今年の夏は隔年より暑い。私の周りの人々はみんなそう言う。
学校は夏季休暇になって、生徒の影も少ない。ちょっと前の夏と言えば、一日中グラウンドでは部活動の生徒たちが躍動していた。しかし、昨今は、暑すぎて、外の運動は基本的に中止。夏空の下で張り切る生徒の姿は、遠い昔の話になった。
そんな中、私は外国人生徒の日本語指導で出かけている。
先日、ポケトーク(小型翻訳機)の活用についての調査があるということで、教務主任から意見を求められた。
ちょっと前から、私は、外国人支援は邪魔ものだと思われているような、そんな空気を感じ取っている。そう言われたことがある訳ではない。先生方はいつも親切で協力的なことは間違いない。しかし、感じるのだ。必要不可欠なものではない、という微妙な空気を。
ポケトークの活用調査で、支援員がいなくてもポケトークで十分なことはなにか、という項目があった。私は、年に一、二度の保護者面談の際は、伝達が主になるからポケトークでいいと答えた。
その次に、機器より支援員が有効だと思うことはなにか、とあって、私はこれには、教科の学習をあくまで日本語で、一つのことをいろいろな言い方に変えて説明し、日本語で理解させること、これは支援員にしかできないと答えた。
ほんとうは各教科の先生がそういう教え方をしてくださればいいが、現場は忙しくて、外国人に多くの時間を割くことが無理だと思う。また、日本で勉強しているのだから自分で努力すればいい、という声もある。
支援員の実態を聞くと、なかには、外国語を話せるが日本語能力がかなり低く、教科書や学校発の文書が読めない人もいるらしい。そういう支援員は、生徒と母語や英語でおしゃべりするのが仕事だと信じて疑わずに勤めていると聞いた。これでは、その支援員は、英語なり外国語の腕が磨かれるかもしれないが、肝心の生徒の日本語力はさっぱり伸びないことになる。
日本語能力の高い支援員を育てるような組織的な研修が、教育分野でなされるようになるとこの国の教育行政も成熟したと言えると思う。しかし、現実は、そんな動きは皆無で、むしろ、一部の生徒にそれほど手(金)をかける必要があるか? 金(手)は、外国人より日本人にかけよ! と言う声が昨今の「正論」視されている。(……そういえば、支援員の時給は上がらないなぁ)
私は、生徒が翻訳機で何が書いてあるか理解することを望んでいるとは思わない。(もちろんそれも大切な勉強であることは認める。)日本語のシャワーのなかで、一つ一つわかる語を獲得し、使える言葉を増やし、日本にいるのならば日本語で思考できる、そんなふうに成長していってほしい。
この暑いさなか、仕事を終えて、電車と自転車を乗り継いで時間にきっちりやってくる外国人生徒を迎えるために、私は老体を励ましながら、
今日も学校に出かけようと思う。
(さ)