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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ さだひろ ごちょうてい 歌川(五蝶亭)貞広 初代
浮世絵師名一覧
〔文政二年(1816)生? ~ 没年未詳〕
※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕 ⑮〔漆山年表〕 :『日本木版挿絵本年代順目録』 「絵入根本一覧」北川博子著「大阪出版史における絵入根本」所収・『近世文藝』119巻 2024年 「絵入根本の世界」大阪市立図書館・第50回大阪資料・古典籍室1小展示資料
〈生年の文政二年の根拠についてや、天保六年の項参照のこと〉
☆ 文政十一年(1828) ◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序) (「初代歌川豊国」の項)
「豊国筆塚碑」
(文政十一年八月記の「歌川総社中碑」に名を連ねる) 〝国貞社中 貞虎 貞房 貞景 貞秀 貞綱 貞幸 貞考(ママ) 貞歌女 貞久 貞信
貞広
〟
〈この貞広を歌川国貞門人ということで五蝶楼貞広と見なした〉
◯『浮世絵師歌川列伝』「一世歌川豊国伝」p101(飯島虚心著・明治二十七年、新聞「小日本」に寄稿) (文政十一年八月、初代歌川豊国追悼の筆塚を建立。表に狂歌堂真顔の撰文、背面に当時の門人名あり) 〝
国貞
社中、貞虎、貞房、貞景、貞秀、貞綱、貞幸、貞考、貞歌女、貞久、貞信、
貞広
〟 ☆ 天保六年(1835)
◯「絵本年表」
(天保六年刊)
歌川貞広画
『南柯廼夢』二冊 歌川貞広画 平亭散人戯述 ⑮
◯「日本古典籍総合目録」
(天保六年刊)
◇人情本
歌川貞広画
『浪花夢』貞広・貞芳画 平亭銀鶏作
◇滑稽本
歌川貞広画
『浪花襍誌街廼噂』四冊 歌川貞広画 平亭銀鶏作 ◯『【銀鶏一睡】南柯廼夢』〔大成Ⅱ〕⑳355(平亭主人(畑銀鶏)著・天保六年刊) (表紙) 〝平亭主人著/歌川貞広画/【銀鶏一睡】南柯廼夢/天保六年歳在乙未/三月中幹雕刻告成〟 ◯『街能噂(ちまたのうわさ)』二之巻(平亭銀鶏作 歌川貞広画 天保六年刊)
(霞亭文庫 東京大学附属図書館)
※半角カッコ(かな)は原文の読み仮名
〝〔万松〕大坂の錦絵も近年は強気(がうき)に能(よ)くなりやしたぜい。江戸と格別今では違わぬ絵が何 程(いくら)もござりヤスぜい。〔鶴人〕さやうさ、浮世絵師に名大人(めいたいじん)が出来やしたから、 結構でこざりヤス。〔千長〕大坂では何といふのが上手でござりヤスネ。〔鶴人〕似顔を能書やすのは 国貞の弟子の
歌川貞升
といふのがござりヤス、殊に成田屋の似顔は分て手に入つた物でござりヤス。又 長崎の人でありヤスが、
柳斎重春
といふのがしばらく大坂に居りヤスが、誠にきやうな画(ゑ)で何でも 出来ヤス、笑印(わじるし)などは心(しん)にせまる処をかきやす、其外にも
春梅斎北英、菊川竹渓、天 満屋国広
、数おほいことでござりヤス、今度銀鶏さんの「街のうわさ」の口画を書やした
歌川貞広
とい ひやすのが、まだ廿ばかりでござりヤスが、強気なものでござりヤスぜい、実に後世(ママ)恐るべしだ、 今に彫刻(ほり)上つたら御覧(らふ)じやし。〔万松〕なるほど貞広といふのを聞きやした、慥(たしか) 布袋町に居る人でありやしょう。〔鶴人〕さやう/\能くごぞんじだ、其の人でござりヤス。〔千長〕 モシ 江戸の山下に居りやした
歌川国鶴
も大坂へ来て居るぢゃァござりやせんか。〔鶴人〕こちらに居 りヤス。コレハ余程腕がきいて居りヤスぜい。〔万松〕さやうさ江戸でも評判がようござりやした〟
〈江戸の平亭銀鶏が大坂滞在中に見聞したことがらを記事にしたもの。鶴人は江戸人、万松と千長は大坂人。二之巻の 26オに「今天保六年」とあるから、この時点で二十歳ばかりというと文政二年(1816)頃の生まれか〉
☆ 天保八年(1837)
◯「絵本年表」
(天保八年刊)
歌川貞広画
『敵討義恋柵』二編十冊 春梅斎北英画 五蝶亭貞広画 河内屋太助他板 ①
◯「絵入根本年表」
(天保八年刊)
北英・貞広画
『敵討義恋柵』春梅斎北英・五蝶亭貞広画 河内屋太助他板 天保八刊 ①
〈書誌による〉
・
「絵入根本一覧」
☆ 天保九年(1838)
◯「絵本年表」
(天保九年刊)
歌川貞広画
『傾城佐野の船橋』七冊 南々川貞広画 奈河七五三助作 河内屋太助他板 ①
◯「絵入根本年表」
(天保九年刊)
歌川貞広画
『傾城佐野の船橋』南々川貞広画 河内屋太助他板 天保九刊 ①
〈書誌による〉
・
「絵入根本一覧」
☆ 天保十年(1839)
◯「絵入根本年表」
(天保十年刊)
歌川貞広・同貞芳画
