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読書記録2001年3月


『仏教と神道−どう違うか50のQ&A』
ひろさちや(新潮社)/仏教・神道/★★★★

先月読んだ、著者の『キリスト教とイスラム教』と同じスタイルの一冊。あれと同様に非常にわかりやすい解説なのだが、あまりの情報量の多さにアタマがパンクした。まるで仏教神道の簡易版データベースだ。

感想。

最も驚いたのは、神道の様々な考え方が想像以上に生活に根付いている、ということ。雛祭り、七夕など、これらも元々は神道の祭祀と知って驚いた。そして、日本人はゴチャマゼになんでも都合良く吸収してしまう民族だな、と改めて思った。宗教も例外ではない。仏教行事と思っていた、お盆の「先祖の霊を迎える」行事も仏教の世界観では矛盾が生じるということで…神道の世界観ならではのものだそうだ。道祖神とお地蔵さんの関係、仏壇と位牌(これは儒教と)の関係、仏壇と神棚を同時に置く…などなど。神仏混淆、神仏習合とはよく言ったものだ。仏教神道それぞれが影響し合い、混じっていることがわかった。

それぞれの宗教についての雑感…。

釈迦の仏教、その後の仏教、そして現在の日本の仏教諸派…全く別物と言っていいのでは、と思うくらいで、ひとくくりに「仏教」と呼ぶには無理がありそうだ。仏教にも色々あるものだが、初期仏教の釈迦の教えなどはかなり面白そう。これ関連の本は読んでみたい。

神道…これにも様々な派閥があるのは意外だった。神道でずっと疑問だった、罪が禊ぎや祓いで解消されるとか、人が神になる(あるいは多数の神が多数の人として活躍する)とか…これらはやはり納得いかなかった。信長秀吉家康、水戸黄門、乃木大将までも神、さらには痔で死んだ人が痔の神だなんてそんな…。神道は気付かぬところで日常生活、風習に浸透している、という事実は認識できたが、やはり宗教としての魅力を感じることはできない。…『キリスト教とイスラム教』を読んだとき思ったことを思い出した。あまり共感できなかった神道も、これでわかった気にはなるまい。

仏教にも神道にも全く無知の私にピッタリだった。そして、裏表紙の言葉だがこれ以上の良い表現はない、「日本人及び日本文化を考えるため」に良い一冊だった。


『汝みずからを笑え』
土屋賢二(文藝春秋)/ユーモアエッセイ/★★★

哲学的お笑いエッセイ。今まで読んだ三冊同様、またニヤニヤしながら楽しんだ。

どう楽しいのか説明するのは難しい。土屋賢二さんの公式HPがあるので、検索してそこのFAQを見れば著者がどんなエッセイを書くのか想像してもらえると思う。また、そのHPで実際エッセイを六編読むことができる。英文だが。

それぞれのエッセイの初出一覧で掲載された雑誌、新聞などを見て、こんなにあちこちから依頼があるのか、と驚いた。さすがにここは冗談とか嘘ではない…と信じたい。

心に残ったのは「不忍池の思い出」の一節。「…ベンチに座って、哲学的思索にふけったり…(中略)…だが、ベンチで考えついたことは、今から考えると、すべて誤りだった。それも普通の誤りではなく、根本的な誤りだった。…(中略)…恥ずかしさのあまり、山奥で一章隠遁生活を送りたい…」…コレ…私など、三日前に書いたことを見てもコレなのだ。まぁ一生こういう感じでもいいかな、と思う。私のような愚か者が動じない考えなど持ってしまったら、それこそ終わりのような気がする。


『地獄は克服できる』
ヘルマン・ヘッセ,編:フォルカー・ミフェルス,訳:岡田朝雄(草思社)/詩文集/★★★

エッセイ、詩、日記などをまとめた詩文集。編者訳者ともに『庭仕事の愉しみ』と同じ方。

ヘッセは「うつ」に苦しみ抜いた人物だった。その苦しみの話を軸に、ヘッセの思想をまとめた本といった感じ。最初は軽い気持ちで読み始めたのだが、思った以上に難解で四苦八苦した。

