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読書記録2001年11月
リアルタイムで記録をつけていなかったので、手元にない本は2002年2月に思い出しながらの記録。


『眼球譚』
ジョルジュ・バタイユ,訳:生田耕作(二見書房)/小説・フランス/★★★

ちょっとなんと記録すればいいのかわからないのだが…超アブノーマルな18禁、といった内容の小説だ。

どうなってんだこりゃぁ、ととりあえず最後まで読み進み、ラストの「回想」で小説の内容が理解できた、というか、バタイユがなぜこんなはなしを書いたのかが理解できた。


『太陽肛門』
ジョルジュ・バタイユ,訳:生田耕作(二見書房)/哲学/★

アブノーマルかつスカトロジーな表現で、世界の原理が論じられる。私に理解できる内容ではない。イッちゃってるとしか思えなかった。

酒井健著『バタイユ入門』によれば、バタイユの友人はこれを読んで彼に精神科の治療を受けるよう勧めたそうだ。バタイユもそれに従って、で、『眼球譚』治療の過程で書かれたものだそうだ。


『「自分の木」の下で』
大江健三郎,画:大江ゆかり(朝日新聞社)/エッセイ/★★★

児童向けにしては少々レベルが高い、若者向け、十六編のエッセイ集。著者はひどく難解な文章を書く方だが、わかりやすく、と意識されたエッセイになっている。実存、そして社会とのつながりを、著者の今までの経験や人生をとおして、やさしく語ってくれるような内容だったと思う。本文中でもあった気がするが、サルトルの影響が強いみたい。

子供を対象として書かれたものなので、著者自身の幼少期、児童期の思い出話が多く、私はそれが非常に面白かった。


『「ゼロ成長」幸福論』
堀切和雅(角川書店)/社会・消費文化批判/★★★

必ずしも社会に合わせた上昇志向を持つ必要はない。競争社会から降りるということ、給料が安くとも負け組ではない、選択肢のない束縛される人生=経済的価値観に重きを置きすぎる人生、といった内容が、自身や知人などの実例を紹介しながら語られる。

著者の主張には共感したしそれなりに楽しんだのだが、あまり深いことは論じられていなくて、少々落胆したのを覚えている。


『鏡の中・神秘の国へ』
ヨースタイン・ゴルデル,訳:池田香代子(NHK出版)/児童文学・人生/★★★

舞台は北欧、クリスマスの時期、重い病で寝たきりの少女セシリエ…そこへ髪の毛のない子供のような、一風変わった天使アリエルが現れる。もうすぐ死を迎えることに勘付いているセシリエと、五感を持ち「生きている」状態が不思議でたまらないアリエルが、お互いの存在について問い、語り合っていく…。

世界の神秘とそこに「生きている」ことの奇蹟、その素晴らしさが描かれていた。ちょっとジーンときちゃった。

神との合一か孤独かというところが決定的に違うが、ラストは『ソフィーの世界』と似ていた。対象に干渉できない意識だけの永遠の命、欲しい?欲しい気もするがやはり恐ろしい…。


『陽水の快楽』
竹田青嗣(筑摩書房)/文芸評論・哲学/★★★★★

文学者や哲学者の言説をふんだんに援用し、井上揚水の曲はいかに突出した存在か、揚水のどういったところが天才か、が語られる。

陽水の快楽−ロマン的憧憬と挫折
陽水の眩暈−エロス的世界の体験
の二部構成。

これはド級の傑作だ。ビビッた。多くの人に勧めたいところだが、対象とされる読者層はかなり限定される。井上揚水を継続して聴いていて、現代思想をある程度カジッたことのある方。現象学、実存論、シニフィエシニフィアン、ラングパロール、ディスクール、デノテーションコノテーション、エロティシズム、など…それくらい知ってるよ、という方でないと難しいかもしれない。これはもう文芸評論というより哲学書だ、竹田流欲望論がバリバリ展開される。

少々引用させてもらった後、私的雑感。

「ロマン的世界の挫折と、それにもかかわらず立ち昇ってくるロマン的世界への憧憬、といった欲望の振幅」
「哀惜のたかまりやそのカタストローフを構成する<物語>を持たず、ただ、喪失された<世界>への憧れを、響きとして空へ放つだけ…(中略)…この響きは、いうなれば、かつて輝いていた<世界>の決定的な回復不可能性に対する深い通念の響きなのだ」
「挫折しつつ、なお現実の中にロマンを求めざるを得ない…(中略)…深い憧憬の余韻を鳴り響かせている…」
「揚水の中で、ある絶対的な欲望の死ということが起こった…(中略)…それは超越論的な欲望の対象としての<世界>を、絶対的な「ゆめ」と化してしまうような事件だった。こういった痛恨が身に滲みて、ひとは、憧憬や感傷や理想を奥歯でかみ殺すリアリストになる。揚水にもその痛恨が身に滲みなかったはずがないが、彼は自分の中のリアリストの方をかみ殺したのだ」

著者は『哲学の味わい方』で、現代の若者は過剰なロマン性を持てずにいる、最初から失われている、と語っていた。一応若者である私には、世界に対して割とその過剰なロマン性があって、でもことごとく喪失してしまった、にもかかわらず現実主義者として徹することもできそうもない、というか…まぁそういったとこがあるので、ここで論じられることはメチャクチャよくわかる。

かなりのウツ状態だった十月上旬、アルバム『招待状のないショー』を買ってきて収録されている曲をじっくり聴いてみて、ホントに涙が出たくらいだ。著者は「枕詞」で明証的な意味を感じ取った、とこれで語っているが、私もそうなのだ。まだ私自身はこの『招待状のないショー』で止まっていて先が見えない段階で、これからどう変化していくかはわからない。

だからその先の、都市のエロス的幻影に惹かれ、超越論的欲望と世界の狭間の深淵をのぞき込み、おののきとめくるめきの入り交じった眩暈を感じる、挫折を抱え込みその上を踏みわたっていく…といったあたりは、まだ自分自身のこととしてリアルにではなく対象としてしか理解できないのだけれど、よくわかる。

凄い評論だった。本当に驚いた。世界の外部ではなく内部に炸裂する超越、めくるめきとおののき、か…。


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