☆ 文化十三年(1816)
◯ 早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム
(文化十三年(1816)正月、大坂角座公演「伊賀越乗掛合羽」錦絵)
五郎 市川蝦十郎」丸丈改国広画(早稲田大学演劇博物館・浮世絵閲覧システム)
〈国広を名乗るのは文化十三年からか〉
☆ 文政六年(1823)
◯「死絵年表」(本HP・Top・特集)(文政六年刊)
丸丈斎国広画「百村百太郎 死絵」署名「国広画」天満屋喜兵衛版
◯「見世物興行年表」(ブログ)
「文政六年未霜月道頓堀中之芝居 顔見世手打新文句」錦絵 署名「江南亭国広画 天満屋喜兵衛板
☆ 文政八年(1825)
<三月 見世物 江戸力持 大坂難波新地>
◯「見世物興行年表」(ブログ)
「江戸力持」摺物 国広画 未詳
☆ 没後資料
◯『浮世絵師伝』p56(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝国広
【生】 【歿】 【画系】 【作画期】文化~天保
大阪の人、瀧川氏、江南亭・丸丈斎と号す、役者絵多し、作画期は文化末より天保末に及べり、居所戎
橋一丁北〟
△『増訂浮世絵』p206(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝国広
歌川を称し、また瀧川国広といひ、丸丈斎、江南亭等の号がある。初代豊国門人であろう。文化の末年
から作品があつて、文政年間を通じて、天保の末に及び、多数の遺作がある。落款の國の字も、初代の
風を追ふものである。門人に国平がある。中村歌右衛門の絵に国広門人国平と署名してゐる〟
歌川豊国の浪花画系〝国広 丸丈斎 江南亭〟