ヘッセの鬱の原因…複雑だが…強く感じたのは人間の、そして自分自身の「罪」の意識。その状態からの脱出法…消化しきれなかったが、まぁ要するに、苦悩をどうにかしようなんて思い悩まずあるがままに受け入れろ、「苦しみという飲み物の味」は苦くとも「ワインと炎を飲むように」飲み干せば「甘美な味」に変わるということで。ノイローゼを「きわめて肯定的なカタルシスと見なす」か…なるほど、不安定な精神状態になってきたときは思い出そう。

文中に何度もニーチェの名やそれと関連する言葉が出てくる。ヘッセはかなりニーチェの影響を受けているようで…彼も「超人」を目指した一人だったようだ。この後高校で使っていた倫理の資料を見返して…とても一概には言えないが…生き方も思想も、老子とかなり似ているように思う。キリスト教的な一直線の思想ではなく、東洋思想の…仏教の輪廻とか、廻る思想に強く影響を受けたようだ。

若僧の私には理解しきれない部分が多そうだ。年を重ねて、あぁ、確かにそうだなぁ、と思えるときが来るだろうか…。

ヘッセがここまで鬱々としている姿なぞ想像しなかったので、彼に抱いていたイメージが若干変化した。万人にお勧めできる本ではなさそうだが、一番最初の「ささやかな楽しみ」ここだけでも多くの人に読んでもらいたいものだ。これは私も常々心がけていること、この楽しみ方、是非多くの人に試して欲しい。


『エルネスト・チェ・ゲバラ』
オスバルド・サラス、ロベルト・サラス,訳:星野弥生(海風書房)/写真集・人物/★★★

キューバ革命後、1960〜1964年のゲバラの姿を写した五十枚前後の写真集。革命時部下だった方の話も少々。

革命に勝利した後、新しい国造り真っ最中…工業大臣就任時の会見、中国との経済協力協定でのサインする場面、メーデー、政治集会、建設現場でのボランティアなど…ゲバラの生き生きとしている姿。専門的な写真の善し悪しは知らないが、どれも全て印象に残る良い写真ばかりだ。ゲバラは自分にも他人にも厳格な人、というイメージがあったが、笑顔の輝きもイイじゃないか。

建設現場の作業風景を撮った数枚の写真は、彼の人柄を見事に表しているのではないだろうか。作業中は真剣そのもの、終わった後(休憩中?)に水(?)を口に含んで、「いや〜、働いたな〜」という感じのリラックスした表情、満面の笑み。いいね。

表紙のタイトル「che」のサイン…国立銀行総裁時の紙幣へのサインのエピソードも大好きだ。もしかしてこれがそのサインだろうか。

ゲバラを知らない人には面白くもなんともないだろうが、自分には嬉しい一冊だった。


『みんなの「学校問題!」』
池上彰(講談社)/教育/★★★★

目次を紹介すると…
「今、学校はどうなっているのか」
「ニッポンの学校は不思議な所らしい」
「学校で何を教えるか、どう決まる?」
「先生とPTAとの関係」
「不思議な文部省と教育委員会」
「学校給食は楽しみでしたか?」
「偏差値と通知表におびえる子」
「「わかる授業」への取り組み」
の八章と「世界の学校はどうなっている?」の補章、の構成。あと、著者の本はどれも索引が親切。

メモしながら雑感を。

一章…テレビで盛んにやっている、教育諸問題を再確認。

二章…大人による徹底管理(なぜか家庭以上に学校に求められる)、集団意識の植え付けとその強化、は外国人から見ると異常だそうだ。

三章…学習指導要領の変遷と教科書について。最新の学習指導要領、「自ら学び自ら考える」の理念…言うのは簡単でもこれこそ難しい!教師の力量に大きく左右される…林竹二著『教えるということ』で語られていたことを思い出す。現代の理念でこそ、彼の言葉は輝いてくるのかも知れない。あと、教科書問題では、検定のはずが国定へ近づいてきている、という現状を知った。

