今でも交流がある学生時代からの友人が7人いる。住んでいる場所はバラバラ、それぞれ、結婚、出産、離婚、介護、看取り……とたくさんのことを経て歳をとってきた。今ではもちろん第一線を退いた者ばかりだが、この中で私ともう一人都内に住むAさんが仕事を持っていた。
そのAさん、この3月半ばで退職した。まだ働いてほしいと慰留されたのに、どうしても今決断しなければならないことがあると退職に踏み切った。彼女は、体力を考えると「今しかない」と私に電話してきて言った。
「サンチャゴ巡礼の道を歩く」
フランスからの道、ポーからピレネーを越えて西へ西へ、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでおよそ八〇〇キロ「カミーノ・デ・サンティアゴ」を歩くのだ。
彼女も私もキリスト教徒ではないけれど、いつかこの道を歩けたらいいなと学生時代から言い合っていた。それはもう「いつか」と言った時点で、迷子のような夢と思っていたけれど、人生の終盤に彼女は夢を脳床か
ら拾い上げて実現さ
せるという。立派だ。
尊敬の気持ちをこめて、「Buen Viaje!」と言葉を贈った。「スペイン語はまだてんでダメなんだけどね」と彼女。
「大丈夫、あらゆる国の人が歩いているんだから、英語で十分だと思うよ」と私。
彼女は学生時代、「放浪部」というサークルに所属していた。目的も決めず集いたい人が集まって、何となくどこかへ繰り出すという一風変わった活動グループだった。彼女の卒論も放浪の俳人「種田山頭火」だった。
その頃も今も、本当に強い、本物の自由を知っている人だなと私は思っていた。
つれづれにいろいろなことを思い出してしまったが、これで、友人たちが「集まりましょう」という時、「仕事」という言葉を使うものは私一人になった。
その「仕事」、私は、いつも辞めたいと思っている情けない人間なのだが、外国人支援で関わる生徒たちの熱意と懇願にほだされて続けている。
「さ〇〇ちゃん、どうせ見てないだろうから、最近私がすっごく感動した動画送っとくわ、暇なとき見て感動して」
そう言って、Aさんは電話を切った。その動画がパソコンに送られてきている。
何気なく、それを開いてみたら、さすがの私でもその名を聞き覚えている「りくりゅう」のオリンピック金メダルを取った時の演技だった。
スポーツ音痴だけれど、その演技はとてもきれいで、素晴らしいと思いながら見た。流れる曲も印象的、途中からカンテ(歌)が入るのがまたよかった。そして、あれ?と驚いた。歌詞が解るのだ。
歌っているのはイタリア語だが、それは、私が多少理解できるスペイン語とかなり似ている部分がある。「エラ デントロ テ~」と始まった時、「それは君自身の中にある」と私は理解していた。「ソルタントン ソグノ(ただの夢)……クレデ イン テ(自分を信じろ)……ノ ディメンティカレ セ ディペンデ ダ テ(忘れるな 君しかいない)」 切れ切れにわかるのだが、自分を信じるようにと歌っている内容だ。感動的だったのは、クライマックスの歌い上げだ。「ノン アレンデルティ マィ ディペンデラ ソルタント ダ テ~(諦めるな 人に求めるな 君自身だ)」
外国人支援の制度が始まった時、私はまだ現役だったけど、ボリビアの子の支援でスペイン語を及ばずながら勉強した。モノになったとは言い難いレベルだけど、思いがけず、「あ、何となくわかる」という感覚を持てる喜びがよみがえった。支援の仕事というだけでなく、自分もまたこの仕事に応援されているのだと思った。 (さ)