読書記録2000年9月
『孔子』
井上靖(新潮社)/小説・儒教/★★★
舞台は孔子没後数十年の中国。孔子の中原放浪、遊説の旅にお供したという老人が、自分の体験をもとに孔子を研究する者達と語らう。孔子の教えはいくつもあるが、この本では旅の様子や人間味ある孔子と三人の高弟、子路、顔回、子貢の人柄、天、天命、仁(特に恕)などを中心に話が展開する。
論語の言葉がどのような状況で出たのか、これを想像するのは面白い。この老人が言いたいことは、天命の二つの意味を知り、仁の心を持って生き、たとえ小さなことからも生きる喜びを見出して行こうよ…こういうことかな。
まるで村人に説くように優しく、範囲も限定して語ってくれているので、全然難しいことはない。が少し物足りない気もした。儒教、孔子の教えに興味はあるが全くなにも知らない、という方にいいかも。
『老人と海』
ヘミングウェイ,訳:福田恒存(新潮社)/小説・アメリカ/★★★★
不漁続きの老漁師、小舟で一人巨大な獲物に出会うが…。
感想を。
老人を慕う少年、この少年は老人を尊敬していて大好きだから、老人の誇りを傷つけることなく優しく接することができて、老人も少年を心から可愛がって…お互いに大切な存在。今の日本にこういう関係はどれほどあるだろうか?
厳しい海と誇り高く格闘する孤高の男…でも独り言が多かったり、体力的にやはりきつく、つい「あの子がいてくれたらなあ」と弱音を口にしてしまうところが「老いた人」なんだな。独り言と言っても愚痴じゃない、味があってイイよ。
しぶとい巨大カジキマグロ、次々襲いかかる鮫ども…もういいだろう、許してあげてくれよ、とこっちが辛くなってしまう。愛する海、自然の過酷さ。
ハッピーエンドと言えるラストではないが、虚無感は感じずむしろ充足感がある。それは自然の偉大さに圧倒され、少年の存在に救いを感じ、あきれてしまう最後の数行でさらに老人の生き方に尊さを感じるからか。
小説にも感動したがこの訳者解説、これがまた非常に勉強になった。
『この国のなくしたもの』
野坂昭如(PHP研究所)/エッセイ・社会風刺・人生/★★
現代社会への風刺、と受け取っていいだろうか?想像した感じとだいぶ違った。
筆者の性格…かなり屈折している、ね。いや、個人的にはこういう人好きだけど。おもわず吹き出すようなとこが何ヶ所もあるし。斜に構えた皮肉混じりの文章、どこまで本気なのかわからなくなってくる。たぶん真面目、でも照れ屋で、ストレートに「私の意見はこうなんだ!正論だろ!?」と言うのが恥ずかしいのだと思う。
本心で言っているのだろうかと疑いたくなるもの…昔は良かったというような安易な懐古主義の印象を受けたり、肯定できない男女観や事実認識など、ちょっと違うんじゃ?というものが多々あったが、そういうものはきっとわざと大袈裟に言って問題提起したかったんじゃないだろうか。違うかな?本気?読解力不足で裏が読めないだけかも…。
この本で面白かったのは筆者の死生観、戦中戦後の一少年の心理。他ももちろん、ものを考える材料になるだろう。人によって評価が別れそうな微妙なエッセイ。
『儒教三千年』
陳舜臣(朝日新聞社)/儒教/★★★
中華思想といえば最初に連想するのは儒教。その儒教とはどんなものなのか。歴史を辿って解説される。
簡単にまとめてみる。
ルーツを辿れば殷の時代、巫祝が源流という儒教。漢の時代、反体制から体制側によったのを初め、時代によって次々と変貌し、また数多くの解釈の相違もあるので一概には語れないという。儒教は不幸なことに強力な競争勢力がなかったため、独裁政権や中世カトリックと一緒で腐敗しても仕方なかったのかもしれない。その教えやこれら様々の理由によって、歪められて権力者に利用される歴史が多かったそうだ(教育勅語もそのひとつ?)。そして長い年月を経て道教仏教など様々な要素を取り込んで、いまや儒教は中国と等身大…なんとなく掴めた。
雑感を。
宗教的な意味合いを持つ一面がかなり強いことが私には意外だった。葵丘の盟の黄河の例は、現代の核兵器問題でも学べるものはないだろうか?悪い一面の科挙、これは現代の日本の受験や官僚制度でも再現しているようで…。結果どうなるかは歴史を見ればわかりそうなものだ。
賛美し過ぎず否定し過ぎず公平な視点で検証し、わかりやすく教えてくれた。陳舜臣さん、上手いなぁ、と感心した。
『新世紀デジタル講義』
立花隆、南谷崇、橋本毅彦、児玉文雄、安田浩二+立花隆ゼミ(新潮社)/コンピュータ/★★★
そもそも情報とは何なのか、基本的なコンピュータの仕組みや構造、その歴史、情報産業革命、ネットワーク、オープンソースなどこれからの展望。