四章…教員採用試験の倍率が近年八倍以上とは驚いた。教師になるのも受験戦争か…。偏見を持っていたPTAだが、本来の理念は素晴らしいものだ。

五章…文部省と教育委員会の組織構成について。地方教育行政法ができる以前の教育委員会の存在には、この日本にそういうものがあったのか!と驚いた。

七章…相対評価で子供に成績をつけて、ランク分けしなくてはいけない教師は辛い。補章で紹介されるシュタイナー学園から学べることはないだろうか…。

八章…勉強が楽しい学校…難しい。しかし現行の学習指導要領はその学校を目指して苦心の末生まれたもので…どういう結果が出るのか…。

補章…世界の教育制度は様々だ。オッ、と思ったのはアメリカのチャータースクール制度。これは大きな可能性を秘めていそうだ。

結局どうすれば本当に良いのか…答えは見えない。やはり教育は難しいものだ、しかし想像以上に文部省など教育関係者は奮闘していることを知った。悪の根元とよく糾弾される、受験制度への取り組みもけっこう進みつつある。後は一人一人の教師の向上心と熱意、そして家庭、地域、一般人がいかに熱心に取り組むか、ということだろうか。システムより、どれだけ大人が子供に本気で向き合えるか、その熱いハートが重要なようだ。

著者の本は他の本もそうだが、これも著者自身の考え、主張がハッキリ見えずそこが残念。NHK社会部で教育問題に深く関わり、現在『週間こどもニュース』のお父さん役でもある著者の教育論も是非知りたいところだ。


『現代の哲学』
木田元(講談社)/哲学/★★★★

理性による客観的秩序が崩壊したら、なにもかもが偶然に見えてくる…そこになんらかの可知性を見出そうとする現代哲学の流れ(と言っても初版は1969年)を辿る。主に「人間存在」について、それぞれの哲学者の共通の志向を浮かび上がらせよう、とする試み。

「二〇世紀初頭の知的状況」
「人間存在の基礎構造」
「身体の問題」
「言語と社会」
「今日の知的状況」
の構成。索引もあるが役立つかは不明。

以下感想、と言うか私だけのための超個人的なメモ。滝浦静雄著『「自分」と「他人」をどうみるか』を読んでおいて正解だった。いきなりこれを読んでもドロップアウトしたろう。

序と一章。
理性の崩壊…古典力学に代表される物理学、数学、そして十九世紀後半の人間諸科学(心理学、社会学、歴史学)の危機について論じられる。(ここは吉永良正著『ふたつの鏡 科学と哲学の間で』を読んでおいて良かった。)その問題点とは「完結した客観的世界」と「それに迫る能力を持った理性主観」を前提としていたこと。カントが理性の基礎づけで「理性に把握できることには限界がある」としたことを省みず、無反省にいた為の結果だ。

二章。
フッサールに始まる、ハイデガー、メルロ=ポンティ、サルトルの現象学、世界内存在の解説。これまでの自然的態度…世界定立、それを隅々まで把握する理性。それに対して現象学的態度…生活空間への回帰→人間存在の基本構造=世界内存在。

人間=世界内存在について。
ゲシタルト心理学主義の紹介…人間とは内的文節を持った有機的全体。
ハイデガー…受動的関係、能動的関係の開示、そして意味の体系、その相互主観的構造の開示。
メルロ=ポンティ…シンボル行動によって直接的自然的環境を超越し、世界に開かれる。
まとめ…物でも純粋精神でもない人間、世界性自身を内包している存在。

サルトルによる情動の現象の考察『情動論粗描』…世界内存在としての自己がより明確に。しかしこう考えると怒りも相当抑えられそうだし、他者のヒステリーにも寛容でいられそうだ。

三章。
心身二元論の誤り、身体とはなにかについて。我を考える上での身体の重要性…身体を介して世界を志向していく、このことが論じられる。

メルロ=ポンティの『知覚の現象学』…幻影視、疾病失認、精神盲など、自分自身の身体のこともあり、非常に興味深い。

フロイトの性衝動の考察…いわゆる本能などではなく、これも世界内存在としての人間のひとつの志向性。驚きだ。

四章。
言語体系と社会構造の解説。強調されるのはやはり身体的主観、その相互主観性。自然的存在を越え出て相互主体的存在へ。ゲシタルトや、言語体系や社会構造から意味が発生し、全体性の志向、そこへさらに意味的付与をすることによって自由を獲得する。

