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読書記録2001年10月
リアルタイムで記録をつけていなかったので、手元にない本は2002年2月に思い出しながらの記録。


『現代を見る歴史』
堺屋太一(プレジデント社)/歴史/★★★

見事に忘れてしまった。古代ローマ帝国時代や過去の中国、そして現代を縦横無人に駆けめぐり、未来へ向けて提言する、そんな内容だったと思う。堺屋さんの知識、見識の深さに驚嘆したのはよく覚えている。


『自分を生きるための思想入門−人生は欲望ゲームの舞台である』
竹田青嗣(芸文社)/哲学/★★★★★

竹田さんの思想、エロス論を誰でも理解できるよう紹介された語りおろし。哲学に全く触れたことがない人でも取っつきやすい内容だ。『自分を知るための哲学入門』で言い足りないことを語った、とのこと。

「「私」という存在−人はなぜ「私」にこだわるのか」
「「他者」という存在−なぜ他人は「私」を脅かすのか」
「自己と欲望−人生は欲望ゲームの舞台である」
「恋愛における欲望−男女のかかわりとエロティシズム」
「「私」と世界−人はこの世界とどうかかわっていくのか」
「生と死のあいだ−死をどう受け止めるかが生の姿勢を決める」
の全六章。

それ以上は辿れない人間の根本的なもの=欲望、が編み上げていく世界と他者、そして自身との関係、その中でどれだけ面白いゲームを楽しむか…生きる原理、思考の原理を示してくれる。非常に感銘を受けた名著である。

恋愛論はバタイユがバックボーン、女は男に汚される対象として自分を捉えていて汚されることに快感を覚えるとか、他にも色々あるのだが、こういうの女性にはどう受け取られるのか興味ある。この恋愛論、男の私は非常によくわかるのだが。


『自分を活かす思想・社会を生きる思想−思考のルールと作法』
竹田青嗣、橋爪大三郎(径書房)/社会学・哲学・対談/★★★★

「正しく生きるより楽しく生きたい、人のためより自分のために生きたい。そんな私のための社会学。」帯封にこうある。いいね、このキャッチフレーズ。上から下される、倫理的命題に従うだけではつまらない。

現実的で強靱な思想を持ち、それを平易な言葉で語ろうと努力する、哲学者と社会学者の対談。思想とはなんなのか、自我と社会、国家、教育、メディア、環境、差別、宗教、など、幅広いテーマだ。難しいことを一般人でも理解できる言葉で語ってくれ、それでいて理路整然としている。

人間も社会もルールの束、実存思想と社会思想は根っこでつながっているとか、資本主義=自由市場と民主主義、これを超える原理を持った社会思想がない限り、この枠内で地道なルール闘争をするほかない、とか…社会に息苦しさを感じ、しかし絵に書いた餅の予定調和平和世界といった幻想が崩れてしまった私に、二人の言葉はもの凄い説得力を持って迫ってきた。


『哲学の味わい方』
竹田青嗣、西研(現代書館)/哲学・対談/★★★★

二人の身近な話題から、社会などについての対談。二人は若き頃からの旧知の間柄、哲学者のざっくばらんな会話が楽しめる。ざっくばらんというより、対象とされる読者層、私のような若者に合わせてくれている、と言った方がいいか。

哲学、主に現象学的思考法が示された後、恋愛、就職、社会、自我、について語り合う。

お二人ともベースは「現象学−実存論」だ。それってなによ?と聞かれれば、私が私として楽しく生きるための土台、自己や世界を一から捉え直す手法、まぁそんな感じだ。自分が何者かもわからず自信はなく、社会へ対してどういった態度をとったら良いのかもわからず、モヤモヤした不全感を抱えている…その解消の出発点、土台となるような思想。竹田さんが語るに現象学とは「世界像についての原理論」だ。

特に印象に残ったのは、本気で恋した相手との失恋のはなし。世界の喪失が現象学的に明証的にわかる、と。私は彼らのように本気で深く一人の人を愛したこともないし愛されたこともないのでそういった経験はないが、そのくせ妙に共感してしまった。


『実存からの冒険』
西研(毎日新聞社)/哲学/★★★★★

ニーチェと、フッサール→ハイデガーの「現象学−実存論」の系譜の紹介。とってもわかりやすい語り口で、社会に不全感を持つ高校生くらいにピッタリな一冊だったと思う。

竹田青嗣さんの思想と非常に通じるものがあるのだがそれもそのはず、若い頃一緒に哲学研究同好会、「哲学たいらげ研究会」をやってらした、とのこと。お二人ともポストモダン嫌い…というよりそれを乗り越えようと真摯に思考を練っておられる方々だ。

世界と自分自身を捉え直す方法として、私はこの「現象学−実存論」がとても気に入っている。


『「考える」ための小論文』
西研、森下育彦(筑摩書房)/読み書き・ノウハウ/★★★★

小論文というのはタイトルどおり「考える」ためにけっこう重要なことで、書くことで曖昧だった考えがまとまった形になったりするものだ。日記とか本の雑感数行だけでも、自身の考えの矛盾や浅さが見えたりして、次へと進むステップになる。…といいのだが、私の場合はどうもイマイチ…。