『けいせい遊山桜』前編 南々川貞広・歌川貞芳画 河内屋太助他板 天保一〇刊 ①
〈書誌による〉
・
「絵入根本一覧」
☆ 天保十一年(1840) ◯「浪花諸芸玉づくし」(番付 天保十一年八月刊)
(国文学研究資料館 新日本古典藉総合データベース「万番付」所収 33コマ)
〝似㒵画ノ 重春 貞舛 貞広 貞信〟
〈役者似顔絵〉
◯「絵入根本年表」
(天保十一年刊)
歌川貞広・同貞芳画
『けいせい遊山桜』後編 南々川貞広・歌川貞芳画 河内屋太助他板 天保一一刊 ①
〈書誌による〉
「絵入根本一覧」
☆ 天保十三年(1842)
◯「絵本年表」
(天保十三年刊)
歌川貞広画
『契情会稽山』七冊 絵入根本 五蝶亭貞広画 近松徳三作 河内屋太助他板 ①
◯「絵入根本」
(天保十三年刊)
歌川貞広画
『契情会稽山』前編七冊 五蝶亭貞広画 ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)
◯「読本年表」
(弘化元年刊)
歌川貞広画
『俊傑神稲水滸伝』四編「歌川貞広画」岳亭丘山著 八島五岳序 秋田屋市兵衛板 ①
<春 見世物 紙細工(山中庵其滝)・麦藁細工(保川春貞)大坂難波新地>
◯「見世物興行年表」(ブログ) 「口上(略)麦藁細工人保川春貞・細工人大江忠兵衛」摺物 署名「
貞廣画
」
◯「日本古典籍総合目録」
(弘化二年刊)
◇地誌
歌川貞広画
『大阪名所廻』二冊 貞広画 山田野亭撰 ☆ 嘉永年間(1848~1853)
◯「艶本年表」
〔目録DB〕(嘉永年間刊)
歌川貞広画
『十二図狂歌十二図』一帖 貞広画 嘉永初年刊
(注記「好色浮世絵版画目録による」)
☆ 明治十六年(1883)
◯「国立国会図書館デジタルコレクション」
(明治十六年刊)
南々川貞広画
『絵本傾城佐野の船橋』挿絵・表紙 南々川貞広 和田正兵衛 森本太助(1-4編 4月)
〈上掲の貞広とこの明治期の南々川貞広が同一人物かどうか分からない。時代の隔たりがありすぎのようにも思うが、 大阪出版であること、また下掲、井上和雄の『浮世絵師伝』によると、上掲の貞広も南々川氏を名乗ったとあることか ら、取りあえず載せた〉
☆ 刊年未詳
◯「絵入根本」
(刊年未詳)
歌川貞広画
『契情遊山桜』前後編十冊 貞広・貞芳画
☆ 没後資料
(没年が未詳なので『京摂戯作者考』は取りあえず没後と推定)
◯『京摂戯作者考』〔続燕石〕①339(木村黙老著・成立年未詳) 〝歌川貞広 大坂の人、難波新地に住す、俗称、京丸や清次郎〟 ◯『浮世絵師便覧』p230(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊) 〝貞広(ヒロ) 三世豊国門人〟 ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
(76/103コマ)
〝歌川貞広【天保元~十四年 1830-1843】三世豊国の門弟、其の伝詳ならず〟 ◯『浮世絵師伝』p76(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝貞廣 初代 【生】 【歿】 【画系】初代国貞門人 【作画期】天保~弘化 大阪の人、歌川を称す、南々川氏、五輝亭・五粽亭・五蝶亭・五楽亭などの号あり、役者絵を画き、又、 読本に挿画す、居所大阪畳屋町三津寺筋〟 ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」
〝国貞(三世豊国)門人 貞広〟 ◯『浮世絵年表』p214(漆山天童著・昭和九年(1934)刊) 「天保六年 乙未」(1835) 〝三月、歌川貞広の画ける『銀鶏一睡南柯夢』出版〟 △『増訂浮世絵』p206(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝貞広 国貞の門下であることは、豊国先生瘞筆碑背の国貞社中に、浪花貞広と記されゐるので明かである。こ の碑の建てられた文政十一年には、大坂にゐたことが知られる。歌川を称し、五蝶亭、五楽亭と称して ゐる。また三谷貞広と記したものゝあるのを見ると、三谷氏であらう。画風の上から見ても、国貞の風 趣を思はせるものがある〟
「五渡亭国貞の浪花画系」
〝五蝶亭、又は五楽亭 浮世又は歌川又は三谷〟
◯「日本古典籍総合目録」
(国文学研究資料館)
作品数:10点
(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
画号他:南々川・五蝶亭・貞広・五蝶亭貞広・南々川貞広・歌川貞広 分 類:絵入根本4・読本1・滑稽本1・人情本1・地誌1・艶本1・随筆1 成立年:文政15年(1点) 天保6・8~11・13年(7点) 弘化2年(1点)