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読書記録2001年2月


『日々の経済ニュースがすぐわかる本』
池上彰(講談社)/経済/★★★★

「経済」のこと…経済用語やニュースで伝えられていることは、かみ砕いて言うとどういうことなのか、それは一体なにを意味するのか、なぜそうなるのか、庶民にはお金の運用にどんな選択肢があるのか、などを全九章で丁寧にわかりやすく教えてくれる。テーマは、税、銀行、インフレとデフレ、景気、株、通貨、グローバリゼーション、お金の歴史と未来などなど。

物々交換を仲介する「道具」として生まれたお金…それがこんなにも複雑に巨大に進化してしまった…ただひたすら驚き、ため息が出る。もはや「道具」以上のものになってしまっている。こんな社会についていくのは大変だ。

難しいことをやさしい言葉で誰にでもわかるように説明するのは難しい。例えば子供から「なぜ円高になるの?」「円高になるとなにが良くてなにが悪いの?」「日銀はどうやってお金を配っているの?」「公定歩合を下げることがどうして景気対策なの?」「そもそもお金ってなに?なぜ100円玉に100円の価値があるの?」などと聞かれ、子供でもわかるように説明できる大人は、さてどれだけいるだろう?著者はそれを実に見事にやってのける。というわけで、お子様レベルの私にピッタリの本だった。これでまた少し経済ニュースが理解できるようになったかな?

そう、この本で初めて知ったのだが日銀の職員は月給が現物支給だそうだ…!?金塊ででももらうのだろうか?

経済ニュースで伝えられることが私のようにほとんど理解できない、という方にはお勧めの一冊。


『アラビアのロレンスを求めて−アラブ・イスラエル紛争前夜を行く』
牟田口義郎(中央公論社)/伝記/★★★

普通の伝記とはちょっと違うかもしれない。多くの資料からトーマス・エドワード・ロレンスの知られざる姿を検証する。

一章では青春時代、アラブ一人旅から、二章では対戦時の活動、英雄にされてしまった経緯から、真のロレンス像を検証。三章では現在の中東紛争の原因となっている歴史と彼の関わりについて。

ロレンスはアラブと西洋で評価が真っ二つに別れる人物ということは漠然と知っていたが、それがどういうことなのかこれを読んで理解できた。ロレンス自身にも少なからず両者から誤解を招いた原因があるようだ。従軍記者、ローウェル・トマスによって祭り上げられたロレンスの英雄像…ヒットした映画のロレンスは虚像、フィクションだったのだな…。まえがきにある著者の意図どおり、「アラブ独立軍を指揮したイギリスの英雄」というイメージは覆された。

ロレンスの人物像もだが、三章の中東分割の歴史についても興味深かった。第一次世界大戦での中東をめぐるイギリスの三枚舌は、池上彰著『そうだったのか!現代史』にもあったが…これが国家の外交政策かよ、とまったく呆れてしまう。

アラブの視点でも見ることで、見えなかったものが見えてくる。歴史や、それに名を残す人物は、ひとつの視点でしか見ないと誤りを犯す…改めてそう思わせてくれた。


『生死半々』
淀川長治(幻冬舎)/エッセイ・人生/★★★

『日曜洋画劇場』でお馴染みだった、淀川さん86歳のときのエッセイ。「生死」や「老い」を中心に語られる
死を語っているようで実は生を語っているんだよ、とのこと。

年齢を重ねると見えてくるものがある。近い死を意識しながらも、いや、だからこそ一日一日を楽しく、精一杯生きる。砂時計や夜中の時計の音の話など、筆者が「時」をどう考えていたかがわかる。最後まで輝いていた著者の姿が思い出される…。

どこをとっても「明治生まれのお爺さん」のイメージとはほど遠い。特に「「家」という制度への反発」は強烈だ。特別変わった家庭環境がこういう考え方を生んだのだろうか?