大学入試小論文を素材にして色々論じられていたので、メインとされる対象は大学受験で小論文が必要な受験生だったろうか?書くことで考えを深めていこう、なんて社会人はあまりいないだろうし。けれどそれに興味を持つ私には楽しい内容だった。

そう、予備校生の小論文のデキのよさに驚いた。大学受験生って凄いんだな。私は足元にも及びません。


『現代社会の理論』
見田宗介(岩波書店)/社会学/★★★★

経済的先進国と経済的後進国における格差等の矛盾、無限に増大する欲望と資本システムの外部である有限な資源と環境の関係の問題、など、現代社会の闇の面をも直視しつつ、その行方について論じられる。

多くの問題を生み出しつつも手にした光の側面、欲望の解放と自由、その欲望というのはとめどない厄介なものだがやはりそれこそ生きる喜びで、ではその欲望の対象をモノから情報へとどうシフトさせていけるか、その先をどう模索してゆけるか、といったような…。具体的な展望は示されないが、ポスト大量生産大量消費社会は情報消費社会、さらにその先へ、といったことが語られていた。

経済的先進国と経済的後進国の格差や問題について論じられるあたりは、様々な事例、データに憤った覚えがある。

安易なロマン主義に陥らない、現実的で強靱な理論が展開されていた印象が残っている。


『哲学の練習問題』
西研(NHK出版)/エッセイ・哲学/★★★

毎日新聞関東版に連載されていた、哲学的コラムをまとめたもの。人間存在から社会まで、幅広いテーマで様々に語られていた。世間の価値観に浸った人々にちょっとした発想の転換を促すような、原理的な思考法を説くような、わかりやす〜いコラムだったと思う。

私には物足りなかった記憶がある。


『コミュニケーション不全症候群』
中島梓(筑摩書房)/社会学・感情社会学/★★★★

まずザザッと要約。

都市は過密になり過ぎて、人は本来からすれば必要に満たない狭い縄張りしか確保できなくなり、多大なストレスを感じる。そこで人は過密に対する自己防衛として、知人でない他者を人として見なくなる。で、自分のいるスペースが空間上にないとなると、他者の心の中、共同幻想に居場所を求める。現代では可能な限り有名になり自我を安定させることが、人々にとって重要なこととなっている。人に受け入れられるか否か、お互いに選別しあう社会に適応できるか否か。この、現代社会の過密状態に過剰適応した状態が、コミュニケーション不全症候群。

コミュニケーション不全症候群の典型的事例として、オタクと拒食症について論じられる。
オタクは選別社会から降りて内面に閉じこもり、人を人として見なくなっちゃった人々。マンガやコンピュータなどといった殻がなくては自己を維持できない。
拒食症、ダイエット症候群は男からの選別の眼差し、人肉市場に過剰適応した状態。自分自身を選ばれる商品と同等にしか見ておらず、誰かに受け入れられないと自己を維持できない。

誰かに受け入れられたい人だらけなのに、当の自分は厳しい選別の基準を持って人を人として見ない、この悪循環…。

感想。

本当に人の痛みに敏感で繊細な神経の持ち主だったら、自分が生活する場のみならず、テレビや新聞で見るあまりに多い悲惨に耐えられるかわからない。現代社会を生きるにはここで語られるほど極端ではなくとも、ある程度鈍感でなくては難しい。

誰かに受け入れられないと息苦しさを感じてしまうというのは、まぁ確かにあるね。ちょっと情けないけど。まぁ社会に背を向けすぎず、他者をアイデンティティ確立の手段のみとして扱うようなことはせず、バランスとっていこうや、てとこかな。

なんとなく社会から抑圧を感じているような方には、感情社会学や共同幻想で社会を読み解く、といった手法の処方は非常に有効だ。ただ、それは自我すら破壊されかねない劇薬でもあると思う(私はノイローゼっぽくなった)ので注意が必要でしょう。


『ヘーゲル・大人のなり方』
西研(NHK出版)/哲学/★★★

ヘーゲルの哲学が紹介されていた本なのだが、細かい内容はほとんど忘れてしまった。

理想家ヘーゲルが現実にブチ当たった後、その理想をいかにして現実に活かすか、社会へ対していかなる態度をとるべきか…そんな、ロマン主義から強靱な思想への変化の過程が、著作を読み解きながら語られていた。著者はこのヘーゲル、そしてニーチェに深い思い入れがあるそうだ。

詳細、しかしわかりやすい一冊だったと思う。


『読み書きの技法』
小河原誠(筑摩書房)/読み書き・ノウハウ/★★

これまた見事に忘れてしまった。段落の重要性とか、自分でもものを書いてみれば読書にあたって読み込みが深くなる、とったことが論じられていたと思う。


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