Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ またべえ うきよ 浮世 又兵衛浮世絵師名一覧
〔未詳〕
 ◯「川柳・雑俳上の浮世絵」(出典は本HP Top特集の「川柳・雑俳上の浮世絵」参照)   〝美女の絵も浮世の風にや又兵衛〟「若恵比須」享保17【続雑】〈句意不明〉    ◯『文会雑記』〔大成Ⅰ〕⑭234(湯浅常山著・寛延二(1749)年)   〝浮世又兵衛ハ古法眼同時代ニテ古法眼同流ノ絵ナリ。墨絵ノ山水ナド、イカニモ古法眼ニ似タルモノ也。    至テ上手ナリ〟    ◯『画宝』(吉村周山画・片山北海序・明和四年(1767)刊)
   「浮世又兵衛」『画宝』所収(金沢美術工芸大学附属図書館・絵手本データベース)    ◯『橘窓自語』〔鼠璞〕上218(橋本経亮著・享和元年(1801)成)   〝土佐又平、浮世又平などいふは、大津絵をかきはじめたる人にて、画所の土佐流にはあらず。其父荒木    摂津守といふ人にて、信長に仕へて軍功あり。信長摂津国をあたへたりしが、信長の命にたがひて自殺    せし時、又兵衛二歳の小児なりしを、乳母いだきて、いまの西本願寺の子院にかくれ、母の氏をかり、    岩佐と称せしが、成長の後、織田信雄につかへ、画をこのみて一家をなし、当時の風俗をうつすことを    得たるより、世の人浮世又兵衛と呼べり。又、又平ともかけり〟    ☆ 享和元年(1801)  ◯『山東京伝書簡集』(竹垣柳塘宛・享和三年五月)   (『近世の学芸』所収 肥田晧三記・三古会編・八木書店・昭和51年刊)   (この書簡に関する肥田晧三の解説記事)    〝この画幅(江口君図)の外函の蓋裏には「浮世又兵衛美人閲牘図 山東窟清観」底裏に「享和元年辛酉夏    六月購之」と京伝が自署しているよし、後年、この画幅は三村竹清氏の蔵するところとなったよし『洗    雲亭清賞』の解説に見える〟  ◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年(1802)十月記・文政元年六月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)          浮世又兵衛    又兵衛が略伝は、好古日録に見ゆ。按に、一蝶が四季の絵の跋に、越前の産としるしたるを見れば、越    前において成人しとおぼゆ。名字は知る人もなかりしにや、たしかにしるしたるを見ず。又兵衛が父荒    木摂津守、名は村重、家士に重郷【姓氏不知】と云者あり。俗称久蔵、后に内膳と改む。一翁と号す。    狩野松栄門人にて、画をよくす。一説に、又兵衛、始此人を師として絵を学ぶ。後に土佐光信【明応中    人】の画風に倣て一家をなす。世に光信の門人と云は誤也。時代同じからずと云。しかるやいなやをし    らず。  ◯『山東京伝書簡集』(竹垣柳塘宛・享和三年(1803)五月)   (『近世の学芸』所収 肥田晧三記・三古会編・八木書店・昭和51年刊)   〝菱川絵巻物 御貸被遊、難有ずいぶん大切に致し拝借仕候、僕蔵浮世又兵衛美人之図一幅、おりう絵一    幅、破笠なぞ/\の絵一幅、右御使へ御渡し申上候、ゆる/\御一看可被遊候〟    〈柳塘公子は竹垣庄蔵、幕臣で文化五年(1808)の『武鑑』には「御普請方」とある。山東京伝は菱川の絵巻物を借りた返     礼として、自ら所蔵する浮世又兵衛画の「美人図」をお目にかけたいというのである。これは上掲にあるように、享和     元年六月購入した画幅で、下掲『近世奇跡考』のいう「浮世又兵衛江口君図」である〉  ◯『近世奇跡考』〔大成Ⅱ〕(山東京伝著・文化元年(1804)刊)   ◇「大津絵の考」の項 ⑥301   〝世に伝へて、(大津絵を)浮世又兵衛がかきはじむといへども、たしかなる証なし。