私も使っているコンピュータ、しかし使えてもそれがどういう原理で動いているかなんて知らない。で、興味を持って読んだ。わかりやすく解説してくれているものの、やはり立花さんの著作は難しい。歴史についてはほとんど理解不能。しかしあとは私でも楽しめる内容だった。
情報原論では「情報」の見方が一変した。情報、この言葉の持つ意味の多義性に驚き、物質やエネルギーと同等の重要性を持つほど重要なものであることを知った。仕組み、産業に及ぼす影響、ネットワークの将来、知りたかったこれらのことがなんとなくだが掴めた。ノイマン型でないコンピュータのことにも若干触れている。
計算機として出発したコンピュータがインターネットの出現で世界を変えようとしている…。将来、現在でも、もうコンピュータ無しの世界は考えられない。その重要性、将来性を理解することができた。そんな凄いものも、実は0と1の足し算しかやっていない単純なものだということも。
立花さんの本、相変わらずアバウトな理解しかできないが面白い。「コンピュータって、ネットワークって、情報ってなんなの?」の問いに見事に答えてくれる一冊。
『ソロモンの指輪』
コンラート・ローレンツ,訳:日高敏隆(早川書房)/科学・動物行動学/★★★★
副題は動物行動学入門、動物の生態観察や交流がエッセイ調に描かれる。普通の動物生態観察と違うのは、かなり自由な状態にしたペットを主に利用しているところ。だからこそ普通では見えない姿が見えてくる。
子供の頃読んだ(ほとんど覚えていないが)ファーブル昆虫記に似ているだろうか?でもあれよりもっと動物に対する著者の愛情が伝わってくる気がする。その愛情があるからだろう、動物たちも著者に特別な行動を示す。本当かな?と疑ってしまうような驚くべきものもあるが…事実なのだろう。それほど興味深い話がいくつもある。
私も子供の頃、庭で数種類の生き物をほぼ放し飼い状態で飼っていたが、信じられないような行動を目にすることがたびたびあった。例をあげ出せばキリがないが例えば………。
ニワトリとウサギ、圧倒的にニワトリの方が強かった。ウサギ小屋まで入ってウサギを追い出し、庭を逃げ回るのを追いかけつつく…。が、ある日ウサギは反撃に出た。休んでいるニワトリの脇腹めがけて猛然と突進し体当たり。ニワトリは「コケッ」と一声あげて逃げ出すと呆然としていた。あの臆病なウサギがあの凶暴なニワトリに…と子供心にビックリ。で、この本で初めて、実はウサギも激しい闘争本能を持っている、と知った。
動物に囲まれて生活できるのはいいものだ。世話とか大変なこともあるが楽しいし、普通では学べないことが学べる。ここまでできる筆者が羨ましい。楽しい一冊だった。シートン動物記を好きな子が、もう少し大きくなったとき読めば心に残る本だろうな。ペットを飼っている動物好きな方も、とっても楽しめる本だと思う。
『100億年の旅』
立花隆(朝日新聞社)/科学/★★
様々な分野の最先端科学技術紹介、研究者数人との対談。
はっきり言って難しすぎた。わからなかったなりにも感想を。
主に脳を中心とした遺伝子研究の最先端、もうここまでわかっていてここまでできてきていて、今も猛烈なスピードで研究が進んでいて…。私の傷害、頸椎損傷も、中枢神経細胞を再生させてそのネットワークを再構築させる理論や技術くらい近い将来見つかって治ってしまうんじゃ?なんて持たない方がいい希望も抱いてしまう。
脳型コンピュータ、人工脳、人工知能…とても理解しきれないが、もう本当に生物に近づいてきていて、読んでいると恐くなる。現時点でここまで優秀なものが作れるとなると、冗談抜きで映画であるようなコンピュータの反乱なんて話も、ただのSFでは済まない時代がやって来るのかもしれない。
昆虫ロボットから脳にせまる、という研究、触覚に電極をつけたサイボーグゴキブリがリモコンで右に左に歩く研究室…恐いよ。昆虫の特殊な能力を人がどう使おうとしているのか、ぼんやり知ることができた。
分子レベルで生命にせまる研究の話は及ぶところではない、全く理解不能。
バーチャルリアリティの最先端の話も興味深い。その設備を実際に体験しなくてはわからないと書いてあるが、とにかく非常に現実の世界に近づきつつあることがわかった。現実には不可能な、鳥になったりミクロの世界を歩いたり…そういうことがバーチャル世界で超現実的にできるようになってしまうのだろう。
理論上可能だろうと言われていたものが技術として実現していく。その技術を利用してまた新しい発見があり、理論を実証していく。この相互関係で新しい発見と理論、新しい技術とどんどん進歩していく。それ自体は素晴らしいことなんだが、私利私欲に溺れがちな人間に、問題なく使いこなせるか?
