明治元年(慶応四年・1868)
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪192(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
(「歌川氏系譜」の項)
「歌川豊春系譜」〝(歌川国貞門人)貞升 後国升ト改ム。浪花ノ人〟
☆ 明治以降(1868~)
◯『日本美術画家人名詳伝』下p426(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)
〝貞升
大坂ノ浮世絵師ナリ、五渡亭ト号ス、骨董家ノ子ニシテ、幼ヨリ画ヲ好ミ、江戸歌川国貞(初代)ノ門
人ト成リ、俳優似顔画ニ研究シテ妙ヲ得、天保年中有名ナリ、其師国貞二代ノ豊国ト名ヲ更ムニ因リ、
名ヲ国升ト改ム、後チ浮世絵ヲヤメ、西山由園ノ門人トナリ、四條風ノ画人トナル〟
◯『浮世画人伝』p1(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
〝歌川貞升(ルビうたかわていせう)
歌川貞升は大阪船場の素封家なり、氏名俗称詳ならず。五渡亭国貞の門に入りて、浮世絵を学び、俳優
を描くに妙を得たり。潤筆を受けず、私財を抛ちて、其流派を弘めたりき。大阪浮世絵師の牛耳を取り
て、其門人甚だ多し、今日、大阪に似顔絵と称するものは、多く貞升の画風に倣へるものなり
「五蝶亭貞升系譜」
◯『浮世絵の諸派』上下(原栄 弘学館書店 大正五年(1916)刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇歌川貞升(下107/110コマ)
〝国貞の門弟で、大坂船場の素封家である。後ち国升と改め、門人も多く、大坂浮世絵界に重きをなし、
特に役者似顔絵は得意であつたから、後の大坂の似顔絵は皆この貞升の画風に傚つたものである。門人
中聞えたものは貞信・貞芳・貞広・芳信などで、芳信の門から芳国・蘆国などが出た〟
◯『浮世絵師伝』p76(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝貞升 国升の前名〟
〝貞升
【生】 【歿】 【画系】初代国貞門人 【作画期】天保
歌川を称す、五蝶(或は蝠)亭と号す、春画名東都行升〟
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」〝国貞(三世豊国)門人 貞升(国升)〟
△『増訂浮世絵』p207(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝国升
歌川を名乗り、五蝶亭又は一樹園と号す。後ち国升と改む。恐らく国貞の豊国襲名後、間もなく改名し
たのであろうと思はれる。大坂船場の素封家であるといふ。作画期は天保年間から嘉永年間に及んでお
り、殊に天保年間の版画は少くない。また肉筆画にも相当優れた手腕をもつてゐる。その門下と思はる
ゝものが、頗る多い。国貞の画系は貞升によつて浪花に栄えたものといふべきである〟
「五渡亭国貞の浪花画系」〝貞升 後国升五蝶亭 歌川〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:2点
画号他:歌川貞升・行升
分 類:咄本・艶本
成立年:天保12年(1点)
『落噺千里藪』 咄本・花枝房円馬作・歌川貞升画・ 天保十二年刊
『閨の友月の白玉』艶本・女好庵主人(松亭金水)作・行升画・天保年間刊
〈艶本に行升とあることから「日本古典籍総合目録」の歌川行升を『浮世絵師伝』のいう「春画名東都行升」の五蝶
亭貞升と見た〉