読書記録2000年8月
『世界妖怪大全 世界はゲゲゲ』
水木しげる(集英社)/伝承/★★★
タイトルのまんま、世界の妖怪辞典。水木さんの全ページカラーの幻想的(?)な想像図と共に、六十種ほどの妖怪が紹介される。水木さんは「妖怪千体説」をとなえていて、「数えだしたらキリがない各国様々な妖怪や妖精の数も、その性質の共通点などから考えて大体千体に収まるのではないか」と語る。
「妖怪」と聞くとなんだかオカルトっぽいが、水木さんの言うそれは「精霊信仰」、ある意味宗教のように思える。根底には目に見えないものや自然への畏敬の念、そして感謝の心のようなものがあるのではないだろうか。それは私のような科学的世界観に浸された現代人ももう一度思い出し、大切にしなければならないもののような気がする。そんな水木しげるワールドが楽しめた。
贅沢言えば、もう少しボリュームがあったらさらに面白かったかな。
『ダウンタウン・シスター』
サラ・パレツキー,訳:山本やよい(早川書房)/小説・アメリカ/★
舞台はサウス・シカゴ、女性探偵が母子家庭の幼なじみの父親探しを渋々ながら引き受ける…そして事態は思わぬ展開に。
知人に勧められて仕方なく、こういう小説はあまり好きではないのだが…と先入観を持って読み出したからか、やはりストーリーにのめり込めなかった。正直つまらなかった。しかし皮肉たっぷりの洒落た会話、また女性特有の視点や描写はまぁ楽しめた。
これ、知人がなぜ勧めてくれたのかわかる気がする。主人公とその人との言動や性格がだぶるとこがあるんだよね。たぶん、この主人公のように強くありたい、というその人にとっての憧れの女性像なのだろう。他にも魅力的な女性が数人登場する。推理小説好きな女性の方はかなり楽しめるかな?
『アジアの新聞は何をどう伝えているか』
根津清、姜英之、陸培春、クリエンクライ・ラワンクル(ダイヤモンド社)/報道/★★★
韓国、香港、タイからそれぞれ大衆に読まれている中立系の一紙を選び、1992年の一年間の報道内容をまとめた本。リアルタイムでないのが少し残念。
個別にメモと雑感を。
まず韓国。当然のことながら、北朝鮮(北韓)との関係に関する報道が非常に多い。ついで米国。経済は日本に学べ、という姿勢が読みとれる。この頃は景気良かったんだよね…。内政問題の社説は知識不足で難しかった。社会・文化は特に、日本と重なることが多く韓国を身近に感じた。
次に香港。もうすぐ返還の時期だからかもともとか、最大の関心事はやはり中国。返還に不安を感じながらも前向きに受け止めていたようだ。台湾のことでは大陸側に気を使うことが多かったみたい。経済、社会・文化の記事は、中国、英国を中心にさすが香港、グローバル。あとは住宅事情が厳しいよう。
そして王制で仏教国のタイ。この年は政界で大事件が起こったそうだがそんなこと全然知らなかった。やはり売春は深刻な社会問題のようだ。しかし日本はタイというとそれと麻薬のことばかり伝える、と日本に対して不満もあるらしい。未知の国タイ、その文化が少しはわかった気がする。
最後に、各国は日本をどう見ているのか。韓国、香港ではやはり過去の戦争問題中心か。韓国では今だに秀吉の朝鮮出兵関係の記事まで…おいおい、そりゃいくらなんでも、て感じだ。PKO法案が通った年、ということもあってか、日本の軍事大国化を神経質すぎるほど懸念しているのがわかる。でも日本のやったこと、態度を考えれば仕方のないことか…。なぜそれぞれ個別に正式に、誠意を持って謝罪できないのだろう?談話で全体に、くらいじゃ済まされだろう。戦争責任、謝罪、とはそういうものではないだろう。例えば西ドイツ、元ブラント首相のように…ああいった形で過去一度でもしていれば…と思うのだが。タイではそのことにはあまり触れず、政治経済文化まで、幅広く細かく伝えている。それだけ親日、日本を重視してくれているのだろう。
北東アジアはともかく東南アジアについてはあまりに知らなすぎる、と感じた。日本のメディアは東南アジアを軽視してはいないか?