「遺伝子操作したショウジョウバエの異常性行動」と「ロボットのサッカーワールドカップ」はテレビでの予備知識があったのでついていけたが、後はあやふや。まあ「なにかとんでもないドキドキすること」が最先端で行われていることと「何を知り、何を知らないのか」をぼんやりとでもわかったから挑戦してみた意味はあったかな?理系の大学生にもほとんど理解できないのでは?と思うほどの内容だった。
評価低くつけたけど、結局私にはほとんどわからなかったからという理由。サイエンスの知識が相当にあって、最先端科学技術に興味のある人には最高の一冊だろう。
…まったく、著者の好奇心や知識欲には笑いがこみ上げてくる。とんでもない人だ。
『もう少し知りたい人のための「ソフィーの世界」哲学ガイド』
須田朗(NHK出版)/哲学・哲学史/★★★★
タイトルのまんま、ヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』で語られる哲学講義を中心に、その世界を掘り下げる。著者は邦訳の監修をした方。
ソフィーの哲学補習用参考書、といった感じだろうか。とってもわかりやすい。ミステリーのストーリーのネタばらしもあるので、『ソフィーの世界』を読んでいない人は見ない方がいいだろう。
この本で明かされる『ソフィーの世界』の数々の気付かなかった点、知らなかった点、その世界の奥深さにただただ感嘆。西洋哲学の流れを復習しながらさらに理解を深めることができた。浅いんだろうけど。最後にある西洋哲学者とその著書一覧、面白そうなのがたくさんあるのだけど、この手の本を読むのは大変な労力がいるからなぁ…。
『ソフィーの世界』
ヨースタイン・ゴルデル,訳:池田香代子,監修:須田朗(NHK出版)/哲学・哲学史・小説/★★★★★
物語を通して西洋哲学史の世界を教えてくれる本。ミステリー風の物語自体も実に面白いが、同様にその中で語られるメインの哲学講座が最高。
ある日主人公ソフィーに「あなたはだれ?」だけ書かれた謎の手紙が届く。そして「世界はどこからきた?」の二通目が…。今まで考えもしなかった問いに当惑しながらも興奮を覚えるソフィー。そしてソフィーの、先生が誰かも分からない通信哲学講座が始まる…。
率直な感想、なんて楽しい本だ!もうおもいっきりソフィーに感情移入して物語に没頭した。と言うか…読んでる自分はもう一人の…おっと。あぁ〜、著者は巧いこと、凄いこと考えたものだ。ソフィーの不思議な体験はもしかして自分の世界でも?なんて。う〜ん、不思議な感じだ。これは何度も読み返したくなる一冊。
西洋哲学の入門書でこれ以上のものってあるだろうか?最初はとってもわかりやすく入っていって、中盤、ルネッサンス辺りから徐々に難しくなってくる。それでも読者がわかるようわかるよう気を使って、物語と平行しながら書き進めてくれているのでついていける。それでも頭に入れるのが大変で、ここらでまたもや高校の倫理の資料を参照しながら。実際哲学って難解極まりないものだし。ソフィーは頭の良い聡明な子だが私はからきしなので、二歩進んでは一歩下がり、資料とにらめっこしながら一生懸命。ソフィーがついていっているのだから自分も負けるモンか、というような気にさせてくれる。
哲学講座で特に、この人の思想は面白そうだと感じたのは…パウロ、ロック、カント、キルケゴール、マルクス、フロイト、サルトル、ハイデガーあたり。多いな。思想を考えるうえで時代背景はもちろんやはり聖書の教え、そこで語られる神の存在は避けて通れない。あ、あと、キルケゴールとマルクスが同じ学舎で学んだなんてビックリ。
哲学に少しは興味はあるけど難しそう…という私のような人にピッタリな本だ。
最後に…哲学は、まるで迷いやすい深い森のようだ。………あの木はなんて言うの?この木は?この木の実は美味しそうだ。でもこっちはもっと美味しそうだ。いや、あっちの木の実の方が………。そうしているうちに自分が何処にいるのか、帰る方角はどっちなのか、いつの間にか見失ってしまう。この森を自分の庭のように歩くのは、そして自分の木を植えて実をつけるのは、並大抵のことではなさそうだ。