案るに、浮世又兵 衛は、越前の産、本姓は荒木、母の姓岩佐を冒(ヲカスのルビ)。よく時世の人物を画によりて、時の人浮世 又兵衛と称す〔割註 世にいはゆる浮世絵は、こゝにおこる歟〕又平といふは誤りなり。享保四年〔傾 城反魂香〕といふ浄瑠璃に、土佐の末弟、浮世又平重(シゲのルビ)おきといふ者、大津に住て絵をかきた るよしをつくれるより、妄説を伝ふる歟。或は別に大津又平といふ者ありて、かき始む。享保の頃まで 其子孫ありしと云。予がをさむる、ふるき大津絵に、八十八歳又平久吉とかきて花押あり。前の説のご とく、大津に又平といふ者ありしを、浮世又兵衛が事にして、かの浄瑠璃につくりしより、虚説を伝へ しならん。さはいへ、支考が〔本朝文鑑〕に、浮世又兵衛は大津絵の元祖といふ。〔文鑑〕は享保三年 の板にて、彼浄瑠璃より、一年まへなれば、其前より云伝へし事かもしれず。とまれかくまれ。〔好古 目録〕にしるす。又兵衛が伝を見るに、大津にて売画をかきし事、あるべしともおぼえず。予又兵衛が 正筆ををさめて、其画風を見るに、大津絵をかくべき風にあらず〟    〈京伝は「浮世又兵衛」を岩佐又兵衛の異名とする。しかし「浮世又平」の方は近松の浄瑠璃『傾城反魂香』の虚構が     生んだものとする。そして大津絵の元祖説については、各務支考の『本朝文鑑』(「国書基本DB」享保二年自序・     三年跋)の説はあるものの、「予(京伝)又兵衛が正筆ををさめて、其画風を見るに、大津絵をかくべき風にあらず」     とする。浮世絵師・北尾政演としての直感である。ところで、京伝が見た「又兵衛が正筆」とは次項の「江口君図」     であろうか〉     ◇「浮世又兵衛江口君図」の項 ⑥352   〝【紙中長二尺七寸五分横一尺五分/縮図シテアラハス 山東軒清翫】     (模写あり)     かけ衣朱。ひつたの鹿子。うは衣黒。地紋金泥。したかさね銀泥。帯緑青。鱗形金泥〟    ◯『咲替花之二番目』(合巻・山東京伝作・歌川国貞画・文化八年(1811)刊)   〝浮世(うきよ)又兵衛筆(またびやうゑ)筆(ふで)    花見之絵縮図(扇面模図)     軽々舞汗微沾袖 細々歌声欲繞梁     おとたてぬものから人にしらせばや       絵にかく瀧のわきかへるとも     うたひもの      月にハつらきをぐら山 その名ハかくれざりけり〟
   『咲替花之二番目』 山東京伝作(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)    ◯『骨董集』〔大成Ⅰ〕⑮408(岩瀬醒(山東京伝)著・文化十年(1813)成)   (「浮世袋再考」の項)   〝昔はすべて当世様(トウセイヤウ)をさして浮世(ウキヨ)といひしなるべし。これも古きことにはや。能の狂言の    きんじむこといふに、舅のいへる言(コトバ)に「やいくわじや、婿どのはうきよ人(ジン)じやによつて、    云々(シカジカ)」といふことあり。これ当世人といふが如し。岩佐氏を浮世又兵衛といひしも、当世様の    人物を画きたるゆゑならん〟    ◯『擁書漫筆』〔大成Ⅰ〕⑫258(高田与清著・文化十三(1816)年)   (「水祝」の項。模写あり)   〝金玉画府五の巻浮世又兵衛が図、十二月遊画巻、などのそのありさまをゑがけり〟    〈「うきよまたひやうゑ」のルビ。『金玉画府』明和八年刊、月岡雪鼎画。「十二月遊画巻」は未詳〉    ◯『紅梅集』〔南畝〕(文政一年(1818)九月詠)   ◇文政元年七月詠 ②346   〝大津絵のむかしは浮世又兵衛が名におふ筆ときゝはさみけれ〟