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2002/1 追記
去年小泉総理が直接中国、韓国の戦争を象徴する場に出向き、村山談話を踏襲して「謝罪」した。意義のあることだと思ったが、中国も韓国も不満を持っている人たちは多いようだ。日本はまだ公式文書で個々への「謝罪」はしていない。それを終えたらケジメはついたと考えていいと思う。それ以上日本が国家としてできることはないと思うし、それ以後改めて「謝罪」する必要もない。謝罪は相手に受け入れられなければ意味がないとも思うが、だってなにができる?それ以上。
『かもめのジョナサン』
リチャード・バック,訳:五木寛之(新潮社)/小説・アメリカ/★★
「究極の飛行」という夢以外には目もくれず、それを追い求めるかもめのジョナサン…その行き着く場所、飛ぶことの本当の意味とは?随所の、ストーリーに沿ったかもめの飛行写真の姿に想像力をかき立てられる。
一章が終わった辺りで、ジョナサンはこういう道を歩むのだろう、と読み進めたら、それが見事に的中でニヤリ。三章でジョナサンはさかんに「真実」と「愛」について語っていたようだが、この言葉どっちも苦手なんだよね。夢ももちろん大切かもしれないが、どうも現実が置き去りに、おざなりにされている気がした。
短いあっさりした小説で、軽い印象も少し受けたが、ジョナサンがかっこいいからまあいいか、OK。「夢」「努力」「真実」「愛」か…やっぱりどれも苦手だな。
『ニーチェ入門』
竹田青嗣(筑摩書房)/哲学/★★
ニーチェの、生涯を通じての思想がわかりやすく解説される。
私のニーチェの知識はゼロ。キリスト教をめぐってはキルケゴールと対極にある哲学、と聞いたので興味を持って、倫理の資料を参照しながら読んだ。ニーチェの思想は、ナチズムに多大な影響を与えたそうだ。確かに解釈の仕方によっては危険思想。
『権力への意志』の引用文などにはかなり拒絶反応が起きた。なんだよ、「超人」て…儒教の「君子」みたいなもんか?などと。全然違んだろうな…。「力」への思想は政治権力を意味するのではなく、著者によれば文化へのひとつの本質的洞察なんだよ、ということなのだが、どうも…。キリスト教批判はクリスチャンでない私でも不快に感じた。ニーチェの言うこともわかるんだけど…。最も重要な「永遠(劫?)回帰」は様々な解釈があるらしく、難解でよく理解できなかった。
私にはあまり合いそうもない…どこか傲慢に感じるから。「力」の思想の一部とか、まず世界をあるがままに是認しようとか、面白いものはたくさんあるのに、そこから導かれるものは、え?え?て感じで…。社会の大衆化、水平化で個が埋没することを危惧するのは、ニーチェもキルケゴールも一緒なのに、なぜこうも違う結論が出てくるのか。皆が超人に憧れつつ生きる、となると、個の画一化はますます進行してしまうのでは?
頭の悪い私のことだ、誤解も多いだろうし、結局ほとんどなにもわかっちゃいないんだろう。あ、この本の解説自体は格別難解じゃなくよかった。ただ私の理解力が欠けているだけだ。
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2001/3 追記
ニーチェへのこの誤解だらけの考えはかなり解消された。
『二十歳のころ』
立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ(新潮社)/対談集/★★★★★
多種多様な人物68人に「二十歳のころ、何を考え何をしていたか?」をテーマに東大生がインタビュー。インプットしたことをアウトプットする訓練の実習として行われたもの。立花さんらしい授業だ。
当たり前だが本当に、二十歳前後の経験によって人それぞれ全く違う人生を歩むものだ。また若き日の思いや生活を知ることで、それぞれ個々の人生、若者へのメッセージに重みを感じる。特にインパクトがあったのは数学者の秋山仁さん。凄すぎ。ここまで打たれ強い人はなかなかいないだろう。皆の語ることに感心したり頷いたが、ただ一人、ドクター中松氏の話はどうも納得できないものがある。まあ、色々な視点、考え方があるということか。人と違った視点が奇抜な発想を生むのだろう。テーマとは少しずれた気もするが、原爆被爆者数名の話にはズキン、ときた。