ヴァロンの『幼児における性格の起源』…幼児期の癒合性、未分化な状態が社会性の根源…どうも納得いかないが、これはこれで面白い。

五章。
マルクス主義哲学の解説と問題点の考察。そして人間主義と構造主義の対立…とにかく構造を論じるには、相互主観性をさらに分析し掘り下げなければならない、と終わる。

私にはメチャクチャ難解だったが、現象学はそれまでの抽象的な思想と異なり具体的でかなり面白い。他の関連図書にも挑戦したい。


『アイヌって知ってる?』
横山孝雄(汐文社)/民族・アイヌ・歴史・児童書/★★★★

小学校中学年以降が対象年齢。「東京」程度の漢字にもルビが振ってある。アイヌの歴史、民族の特色、現在の差別など諸問題、文化保存への取り組み、他の少数民族との交流、などをわかりやすく教えてくれる。

古代史については疑問がなくもないが…まぁほぼ全て事実と思って間違いないだろう、と思う。タイトルどおり、アイヌ側の立場からの(著者の妻はアイヌだそうで、アイヌ神謡集をまとめた故知里幸恵さんとも親戚関係だそうだ)様々な「アイヌについて」の話を聞くことができた。著者の『北の国の誇り高き人々』を読んだときも思ったことだが改めて…今まで、ほとんどなにも知らなかったことが恥ずかしい。もう「日本は単一民族国家」などとは言うまい。

初版が1884年だから情報が古いかも知れない。それでもなにも知らないよりはマシだろう。当然のことながらアイヌ新法の記述はない、あとそれが制定されるとき旧土人保護法も廃止された。それが平成九年、だからまだたった四年前のことだ!

私の世代では、社会科の教科書でアイヌ関連の記述は皆無だった(と思う)。現在もその頃と変わっていないとしたら問題だろう。知らないが故に、気付かず傷つけてしまうこともある。キッチリ取り上げるべきだと思う。

萱野茂さんの名前が出てきて、そういえば立花隆著『二十歳のころ』に対談があったっけ、と読み返した。が、たったの三ページ。残念。インタビュアーがマズかったか?


『哲学者のいない国』
中島義道(洋泉社)/エッセイ・哲学/★★

「「哲学ブーム」とは何だったのか」
「常識からの解放」
「イマヌエル・カントという名の男」
「本物の哲学者」
の四部構成。

まず一章について。日本には西洋文化の下地がないのに、日本の哲学者と呼ばれる人たちは西洋哲学を研究するばかりの西洋哲学研究者…もしや著者は日本思想擁護者なのだろうかと思いきや、日本文化を徹底的に批判し始め、主義主張をハッキリし、精緻な言葉を使った妥協しない議論の中にしか本当の哲学はない、と続く。しかし…著者はカントを偉大な哲学者と言うが、三章の著者による見解では、カントもまたそういう議論に嫌悪を感じ避けていたそうだ…。

学者批判はまだしも、『ソフィーの世界』批判はいかがなものか。この批判は西洋哲学をよくよく知った人だからこそできるものだ。著者だって生まれたときから西洋哲学を知っていたはずがない。訳者との対談でもわかるとおり、読者だってあの本で哲学を理解できたなんて思ってない。著者の語る、答えのない問いを自分自身で考えるうえで、哲学史を知らないより知っていた方が絶対良いと思う。その入門の入門に、これほど適した本はないと思うが…。

結局、大学教授の哲学も庶民の考える哲学も哲学ではないそうだ。他者の言葉に頷いて終わりにせず「自分自身の哲学」を持て、ということらしい?が…それを言うのにここまで反感かう書き方する必要があるのか…。