  ◇同年九月詠 ②354  〝大津絵うき世又兵衛が古き図をみて   小ふくろの一つあまれば大津画の筆たて傘にくヽりつけたり〟   〈南畝にとって浮世又兵衛とは大津絵の代名詞であったようだ〉    ◯『筠庭雑考』〔大成Ⅱ〕(喜多村筠庭著・天保十四年(1843)序)   ◇「印籠」の考証 ⑧160   〝名画苑 又兵衛筆 瓢の根つけ古風也〟
  ◇「煙管」の考証 ⑧161   〝浮世又兵衛遊女図 寛文年中屏風絵 雁首と云名是にて知るべし〟
  ◇「銚子」の考証 ⑧164   〝又兵衛画中に出づ〟    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」(朝岡興禎編・嘉永三年(1850)四月十七日起筆)   ◇「前書き」中p1363   〝奇跡考云(中略)世に伝へて、浮世又兵衛は越前の産、本姓は荒木、母の姓岩佐を冒す。よく時世の人    物を画くによりて、時の人、浮世又兵衛と称す【世にいはゆる浮世絵は、こゝに起りたり】。又平とい    ふは誤なり。享保四年、傾城反魂香といふ浄瑠璃に、土佐の末弟、浮世又平重おき、といふもの、大津    に住て、画を書きたるよしを、作れるより、妄説を伝ふる歟。或は別に大津に又平といふもの有て、書    始るか。享保の頃まで、其子孫有しといふ。予がをさむるふるき大津絵には、八十八歳又平久吉とかき    て花押あり。前の説のごとく、大津に又平いふ者有しを、浮世又兵衛が事にして、浄瑠璃に作りしより、    虚説を伝へしならんとはいへど、支考が本朝文鑑に、浮世又兵衛は大津画の元祖といふ。文鑑は享保三    年の板にて、彼の浄瑠璃より一年前なれば、其前より云伝し事かも知れず。とまれかくまれ、好古日録    にしるす、又兵衛が伝を見るに、大津にて、売画をかきし事、ありべしともおぼえず。予又考るに、古    土佐の風味、はつかに残るやうにおもはる〟    〈『近世奇跡考』は山東京伝著・喜多武清画・文化元年(1804)序。「前書き」参照〉     ◇「前書き」中p1364   〝風流鏡が池【宝永六年正月板】(中略)うき世又兵衛と云し絵師、小町を書たりしに、小町が笑貌の姿    をかきて、口をあき黒き染歯を律儀に見せて貌にゑくぼを書たりし程に、今の画にくらべては、人形に    ありしおとくじやうによく似たるあく女、これ人のごとくに書たるゆゑに不出来なりし〟    〈『風流鏡が池』は独遊軒梅吟著・奥村政信画・宝永六年(1709)刊。この部分の全文は「前書き」参照)
   『古画備考』「前書き」  ◯『新撰書画一覧』(伴源平編 赤志忠雅堂 明治十四年(1881)五月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝浮世又兵衛 岩佐氏、名勝重、摂北伊丹ノ人、荒木村重ノ男、幼キヨリ画ヲ好ミ、土佐光則ニ学ビ、終          ヒニ一家ヲ成ス、織田信夫ニ仕フ〟    〈岩佐又兵衛と浮世又兵衛とが同一人物視されている〉  ◯『時代品展覧会出品目録』第一~六 京都版(大沢敬之編 村上勘兵衛 明治二十八年(1895)六~九月)   (時代品展覧会 3月25日~7月17日 御苑内博覧会館)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝「第一」【徳川時代】浮世絵画派(49/310コマ)    一 画三幅対 左 不破伴左衛門 中 白拍子 右 名古屋山三郎 伝浮世又兵衛筆           伯爵 津軽承昭君蔵 東京市本所区〟   〝「第五」徳川時代浮世絵画派之部(244/310コマ)    一 乗馬図 六曲金屏風 半双 伝岩佐又兵衛筆 醍醐寺蔵  京都府宇治郡    一 元禄頃一人立美人図 一幅 又兵衛筆    上野光君蔵 東京市麹町区〟