著者の明るい、前へ前へと進む、人生を楽しむ…そんな人柄、人生観がよく伝わってきた本だった。


『東京から農業が消えた日』
薄井清(草思社)/ノンフィクション・農業/★★★

農業改良普及員として活動した著者が、戦後の三多摩地域の農業の変化を振り返る。

ちょっとメモ。

戦後、農薬、除草剤で農家の負担がどれだけ楽になったか!メリットばかりが目立ってデメリットが見えなかった時代…。

消費者の嗜好に振り回される生産者…柿や栗の木を植えても、実をつける頃にはもう次の品種が流行りだし、それに合わせて植え替え作業…。生産者を潰すのは消費者だ。

農業構造改善事業で工業化する農業、その後の減反政策や輸入自由化など…行政の計画の甘さが露呈する。苦しむのは農家。

さて。

農業が消えてゆく、様々な要素、過程を知ることができた。数百年間あった農村の風景があっという間に消えてしまった…日本の農業をダメにしたのは行政と消費者だ。

消費者は戦後まず「腹」で選び、次に「目」「舌」「頭」と変化してきている、次は「心」で選んで欲しい、と著者は主張する。農産物は工業製品とは違う。低価格の、明らかにオカシイと思う野菜は買うまい。一時得をした気になっても、実はゆっくり自分の首を絞めているのと同じことだ。

* * * * * * * * * * * *

2002/1 追記
この著者の価値観には非常に共鳴するし、長期的に眺めてみれば、国内の農業が衰退するのはメリットよりデメリットの方がよほど大きいだろう。ただ、だからといって「心で選べ」なんて感情論じゃ説得力を持たない。かといって、食い物握られて外交ができるかとか、いずれ世界は食糧不足に陥るとか、温室を暖める石油や海外からの輸送燃料は無駄で過剰な浪費だとか、化学肥料農薬たっぷりの大量生産手法のデメリットは…なんて激安食品店に殺到する主婦や、我が身の短期的なスパンの安全性しか考えない人に対して語っても無駄だろうし…。誰がなんと言おうと、農業の大規模化、テクノロジー化、グローバル化、は止められない流れだろう。生産現場は、大多数の人の日常生活の場から、姿を消してしまうだろう。


『教えるということ』
林竹二(国土社)/教育/★★★

学校教育、特に「授業」について。初版は二十年以上前、当時宮城教育大学学長の著者が実際小学校で授業を行って、子供の感想文などからタイトルの「教えるということ」について論じられる。

要約してみる。

それぞれ主人公である子供の学習を組織するのが教師の仕事。子供の出す意見を、○×形式でなく厳しい吟味にかけ、正しいか間違ってるかを自分で気付かせてあげる、実はなにも知らないんだ、ということを自覚させる。わからないことを知ることがスタート、そこから探求が始まる。「少しずつ」「色々なことが」わかってくる楽しさ。

著者の「授業」は同業者から見ると、子供の発言が少なく「講義」のようだ、と批判されるという。しかし著者の言葉どおり、ある世界、例えばこれでは「人間とはなにか」や日本史の「開国」の世界に連れ込むのに、教師が言葉少なでできようか。その世界に入ったとき、聞いているだけのように見えても、子供は主体的に考える。授業によって「子供の中でなにかが変わらなければ」意味がない。

さて雑感を。

私の受けた学校教育は「どうして?なるほど!」が欠けていた。覚えるだけ。過程がなかった。だから楽しくなかった。今…「どうして?」を考える余裕がある。しかし「なるほど!」に一人で到達するのは難しい。授業数減らして子供の主体性に任せる、なんて方向に行ってるけど、「学ぶ」ことを知らない子供になにが学べるだろう?教師による「子供が主役」の「授業」の意味は大きい。

しかしなかなかこう上手くは…。「教育」というものはとてつもなく大きいテーマだ。あぁ、教師ってとんでもなく大変だ。教師じゃなくて良かった。というか私が教師を欲しいよ。


『連合赤軍「あさま山荘」事件』
佐々淳行(文藝春秋)/ノンフィクション/★★★

著者は東大安田講堂事件、浅間山荘事件で警備幕僚長として現場指揮にあたった方。まさに現代の侍。どこの組織にも呆れてしまう連中がいる、しかし熱い人達もいる。そういう熱い方達の、闘いの詳細な記録。