スタートでつまづいた為、その後で語られることは面白いにも関わらず素直な気持ちでは読めない。しかし、カントが自我、他我をどう考えていたかの記述は興味深く読んだ。滝浦静雄著『「自分」と「他人」をどうみるか』 ではカントの倫理観を「他者不在の倫理学」と締めくくっていたような記憶があるので。

四章は哲学者の故大森荘蔵さんとの対談が中心。ここで著者の語る「哲学者」の姿がようやく見える。

反骨、批判精神があまりに強烈で、人によってかなり評価が分かれる本だろう。一章がなければ好きになれたのだけど…。


『ふたつの鏡−科学と哲学の間で』
吉永良正(紀伊國屋書店)/エッセイ・科学・哲学/★★

ひとつの鏡で世界を正しく見ることはできない。科学と哲学、ふたつの鏡を照らし合わせてこそ見えないものが見えてくる。まえがきを引用すると「科学的事実を踏まえない哲学は空虚であり、哲学という「権利問題」への省察を欠いたたんなる「事実問題」の探求としての科学は盲目である」ということ。この視点に立っての、様々な事柄をテーマにした十八編のエッセイ。理系と文系、始まり、次元、偶然、受験、問い、星、不可能、地球、終わり、について…など。

著者はサイエンスライターだそうで、科学の要素の方が強いように感じた。超難解そうな理論がサラリと出てきたりして。よって、科学の知識が皆無の私にはそこらへんが少し難しかった。

数値信仰という言葉にはハッとさせられ、これに関する記述は特に興味をひかれた。法則を求め、効率ばかりを重視する現代の社会はこの言葉に尽きると思う。…もしかしてニーチェの「生きた自然の復権」というテーマは、この現状の問題にも関わってくるのだろうか?関係ないだろうか?

読み終えた後…なにやらスッキリしない、少しまとまりがない印象も受けたが、哲学と科学、両者の間を「模索する」のだから仕方ないことか。それに加えて理解力不足からそう感じるのだろう。

私は自分で思っている以上に、科学的な見方、考え方が染み着いている(知識はないのに)ようだ。そう気付かせてくれた。科学だけに頼りすぎると見落とすものがある。それ一方だけを過信しないほうが良い。理系の方に是非読んで欲しい本かな。


『使徒パウロ−伝道にかけた生涯』
佐竹明(NHK出版)/伝記・キリスト教/★★★

パウロを伝記風に扱った学術書。記述の全てにおいて手掛かりとなる資料の信頼度の検証からだから大変。

読む前の私の知識は…。パリサイ派の迫害者から一転して回心、異邦人への伝道者へ。キリスト復活を教義として定義付け、後のキリスト教の礎を築いた人。この程度だったので、かなり難しかった。聖書の使徒行伝、パウロの手紙をよんでも疲れるばかりでよくわからないし。

ではメモと雑感を。

パウロのターニングポイントとなるダマスコ体験…難しい。本当に難しい。とにかくキリストの十字架によって、律法支配が成就した…こういうことでいいだろうか?パウロの体験を信じるか信じないかは、信仰は、理屈でどうこう言えるものではない…と思う。

イエスの兄弟ヤコブとペテロのエルサレム教会、バルナバとパウロのアンテオケ教会の違い…イスラエル会議やアンテオケの衝突など、福音理解と政治的な確執…初期キリスト教の背景、当時の社会状況を詳しく知ることができた。その社会背景ゆえにとはいえ、ペテロの態度は歯がゆい。律法からの脱却をイエス自身から一番身近に説かれたのに…。

異邦人教会からイスラエル教会への献金…事実だけを見れば納得いかない話だが、パウロの真意を読み解いていくと、あぁそうなのか…!とパウロの熱さ、大きさに圧倒される。ユダヤ人と異邦人をなんとか結ぼうと努力したその姿。これがきっかけでパウロの生涯は終わってしまうのだが…。

2000年経った今…長い年月、国を失っていたユダヤ人はイスラエルを再建し、しかしその結束力の源はイエス以前のユダヤ教…これをパウロはどう思っているだろう…。はぁ、私はこんな馬鹿げたことしか考えられないよ。


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