年のいった人は終戦前後、団塊の世代は学生運動が大きな事件だったようだ。学生運動は、そういうものがあったんだ、と漠然と知っているだけで、何がどうしてそうなったか、というのはほとんど知らない。父に聞いても「オレは関わらなかったからよく知らんな。なんか構内でアジ演説してる奴もいたな」だし。これは是非知りたくなった。
この本にはきっとプラスになるなにかが見つかる、と思った。確かに得たものは大きいと思う。でも、今の私がなんてふがいなくて情けくてどうしようもないヤツかさらに思い知らされて、なんだか恐くなってきた…。今まで自分はなにをやってきたんだーっ!って…はぁ〜、どうしよ…。とにかくなんでもいい、自分の「自信」や「誇り」を見つけよう…言うのは簡単なんだけど、ね。
二十歳前後の悩める若者に超お勧め。
『ライ麦畑でつかまえて』
サリンジャー,訳:野崎孝(白水社)/小説・アメリカ/★★★★
舞台はアメリカ、放校処分を言い渡された十六歳の少年の内面が描かれる。子供から大人への過渡期、そこで見えてくる大人の汚さやインチキ臭さ、社会への反発。
この主人公面白い。わかる。ひねくれたとこが中高生の頃の自分と似ていて共感できる。もっとも私はこんなに上手くベラベラ口からでまかせ言える能力はないし、大胆な行動に出る度胸もなかったけど。
他人が無性にバカに見えたり、ウザイ奴でも友達やってたり、カッとして喧嘩して負けちゃったり、急に寂しくなったり泣き出したり、行動した後で後悔したり、奇妙な空想したり、背伸びして酒煙草やったり…矛盾の多い、思春期の不安定な心理状態。主人公は大人のインチキさを嫌悪する代わりに、子供の純粋さ(子供特有の不純さも含んだ)がとっても輝いて見えるんだな。昔のちょっと尾崎豊に似てるかな?砕けた文章(訳が上手!)、ひねた思考回路、理屈抜きだけど当を得た反発…とても面白かった。
もうこの頃みたいな繊細な気持ち、鋭い観察力、かなり失ってしまったかもしれないなぁ…。大人になりきってしまってから読んでも、ただの屈折した悪ガキ、くらいにしか思えないかもしれない。いい時期に読めた、かな。
『食人国旅行記』
マルキ・ド・サド,訳:澁澤龍彦(河出書房)/小説・フランス/★★★
愛する新妻をさらわれた男が、そのあとを追って世界中を冒険する。その旅で立ち寄る、あらゆる道徳が破壊された食人国、全てが道徳によって治められる美徳国…。果たして真の理想郷は?
主人公が出会う価値観の全く異なるふたつの世界、どちらの言い分も一理あって一理なし、なにかがおかしいように思えるが…。この美徳の理想郷、あまりに現実離れしてるし。大事なのはバランスだと思う。これはもしかして封建主義(食人国)と共産主義(美徳国)の究極の形態を表現していたのだろうか?でも著者が生きた時代、十八世紀には、まだ共産思想は生まれていない…。
著者はサディストの語源になった人物だそうだ。この作品からそういうのはあまり感じられなかったが、その手の著書もあるのだろう。
食人国の女性蔑視は強烈なので、女性は途中で不快になる可能性大かもしれない。
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2000/12 追記
サディストの語源になった理由は澁澤龍彦著『サド侯爵の生涯』を読んで理解できた。
凄まじい人生だ、サドの人生は。
『ジーキル博士とハイド氏』
スティーヴンソン,訳:田中西二郎(新潮社)/小説・イギリス/★★★
ジーキル博士の遺言状を預かる弁護士は遺言状の内容、友人の良からぬ話から、謎の男ハイド氏を調べ出す…。
ジキルとハイド、といえば有名だが実際読んだことがなかったので読んだ。想像していたのとだいぶ違って、なんだか軽い怪奇推理小説、といった感じ。内に潜む二面性に苦しみ悩む男が主人公の物語と思っていたので肩すかしを食らったようだ。それが読みとれたのは最後の数ページ、でもそれもいまいち…。訳者解説を読んで、なんでこう軽い印象を受けたのか疑問が解けた。
なんだかんだいって実はドキドキしながら楽しんだのだが、期待を裏切られてなんか悔しい複雑な気持ちだ。