これは戦国時代の合戦の話だろうか…と思ってしまうような内容。過激派が命懸けなら、それを法的制約を受けながら取り締まる側は倍以上命懸けだ。もうとにかく壮絶。たった三十年程前だが、凄い時代が…というか、のほほんとしてきだした時代に、命を賭けて闘った方たちがいたんだ。この壮絶な事件を知ると同時に、組織と個人の関係についても考えさせられた。あと、何故未だに共産党を異常なまでに毛嫌いする人が多いのか、これを読んで少しわかった気がする。警察組織の戦術、戦略、裏話など、警察関係者、それも上層部の人ならではの話が多く、そういったところは特に興味深く読み楽んだ。

著者は、過激派は東大安田講堂事件などの学生達とは本質的に違う、無い物ねだりの「文明病」だと言う。確かにそれは形を変えて今も、これからもある病だろう。

この時代はもっと色々な視点から詳しく知りたい。安保闘争のノンフィクションなどにもいずれ触れてみたい。


『われ笑う、ゆえにわれあり』
土屋賢二(文藝春秋)/ユーモアエッセイ/★★★

哲学的お笑いエッセイ。楽しめたが『棚から哲学』『ツチヤの軽はずみ』と比べると若干笑いどころが少なかったように感じた。

土屋さんの著書や哲学関連の本を読むと、自分の意見を持ったりそれを主張したりすることがひどく馬鹿馬鹿しい、どうでもいいことのように思えてしまう。私の浅はかな考えなんてどうにでもひっくり返せるのだから。

無条件に価値あるものなどない。価値があるとされるものも、その根拠は揺るぎないものではない。見方によっては無価値だ。で、著者は笑いに価値を見出している、みたいだ。これは深〜い洞察あってのことなんだろう。


『キリスト教とイスラム教−どう違うか50のQ&A』
ひろさちや(新潮社)/キリスト教・イスラム教/★★★

「どう違うか50のQ&A」の副題のとおり、素朴な問いに対する解説というスタイルでとてもわかりやすい。内容は教義、歴史、文化など多岐にわたる。

この解説…キリスト教では私の思っていることや犬養道子さんの『聖書の言葉』などの解釈と根本的に異なる解説が多いが…まぁ、クリスチャンとそうでない人の解説は違って当然か。様々な解釈があるということだろう。キリスト教、イスラム教、それぞれの教義についてはこれでわかった気にならないほうが良い。

『イスラーム生誕』の著者井筒俊彦さんは初めてコーランをアラビア語原典から邦訳された方、と知って驚いた。その『イスラーム生誕』でも感じたことだが、イスラム教は戒律を事細かに定めたり、天国地獄の概念など「視覚に訴える」「目に見える」具体的すぎるほど具体的な宗教だ。これにもちゃんと理由がある。

教義以外の歴史や事実は鵜呑みにして間違いないだろう、実際問題としての疑問がいくつも解けた。双方の文化の違いを知るのにとてもいい本だった。

世界には様々な観点で様々な当たり前がある。我々にとっての当たり前が、そうは受け取られないことがある。両者の考え方に違いはたくさんあるが、あとがきにもあるように、重要なのは「白黒決める」ことではなく「お互いを理解する」こと。どうして相手がそう考えるのか、理由を知れば理にかなった対応もできる。それをせずひとつの見方、価値観しか持たないと、相手に対して見当違いな批判をすることしかできないのだから。


『住井すゑと永六輔の人間宣言』
住井すゑ・永六輔(光文社)/対談・講演/★★★

タイトルは「にんげん」ではなく「じんかん」と読む。その「じんかん」のあり方について、阪神淡路大震災、被差別部落、老人問題、天皇制などをテーマにした、ふたりの講演と対談。

住井さん…天皇制反対で時間の前には皆平等、との考えと、男勝りの我の強い方、というのはよくわかったが、どこか掴み辛いような…。とにかく、人間が作った怪しげでいいかげんな秩序に縛られるのはやめて、もっと根元的なものに目を向けなさい、ということなんだろう。

永六輔さんはバランスのとれた面白い方だと感じた。その永さんが住井さんは素晴らしい人だと言うのだから、きっとそうなんだろう。

思ったより興味深い話がたくさんあって良かった。が、この二人でもっと掘り下げた議論が聞けたら最高だったと思う。掘り下げてくれないとその考えを持つに至る過程がよくわからない、だから特に住井さんの姿が掴めなかったのだと思う。

西光万吉さんの「水平社宣言」には感動した。私は「平等」の意味を相当勘違いしていそうだ。それを考えさせられた一冊だった。


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